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12、目覚める


 佑月がうちを出てから一時間くらい経っただろうか、わたしは一人ソファに座ってあの日のことを思い出していた。


 高二の冬休み中も部活には欠かさず顔を出したし、冬休みを過ぎてもわたしは普通に学校に通った。ほんとは誰とも会いたくなかったけれど、そんな気持ちは上手く心の隅っこに閉じ込めて、鍵をかけた。

 矢田は思った通り、わたしの首に貼られた大きめの絆創膏を気にしたが、どこかで擦った、という曖昧な理由で貫いた。言う訳にはいかない。これはわたしの問題。矢田が気にすることじゃない。

 痣があった首の後ろに手を当てる。もう何もなくなった、綺麗なわたしの首。


 呼び鈴が鳴った。今日はもう疲れたから、一人になりたいのに。

 ふー、と息をついてソファから立ち上がる。頭をぼりぼりと掻いた。ガチャリと鍵を外してドアノブを回す。

 むっとした空気に触れて、わたしの体は凍り付いた。


――息が。ああ、息が。



「よ、嶋」



 矢田が立っている。わたしの目の前に。

――どうして?

 にこやかに微笑む彼は高校のときからあまり変わっていなかった。だから余計、余計。わたしは戸惑う。



――畑上くん殺されたんだって!

――矢田、矢田俊喜



 ぱっと浮かぶ佑月の言葉が襲い掛かる。顔が強張っているのが分かる。口も目も足も腕も、金縛りにあったみたいに動かない。

 矢田は相変わらず穏やかに微笑んで、「久しぶりだな」と言った。


――怖い。


 矢田に対して初めて抱いた恐怖感だった。今まではずっと、矢田は唯一の心休まる場所であった。それが今は。何、この動悸は。


「…………ど、うしたの」


 お腹の筋肉が固まって声が上手く出ない。笑顔は作れそうになかった。矢田はそんなわたしをキョトンとしたかわいらしい瞳で見つめた。


「久しぶりに会いに来たんだ」

「……そう」


 朗らかに笑う矢田を真似ようと、口の端を上げてみる。目はまだぱっちりと見開かれたままだった。

 夜風が首筋を舐める。

 ぞくっとした。矢田、言えなくてごめん。でもあなたのせいじゃないの。


「入ってもいい?」


 多分矢田は何も変わってないのだと思う。顔の作りも中身も、わたしに対する反応も。


 嘘じゃないかと思い付いた。

 噂話は理不尽に大きくなるもの。わたしは噂に振り回されていたのかもしれない。きっと畑上くんの生前に喧嘩でもしたんだ。だってそうじゃないと、


――どうしてこんな穏やかに笑っていられる?


 分からない分からないわからない。

 ただ、目の前のこの男に、今は心を開けそうになかった。


「あ、……ああ、そうだねごめん、どうぞ」


 急かされているわけではなかったけれど、気が動転してしまった。答えて、しまった。

 もしかしたら殺人犯かもしれないこの男と、ふたりきり、か。

 密室。

 そんな言葉が思い浮かんだとたん、足ががくがくと震えた。手にも震えが伝わっていることに気付いて、ぎゅっと強くその辺の空気を握った。何震えてるのよ、失礼でしょ。噂なんだから。あんなの、嘘、なんだから。


「お邪魔しまーす」


 このよく通る低めの声が、毎日運動場に響いていた。高くもなく低すぎもせず、涼しさをも感じさせるこの声が好きだった。

 矢田がわたしの部屋に上がる。ちゃんと靴を脱いでいることにいちいち安心しているわたしは、いつもより数百倍、神経を張り巡らせているようだ。

 ふう、と矢田が二人用のソファに腰を下ろす。実家から持ってきた白い革のソファ。高校生のときは、何度となく矢田の隣に座ってDVDを観たりした。矢田の隣が一番、落ち着ける場所だった。

わたしは躊躇うことなく、向かい側の一人用のソファにお尻の半分だけ座る。ずっぽりと座ることは何故かできなかった。こっちに越してから揃えて買った、小さな白いソファ。


「ちょっとね、すっきりしたことがあったんだ」


 矢田は嬉しそうにそう切り出した。


――すっきりしたこと?



 畑上くんを、

 殺した、こと?



 違う、きっと違う。嘘だ嘘だ嘘だ。ただの噂だ。

 わたしの脳みそは、どうしてもあの大きくて優しい矢田を切り捨てることなんて出来ない。

――それなら信じてあげればいいじゃない。噂なんて、信じなきゃいい。しっかりしてよ、わたし。


「何があったの?」


 勇気を出して、わたしも切り開く。きっと走ってきたんだ。矢田は誰より陸上が好きだから。


 だけど違った。



続、


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