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22、サイカイ-1


 宏の電話番号は知っているはずもなく、まさか矢田に聞けるわけもないので陽に聞いた。宏はまだまだ言いたいことがありそうだったけれど、彼の口から言葉が出る前にわたしは通話終了のボタンを押す。正直な話、ちゃんとした会話なんてあの日以来だったから、懐かしい宏の声を聞いた途端にわたしの身体は小さく震えた。わたしも本当は言いたいことがたくさんあるのだ。だけど今は。だって今は。

 ちょうど駅のホームにとまっていた電車に駆け込むと、わたし達を待っていたかのように、すぐにドアは閉まった。

 ドアの近くの座席に矢田と並んで座る。顔を上げたままでいると、視線がうろうろと戸惑ってしまうから、わたしはただ俯いてじっとしていた。わたしの脳みそはもう疲れ切ってしまったようで、頭に浮かぶものが何も無い。息をする感覚だけが、妙に強く残る。そんなわたしを心配したのか、矢田は膝に置かれたわたしの手に、そっと自分の手を重ねた。大きな掌の温もりがじわりと染み込む。



 空に近いところなんて、呆れる程に多かった。アパート、ビル、マンション、学校……宏のアパートから近い場所だとしても、駅に近いそこは、近くにいろんな建物がありすぎた。

「……どこよ……」

 無意識のうちにため息が滑り落ちた後、それに気付いて首を振る。わたしが見つけてあげなくちゃいけないのに。

 隣で様子を伺っていた矢田が「とりあえずこのマンションから攻めていこう」と言ったので、力強く頷いて気合いを入れ直した。



 三つのマンションと一つのビルの屋上を見て回っても、佑月の姿は見つからなかった。わたしは既に泣きそうになっていた。走り続けているせいで、息は悲鳴にしか聞こえないし、膝はすっかり体力の無くなったわたしを笑った。腰に手を当ててよろよろ歩きのわたしの少し前を歩く矢田は飄々と、次どこにしようか、などと辺りを見回している。やっぱり走ることは好きなんだ。だってこんなに楽しそう。わたしも高校生の時はこのくらい陸上を愛していたのにな。卒業した途端、ぱったりとやる気が失せてしまったのは、陸上部の仲間と走ることが何より好きだったから。


 ブーッブーッと音が鳴って、ジーパンのポケットに入れている携帯電話の震えがわたしの太ももを刺激した。口から必死に酸素を貪りながら、携帯を取り出す。思った通り、宏からだった。


「今どこ! 佑月いた!」

「……ほんと?」


 興奮した宏の切羽詰まる声が、きいんと耳を刺した。携帯の奥で誰かが何かうろたえたように喋るのが聞こえる。携帯の口のところを手で押さえて、矢田に見つかったことを知らせると、矢田はすぐ近くに来た。

「下から見えてる!暗くてあんまり見えないけど絶対そう! 屋上! えーと……下沢ビル」

「下沢ビル…………どこ」

「俺のアパート出てすぐ右に曲がってまっすぐ行ったとこにある寂れたやつ」

 じゃあ俺行くわ、と、電話越しのわたしにではなく、誰かに言うようにして、ぷつりと通話は途切れた。

 わたしは宏のアパートと、今いる位置を確認する。まさにこの辺りだった。

「ここの筋の寂れたビルって……」

「あれじゃね?」

 わたしが最後まで喋り切る前に、矢田は早くもそれを見つけていた。矢田が指差すほんの数メートル先には、周りの建物より一回りもふた回りも年をとっていそうな細長いビルが、両脇の大きなビルの間に縮こまるようにして生えていた。こんなに暗いのに存在感は不気味な程に持っているそのビルの屋上へと目をやる。屋上は暗くて何も見えなかったけれど、視線を下に移動させると、誰かが一人で立っているのが見えた。

 動きたくないと嫌がる足を無理矢理地面から引っぺがしてわたしは走る。ビルに近付につれて徐々に明らかになるその姿は、期待していた人ではなかった。


「……え?」

「好実、上、上!」

「あ、うん、え?」


 そこに居たのは高校一年の時にわたしに散々へばり付いていた女のうちの一人、竹下李伊だった。確か二年の時も同じクラスだったっけ。本当に久しぶりの再会だった。再会の時と場所がこんなのじゃなかったら、もっと喜べたかとか、昔話で盛り上がれたのかと聞かれると、きっと出来ないと思うけれど。でもそんな李伊がどうしてここに居るのか、これはどういう状況なのか、全く想像が付かない。

 わたしは李伊に言われるままに上を見上げる。隣でわたしと同じように空を見る矢田を見ても、李伊は何とも思わないようだった。真っ黒な屋上から地上へ向かってぶらぶらと揺れているのは多分、佑月の足だ。――よかった死んでなかった。

 僅かばかりの息を付いて、階段へと向かう。


「李伊、待っててくれたの?」

 ビルは結構な高さがあるのにエレベーターは無かった。わたしより先に階段を駆け上がる矢田の背中を見ながら、陸上部の練習を思い出す。運動場が使えない雨の日はこの練習が入るから、わたしは雨が嫌いだった。

「それもあるし、最初からあんまりあたしが出ない、方、が、いいと思うし」

 そこで李伊は、いったん止まり、履いているパンプスを脱いで手に持ち、すぐにわたし達に追い付いた。わたしは会話の続きに戻る。早くも息が上がっている。短い休憩を挟むと余計に身体がだるくなることなんて、とっくに知っていたはずなのに。

「どうして?」

 わたしの簡単な質問に、李伊は目を丸くした。

「え? どうしてって……」

「つーかお前宏雪と一緒にいたの?」


 前を走っていた矢田が顔をこっちに向けて口を挟む。あ、そうだ、わたしは矢田に宏の名前を言っていなかった。だってなんだか怖かった。目だけがうろたえたわたしをちらと見て、矢田は少し笑って言う。「分かるから」と。息が荒いまま、わたしはまた泣きそうになった。そして思う。矢田をあの二人に会わせてもいいのだろうか。

 李伊はそんな私たちを眺めてから、あんたたち仲良いよね、と言って笑った。

「宏雪と未だに会ってるんだ?」

「違うわよ、別れてから初めて会ったの」


「え?」


 矢田の質問に対して口を尖らせる李伊の発言に、わたし達は同時に声を上げた。……聞き間違い?


「だから、別れてから初めて会ったの!」


 機嫌を悪くしてしまったのか、強い口調で李伊は言う。屋上へと続く扉が見えた。

「え、何、お前等付き合ってたわけ?」

「昔の話よ」

「いつ」

「高校卒業してちょっと経ってから」


 へえ、とわたしと矢田がそれぞれに相槌を打つ。意外だな、と思うぐらいしか感想はなかった。


「あんた達だって未だに……」

 李伊が言いかけたところで、先にたどり着いた矢田がガチャリとドアノブを回す。当たり前だけど、簡単に回った。



続、



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