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鳴らない鈴  作者: 久賀 広一
1章 音核盗難
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第4話 仮の心臓


 明け方は、街の端から紙の薄さでやってくる。

 記録館に集まった人々の輪はせばまり、火の燃え方は低くなり、机の上には、夜じゅう集めた紐綴じの束が静かに横たわっていた。


 …ツムギは、束の一つに指を当てる。光は眠っているが、結び目の奥ではくだけが、豆粒ほどの小さなぬくもりで生きている。


「いま、塔の中では仮核かりかくを作ってるんですよね。進みはどうですか?」

 少年の問いに、背後でナドが、夜の声のまま答えた。

「コハクの腕は悪くない。もう合わせの前段ぜんだんに入っている頃だろう。……そろそろ、その束が必要になる」


 ツムギは、返事のかわりに立ち上がった。『街のリズム』が安定するのに必要な、確かな量がどれほどかは分からない。だが、この声たちは、けっして少なくはないはずだ。


 …外はまだ、音を取り戻せていない。

 屋台の人々は鍋や木箱をそっと持ち上げ、ぶつけないように運んでいる。ぶつけると胸がざわつくのを、夜のあいだに覚えてしまったからだ。


「──」 

 鐘塔の方角から、白い蒸気が立ちはじめていた。内部の点検階で、コハクが樹脂じゅしを温める準備をしているのだ。

(よし…!)

 ツムギは急ぎ、用意していた背負い袋に、手をかけていた。






 ──塔の中は、静かな熱の匂いで満ちていた。

 コハクは床にしゃがみ、掌ほどの透明な球を両手で包んでいる。球の芯では淡い明滅が起き、“拍”は居場所を探していた——まだ街と、かみ合っていないのだ。


「これが、仮の心臓しんぞう…」

 ツムギが心座までたどり着いた時、コハクは、こちらをうかがうこともなく待っていた。

 すでに準備を終えていたが、慎重な目つきで、球の面を指で回していた。

「…拍を持つ声を入れて、街の“歩幅ほはば”に合わせるの。言葉が長すぎると、濁る。逆に短すぎると街が歩けない。だから昨夜は、一人一言だったんだよ」

で揃えた“息の長さ”が、基準になるんだね」

「うん。……ナドの考え。私は形にする係」


 促され、ツムギは束を差し出した。コハクは結び目をひとつ抜き、球にそっと押し当てる。淡い光がにじみ、芯の明滅がわずかに整う。塔の内壁も、目に見えないくらい薄く呼吸しはじめたようだ。


「今の“”、きれい。——できればもう一つ、近い感覚のがほしい」

 コハクの声はやわらかいが、目は感情を交えず、測るように真っ直ぐだ。

 ツムギは束をほどき、夜の輪で綴じた“ひとこと”を探る。唇の形、指の温度、息の置き場所——それらが手の記憶として、喉へ伝わってくる。特別な術というわけじゃない。ただ、合ってしまう(・・・・・・)だけだ。


 昔の言い方をすれば、こういう喉を『透声とうせい』というのだと、ナドが教えてくれたことがある。

 音のないところへ橋を渡す声。

 ツムギはその呼び名を思い出し、胸のうちにしまった。名札を掲げるためでなく、うまく働けばそれでいい、という種類の力だ。


 コハクが結び目をもう一つ、球に触れさせる。明滅がそろい、塔の中の空気がまた一段やわらぐ。

「…いける。市場いちばが開くまでなら持たせられる」

 彼女は息をゆっくり吐き、汗を布で押さえた。

「ただし“完全”じゃない。朝のざわめきが入ってくると、どこかがきしむかもしれない。——残りのもので、“間”を補強していく形にしよう」


 ツムギは束を抱え直し、指で糸口を探った。そのとき、階下で金属がれる──“鳴らない音”がした。


 コハクが目で示す。

「見て」

 ツムギは採光窓さいこうまどの影に身を寄せ、外をのぞいた。灰色の布を頭に巻いた小柄な影が、流れのすくない群衆の中を、塔の根を、自然に横切っていく。

 何が、とは言えない。…しかし、それは直感的に引っかかる動きだった。

 ──背の線に見覚えがある。昨夜、玄関の陰で黒い面をつけていた者だ。


 下では、こちらは常時配備されている見張り台の響兵が、砂時計を返し、交代の手信号を回している。けれどその影は、誰の視線にも引っかからず、祭りの残骸と、朝もやのあいだを、音を落とさずに滑っていった。音の薄くなった街では、足跡すら記録しづらい。


 …ツムギは階段を降り、扉のところにいたナドに告げる。

「黒い面、また来てます」

 ナドは風の匂いを確かめ、少し長い言葉で返した。

「追わんでいい。いまは“拍”を崩す方が大きな損失だ。——あいつらは壊しに来たんじゃない。測りに来ている。人のそろい(・・・)が自力で戻るか、仮の心臓が、どれくらい持つか。たぶん、それを知るのが目的だ」

「どうして、そんなことを」

「壊し方を決めるには、“立ち直り方”を知るのが早い。ああいう連中は──根こそぎ、世の中に害をすためにひっくり返そうとする連中は──そうする」


 答えは重かったが、理屈はまっすぐだった。

 ツムギは再び点検階へ戻り、束の中から息の置き場が違う二つを選ぶ。片方は短く、片方は長い。どちらも、悪いものじゃない。輪の真ん中で、誰かが勇気を出して通した“ひとこと”だ。

「これと、これ」

 コハクは球に触れさせ、指先で微調整をする。

「——うん、短いほうは合図になる。長いほうは歩幅になる。いい組み合わせ」


 明滅が沈み、力強く、持ち上がる。

 塔の壁が共鳴し、外のどこかで柄杓ひしゃくが水面を打った音が、はっきり聞こえた。

 人の息がほんの少し笑いに変わり、戸口の蝶番ちょうつがいが、ためらいがちな動きに返事をする。

 ──音が、街に戻りはじめる。


 そこへ、響兵が瓶を持って塔の入り口にあらわれた。

ふうに使う樹脂です。内側だけに残っていた、以前のものと同じですが…」

 ナドは匂いをかぐと、瓶口を布で押さえ、高所のコハクへ視線を送る。

合鍵あいかぎか、鍵と同じことができる“手”だな」

 コハクは球から指を離さず、短く答えた。

「きれいにがしてある。…上出来の仕事だよ、盗みとしては」

 言葉の最後で苦く笑い、また球へ集中し直す。

 仮の心臓は、明け方の温度の中で、泳ぐように拍を刻みはじめていた。


「…」

 ツムギは、そのリズムに耳を澄ませている。きれいにそろった線のどこかに、細いが一本、糸のふしみたいに残っている。

 

 ──透声——音のないところへ、橋を渡す声。

 その橋が、それに感応する喉が、不具合を見つけて震えている。…人が多くいる場所では、そこから不安定な拍が逆流して、核のリズムがたわむかもしれない。そう感じた。


師にそれを伝えると、

「…コハク!塔は、街を安定させる心臓の置き場としてはいいが、拍の改善には時間がかかりすぎる」

ナドは、階段を上がってきた。


「ツムギの感覚は、わしらのような仕事をしている人間の中でも、特に優れている。──何かをたくらんでいる連中がどう動くのかは知らんが、先に、街中に心臓の“音”を届けて、皆の拍を整えておいた方がいいかもしれん」


「…」

一瞬、コハクの顔に迷いが浮かんだ。

この場所で核を起動させても、時間さえ問わなければ、街はやがて安定していく。…しかし、今回の事態は“意図的に引き起こされた”異常事態だ。街全体が立ち直るまでに、何も起こらないという保証がない。


少女の表情の変化をいち早く読み取ったツムギが、強くうなずいた。

「市場まで、私が運びます。繊細な注意が必要かもしれませんが、まだ使っていない、落ち着いた輪の息があるので、拍を支えながら行けると思います」


 ツムギが言うと、ナドは短く間を置いて、静かに答えた。

「分かった。…コハク、核を守り、安定させる封緘ふうかんは、内側だけ閉じ直せ。外から見せびらかす必要はない。今回のことは、無用な情報を与えてしまっていたようだ」

「了解」

 コハクは紙を貼り、金具を確かめる。手早いが、丁寧だった。


 階段を降りる直前、ツムギはふり向いた。

 球は静かに脈を刻む。

 その律動のすき間で、昨夜から胸の奥に居座っていた鳴らない鈴が——今度ははっきりと鳴った。

 窓の外、灰色の影の意識が、こちらに向いているように感じる。仮の心臓が息をするたび、影の肩も同じ呼吸をしているように思え、恐かった。


 街は、音を取り戻しながら歩き出す。

 そして影もまた、同じ歩幅でついてくる。

 揃える者と、測る者。

 その二つの足音が、明るみに出るまで——あと、ほんの少しだ。



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