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3、堕ちる


(なお)は殺された」

 昨日宏から電話でそう聞いて、あたしはただただ驚いた。呟くような声だった。

 畑上くんとは一年だけとはいえ同じクラスだったから、その衝撃は鉛のように冷たく重くあたしの胸に沈んだ。それだけで充分暗い気分になるのに、その上犯人が矢田だなんて言うから。夢のようなこと過ぎて、第三者になりたがった脳みそがゆらゆらと揺れた。

 一日明けても真新しく刺々しいそれを、あたしはまだ眺めていた。

 悲しいとか恐いとか憤慨したり泣いたり、そういう大きな感情は既に身体の奥底で萎縮してしまっていて、結局何も出てこなかった。

 眺めれば眺める程、あたしの頭からはなにもかも消えた。あたしの身体に大きな穴を開けて。


 そのせいだと思う。


 ぽっかり開いた穴が怖くて助けを求めたその家で、あたしは押し倒され、絡み付くようなキスをされ、服の中をまさぐられ、それでも何の抵抗もしなかった。それは決して何も感じなかったわけではなくて、寧ろ全身の性感体が耳を澄ませてその行方を見守った。



「佑月、お前カラダ超火照ってるけど」

 そう言って宏は笑った。

 ふい、と顔を反らしても頬はシーツに熱を零すことはなく、さらりと動く髪の毛が少しだけくすぐったかった。

 剥き出しになった左耳に、宏は唇で何回も触った。ふわりとしてじいんとして、目がとろんとした。

 机の上に飾られたサッカー部の集合写真があたしを見下ろして、都合のいい女だねと囁く。遠目なのもあって、大勢の部員の中でどの笑顔が宏なのかわからない。宏はきっと成長したんだ。あたしと違って。


「期待してたの?」

 息がかかりそうなぐらい近くに顔があった。目を合わせる。真っ黒い瞳の中にいる淫らな女があたしを見つめた。この男が本当にあたしを見ているのかどうか分からなかったけれど、それでもよかった。寧ろ、その方がよかった。

 期待なんか、してなかった。ただ、人生で初めての「そういうこと」に対して、何の躊躇いもなかった。


 どれだけキスをされても溢れそうになっても、あたしは必死に堪えていた。声なんて出さない。だってなんだかいやらしい。そして、そんな自分が恥ずかしいと思う。

 だけどそんな思いとは裏腹に、手慣れた宏の甘い手つきによって、あたしの中の一部はガラガラとあっけなく崩れた。

 奥から奥から溢れ出す情熱に堕ちる瞬間を、あたしは知った。


 宏の口はまたあたしの口を塞ぐ。熱くて甘い息が溶け合って、口の中で行き交って、元々どっちのものだか分からない。大きくて筋肉質な腕に強く絡まれて、からっぽなあたしは酷く安心した。

 矢田も好実もよっくんも、みんな頭からいなくなった。

 残ったのは宏の体温と、畑上くんの迷惑そうな横顔。記憶の中のそれに見とれていると、宏は静かにあたしを「このみ」と呼んだ。




「矢田に殺されたって誰から聞いたの?」

 宏の身体の中に小さく収まったまま、あたしは緩やかに尋ねる。

「ん?」

 優しい声と共に、コツンと額が触れた。

「お通夜の会場で聞いたの?」

「いや、会場で聞こえたのは死因が他殺ってことだけ」

 あたしがふうん、と言うと宏はちょっと笑った。


――知りたい?


 器用に言葉に付けられた色も、表情も、全て魅力的に見えた。

 コクンと頷くと、大きな掌が頭を撫でた。


「明日も来いよ」

 耳元で紡がれた甘い囁きに身体は素直に反応する。あたしが微笑みを返すと、首の後ろに宏はしるしをくれた。歯が当たった。ちくりとした。


――都合のいい女だよ。 笑顔でピースサインを並べる集合写真に向けてほくそ笑む。

 かりそめの安心でいいの。本物の心なんかいらない。本物の心なんて、本物じゃない。




 佑月ちゃん佑月ちゃん、とみんながあたしを呼んだ。佑月ちゃんは可愛いね、佑月ちゃんは人気者だね、佑月ちゃんだいすき、

 多分あたしは慣れすぎてしまったんだと思う。




 ひとりぼっちは嫌い。心なんて篭ってなくたっていい。

 だから、ひとりにしないで。




「……ねえ、今から好実の家行ってもいい?」

 宏の家を出てすぐ、そんな電話をした。

 温く吹く湿っぽい風が、シャワーを浴びた後のすっきりした気分を台無しにした。

 真っ赤なヒールがカツカツと地面に当たる乾いた音が、夢から醒めなさい、だって。いつものあたしを引きずり戻した。

 誰かの側を離れた途端に溢れるモヤモヤに支配されることを異常に嫌がった脳みそがあたしに下した命令に何の反抗もしなかったのは、畑上くんが殺されたことに動揺していたのかもしれないし、犯人が矢田だったからなのかもしれないし、

 あの日のことを思い出してしまったからなのかもしれない。

 宏のアパートを出て駅まで歩く。軽い吐き気がした。お腹の奥でくすぶる黒い何かがあたしに戸惑いと混乱を注ぐ。

 それはあっという間に膨らんで、目の奥まで襲って来て、あたしは少しだけ泣いた。




続、



さて、佑月です。

この回意外と難しかった…



それにしても暑くない?ああもうすぐ七月か。

今年は長梅雨らしいね。ヤダヤダ。



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