第1話 封印の下で
塔の心座は、静まり返っていた。
仮心臓の鼓動は落ち着いている。
けれど、塔全体がどこか沈黙に張りつめていて、風が通っても、音はどこか空虚だった。
まるで、塔が“聴くことをやめている”。
ツムギは点検窓の前で膝をつき、昨日の記録を確かめていた。
導脈の残響を測る装置の針が、ひとところで止まったまま動かない。
コハクが横から覗き込み、眉を寄せる。
「……下層の波が消えてる。拍が、完全に切れてる」
「塔の底──僕らがそう思ってた、さらに下?」
「うん。だけど、その層に測音石なんて置かれてない。…きのうの波の理屈が合わないのよ」
ナドが静かに階段を登ってきた。
「“根”が反応しているのだ」
コハクが振り向く。
「封印層……本当にあるんですか、師匠」
ナドは無言で頷いた。
「存在は知られていた。だが、“いまの塔”の創設以来、誰も確かめたことはない。…導士評議の記録でも“根律”の名は塗りつぶされている」
ツムギは唾を飲み込んだ。
「封印、って……何を封じたんですか」
ナドの目が鋭くなる。
「“律を喰う心臓”だ。
拍を生み出す代わりに、他の拍を奪う存在。
古い塔が崩れる前、それを地脈の底に沈め、封じたと伝わっている」
沈黙。
コハクが小さく息を吸う。
「じゃあ、昨日の逆流は……それが、目を覚ました……?」
ナドは答えなかった。
ただ、手にした測音石を強く握りしめた。
灰水晶の表面に示された針が、わずかに動く。
塔の底、封印のさらに下から、確かに“律”の波が上がってきている。
ツムギはその音を聴こうとした。
耳ではない。
胸の奥で、心臓の裏側から聴こえてくる。
まるで自らの身体のように、自分のものであって、真実自分のものではない──どこか人の声に似ていた。
〈来い〉
ほんの一瞬だった。
けれど、確かにそう聴こえた。
ツムギは思わず立ち上がった。
「師匠……僕、下の層を見てきます」
「駄目だ」
ナドの声が低く響いた。
「封印層へは道がない。おそらく、本来の導管も閉ざされていて、誰も通れぬ。
“根”へ降りるには、塔そのものを犠牲にするしかない」
「でも――」
「二度と拍が戻らなくなる。それでも行くか?」
ツムギは答えられなかった。
沈黙の中で、仮心臓がわずかに鳴った。
その音に混じって、ふと別の音がした。
大地の、鈍い響き。
床下から、何かが塔の拍に合わせて“応えている”。
コハクが顔を上げた。
「……師匠、今の……」
ナドの表情が凍る。
「封印が……“聴き返している”のかもしれん」
塔の石壁に、細い亀裂が走った。
そこから深紅の導糸がにじみ出す。
ツムギはそれを見た瞬間、悟った。
“根”は、もう閉じていない。




