第2話 皇太子と毒の調香
廊下を駆け抜け、広間の扉を開けると、私の目の前には若く整った顔立ちの男性――皇太子アルトが立っていた。深い藍の衣を纏い、瞳には冷静な光が宿る。
「――君が、薬師殿か?」低く響く声。私は小さく会釈する。
「はい、転生薬師ユイです。本日のお手伝いを命じられました」
その瞬間、侍女の呼吸が止まった。青白い斑が浮かぶ顔、浅い脈。毒の影響はまだ進行中だ。アルトは私をじっと見つめ、わずかに頷いた。
「では、状況を聞こう。何が起きたのか、君の推察を」
心臓が跳ねる。現代の知識を持ち込んで観察しつつ、後宮の格式に沿った言葉を選ばなければならない。
私は手早く脈拍、呼吸、皮膚の状態を確認し、症状を整理する。
「脈は浅く、皮膚は冷たい。通常の植物毒よりも神経系に作用する速度が速いです。試薬による簡易検査では、反応が出ましたが、正確な成分は分析が必要です」
アルトは眉をひそめ、しかし無言で聞いていた。その姿勢には、単なる権力者の興味以上のものを感じる。
「――なるほど。君の言葉を信じよう。残りの検体はどうすればいい?」
「検便と残渣は保管済みです。廊下の傍らにある硝子瓶に分けました。揮発性の有無や近くの香の変化も確認済みです。ですが、黒布の影を見かけました。単なる偶然か、意図的かは不明です」
アルトは少し顔を曇らせ、口元を押さえた。「……なるほど。君の観察力は、ただ者ではないようだ」
そのとき、私はふと侍女たちの視線を感じた。後宮の女官たちは、私の動きや言葉を鋭く観察している。嫉妬や疑念、そして期待――。ここで失敗すれば、ただの薬師ではなく、目立つ存在として危険が増す。
「では、皇太子殿。次は現場でさらに詳しい分析を行います。毒の種類と経路を特定する必要があります」
アルトは静かに頷いた。「分かった。君の指示に従おう。ただし、他の者には極力知らせぬように」
私の胸が高鳴った。ようやく、ここでの自分の立場と、次の行動が見えた――。毒の正体を暴き、事件を解決すること。それが、私に与えられた使命だ。
廊下の隅で、黒布の影は静かに息を潜めている。事件の糸は、確実に私の手元へと絡みつきつつあった。
「――さあ、調香開始よ」