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4、瞳の奥


 好実の家に着くまでに、随分と現実味は増した。

 規則的に緩い音を立てる電車に揺られている間も、固いコンクリートにヒールが当たるその間も、頭の中にあるのは宏でも矢田でも好実でもなく、畑上直の骨張った手だったり歯並びの悪い口だったりした。

 あたしは頭を軽く振る。それに伴って思い出してしまうから。





「佑月! 授業遅れるよ! 早く早く!」


 そう言ってあたしを呼んだのは誰だっけ……


「待ってよお、李伊(りい)


 ああそうだ李伊だ。結構仲の良かった方だった。

 李伊のショートカットの黒髪がさらさらと陽気に揺れて、あたしを急かした。


 多分それが原因なんだと思う。


 綺麗に言うことを聞かなかった足がもつれて、冷たくて硬い廊下に体が真っ直ぐに倒れた。

 必死に受け身を取ろうとした腕が中途半端に間に合わずに宙を掻いて、何故か先に出た肘が痛かった。


「いったぁ……」


 すぐに李伊が引き返して、「佑月、大丈夫? 立てる?」って声をかけてくれる、

 当たり前のようにそんなことを期待していたあたしは、甘えていたのかな。




 いつの間にか目の前には白く塗られたドアが在った。まだそれほど汚れてないプレートにはそっけなく 嶋、とだけ書かれている。嗚呼あたしは無意識にこの家に辿り着ける程に何回も、好実の家を訪れていたんだ。

 あまり考えたことはなかったけれど、彼女の隣はなんとなく居心地がいいんだと思う。


 だって彼女は何も知らないから。


 高校二年の時のクラスとの関わりも興味のカケラも、元から彼女は持ってなかった。多分クラスの中で喋る関係にあったのは、宏と、稀によっくんと、本当に稀にあたし。彼女は部活の為に学校に来ていたことを、クラスの誰もが理解していた。

 そしてあたしは彼女にとって一番残酷な言葉を惜しむことなく突き付けた。

――犯人は矢田。

 仕方がない。だって事実は知るべき。信頼を裏切られる気持ちは知るべき。



 あたしの為に用意された夕食を美味しく食べながら、あたしはさっき宏に聞いたことを好実に話す。


「でも結果的に宏はソレを知ったでしょう?」

 ぐいと好実の切れ長の瞳を見つめる。長い睫毛に縁取られた瞳の奥を見つめる。酷く虚ろだった。

 きっとこれが普通。身近過ぎる事件を耳にしたあたしと宏は空っぽになって、その後に取るべき対応を間違えたのだ。


「誰から聞いたと思う?」


 あたしはなんて嫌な女なんだろう。好実は期待通りに焦点が合わなくなった目をキョロキョロさせて、最後にぎゅっとつむった。

 矢田のことが頭にこびりついているんだ。きっと好実の脳みその中には、畑上くんのことなんか入っていない。関わりが無かった彼女にとって畑上くんは被害者でしかない。


「……教えてくれないのよ」

 精一杯溜めた後であたしはそう言って、ふうと息をついた。

 期待を外して呆気に取られたような好実の姿がなんだか美しく見えた自分が情けなくなって、またすぐに言葉を漁った。


「でもこれって怪しいと思うじゃない?」

「まあね」


 確かに不思議には思ったが、宏を疑うようなことはしなかった。あたし達は似た者同士。宏も一人になるのが嫌なんだと思う。現実はあたし達を突き放すから。


「問いただしてみたの」

「宏に?」

「そう」


 今朝の温もりを思い出した。滑らかなシーツの触り心地。艶やかな宏のカラダ。


「何?」

 好実は少しだけ眉間にしわを寄せた。

「ううん、そしたらね」

「うん」

「明日も来いって言うのよ」


 畑上くんの顔をぼんやりと思い浮かべるとすぐに、昨日の宏が被さった。

 宏の身体を思い出すだけでホラ、こんなに求めてしまう。

 ふと宏の部屋の写真立てが頭を過ぎる。都合のいい女だなんて、頭では分かっているつもり。身体が言うことを聞かないだけ。あたしはいったいどうなってしまうんだろう。


「へえ」

 好実が放った何気ないその一言の怖さを、あたしは嫌と言う程知っている。だってあの時も、始まりはそんな反応だったもの。

 ぼんやりとあたしを眺める好実の瞳に映る感情は、なんだかさっきまでと違うように見える。あたしを哀れんでいるのか見下しているのか、それともその他の感情なのか。瞳の奥で彼女は何を見ているのだろう。

 ねえ見捨てないで。急に臆病になるあたしの心は、どこまでも果てしなく自己中心的だった。



「あそうだ、宏の家に時計忘れたんだった」


 これ以上ここにいたら、好実もあたしの側からいなくなってしまうんじゃないかって心配したあたしの口は、スラスラと勝手に動いた。

 そうだ今すぐ宏の家に行こう。唯一あたしを必要としてくれる振りをしてくれる男の元へ行こう。

 今のあたしにはそんな居場所が必要だった。



続、



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