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9-1、あの日のゆめ


 帰宅ラッシュを少し過ぎた、ざわついたホームに電車は滑り込んで来た。

 プシュー、とドアが開いて、空調が効いて涼しい車内に足を踏み入れる。ふと目に入ったその人にくぎづけになった。小さく声が漏れるのと同時に息が潜んだ。

 すぐ近くの座席に座っている女の人の髪型が本当にそっくりで。李伊に、そっくりで。思わず電車をおりてしまった。

 急に、ぐう、と詰まるあたしの胸に、黒いモヤモヤが渦巻く。ホームに立ったままもう一度車内に目をやると、顔は全然似ていなかった。


 あたしがおりた途端に冷たいドアは閉まって、結局一本後の電車に乗ることにした。本当は早く会いたいのだけれど。 早くあの安心が、欲しいのだけれど。

 大きく溜め息を付いて嫌な気分も吐き出そうとしたけれど、心のざわざわは胸に突っ掛かったままだった。




**




「それでね、その時に祥平(しょうへい)がね、」

「マジでえ、佑月絶対狙われてんじゃん」

「祥平からそんなに話し掛けることって滅多にないんじゃない?」

 あたしの話にきゃあきゃあと黄色い声で反応する友達。数学の期末テストの答案が返ってくるその時間は、あたし達にとって絶好のお喋りタイムだった。

「実はあたし祥平狙ってたのにい」

 全然悔しくなさそうに李伊が笑うから。その言葉を待っていたかのように、みんなが李伊に詰め寄った。話の中心が変わった時に一番惨めに見えるのは、みんなの視線が一気に外された、話が変わる前の中心だったひと。それは基本的にあたしだった。


「えー聞いてないよー」

 驚きと楽しさと、少しだけ申し訳のなさを絶妙なバランスで折り込んだ完璧な声色で、間髪入れずあたしは叫ぶ。まるで今までの自分の話は無かったかのように自然に、且無邪気に振る舞うテクニックを、既にあたしは体の芯まで染み込ませていた。


 小さい頃から人気者だの可愛いだの、もてはやされ可愛がられ、あたしの周りにはみんなが集まった。顔に自信があったわけじゃないけれど、嘘でもお世辞でもそう言われ続けて育ったあたしには、それが当たり前になっていたのだった。

 だから許されない。あたしは惨めに見えてはいけない。無意識のうちにそんな自分にぐるぐる巻きにされていた。たまに家で一人になった時なんかには、ふと冷静な自分があたしを見下して嘲笑う。

――結局群れていないと生きていけないんでしょ。馬鹿らしい、と。

――でももう慣れてしまったもの。仕方ないわ。

 顔から表情が消えたあたしは、決まって淡々とそう答える。その愚かさに脳みその隅っこでは気付いていたはずだったけれど、健気に気付かない振りをするのにも、もう慣れた。

 一人では生きていけない。だから群れているのだ。


「大丈夫だよ、あたし祥平好きじゃないし」


 李伊をフォローするように笑いを含んで言ったはずの言葉を、みんなは何か勘違いしたみたいで、一気に場の空気が冷めたことに気付かないはずがなかった。

 あたしたちを取り巻く気まずさを破って、教室の奥の方から好実と宏の「せーの」の声が聞こえた。なんだか怖くなって、急いでありもしないことを口走る。


「だってあたし畑上くん好きだもん」


 意外な告白に一瞬驚いたものの、興味と好奇の色が混じった瞳であたしを見た彼女達は、栓が外れたみたいにまたきゃあきゃあと盛り上がる。なんて単純なんだろう、ホッと胸を撫で下ろした。 確かにこのクラスで地味な部類に入る畑上くんを、面食いなあたしが好きだなんて。あまりいいイメージではないかも。


「なーんてね、嘘だよ。びっくりした?」

 悪戯っぽい笑顔で軽快にイメージを修正する自分をよくやったとは思っても、滑稽だとは思わなかった。「なんだあ、びっくりしたあっ」と彼女等の笑い声に包まれた。

 横目でちらと畑上くんを見ると、黒ぶち眼鏡の奥で光る冷たい瞳と、一瞬だけ目が合った気がした。



**



 明日は終業式、という二学期最後の授業の日のお昼休み。李伊に深刻な相談を受けた。グループの中で特別仲の良い方じゃなかったけれど、頼りにされてる自分がなんだか嬉しくて誇らしかった。李伊は明るくて気が強くてしっかりした子だったから、余計そう感じたのかもしれない。

「体操服が無くなったの。取られたんだと思う。もう三回目なの」


 泣きそうな李伊の告白に、あたしは絶句し、同情した。

「探そう」

 李伊を元気付けるように明るく声をかけると、ありがとう、と彼女は笑った。



 李伊の体操服は、三年生の下駄箱の上にあった。落書きも汚れもまるでなく、綺麗に畳んで置かれていたのに、どうして不思議に思わなかったのだろう。


「李伊! あったよ!」

「本当? よかったあ、ありがとね、佑月」


 気にしないで、と笑ったあたしに、李伊は言いにくそうに口を開く。

「あのね、このことは誰にも言わないで欲しいの」

 きっと人に弱いところを見せるのは勇気が要ることなんだろう。モチロン、と返事をしたら李伊は約束ね、と微笑んで、「授業始まっちゃう、早く行こう」とあたしを促した。


 急かされてあたしの足は絡まる。冷たくて硬い廊下。李伊の足は止まることはなかった。愉快そうに靡く黒髪。揺れるスカート。

 たった今まで感謝され、人懐っこい笑顔を向けられていたはずのあたしは何故かおいてきぼりをくらい、呆然とその光景を見ていた。



――これが始まりだったんだ。



続、



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