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鳴らない鈴  作者: 久賀 広一
3章 遠き思い、近き人
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第21話 霧中(むちゅう)の打開策


 レールが、きぃ、と鳴いた。

 音は小さいのに、感覚の底まで届く。金属が切り替わる音――いや、この底では「運用が決め直す」音だ。


 先頭の台車が、わずかに向きを変えた。  

 会計官の男の体は揺れない。揺れさせないように、黒線が台車の縁をぴたりと押さえている。人を運ぶのではなく、“材料”を運ぶための必要な姿勢に固定している。


 老人が穏やかに言った。

「本人に聞こうか。――それで終わる」

 終わる、という言い方が、あまりに軽い。  

 人間よりも、この場の手続きを優先する、『立場によって傲慢になった生き物』の言葉だ。   

 それは、多くの人が願う世から遠ざかっていく、終焉に向かう人々。


 ツムギは、足裏に意識を落とした。

 分岐器そのものへ触れるのは論外だ。触れた瞬間、「介入」が成立する。

 けれど――介入と“異能への干渉”は違う。違うはずだ。その余白が、この国の運用には必ず残っている。でなければ、そもそも“正しさ”の顔が保てない。


「──」

 黒線の巻き方を読む。

 分岐器の脇、金属板の継ぎ目に沿って、細い線が二重に走っていた。

 ひとつは、動かす線。もうひとつは、「動いたこと」を残す線。


(……記録側だ)

 ツムギは、息を吐き切って、足を置いた。  

 踏むのは分岐器ではない。個人が望んで動かそうとする「介入」ではなく、それより先に、この国が“望んだ記録ありき”で動かそうとする、総体上の継ぎ目の線の上。――もろい紙を押さえるみたいに、静かに。


 ガリ、と靴底が微細な金属粉をこすった。  

 音が出たのに、黒線は跳ねない。拒絶してこない。

 代わりに、台車の車輪が、きい、と嫌な悲鳴を上げた。


 レールの上で、台車が一拍だけ迷う。

 進むはずの方向へ進めない。戻るべき方向にも戻れない。ただ「決まっていない」という状態に落ちた。

 ――未決──それは、運用がいちばん嫌う形の一つ。

 監視窓が、すぐに反応した。

 文字が浮かぶ。短く、冷たく。


 ――経路矛盾。

 ――運用者確認、要。


 碑守が、むず痒そうに笑った。

「……また面白いことをやったな」

 老人の目が、ツムギへ刺さる。

 さっきまでの採点の目じゃない。自分の足元に火がついた時の目だ。


「外の子。余計なことをするな」

 その言葉に反応したのは、コハクだった。

 少女が、そこで何も言わずに一歩動く。

 薄膜は出さない。工具袋にも手を入れない。ただ、台車の列を“見て”、レールの継ぎ目と窓の文字を同時に読んでいる。

(『黒線の動き』──は、自動処理ではない。意志の介入──『記録の窓』──表示の更新──権限での上書き──)

 運用者が介入した痕跡。 制度の自動処理じゃなく、操作した力の流れ。

「……運用者確認。ほら、決めた代表者以外は名を出したくないのに、お手つき。これ、逃げられないね」

 彼女のわらった目が、そう言った。


 老人は、会計官の男に視線を戻す。

 穏やかな声のまま、命令に近い圧を発した。

「お前が言え。誰が命じた。誰が署名した。誰のための横領だった」

 会計官の男の指が、またわずかに動いた。  

 今度は隠す仕草じゃない。拒む仕草だ。喉元へ上がってくるのを止める、「言わない」の合図。


 青年が、台車の上で低く息を吐いた。

「……そいつ、まだ残ってる。心が」

 老人は微笑を崩さない。

「残っているから言える。言えば救われる。言わねば、整えられる」

 自分たちの決定以外は、すべて許されない答えだった。

 救いを餌にして、責任を代表者(スケープ・ゴート)に束ねる。それが一番良い形だとして、国を閉じる。


 ツムギは、青年の視界の端にだけ入る位置へ半歩寄せた。  

「……向こうが徹底的に変わらないなら、こちらとしてもシンプルにいける」

 その言葉で、青年はすぐに理解した。会計官の男へ声を届かせるように――ほんの少しだけ、体を起こして告げる。

「言うなら、“順番”だ」

 青年は唇を湿らせる。「誰が、じゃない。“どうやって”だ」

 会計官の男の焦点のない目が、わずかに動いた。

 青年の方を見て、ツムギに視線が流れる。見る気が、自分の意思を発して生きる気が、ある。まだ。

 ――その瞬間。

 窓の文字が、もう一段増えた。


 ――運用者確認、未了。

 ――照会者・関係者、観覧資格、一時停止。


 黒線が、ツムギの足首を、ほんの少しだけ締めた。

 強制力というより「余計なことを続けるな」という、に満ちた圧だ。


 老人が、ため息の形で言う。

「時間稼ぎなら……終わらせよう」

 老人は、分岐器に近づかない。

 代わりに、胸元の古い儀礼服――削られたしょうの跡に、指先を当てた。そこだけ、布が薄い。何度も外され、何度も縫い直されたような痕。


 そして老人は、言った。静かに。

「運用者は、ここにいる」

 言い終わる前に、窓の文字が変わった。


 ――運用者確認:済。

 ――経路矛盾:解消。

 ――直接聴取:開始。


 ツムギの顔色が変わった。

 まさか、名を必要とせずに、運用の力を使えるのか──

 だが、しばらくして、沈黙がつづいたあとに気づいた。

(いや……そうか)

 その場の、微妙な空気の変化に。

 いまの向こうの力の行使は、相手の「勝ち札が通った」という意味じゃない。

 ――相手が「札を切らざるを得なかった」ということだ。


 老人の胸元、削られた徽章の跡に当てた指先から、細い黒線が一本だけ立ち上がった。

 糸くずみたいに薄いのに、目が離せない力を持っている。

 それは老人の足元へ落ち、床の線と噛み合って――ほんの一瞬、枠の“角”を作りかけた。

 碑守は、すぐにそれを理解した。

「……自分で首輪を付けたな」

 老人は聞こえないふりをした。だが、ほんの少しだけ口角が上がる。

 ……勝ち誇りじゃない。覚悟の笑いだ。


 監視窓の文字が、次々と切り替わる。

 ――直接聴取:開始。

 ――供述対象:資料(会計官)。

 ――供述拒否:代理補正。


 床の黒線が、会計官の台車へ集まった。

 台車の縁から、細い線が何本も伸びる。喉へ、舌へ、指先へ。

 触れられていないのに、向こうが望んだ言葉の形を引きずり出すような圧が、空間に満ちる。


 会計官の男が、歯を食いしばった。

 喉が動く。

 だが、音にはならず、代わりに黒線がわずかに強く光る。

 ――言わせるための運用が、動き始めた。

 青年が、台車の縁で身をよじった。

「やめろ……それは、救いなんかじゃない」

 老人は、穏やかなまま返す。

「最大の救いだよ。名を置けば終わる。終われば楽になる」


 ツムギは、レールの分岐を見た。

 さっきの“未決”は、もう消されている。

 しかし――窓には残っていた。たった一行、薄い履歴として。


 ――経路矛盾:解消。


(解消した、じゃない)

 ツムギは、胸の奥で言い直す。

(解消“させた”。誰が?)

 コハクが、つぶやくように言った。

「……確認が済んだ、ってことはさ。運用は“誰か”、もしくは“何か”に紐づいたってことだよね」

 いろいろ考えを巡らせるが、視線だけは老人の胸元に刺さっている。

「無名のまま権限だけ通すには、代わりの“いかり”が要る。たぶん、あの縫い直し跡がそれだ」

 ツムギも、老人を見た。

 その老人は、会計官だけを見ている。

 自分の足元に枠が生まれかけたことにも、動じているのか、そうでないのか……


 ――なら。

 ツムギは、彼の方へ声を投げない。

 会計官へも、投げない。

 その先を、変えてみることにした。いちばん不安定な、リスクはあるが、打開の可能性もある相手へ。

 

「──聴取の記録を、ここに残せ」

 監視窓への、短い言葉だった。

 けれど、立場としてできるのは命令じゃない。要求だ。

 そして本来、この要求は手順外だ。

 だから通らない――はずだった。


 窓の文字が、一拍だけ止まった。

 “運用者確認:済”が、まだ熱を持っている。

 ──紐づいた運用は、監査として“記録を拒めない”のではないか──


ツムギは、この国に入ってからのやり取りで知ったことに、賭けた。

 ……おそらく自分の名を伏せて徽章を用いた老人は、「記録を拒ませる」と「自分が運用者です」と押印するのと同じになってしまう。

 ここでのツムギの「記録を残せ」は、ただの要求じゃなく、名を使わずに権限を発動するなら “安全装置を踏め” という合法手だ。

 それは、無名権限の暴走防止――拒めば、運用者のほうが危険者として枠に寄る


 碑守が、低くあざける。

「……外の子。悪知恵──いや、活きる知恵を、どんどんつけてるな」

 老人の目が、初めてツムギを捉えた。

 採点の目に戻りかけて――戻らない。

 自分の権限濫用が、鎖になり得ると理解した目だ。


「──ふん。記録など、残してどうする」

 ツムギは答える代わりに、会計官を見た。

 男の喉はまだ耐えている。

 そして、拒み方が変わってから、その目にいくぶん生気が宿りはじめているのに、上から人を眺めることに慣れた老人は、気づいていなかった。


 “言わない”から、“言い方を選ぶ”へと。固定された立場から、わずかでも前進の道筋が見えはじめている。

 ……その瞬間、窓が淡く点滅した。


 ――聴取記録:開始。

 ――供述形式:要点優先。


 老人が、口元だけで笑った。

「けっきょくは穏当な、同じ結果に落ちつく。あれこれと場を荒らすのはやめろ」

「……」

 同じじゃない。

 ツムギは、レールの黒線の巻き方を見ながら、腹の底で答える。


(名を求める運用は、“誰が言わせたか”を隠せる。──でも、記録を残す運用にすれば、そこに都合が悪い事実が現れるたび、それを隠すたびに“誰かが隠した”事実が残る)


 コハクが、会計官の目線の高さまで身を落とし、はっきり伝えた。

「言って。流れを。そこに真実があれば、向こうの都合のいいように要点をしぼられても、不都合は闇の中で光る。──必ず」


 会計官の瞳が、わずかに揺れた。焦点が合い、まばたきをするごとに、力がもどっていく。

 ……老人も、声を低くして告げた。

「言え」

 黒線が、会計官の喉へと集まる。

 圧が、もう一段増す。


 碑守が、その気をそらすかのように前に出ようとして――止まった。

 足元の線が、彼の意思を“記録”にしようと舐めてきたのだ。

(……)

 ツムギは、分岐器の脇へ一歩だけ移り、レールの“記録側”を、もう一度踏む準備をした。


 また未決に落とせば、会計官は一時的に助かる。

 だが、老人は次で別の札を切る。

 だから今度は――レールだけに手を出すんじゃない。


 老人の“確認(使用した力)”だ。

 胸元の縫い直し跡。

 あそこが錨なら、使用されたここと合わせて直接揺らせば、運用は荒れる。

 荒れた運用は、嘘の整形が難しくなる。

 ツムギが、その一点を見据えた瞬間――

 会計官が、かすれた声を出した。

「……最初は、帳簿だ」


 老人の指が止まる。

 黒線が、喉から一瞬だけ退く。

 “名”じゃない言葉が出た。運用が、想定外を受理したのだ。

 会計官は続けた。

「帳簿を……“事故”にした。次に……署名を、代筆にした。最後に……異議を“妨害”にした」

 ツムギのこぶしに、力が宿っていった。


 順番。

 不穏当な正しさが増殖していく手順の、骨子。

 老人が、ゆっくり息を吐いた。

 そして、穏やかに言う。

「いい。――次は、誰が代筆したかだ」

 名へ戻す。

 いつものやり方へ。

 だが、窓の文字が先に走った。


 ――聴取記録:継続。

 ――運用者確認:維持。

 ――運用介入:記録対象。


 老人の足元で、黒線の角が――今度は、はっきり“枠”になりかけた。

 碑守が、かすれた声で笑う。

「……首輪、締まってきたぞ。枢機卿すうききょう

 老人の目が、初めて裂ける。

 達観したような微笑みが割れたのは、怒りや、名を呼ばれたことへの反応に思えた。

 しかしその目が見定めようとしているのは、運用が、運用者を噛み始めたことへの、恐怖だ。


 そして、老人は静かに、次の札を切ろうと手を上げた。

 会計官の言葉へ、もう一度、黒線を集めるために。


 ツムギは、足を踏み出す。

 今度はレールじゃない。

 ――“確認”の錨へ、老人に届く位置へ。


 戻されて、名で終わるか。

 手順が外へ出るか。

 お互いの、最後のカードだった。

 






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