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17、居眠り


 李伊は見せ付けるためにあたしを部屋に入れたのかもしれない。それはきっと、あたしから宏を奪うためだ。仲間外れが始まった後でも変わらず、唯一あたしの相手をしてくれた心優しい宏までもが、李伊の手によって汚されるのだ。

 宏の気持ちなんて無視なんだ。無理矢理、李伊の物にされたんだ。彼女はそんな女だ。可哀相な宏。

――彼女は本当に、嫌な女。

 哀れみの篭った目を、あたしを見つめてくれているはずの宏に向けたけれど、もう宏はあたしから目を離してしまっていた。

 二人から視線を移動させた先には、中学生の宏が満面の笑みであたしを見ていた。心からの笑顔って、きっとこういうものをいうんだろう。


 ふう、と息を付く音が聞こえて振り返ると、やっと唇が離れた二人が見つめ合って照れたように笑っている。ああ宏は心まで、あの女に汚されたのだと思うと、なんだかやる瀬なさが込み上げてくるのだった。ついさっきまでは他人の事なんかどうでもいいと思っていたはずなのに、いつの間にか昔の自分が溢れるほどに持っていた、繊細で脆くて愚かな、心の奥底に押し込めていた人に対する感情が沸々と湧いてきて、そのせいで自分がもう一段弱くなる気がした。

 宏の腕が李伊に、李伊の腕が宏に絡まる。この部屋でのあたしは完全に、異物と化していた。


「佑月、そっちで見てないでこっちきなよ」

「……え?」

「見てるだけじゃ暇でしょ」


宏と抱き合ったままの格好で、李伊の顔だけがこっちを向いた。

――何?

 彼女が分からなかった。言葉が、見えない。


 李伊は整った笑顔であたしを見る。その目に映るのは宏だけだったはずで、あたしは要らない存在の、はずだった。

――何が、したいの。

 さっきまで響いていた二人の唇が発する耳障りな音が、耳にこびりついて取れない。李伊の提案を聞いた宏は、怪訝な顔で李伊の横顔を見つめて静かに腕を解いた。きっと今この部屋できちんと状況を掴めているのは、発言した本人だけだ。あたし達二人は見事においてけぼりをくらって、頭が働くことを嫌がった。


「……それってどういう……」

「佑月さ、宏のこと好きなんでしょ、三人で遊ぼうよ」

「は?」


 先に反応したのは宏だった。だってあたしは声すら出ない。


「お前……何言って……」

「面白そうな提案でしょ」

「俺そんなことできねえよ」

「またまたあ、ちょっと嬉しそうだよ」

「どこがだ」


 やってみようよ、宏絶対すぐ夢中になるよ、と、まるでお祭りに来てわたあめをねだる子供のように、わくわくした笑顔のまま李伊はそんなことを言う。


「ね、ほら、佑月もやりたいって」

「……いや、あの、」


 小さすぎるあたしの戸惑いの音は、彼女の耳には届かない。そうこうしてる間に彼女はすくっと立ち上がり、ずかずかとあたしの方へと歩いてくる。

 あたしに出来る抵抗といえば、少し後ずさることだけだった。しかしそんなことが有効なはずはなくて、彼女に腕を引っ張られるあたしはベッドまで簡単に連れてこられた。下を向けば、足元で宏があたしを見上げている。表情は読めなかった。

 ああどんな形であれ、宏と一緒になれる。不覚にもそんな考えが頭を(かす)めたから、小さく頭を振って急いで掻き消した。馬鹿じゃないの。

「ほら、宏も立って」

 李伊が宏の腕を掴んで引き上げた。途端、宏はいきなり李伊を強く抱きしめた。腕も足も絡めるように強く。ひろ、と言う李伊の声が最後まで紡がれる前に唇で塞がれて、舌が触れ合う音が鳴る。

 目の前で起こる二人の生々しい衝撃に、あたしはただただ、呆然とした。宏は李伊のブラウスの中に手を入れながら、李伊をベッドに押し倒す。嬉しそうな李伊の声が上がる。

 李伊の上に被さる宏は、なんだか普段の宏ではなくて、持っていた何かが壊れるようだった。本当は見たくないのに、体が言うことを聞かない。目がそらせない。


 いやらしい声と音が連続する中で、ゆつきぃ、と名前を呼ばれた。

「ゆっ、つきぃ、来なって」

 乱れる李伊は、さらなる高みを求めているんだろう。宏はもう李伊以外何も見えていない。甘い息と漏れる声が、あたしに纏わり付く。体が震えた。


――狂っている。


 貪り合う男と女を前にして、そんなことを思ってしまった。すると不意に宏の動きがパタと止んだ。急に焦らされる李伊の身体は、もどかしそうに宏の名前を呼ぶ。宏は李伊の甘えるような呼び掛けにも答えず、ぐるん、とあたしを振り返り、野獣のようなその目で、頭のてっぺんから足の先まで流れるように見た。その鋭い目には、もう安心感のカケラも見えない。金縛りにあったように動けないあたしの身体は、ぐんと近づく宏の唇を、避けることなんてできなかった。

 宏に対するあたしの思いはその時、愛しさとか安心感よりも、恐怖の方が勝っていた。それは初めての感情だった。

 宏の舌があたしの口を掻き回す。あたしの舌は恐る恐る応える。さっきまで李伊の口にいた宏の舌が、あたしの温度に変わる。

 李伊と同じように乱暴に胸をまさぐられ、ベッドへと倒された。隣を見ると、李伊が羨ましそうな目であたしを、宏を見ていた。

「宏、来てぇ」

 堪らない、と言うような李伊の声に反応して、宏はまた、李伊に被さった。

 隣で行われる、生々しいその行為を目の前にして、あたしは何故か、涙が止まらなかった。


――あたしは何を、しているの。


 ギシギシと揺れるベッドから起き上がる。床に足を付く。早く此処を出よう。行くあてはないけれど、このまま此処で、全てを粉々に砕いてしまうよりはマシだ。


 それにいち早く気付いた宏が、あたしをもう一度押し倒した。瞳の奥には何もない。――あなたは誰なの。

 キッと睨んでみても、濁った瞳には何の効果もなくて、それが酷く悔しくて。気付いたら、手が出ていた。


 ぱあん、という張り詰めた空気を切るように、渇いた音が鳴った。唖然としている宏を押し返して、乱れた服を直しながら急いで部屋を出た。


 バタン、とドアが閉まった後も、中からは追いかけて来る気配なんてなかった。このドア一枚を隔てたところでは、きっと二人がまた、最初からあたしなんかいないようにして、絡まり合っているのだ。


 あたしは夢を見ていたんだと、吹き付ける夜風が流れ続ける涙を冷やした。

 涙を拭うこともせずに、ヒールが音を鳴らしながら階段を下りる。来る時に見かけた蜘蛛の巣には、既に動かなくなった黄色っぽい蛾が放置されたままだった。



 もうあたしには残るものがない。全て無くした。上を見上げて、一番最初に目についた寂れたビルに目的を定める。好実には、お礼を言わないといけないな。離れないでいてくれてありがとう、って。

 ポケットからビビッドピンクの携帯電話を取り出し、ボタンを押した。



続、



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