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17.その名前

 私、矢崎詩音はサンダルを履いて、夜と美海にお待たせと駆け寄った。

 二人は待ってないよって笑って私を間に入れてくれる。


「詩音、海に行こう」


 夜が海岸のある方を指さした。


「貝を拾おう。お兄ちゃんが焼いてくれるって」


 美海はバケツと熊手を持っている。


「今の時期に貝ってとれるの?」


 潮干狩りって春の終わりじゃなかったっけ。


「何かいるよ」


 笑って美海は歩いて行った。




「二人に聞きたいことがあって」


 なんとなく。本当になんとなく思いついて二人に声をかけた。

 夜と美海は、なあにと振り返った。


「詩音の名前、どう思う?」

「どうって?」


 すかさず夜が聞き返してくる。


「よくわかんないけど、僕は好きだよ」


 詩音が返事をする前に夜は続けた。


「呼びやすいし。間違えないし。わかりやすいし」

「私も好きだな」


 夜に続けて美海が言った。


「きれいな名前だよね、詩音って。詩と音だよ。夜が言ってるみたいに呼びやすくてわかりやすいし、うん。私も好きだな。詩音の名前」


 二人の言葉に声が出なかった。どうしてこの二人はいつも詩音がほしい言葉をくれるんだろう。

 泣かないように下を向く。唇をかんで声を塞ぐ。

 二人はなにも言わずに隣を歩いていた。


「……ありがと」


 なんとかそれだけ言って、二人に遅れないように歩いた。





「こんな時期でも採れるもんなんだねえ」


 海につく頃には涙もおさまって、無事に夜と美海と一緒に貝を探すことができた。

 そして貝は思ったよりたくさんいた。


「もうバケツがいっぱいだ」

「そだね、これくらいにしとこ。海水をなみなみになるまで入れておいてってお兄ちゃんが言ってた」


 美海は貝を落とさないように、バケツに海水をくんだ。夜は熊手で砂の城を作っている。


「貝は焼いて食べるんだっけ」

「あとパエリヤ作りたいって言ってた。他にも頼めば作ってくれると思うよ」

「そっか。楽しみ」


 パエリヤってなんだろう。名前は聞いたことがあるけど、どんなものかがわからない。


「パエリヤってなに?」


 私が聞く前に夜が顔を上げた。


「おしゃれな炊き込みご飯」

「ふうん」


 夜は頷いて砂をかき集める作業に戻る。え、今のでわかった?


「詩音にはよくわかんなかった」

「えっとねー……貝とかの具材を……スープで炊いたモノ?」

「味は? 醤油じゃないんだよね?」

「たぶん塩……」


 美海はしどろもどろになってしまった。


「ごめん、問い詰めるつもりはなかったんだけど」

「ううん。私もよくわかんなくて。お兄ちゃんに聞いてくれる? たぶん詩音が聞いたら喜ぶし、いくらでも教えてくれるから」

「そう?」


 うん、と美海は頷いた。まあパエリヤのことをすごい知りたいかって言ったら、そうでもない。ただ知らなかったから聞いただけだ。

 美海のところは家族の仲がよくてうらやましい。だから美海のお兄さんが喜ぶというのなら聞いてみよう。ちょっと仲間に入れてもらえたような気になれるかもしれない。





 昼まで海で遊んでから美海の家にお邪魔する。美海のお兄さん……匠海さんがお昼を用意してくれていた。


「庭で足洗ってから入れよ。砂まみれになるだろ。つーか貝採りすぎ! どうすんだこれ。えっと塩焼きと……パエリヤと……味噌汁と……酒蒸しもするか。あとはなにがいいかなあ」


 匠海さんはブツブツ言いながら貝を洗って砂を落としていた。用意されていたお昼はそうめんで、天ぷらや煮物も添えられていて、すごい豪華だ。


「おいしい」

「詩音ちゃんわかってるねー。その椎茸、うまく味が染みたと思うんだよ」

「匠海さん、なんか所帯じみましたね」

「うるせえぞ夜。黙って食え。俺に感謝しろ」

「めちゃくちゃうまいです。さすが匠海義兄さん」

「まだお前を美海の婿に認めてねえぞ!」


 匠海さんも美海と同じで夜とは幼なじみだ。夜と美海が小さいときは匠海さんが二人を連れ出したりもしていたらしい。

 だからか、夜は匠海さんにすごくなついているように見える。


「そうかあ?」


 詩音の言葉に匠海さんは顔をしかめた。


「夜は美海以外に興味ねえだろ」


 匠海さんが夜を見たら、夜はニコッと笑った。


「そんなこと、あります」

「ちっとは自重しろ。ああでも、詩音ちゃんとも仲良いんだな。いいことだ。おい夜、野菜食え。インゲンを避けるな」

「美海が好きかなって」

「好きだけど、自分の分は自分で食べて」


 三人はまるで家族みたいに馴染んでいてうらやましい。

 詩音は、端から見たらどう見えるのだろう。三人と一人か、それとも。


「そうだ、パエリヤ」


 食べ終えた美海がぱっと顔を上げた。


「詩音がパエリヤ知らないって」

「そうなん?」

「あ、はい。食べたことないです。おしゃれな炊き込みご飯? って美海からは聞いたんですけど」


 顔を上げたら、匠海さんは苦笑して肩をすくめた。


「説明が雑すぎる。だいたいあってるけどさあ。じゃあ説明がてら手伝ってくれ。さすがにあの量を一人でなんとかするのは大変だ」

「はい! ……料理、調理実習くらいしかしたことないですけど」

「いきなり難しいこと任せたりしねえよ」


 匠海さんは笑って食卓を片付け始めた。笑顔が美海そっくりで嬉しくなる。


「お兄ちゃん、私も手伝うよ」

「おー。なら貝から砂を吐かすからザル持ってこい。でかいヤツ。夜は皿洗え」

「はいはい。お義兄さん、僕にあたり強くないです?」

「お義兄さん言うな。そういうところだよお前は」


 夜と匠海さんが言い合いを始めた。それがおかしくて、美海と笑ってしまった。

 詩音はもう、寂しくない。

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