第10話 骸(むくろ)を抱いた塔
塔の根のうねりは、長い眠りの中で固まっていた“古い呼吸”を、一度だけ思い出して吐いた──そんな異様な脈動だった。
その生きた振動の中で、ツムギは喉を押さえた。
さっきまで輪の中心で言葉を放っていた自分の声が、塔に吸い上げられ、足下の石へ沈んでいく感覚があった。
「……まだ“返事”が来る」
コハクの声が震えている。 「封印層……いえ、もっと下。封印の“根”から……!」
ヴェンが銀糸を構えたまま、後ろへ半歩下がる。
「さっき輪郭だったのが……いまの裂け目のすぐそこには、“質量”を感じる。もしそれらが全部出てきたら、塔は耐えられんぞ。」
裂け目の奥は、完全な暗黒ではなかった。
うっすらと、石の内側に刻まれた“文様”が光を帯びている。
規則正しい、文と紋。
かつて 誰かの屍を格納していた場所 だったように見える。
(……器。さっき見えた光景……名を喰う心臓──主律は、塔そのものであり、“人の心の骸”の器だったんだ)
ツムギの背中を、ぞわ、と冷たいものが走った。
「師匠、あれ……あの光……」
「見えておる。あれは“記録”ではない。“痕”だ」
ナドが深く息を吸う。
「かつて名喰いの塔に捧げられた者の“名跡”──呼ぶことに意味があるわけではないが、せめてもの顛末だろう」
裂け目の先で、石の文様が一つ、音もなく崩れた。
ひっ、とコハクが息を呑む。
石片の裏から、細い線が垂れた。
乾いた、骨のような質感。
だがそれは骨ではない。
〈……寄こせ〉
〈ただの一名でも、流れは開ける〉
“存在”そのものが響いている。ただの声よりも、場の雰囲気に呑まれそうになる。
ヴェンが厳しく見咎めた。
「……あれ、誰かの“家紋”みてぇな線だぞ。それを塔が喰ったのか?」
「いや──あくまで“痕跡”だ。名を奪われた者にも、むろん心がある。個人の境界の形は、どうしても残る」
ナドがきっぱりと言う。
「名を奪われし者は──まず酷い『選別』に遭う。短命になり、魂は街に残らん。忘れ去られ、風の記憶にも残らん。生きても死んでも、“呼ばれぬ者”になる。……そうなった家系の痕かもしれん」
コハクの瞳が揺らいだ。
「そんな……そんな仕組み、ふつうの人々が、街が耐えられるわけ……」
「だからどれほど栄えようと、封じられた」
ナドのその一言で、塔の奥の闇が、大きく震えた。
〈名を喰わせた時代が戻れば〉
〈街は遥かに富む〉
〈“選ばれた者”は──栄誉と消える。都合の悪いものを、消せる〉
ぞく……と、空気が凍る。
ツムギは拳を握りしめた。
(封印層……いや、“根律”。こいつは、本当に……革命じゃなく、正しさへの回帰として、“豊穣の塔”に戻そうとしてるんだ。その代償を、人々による『極刑』を、どこまでも正しいと信じて)
暗黒が、裂け目からゆっくりと、塔の床に“手”を乗せた。
輪郭ではなく、確かな重さのある手。
だがその成り立ちは、やはりどこまでも空洞──器。
「ツムギ、後ろへ──!」 コハクが走り寄ろうとする。
そのとき。
ヴェンが、銀糸を地に叩きつけた。
「来るなら来い……! だが、“拍”をいちばん通せる塔の子はやらねぇ。こいつは、こっちの懐刀だ!」
銀糸が塔の根に触れた瞬間──
銀が、黒く染まった。
「……ッ! 糸が死んでいく!?」
「ヴェン、離れろ!!」
コハクが叫んだ。
だがヴェンは、黒く染まり、やがて深紅に変わる銀糸を見て、逆に目を見開いた。
「おい……これ……おそらく“名”の力じゃねぇ……!塔の拍や、律の圧力とは別もんだ!!」
ナドが顔色を変えた。
「封印層の導糸──“罰”か! たしか禁書で、主律は名とともに“罪の力”も扱っておるとあった……!罪人は時に、常人では及ばぬ魂や力を持つ。その糸を通じて、塔に溜め込まれた“罪の系譜”を喰うつもりだ!!」
(糸が罰につながる……。敵の導糸そのものが、“街の過去”に触れることができる……? まさか……!)
ツムギの喉奥が熱くなる。
「師匠……! このままだと、街の『処刑』が始まる!! 心臓に使った綴じ紐の声に、塔が聴いた街の声に、少しでも罪の意識があれば──」
裂け目の奥が、ふっと笑ったように揺れた。
〈縁から喰うと言った〉
〈罪の線は、名よりも軽い〉
〈まずはそこから、開ける〉
塔の奥から、再び巨大な“根”がうねり出した。




