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13、依存する

「何があったの?」


 わたしの問いに、矢田はふふ、と楽しそうに笑った。

――信じられない、この人が?

 そこまで考えて頭を軽く振った。そうだ、まだ本当かどうか分からない。

 矢田はわたしをじっと見つめて、淋しそうにちょっとだけ微笑んだ。



「俺ね、気付いてたよ。知ってた」


「え、?」



 頭の中が真っさらになった。畑上くんに関係がある何か重要なことを聞く準備をしていたわたしの耳は不意を突かれて、代わりに口が、間抜けな音を発した。何のことか分からない。

 矢田の真っ黒な瞳は、相変わらずわたしをすっぽりと捕らえ続ける。


「だってお前さ、嘘付くといっつも泣きそうな顔すんだもん。あいつと二人で次の日仲良く休むし、かと思えばぱったりあいつと顔も合わせないし。……たまたま絆創膏の裏、見ちゃったし」

「……あ」

「もっとマシな嘘付けよな」

 まああんな場所じゃ無理か、と矢田は自嘲気味に笑った。


――知って、たんだ。

 矢田は全部知って、黙って側にいてくれたんだ。わたしの気持ちを大事に大事に包みこんで、絆創膏では隠し切れない心の痣を、癒してくれていたんだ。

 あの時の矢田の心地よさが込み上げてくる。矢田。ごめん。


「ごめっ……ありがと」

「何がだよ」


 矢田が微笑む。わたしを見つめる優しい瞳に嘘はない。間違いようがない。あの時の、矢田だ。急に緊張が溶けて、固まっていた筋肉が柔らかく緩んだ。息をするのが、こんなにも簡単だなんて。

 安心感が蘇る。筋肉と一緒に涙腺まで緩んで、温かい涙が溢れた。


「辛かったな、嶋。大丈夫だよ、ホラおいで」


 二人用ソファの端っこに矢田は寄って、わたしを隣に座らせた。

 矢田の隣だ。わたしの居場所だ。無意識に流れ続ける涙は止まらない。わたしにちょっと近づいて、よしよしと頭を撫でる大きな掌から染み出る熱に、思わず目を細めた。

 腕が絡まる。胸と胸がぶつかる。矢田の中に小さく収まる、まるで無防備なわたしの耳元で、矢田は優しく囁いた。



「だからさ、宏雪には僕から仕返ししてやったよ」



「……え?」

 矢田の両肩に手を置いて、真正面から瞳の奥を見つめた。矢田の奥はやっぱり見えない。

「……仕返しって?」

「大丈夫、嶋には関係がないことだよ」

 滑らかにそう言って、またわたしを抱きしめた。何だろう、このざわめきは。


「嶋、お前ドキドキ言ってる」


 くすくすと笑う矢田の身体は小刻みに揺れた。矢田に絡ませる腕にぎゅっと力を込める。ねえこの胸のざわざわを消してよ。


 わたしの額にコツンと矢田の額がくっついた。わたしの身体は矢田の体温に縋り付く。多分無意識のうちに。しかし一方で、心は隙間を開けたがっている。これはわたしの本能だ。


「……宏に何かしたの?」

「何も」


 矢田の返答は簡単だった。安堵のため息が流れる。

 でもちょっと待って。それじゃあ仕返ししてないってことじゃない。――仕返しって、何?

 中途半端に開いたままの窓から涼しい夜風が滑りこんできて、混乱しているわたしをなだめるように、わたしの髪を撫でた。続いて矢田の髪も撫でた。

「宏に何もしてないのに仕返し?」

「うん、まあね。『宏雪には』、何もしてない」

「『宏には』?」

「そうだよ」

 妙な言い回しが気になった。宏には?それって仕返しになるのかな。

 そんなことを考えていたら、眉間にシワが寄っていたみたいで、矢田はくくっと笑って、わたしの額にちゅっと口付けた。


「……え」

「眉間にシワ、女の子が寄せるもんじゃないよ」

「だからって……」


 矢田とは長い間一緒にいるけれど、そういう関係ではなかったし、キスとかセックスとか、手を繋ぐことさえしたことはなかった。矢田の唇の熱がふわりと香って、こんなに近くに矢田がいることなんて初めてで、思わず吹き出してしまった。

「なんで笑うのさ」

「ごめん、なんか可笑しくて」

「そんなこと言ってっと口にキスすっぞ」

「何言ってんのよ」

 拗ねたように膨れた矢田の表情は一瞬ゆるんで、さっきよりもぐんと近くなる。ソファの端っこに座るわたしにはもう逃げ場はなかった。息がかかる。真ん丸な瞳が。長い睫毛が。


「ちょ、近いし!」

「あ、そうだあのさ」

「……何よ」


 思い出したように矢田が顔を近づけたまま喋るもんだから、発された声は全部、わたしにぶつかる。目を反らすのはなんだか負けた気がするから、じっと見つめ返した。



「お前さ、畑上と関わりなかったよな」

「……え?」



 ないけど、と正直に答えると、だよなあ良かった、と矢田の頬が緩んだ。


 畑上くん?あの『殺された』畑上くん?




――そう、その矢田。矢田俊喜




 佑月の声が頭の中に響く。嫌、出てこないで。


 わたしの視線は定まることを忘れたように、キョロキョロと戸惑った。



「……あ、の……畑上くんは、殺されたんでしょ」



 目なんて合わせていられない。目の前の矢田の隙間から必死にソファの縁を見つめた。


「え、お前知ってたんだ」


 矢田はキョトンと、元々丸い目をさらに丸くした。

「佑月から、聞いた」

「じゃあさ、」

「……うん」


 ぴりぴりと矢田の視線がわたしを焼く。慣れないその状況に堪らなくなって、焦点が定まらない瞳を、矢田へと戻した。矢田の瞳の中に取り込まれたもうひとりのわたしは、泣きそうな顔をしていた。



「その犯人も、知ってる?」



 知らない知らない知らない。絶対違うもん。犯人なんて知らない。

 ぶんぶんと首を振る。長くなった髪が顔に当たって滑らかに揺れた。


「嘘でしょ」


 首を振り続けるわたしの顔を両手で包み込むようにして、矢田は痛そうな顔でわたしを諭す。


「嘘じゃないもん! 本当に知らないもん」

「だから泣きそうな顔するんだってお前は」

「……違うもん」

「違くないよ、……僕なんだよ」


 矢田の表情が消えた。



「僕が畑上をヤったの」



――宏への仕返し。仕返し。わたしの代わりに。



 重大告白にしては、吹き掛けられた言葉たちは酷く安っぽく見えた。

――そんな言葉、理解出来ない。


「……嘘でしょ? 矢田がそんなこと、……するはずない、もん」

「嘘じゃないよ」

 矢田は薄く笑った。そして続ける。

「だから僕にも嶋にも関係ない奴をヤったんだよ、宏雪に与えたダメージは相当だったよ」

「関係、ない……?」

「あれ、あいつと関係あった? ごめん」


 まるで「お前の消しゴム勝手に借りた、ごめん」の、ごめん。



――……矢田のこと考えてんだろ

――……俺を見ろよ


 苦しそうな宏の声が耳元で鳴った。あの時のわたしが全ての原因だ。


 わたしのせいだ。畑上くんが死んだのは。

 わたしのせいだ。

 わたしのせいだ。

 わたしの。



 耐え切れなくなったわたしの心が弾けるのと、矢田の笑顔が零れ落ちるのは同時だった。



続、



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