6、操り人形
「畑上は僕が殺したんだ」
夢だ。きっと夢だ。だってこんなに一気に色んなことが起こるなんてありえない。頭がついていかない。……早く目覚めろよ、俺。
「嘘……」
「本当」
にっと笑った矢田は夜の闇に綺麗に浮き上がる。
嘘だ。夢だ。これは夢だ。覚めろ。覚めろよ早く。
「……どうして……」
息が上手くできない。逃げ出したい気持ちでいっぱいのはずなのに、目の前の矢田の穏やかな顔から目が離せなくなる。足が、動かなくなる。
鼓動が早過ぎて痛い。
「僕さあ、急に何もわからなくなるんだ」
ぼんやりとそんなことを言うから。少し足が逃げる用意をした。
……怖い。
「記憶が飛ぶんだ」
そう言った瞬間だった。
「あああ! ああああああああ!!」
突然だった。顔を両手で押さえて、聞いたことのないような声で叫ぶ矢田が、そこにはいた。
俺は何も言えず、目だけがぱっちりと開いて、足は素早く部屋の中へと向いた。
「どうして僕は此処にいるんだ!? 何も分からない! 何があった? 宏雪!? どうして!」
軽くパニックになったような叫び声がアパートに響いて、迷惑がかからないだろうかと思った。頭がこの状況を理解していない証拠だ。
「……え、ちょ、矢……」
「ウーソ」
ピタリと止んだ叫び声と共に、顔を覆う両手の隙間から目を覗かせ口角を上げた矢田は、簡単に俺を操る。
苦しい。息が苦しい。怖い。怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い
「嘘。ぜーんぶ、嘘」
嘘。その言葉はどっちなんだろう。
「それも嘘。ホント」
言ってる僕もどっちがどっちかわかんなくなってきた、と、矢田は必死に立っている俺を見て、からからと笑った。
ああ、操られている。糸が絡まって痛い。抜け出せない。
「証拠は出ないし、明日には畑上くんバイバーイ、だ」
バイバーイ。直の肉が焼かれて消える。
俺はここで聞いたことを警察に言うんだろうか。泣きじゃくる直の両親や親戚にそんなことを今更。
アニメの探偵じゃあるまいし、一人で証拠探しなんて出来ない。何をしたらいいのかもわからない。しかも明日の朝までになんて。
「お前には出来ないよ」
ふうと息をついて諭すように矢田は言う。人一倍脆いお前には無理だと。
「……どうして」
――直を殺したんだ、という俺の呟くような問いに、矢田は問いで返した。
「僕が畑上と仲良かったと思うか?」
正直なところ、全くといっていい程関わってなかったと思う。
「……喋ったこと、あるのか?」
「ないよ」
「……じゃあなんで」
「だからだよ」
するすると零れ落ちる言葉たちは、風が吹かないせいで足元に溜まった。
「僕にとってはどうでもいいからね。だから殺せた」
殺人鬼、というちょうどいい単語が頭を転がった。
「そんな顔するなよ。お前の為なんだから」
俺の為……?クエスチョンマークが玄関いっぱいに散らばる。
俺が黙ったままでいると、ああ間違えた間違えた、と矢田は両手を軽く振った。
「お前に対するイヤガラセの、ため」
「……は」
矢田の口はコロコロと動く。
「だってさ、お前と仲良くて僕に関係ない奴ってあいつぐらいしかいないし」
俺に対する嫌がらせの為に、直は死んだ?
俺のせいで直は死んだ?
俺のせいで
俺のせいで?
口からハアハアという狂った音が聞こえる。心臓が痛い。
「なんでだよ! 俺を殺せよ!」
気付くと掴みかかっていた。正義、なんかじゃない。俺のそれは、自分に対する怯えだった。
矢田は俺に掴まれたまま、それじゃイヤガラセになんないじゃん、と口を尖らせた。
「……俺に何の恨みがあんだよ」
手に込められた力は、すぐ弱気になった。人の良さそうな雰囲気をこれでもかと醸し出す矢田に、俺の目も耳も間違っているのではないかと思った。
未だに俺に掴まれ続けている矢田は、眉間にシワを寄せた。
「ホントにわかんねーの?」
同じように顔をしかめる俺をちらりと見て、簡単に手を振り払う。力は昔から強かった。
「サイテーな奴だなお前は」
呆れたようにため息を吐き出す矢田を目の前にして、俺はわからなくなっていた。
色んなことが起きすぎて嫌になる。ベッドの中の俺は、無意識のうちに目覚ましを止めてしまったのかもしれない。
「ヒントいち、高二の二学期」
矢田は人差し指を立てる。顔は笑っていなかった。
「ヒントに、襲って泣かせた」
「おいお前なんで……」
「ヒントさん、」
俺の声を遮って矢田の澄んだ声が大きく響く。
「……やめろ」
「嶋この……」
「やめろ!」
思ったより大きな声だった。身体ががくがくと震えているのが分かる。既に早い鼓動は一層暴れ回って、押さえきれなくなって思わずしゃがみ込んだ。世界がぐるぐると回る。頭がどうにかなってしまいそうで、でもどうにもなってくれない。いっそ記憶が飛ぶぐらい完全に壊れてしまえばいいのに。
どうしてこんなに悪夢ばかり。
「しかもその後すぐだよ。次は傷ついた佑月ちゃん手なずけて? あいつの心ズタズタにしておいてお前は」
――佑月ちゃんも、もう食ったんだろ?最低だよお前、と矢田に吐き捨てられた言葉はコンクリートに跳ね返って俺を刺した。
↓
続、