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鳴らない鈴  作者: 久賀 広一
2章 名を呼ぶ底
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第7話 輪の前に立つ者たち


 記録館の戸口に、ヴェンが立っていた。

 どこか陰鬱さがあるような光の中で、昨夜までの荒々しさは影を潜め、かわりに深い疲労と、決意の色が宿っている。


「……塔が呼ばれているらしいな」

 その声は静かで、以前よりも落ち着いて聞こえた。


 ナドが杖を軽く鳴らす。

「封印層の“主律”が、街の名を探っておる。おぬしらも、その影響を受けているはずだ」


「感じてるよ。導糸を持つと、勝手に脈が揺らぐ。……塔が、もう以前の塔じゃないのも分かる」

 ヴェンはゆっくりとツムギの方へ目を向けた。

「そして──呼ばれてるのは、おまえか」


 ツムギは頷いた。

 否定できない。胸の奥を叩くような“二つ目の律”は、逃げても消えない。


「だから輪を作る。塔の紐束でも銀糸でもない、誰の側にも傾かない“ことばの輪”を──」

 ナドが言うと、コハクが補った。

「封印層に直接干渉されないように、“境界”を作るんです。そこにツムギが一言置いて、律の流れをずらす」


 ヴェンはわずかに眉を寄せた。

「街の名そのものに関わってくるやり方だな。……塔の子、おまえは本当にできるのか?」


 ツムギはその質問を正面から受け止める。

「できるかどうかは分からない。でも、むこう(名を喰う律)に呼ばれて従うだけなら、こっちは終わるんだ。それなら……自分の言葉で手綱を引きたい」


 ヴェンは、何秒かツムギを見つめ、それから小さく息を吐いた。

「……悪くない目だ。塔に縛られた子どもじゃない。“過去の名の力”の前に立つ資格はあるかもしれない」


 ナドが立ち上がった。

「では行くぞ。輪を据える場所は──塔の真下、“封印の縁”だ」


 ツムギとコハク、ヴェン。そして最上位の響衛《重響》を合わせて、10名強。

 小さな一団は、塔の奥へ向かう。

 封印層の裂け目は、さきほどよりも静かだった。

 だが、その“静けさ”に意味はない。名を喰らう心臓は、何も変わらず存在し、過去からの口を開けている。


 ツムギの胸の奥で、声が形を変える。

 〈鍵〉

 〈遅い、すぐに寄こせ〉

 先ほどよりも近い。

 まるで裂け目のほんの先から、喉へ触れてくるようだった。


「……ツムギ、顔が白い」

 コハクが囁くように言う。

 ツムギは息を整え、うなずいた。

「大丈夫。……怖くないって言ったら嘘だけど、ちゃんと立てる」


 輪を置く場所が決まった。

 塔の石床に白石棒で円を描き、その外にナドが札を三枚置く。

 コハクは測音石と銀粉で、響きの逃げ道を作る。

 ヴェンは静かに古い銀糸を二本、床へ置いた。


「これは……あんたたちの“領分”へ踏み込むことになるが」

「かまわん」

 ナドは即答した。

「塔も街も、もう境界の話をしている場合じゃない。名を喰う心臓に抗うなら──合力は必要だ」


 すべての準備が終わると、輪の中央にツムギが立った。

 心がうわずっている。

 骨の裏で、声が強まっている。


 〈来い〉

 〈おまえが開ける〉


 ツムギは拳を震わせた。

 声の真意は分からない。

 けれど──返事は一つだけでいい。


(僕は……僕で、返す)


 その瞬間──

 裂け目の奥から、深い鼓動が響いた。

 塔全体がいちど低く鳴り、広場で封鎖をしていた響衛たちがざわめく声が聞こえた。


「……来るぞ」

 ナドの声は固い。


 ツムギは息を吸い、輪の中心で足をしっかりと踏みしめた。

 その背後で、ヴェンが構え、コハクが測音石を握りしめる。


 裂け目の闇が、かすかにゆらいだ。


 そして──

 〈名を〉

 〈鍵を〉

 〈寄こせ〉


 ツムギの喉が震えた。


「──返すよ。

 “僕の一言”で」


 塔の底が、まるで応えるように揺れた。


 



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