第7話 輪の前に立つ者たち
記録館の戸口に、ヴェンが立っていた。
どこか陰鬱さがあるような光の中で、昨夜までの荒々しさは影を潜め、かわりに深い疲労と、決意の色が宿っている。
「……塔が呼ばれているらしいな」
その声は静かで、以前よりも落ち着いて聞こえた。
ナドが杖を軽く鳴らす。
「封印層の“主律”が、街の名を探っておる。おぬしらも、その影響を受けているはずだ」
「感じてるよ。導糸を持つと、勝手に脈が揺らぐ。……塔が、もう以前の塔じゃないのも分かる」
ヴェンはゆっくりとツムギの方へ目を向けた。
「そして──呼ばれてるのは、おまえか」
ツムギは頷いた。
否定できない。胸の奥を叩くような“二つ目の律”は、逃げても消えない。
「だから輪を作る。塔の紐束でも銀糸でもない、誰の側にも傾かない“ことばの輪”を──」
ナドが言うと、コハクが補った。
「封印層に直接干渉されないように、“境界”を作るんです。そこにツムギが一言置いて、律の流れをずらす」
ヴェンはわずかに眉を寄せた。
「街の名そのものに関わってくるやり方だな。……塔の子、おまえは本当にできるのか?」
ツムギはその質問を正面から受け止める。
「できるかどうかは分からない。でも、むこうに呼ばれて従うだけなら、こっちは終わるんだ。それなら……自分の言葉で手綱を引きたい」
ヴェンは、何秒かツムギを見つめ、それから小さく息を吐いた。
「……悪くない目だ。塔に縛られた子どもじゃない。“過去の名の力”の前に立つ資格はあるかもしれない」
ナドが立ち上がった。
「では行くぞ。輪を据える場所は──塔の真下、“封印の縁”だ」
ツムギとコハク、ヴェン。そして最上位の響衛《重響》を合わせて、10名強。
小さな一団は、塔の奥へ向かう。
封印層の裂け目は、さきほどよりも静かだった。
だが、その“静けさ”に意味はない。名を喰らう心臓は、何も変わらず存在し、過去からの口を開けている。
ツムギの胸の奥で、声が形を変える。
〈鍵〉
〈遅い、すぐに寄こせ〉
先ほどよりも近い。
まるで裂け目のほんの先から、喉へ触れてくるようだった。
「……ツムギ、顔が白い」
コハクが囁くように言う。
ツムギは息を整え、うなずいた。
「大丈夫。……怖くないって言ったら嘘だけど、ちゃんと立てる」
輪を置く場所が決まった。
塔の石床に白石棒で円を描き、その外にナドが札を三枚置く。
コハクは測音石と銀粉で、響きの逃げ道を作る。
ヴェンは静かに古い銀糸を二本、床へ置いた。
「これは……あんたたちの“領分”へ踏み込むことになるが」
「かまわん」
ナドは即答した。
「塔も街も、もう境界の話をしている場合じゃない。名を喰う心臓に抗うなら──合力は必要だ」
すべての準備が終わると、輪の中央にツムギが立った。
心がうわずっている。
骨の裏で、声が強まっている。
〈来い〉
〈おまえが開ける〉
ツムギは拳を震わせた。
声の真意は分からない。
けれど──返事は一つだけでいい。
(僕は……僕で、返す)
その瞬間──
裂け目の奥から、深い鼓動が響いた。
塔全体がいちど低く鳴り、広場で封鎖をしていた響衛たちがざわめく声が聞こえた。
「……来るぞ」
ナドの声は固い。
ツムギは息を吸い、輪の中心で足をしっかりと踏みしめた。
その背後で、ヴェンが構え、コハクが測音石を握りしめる。
裂け目の闇が、かすかにゆらいだ。
そして──
〈名を〉
〈鍵を〉
〈寄こせ〉
ツムギの喉が震えた。
「──返すよ。
“僕の一言”で」
塔の底が、まるで応えるように揺れた。




