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鳴らない鈴  作者: 久賀 広一
1章 音核盗難
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第6話 塔の息


 「——ツムギ、影を連れてくるな!」


 塔から落ちてきたナドの声が、夜気を切った。

 同時に、ツムギの抱える仮心臓が固く縮み、鼓動を止める。周囲の音が遠のき、世界が一拍、呼吸を忘れた。


「──止まらないで」

 コハクが測定環を起こし、球の脈を探る。

「生きてる。芯は残ってるけど……外から“別の息”がかかってる」


「塔からの導き線じゃない?」

「違う。乾いた響き。誰かが、流れを上書きしてる」


 通りの端に、静かな影をいくつか見つけることができた。『響徒きょうと』だ。

 腰の筒から細い銀糸を抜き、石畳へ垂らしている。糸がかすかに震え、地の下の導脈どうみゃくへと潜る。空気の奥底で、逆流するようなきしみが生まれた。

 ——拍を“返している”。


「塔の子」

 追ってきた数人の中から、若い男が顔を上げた。「その心臓を渡せ。街の息は、塔の所有物じゃない」


 ツムギは球を胸に寄せ、コハクと視線を交わす。離さない。

 上からナドの声が再びとどいたのは、その時だった。

「言い合いは後だ。ツムギ、外壁の《調律台》まで回り込め。コハク、据えにかかれ!」


 二人はつゆの匂いの濃い、脇道へと滑り込む。何度か通りを折れ、やがてたどり着いたのは、塔の外壁に設けられた小さな調律台──拍の中継台──である。

 コハクが脚金具を広げ、球を載せた。噛み合わせが合い、仮心臓が着実に脈をもどす。


「声を三つ、ちょうだい」

 その言葉に、ツムギは懐からじ束を抜き、結び目の温度を測った。


 一つ目の“声”は——だいじょうぶ。

 触れた糸から生まれた光が、球の中で結ばれる。

 二つ目——明日、会おう。

 路地の灯が、一段明るくなる。

 …だが、三つ目に触れた瞬間、地の底から、別の律動が押し寄せた。


 脇道の口に──その男がいる。指先で銀糸をつまみ、わずかに引いた。導糸が石の隙間を這い、流れを反転させにかかる。


「塔に縛るな」

「…ここは、街の息を整える場所だ」

 ツムギが返す。「あなたたちは、ただ拍を壊したいんじゃない。塔をかいさずに、自分の体で街を鳴らそうとしてる…そんなの、命がもたない」


 男の目が細くなる。

「塔が拍を“貸す”なら、俺たちは拍を“返す”。命を返すことの、どこが悪い」


 背後の響徒がひとり、浅く咳をした。肌に触れた銀糸へと、自身の鼓動の力を移している。それを地へ吸わせ、自らは枯れていく。

 その光景に、ツムギの喉が鳴った。

 彼らは、塔を否定しながらも、拍なしでは生きられない。それならばと、自らを導管にしてまで──得られた生命の力を捨ててまで──“自由な息”を広めようとしているのだ。


 石段を降りてくるナドの声は低い。「名は」

「…ヴェン」

「ヴェン…覚えとる。とじ士の見習いに、そんな名の少年がおった。──おぬしは、誰の声も落とさぬために、わしら『ひもじ』の裂けた手が、どれほどあったか知っておるのか。独り占めと言うなら、その痛みも数えて言え」


「なら、数えるために近づいても?」

「近づくな。今は調律中だ」


 ナドは掌に挟んでいた封緘ふうかんの小片を取り出す。

 それは、“拍”を塔の内部から外部へ橋渡しするための札——塔の外に延ばした導管を、一時的に強化する補助具だった。

 彼はそれを台へと滑らせ、音もなく貼りつける。小片の木の目がわずかにたわみ、球の脚が沈んだ。

「…!」

 ツムギは息を組み、最後の、三つめの結び目を放つ。

 ——忘れない。

 球が明確に息を打ち、塔の窓が一枚、光を返した。


「──選ばれた声だけが通るのか!」

 ヴェンが吐き捨てる。

「選ばない。“一人一言”を、誰からも。本当に選ぶのは、渡す側だ」


 ヴェンの導糸が震え、地面が低くうなる。二人の響徒が回り込み、台を挟んだ。コハクが球を押さえ、ツムギは体で支えにかかった。

 ナドが短く数える。「——一、二、三」

 『記綴士』三人の呼吸が重なり、球へ落ちる。塔の窓が割れそうなほどにふるえ、押し寄せた逆流を、鼓動を押し返す。


 ヴェンは糸を巻き取り、塔を見上げた。

「…明け方、広場で待っている。拍ではなく、お前らの言葉で、俺たちを止められるか。その機会を作る」


 ツムギはうなずく。

「逃げない。街の息を、みんなで決めた過去からの意思を、必ず届ける」


 響徒の影が闇に溶け、通りの灯が安定していった。 

 …ナドは長く息を吐き、よろけるように調律台に掌を置く。

「儂の膝は、やっぱり長持ちせん」

 コハクが小さく息を笑いに変え、すぐ真顔に戻った。

こちら()は、夜明けまで持たせるよ」


 塔の上で、一日の初めの鐘が鳴った。

 夜がうすれ、街の輪郭が息を吹き返す。

 ツムギの胸の鈴が、静かに一度ゆれた。






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