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鳴らない鈴  作者: 久賀 広一
2章 名を呼ぶ底
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第1話 封印の下で


 塔の心座は、静まり返っていた。

 仮心臓の鼓動は落ち着いている。

 けれど、塔全体がどこか沈黙に張りつめていて、風が通っても、音はどこか空虚だった。

 まるで、塔が“聴くことをやめている”。


 ツムギは点検窓の前で膝をつき、昨日の記録を確かめていた。

 導脈の残響を測る装置の針が、ひとところで止まったまま動かない。

 コハクが横から覗き込み、眉を寄せる。

 「……下層の波が消えてる。拍が、完全に切れてる」

 「塔の底──僕らがそう思ってた、さらに下?」

 「うん。だけど、その層に測音石なんて置かれてない。…きのうの波の理屈が合わないのよ」


 ナドが静かに階段を登ってきた。

 「“根”が反応しているのだ」

 コハクが振り向く。

 「封印層……本当にあるんですか、師匠」

 ナドは無言で頷いた。

 「存在は知られていた。だが、“いまの塔”の創設以来、誰も確かめたことはない。…導士評議の記録でも“根律”の名は塗りつぶされている」


 ツムギは唾を飲み込んだ。

 「封印、って……何を封じたんですか」

 ナドの目が鋭くなる。

 「“律を喰う心臓”だ。

  拍を生み出す代わりに、他の拍を奪う存在。

  古い塔が崩れる前、それを地脈の底に沈め、封じたと伝わっている」


 沈黙。

 コハクが小さく息を吸う。

 「じゃあ、昨日の逆流は……それが、目を覚ました……?」

 ナドは答えなかった。

 ただ、手にした測音石を強く握りしめた。

 灰水晶の表面に示された針が、わずかに動く。

 塔の底、封印のさらに下から、確かに“律”の波が上がってきている。


 ツムギはその音を聴こうとした。

 耳ではない。

 胸の奥で、心臓の裏側から聴こえてくる。

 まるで自らの身体のように、自分のものであって、真実自分のものではない──どこか人の声に似ていた。


 〈来い〉

 ほんの一瞬だった。

 けれど、確かにそう聴こえた。

 ツムギは思わず立ち上がった。

 「師匠……僕、下の層を見てきます」

 「駄目だ」

 ナドの声が低く響いた。

 「封印層へは道がない。おそらく、本来の導管も閉ざされていて、誰も通れぬ。

  “根”へ降りるには、塔そのものを犠牲にするしかない」

 「でも――」

 「二度と拍が戻らなくなる。それでも行くか?」


 ツムギは答えられなかった。

 沈黙の中で、仮心臓がわずかに鳴った。

 その音に混じって、ふと別の音がした。

 大地の、鈍い響き。

 床下から、何かが塔の拍に合わせて“応えている”。


 コハクが顔を上げた。

 「……師匠、今の……」

 ナドの表情が凍る。

 「封印が……“聴き返している”のかもしれん」


 塔の石壁に、細い亀裂が走った。

 そこから深紅の導糸がにじみ出す。

 ツムギはそれを見た瞬間、悟った。

 “根”は、もう閉じていない。




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