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ありそうでないえほん

作者: 辰野ぱふ

 黄色いカバンをはずませて、西山団地の一号棟の前を元気よく走っている子がいます。

 西山団地のすぐ裏にある西山ようちえんに通っている、山中ゆきという女の子です。ゆきは今年年長組になりたてほやほやで、だんぜん、はりきっていました。

 西山団地には同じ形で、同じ水色をした五つの建物が並んでいます。ゆきは三号棟三階の三〇三号室に住んでいました。

「ただいまー!」

 団地全体にひびくような大きな声で、息をはずませて、ゆきは玄関のドアを開けました。そしてカバンをほっぽり出すとちっぽけな本箱の前に座りました。

 一さつ、二さつ…、本をつぎつぎに取り出してペラペラとめくったかと思うと、しまって、また出してしまって、ふてくされています。どうやら、ゆきの気に入った本は見つからないようです。

「ねえ、もう、全部読んじゃった! 新しい本を買ってよ!」

 ベランダで洗濯物を取り込んでいるお母さんの所へ文句を言いに行きました。お母さんは洗濯物を取り込む手を休めることなく

「この間買ったばかりでしょ!」

 と答えました。

 ゆきはぶうううっとふくれて、

「だって、もう全部読んじゃったんだもん」

 と言いました。

 ゆきは、ちょうど今文字が読めるようになってきていて、おもしろくてしかたがないのです。漢字も少しわかります。だからどんどん読みたくてたまらないのです。となりのジロ君からかりたマンガも読んでしまい、違う棟のミキちゃんから借りたえほんも、マンガも全部読んでしまいました。

 新聞もむずかしい漢字以外の読めるところは読んでしまったけれど、お父さんの本はちょっとむずかしすぎます。

「同じえほんをもう一度読んでごらん。また何か新しいことが見つかるかもよ」

 お母さんはのんきにそんなことを言って、ゆきの言うことを聞いてくれそうもありません。ゆきは、もっとぶうううっとふくれてしまって、うらめしそうにお母さんを見つめ、

『ちぇっ、いいよ、もう!』と心の中でお母さんに『べー』と舌を出すと、外に行ってしまうことにしました。

「ちょっと、どこに行くの! ちゃんと行き先を言って行って!」

 お母さんが気がついて、ゆきを呼び止めようとしたけれど、だめでした。もう、ゆきはバタンとドアをしめて、屋上への階段を上がり始めていました。

 団地は五階建て。いちばん上は屋上になっています。行ってはいけないことになっているけれど、これまでここで見つかったことがないので、ゆきはときどきかくれにやって来ることがありました。

 さて、屋上に上がってみると、何かいつもと違うような感じがしました。

「あ、そうか」

 ゆきにはすぐにその違いがわかりました。いつも閉まっている物置のとびらが開いていたのです。管理人さんが閉め忘れたのでしょうか。ちょっとわくわくします。ゆきはそっと中をのぞいて見ることにしました。

 モップの棒だけ、こわれたイス、古そうなストーブ、古そうな机、かびんみたいなもの、つぼみたいなもの…、ガラクタの山です。でも、何かおもしろそう。ゆきは、中に入って何かないかさがしてみることにしました。

 すると物のかげになっているところに、もう一つおんぼろの机があって、その上に一さつの古ぼけた本が置いてありました。

「ひゃ~~、きたな~~い」

 と思いつつも、ゆきは近づいて行って、表紙を見てみました。

「ありそうで、ないえほん…」声を出して言ってみました。それがその絵本の題名でした。なんだかへんてこな題名です。

 ゆきはおそるおそる、本の1ページ目をめくってみました。するとそこには赤い字で『ちゅうい』と書いてあり、続けて黒い字で『この本は、ありそうでないえほんです。ですから、きっと一人で見てください。だれかといっしょに見ると、ないえほんになってしまいます』と書いてありました。

「変なの…」と言いながら、ゆきはまた次のページをめくってみました。

 次のページもまた『ちゅうい』でした。

『このページは食パンでできています。でも食べないでください。食べると、ないえほんになってしまいます』

 ゆきは目をパチクリしました。表紙は古ぼけてきたないのに、このページは真っ白なふかふかな食パンなのです。ふんわり焼きたての香りがして、とてもおいしそうです。

 でも、食べてしまうとないえほんになってしまうのだから、食べるわけには行きません。ゆきはごくりとツバを飲み込んで、次のページをめくってみました。

 またまた『ちゅうい』です。

『このページはあるおたくのれいぞうこのとびらです。中に入っているものは食べてもかまいませんが、ちょっとこまったことになるかもしれません』

 ややこしいので、ゆきは三回くらい読み直しました。そしてドキドキしながらとびらを開きました。

 パッと電気がついて、中から冷たい空気が流れて来ました。納豆、とうふ、たまご、いろいろ入っています。その中でいちばんゆきが気になったのは…、三個パックのプリンです! ゆきの好きなやつです。ゆきは思わず手をのばしました。でも、ちょっと待てよ!

とびらを閉めて、もういちど『ちゅうい』をよく読んでみました。

「う~ん、食べるとこまったことになるのか?」

 ゆきはしばらく考えました。

「でも、一つだけならいいや! ないえほんになるわけじゃあないもんね!」

そして三個パックの中の一つを取りだし、ふたをめくると、スプーンはないから、そのままジュルジュル~っと飲むようにして食べてしまいました。

 ゴミは…、そこに置いておくのもいけないような気がして、冷蔵庫の中にもどしておきました。そして、何か困ることが起こるかもしれないから、少しじっとして、あたりをきょろきょろとうかがってみました。

 何も起こりません。

「あれ? こまったことって、ゴミのことかな?」

 かってにいいように思い込んで、ゆきは次のページをめくりました。また『ちゅうい』です。

『これはあるへやのとびらです。かぎがかかっていますので、かぎあなからのぞいてください』

 ゆきは目をこらして、じっくりのぞいて見ましたが、暗くてぼんやりしていて、なんだかよくわかりません。

「つまんないページ」と言いながら、次をめくりました。またまた『ちゅうい』です。

『このページをめくると下が見えます。下に落ちないように気をつけて見てください』

 ページをめくると外の明るさになりました。それはただ上から下を見ているだけでした。色分けになった花だん、道や車が見えます。人の頭も動いています。ゆきは本を目の高さに持ってきてみました。横にしてみても下が見えるのです。さて、自分の頭の上に持って行ったらどうなるのでしょうか。もしかしたら、さかさまの世界に落ちてしまうかもしれません!

「あぶない、あぶない」

 ゆきはドキドキして、ちょっとこわくなりました。そして、ドキドキがおさまるまで、少し気持ちを落ち着けました。

 もういいかな、というところでまたページをめくってみました。思ったとおり、次のページも『ちゅうい』でした。『このページをひらくと森の中が見えます。この森のことをきっとわすれないでください』

 ページをめくると、たくさんの木々が見えました。ゆきはその中で、知っている木を見つけました。それはひときわ大きいイチョウの木でした。木のえだにはときどき鳥がきて、また飛んで行きます。風がふくとえだがさやさやとゆれます。でも、ただそれだけです。しばらくその森を見ていましたが、どうやっておぼえていたらいいかはわかりませんでした。

 そのけしきにあきて、ゆきは次のページをめくりました。また『ちゅうい』。「やっぱりね」

『このえほんは、ここでおわりです。またもとのところにおいておいてください。ほかのだれかが見つけるかもしれません』

「へんなの」

 ゆきは本をとじると、そこに置いて、ふっとためいきをつきました。

「ちぇっ。おわりか~、つまんないの」

 そして、自分の部屋に帰ることにしました。


 三階まで階段を走り下りて、「ただいま!」と家のドアを開けると、お母さんが出て来て、なんだか怒っていました。

「ゆきはドロボウネコみたいね!」

 と言うのです。 

「ええええ? なんで?」

「こっそり帰ってきて、何も言わないでプリンだけ食べて!」

 ゆきはドキリとしました、そして心の中で『え? あのれいぞうこはうちのれいぞうこだったのか!』と思いました。

「食べたら食べたでゴミくらいちゃんとゴミ箱に捨てなさい!」

 しかられているのに、ゆきはなんだかおかしくなって笑いそうになりました。

「わかっているの? 何か言うことは?」

「ごめんなさい」

「もうひとつ」

「え? もうひとつ?」

「そう。ごちそうさま!」

「あ、はい。ごちそうさま!」

 なんだかまだおかしくて、笑いそうになってしまいます。でもここで笑うともっとしかられてしまいます。ゆきは、下くちびるをぎゅっとかんで、笑いをこらえました。

『あああ、ほんとうにこまったことになっちゃったよ』

 そう思いながらも、まだおかしくて、ほんとうにこまってしまいました。


 さて、次の日もようちえんから帰ると、ゆきは屋上にかけ上がりました。もういちど、あのえほんを見てみたいと思ったからです。

「あ!」

 屋上に上がったとたん、ゆきはがっかりしました。物置のとびらは閉まっていたのです。ゆきは物置のとびらのノブを、ガチャガチャと回してみました。かぎがかかっています。とびらはびくともしません。

「あああ~」

 なんだかくやしくて、ゆきはかぎあなから物置の中をのぞいて見ました。中は暗くてぼんやりしていてはっきりわかりません。

「あれ?」と、ゆきは気がつきました。「これ、えほんの中にあったとびらだ!」

 一つなぞがとけた感じ。でも、がっかりです。そしてすぐにもう一つのなぞがとけました。えほんの中で見た、下の世界は、なんのことはない、屋上から見た団地のこのあたりのけしきでした。

 それから何日か屋上に上がってみましたが、もう物置のとびらが開いていることはありませんでした。そのうち、ゆきは小学生になり、屋上に上がらなくなり、「ありそうでないえほん」のこともすっかり忘れていました。


 ある秋の日。小学生になったゆきは、となりのジロくんやミキちゃんたちと、ステキなものを拾っていました。それはオレンジ色のギンナンです。

 そのギンナンのなるイチョウの木は、この団地のあたりでは一番大きな木です。ゆきは友だちといっしょにはしゃぎながら、ふと上を見上げました。

金色にひかった葉っぱが雪のようにやさしくふりかかってきます。

 「あ」とことばがもれて、ゆきはむねがつまってしまったような気もちになりました。

「このイチョウ…。これ、あのえほんのイチョウなんだ、きっと」

「おい、どうしたんだよ」

 ジロくんが、からかったようにゆきに言いました。

「ううん、なんでもない」

 その時のゆきの気もちをことばであらわすなんて、そんなことはできませんでした。でも、ゆきにはわかったのです。この団地はもとは、きっと森だったのだろうと。そしてこのイチョウだけは、その時から、きっとここにあったのだろうと。

 くさ~いギンナンを投げつけてきたジロ君に、ゆきは言ってみました。

「ねえ、屋上に行ってみたことある?」

「ないよ!」

「こんど上がってごらんよ。何かおもしろいものがあるかもよ」

 

おしまい

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