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43、耳鳴り-5


 大学名が書かれたプレートを確認して、大きく息を吸い込む。温い空気が体の中で膨張して、急に胸が苦しくなった。やっと彼女に会えるのだ。愛しい彼女と目を合わせることができるのだと思うと、まだ実感が湧かない。まるで夢の続きだ。

 無い勇気を振り絞って、宏雪に彼女の通っている大学名を聞き出すことが出来たが為の結果ではあったが、会える保証はなかった。

 何棟も連なる建物と向き合う。彼女の趣味が変わっていなければ、練習している可能性は十分にあった。

「……いるかな」

 取りあえず講堂へと足を運ぶ。膨らみきった心臓は瞬時に縮みすぎて痛かった。とうとう来てしまったのだ。会いたくて会いたくて仕方がなかったはずなのに、いざこの状況になってしまうと、まだ形にならないフニャフニャの不安が期待を突く。足音と心臓のドキドキが連動して、どんどん速さを増す。息が荒くなっているのに気付く。ああ気持ち悪い。


「…………ん?」


 歩く速度はいつもの倍以上だったから、少し行き過ぎてからやっと足音は止まった。明るい髪色のその女性は、中庭のベンチで誰かと楽しそうに話している。大きめのTシャツにジャージという格好は見慣れてはいたけれど、高校時代に彼女が着ていたものとは違っていた。放課後、僕が帰る頃によく見かけていた彼女のダンスを見れなかったことを残念に思ったが、それでもこうして彼女が休憩していたからこそ、僕はすぐに彼女に気付くことができたのだ。僕は歓迎されているのだ。

 ソワソワと足が動きたがっているのを感じたから、従順な僕はそれに素直に従った。彼女を呼ぶ声を発したくてむずむずしているのに、喉の奥が重過ぎて沈みそう。僕は矛盾している。

 近くなる。彼女が、近くなる。


「……たけしたさん」


 ようやく外に出たその言葉は小さくかすれていたけれど、彼女と彼女の隣の男は僕を視界に入れてくれた。きっと身体に鳴り響く心臓の音の方が、はっきりと届いたのだろうなと思った。

 間違いなく彼女だった。強い瞳。長い睫毛。ふわりとした唇がゆっくりと開く。



「……だれ」



「――――え、」

 声が上手く聞こえない。ああ僕は間違えたのだ。人違いだ。この人は彼女に似た人だったのだ。だってホンモノの彼女はこんなことを言うはずがない。髪の色だってもっと黒くて……


「すいません、やっぱり人違いで……」

「おいおいリイ、ひどくねぇ? せっかく声掛けてくれてんのに。なあ?」


 僕の舌がくるくると最後まで言葉を紡いでしまう前に、短髪の男が笑いを含んだ高めの声をぱらりとまいた。そのせいで行き場を失った僕の声はどんどん逆流し、体の奥底へと沈んでゆく。


「え、だってホントに……学部一緒、だっけ? コウ知ってる?」

「俺は知らない」

「あんた人の名前覚えないもんね」

「そう言うなよ。名前は覚えねぇけど顔ぐらいは覚えるよ」

「えー、じゃああたし達と同じ学部じゃないのかな、てか同じ大学?」

「リイ、お前の中学か高校の連れとかじゃねーの? なんか大事な用があったとか」

「んー……」


 二人の視線がちらちらと僕を焼く。「リイさん」の声は彼女のそれにとてもよく似ていた。

 聞こえない。何も。

 きこえない。――なにも。



――宏雪と仲良かった奴だ


――あたしさ、畑上くんと話したいってちょっと思ってたんだよね


――付き合ってたこともさ、直には言っとこうと思ってたんだ



 きっと夢だ。そうだ夢だ。だってみんな僕のことを知っていてくれていたし、覚えてくれていた。関わったことのなかった人でさえ。僕はこの世界に存在している。それは十分に確認できたはずだ。

 だったら彼女の世界(なか)にも僕はいるはずで、小さな秘密を共有した相手である僕は、僕は、――どこに行ってしまったんだろう。


「……たけした、りいさん、だよね?」


 僕は聞いた。そうだけど、という訝しそうな声が真っ直ぐに飛ぶ。僕はこの人を知っていた。

「あの、覚えて……ない? 高二の時に財布、交換した……」

「…………あ、あぁ」

 しばらく自分の記憶をたどるようにした後、彼女はようやく思い出したように口を開けた。

「よかった……」

 短髪の男は僕の口から思わず溢れたその言葉をちらりと見遣ってから、どんな関係なんだよ、と隣の彼女に面白そうに尋ねた。緩い風がヒュウウと吹いて、彼女の長く伸びた髪をさらりと流す。正面から風を受けた彼女は少し顔をしかめたけれど、すぐにふっと笑った。

「高校のときね、あたしちょっと悪戯してたの」

「へえ、どんな?」

「嫌いな子をハメたの」

「なーんだ、イジメかよ」

「もっと軽いわよ、イタズラ」

 ムッとした表情を男に見せる彼女は、まるで拗ねた子供だ。とても愛しいと、心臓が呻く。隣の男はククッと笑って、彼女に続きを求めた。

「で、彼は何をしたんだよ」

「証拠を隠してもらっただけ」

 そうなのか?と男が僕の方を向いた。


「……手助けがしたかったから」


 意外にも、返事の音量はほんのわずかだった。「その」タイミングを見つけるために、身体全部が強張っている。背負ったリュックが重みを増した。

 それほどのものじゃないよ、と彼女が笑う。僕に向けて。二人で話した寒い冬の日と同じ笑顔だ。

 緊張を解いてしまったから。


「でも竹下さん三年になって悪戯止めたよね」

「へえ、リイえらいじゃん、すぐ止めたの」


 僕の言葉に一番に反応するのは彼女であって欲しかった。ホラ、彼女の表情も曇っている。あの男より先に反応したかったんだ。僕のそんな想像を読み取ったように、違うわよ、と言う声が聞こえた。



続、



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