第5話 影の歩幅
石畳の継ぎ目を、ツムギの足が確かめるように踏んでいく。
ことさら慎重になっているわけではない。ただ、道が“生きているか”を感じたかった。
通りの向こうで、店の戸が開く音がした。
朝を知らせる鐘はまだ鳴らない。けれど、どこかで水音が明るさを伝えてくる。
塔の仮心臓は、まだきちんと拍を刻んでいた。
だが、街の呼吸はそろっていない。
ツムギの持つ手から鼓動が伝わるたびに、地面の下で何かが反響し、違和感のある波が空気を乱しているのがわかる。
少年は胸に片手を当て、その不吉な「音」を数えた。
——少し、ずれている。
師の言う「拍の芯」が、二重に鳴っている。
塔の心臓と、もう一つ。
街のどこかで、別の何かが、律動をまねている。
「ツムギ」
呼ばれて振り向くと、コハクがいた。
仮核を見届けに塔を出てきたらしく、手に小型の測定環を下げている。
「師匠が上で見張ってる。…今も塔につなぐ形で共鳴させてるけど、拍、少し乱れてる」
「街のほうにも変な“返し”があるみたいなんだ。塔だけの拍じゃない」
「…聞こえるのね、そういうの」
ツムギは肩をすくめた。
「いや、かすかに感じるだけ。二つの街の歩みが、空気をゆがめる感じ」
そのとき、風がふと止まった。
夜気の冷たさが、露に沈む。
壁にかかる灯籠がひとつ、揺れもせずに光を止めた。
——空気が、息をやめた。
ツムギは動けない。
通りの端、影がいくつか立っていた。
仮面はつけていない。だが顔の明るさが、どれも薄い。
光を受けながら、目の奥がひどく沈んで見える。
まるで、街そのものから色を抜かれたようだった。
「……誰?」
コハクが声を落とした。
「見張りの──塔の“響兵”?」
「違う。…響きが、合わない」
ツムギの言葉に、コハクの眉がぴくりと動く。
彼女は息をひそめ、測定環を掲げた。
環の内側に光の筋が集まり、拍を可視化する——はずだった。
だが、映ったのは複数の波形。
街の拍と同調しようとして、微妙にずれ、ぶつかり、歪んでいる。
その中の一人が口を開いた。
「塔の子か」
声は乾いているのに、はっきりとした怒りを帯びていた。
「…あなたたちは?」
「響徒だ。塔が独り占めにしている“音”を取り返しに来た」
ツムギは息を詰めた。
「…心臓を、盗んだのも?」
「盗み? 違う。返してもらっただけだ。
本当の“街の息”は、人の胸にある。塔の器なんかじゃない」
仮心臓の鼓動が、一瞬だけ強く鳴った。
それに呼応して、彼らの足元の石が共鳴する。
人々の拍を模倣しているのではない。
別の律動で街を鳴らそうとしている。
「…人、だよね」
コハクの声は、かすかに震えていた。
ツムギは答えられない。
胸の鈴が短く鳴った。
『拍の外』に踏み出した人間を知らせる、紐綴じ──『記綴士』の役目としての、警鐘のように。
「──ナドに知らせよう」
コハクが低く言う。
「塔から離れるほど、仮心臓の導管…音の龍脈は細くなる。切られたら終わりだ」
「…僕が残る。コハクが——」
「駄目。二人で動こう。こいつら、ただの暴徒じゃない」
彼女の声には、恐れと、どこか痛みのようなものが滲んでいた。
二人は同時に身をひねり、通りを駆ける。
背後で、響徒たちの声が重なった。
それは祈りにも似ていた。
——街に、自由な拍を。
——塔に奪われた息を、取り戻せ。
塔の鐘が見えはじめたとき、
「!」
仮心臓の鼓動が、不意に強く跳ねた。
塔の窓に光が走り、ナドの声が夜の底から響く。
「——ツムギ、影を連れてくるな!」
その叫びと同時に、仮核が一瞬、凍りついた。
街の空気の重みが増し、ツムギの足元で、石畳がいっそう強く、不快に鳴った。




