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第22話 狂愛

「誰に命令されて、仁美に近づいた?」


 シロウの声は低く、しかし刃のように鋭かった。真帆の頬にかかる髪がシロウの吐息でわずかに揺れた。

 緊張が空気を張り詰めさせ、真帆の胸が早鐘のように上下するのが間近で見える。だが、その瞳に浮かぶのは恐怖ではなく、恍惚に近い光だった。


「命令なんて……ないの」


 真帆は微かに笑った。喉の奥からかすれる声が漏れる。その声には甘さと狂気が入り混じり、どこか幼い少女のような危うさがあった。


「私は……ただ、あなたに会いたくて……ずっと探していたの。勇者庁があなたの消息を発表してから、どれだけの夜をあなたを思って過ごしたか分かる?」


 シロウの眉がわずかに動いた。目の奥には疑念が閃き、声が鋭さを増す。


「勇者庁の関係者であればもう今更俺と面識がないやつを近づける必要がない。お前は”逆勇舎”の人間だろう? 俺を罠にかけるために仁美に近づいたんじゃないのか?」


「逆勇舎……確かに、私は彼らと行動を共にしていたわ。でも、あなたを傷つけるためじゃない。そんな彼らの中で、私はあなたのことばかり考えていた……逆勇舎はあなたと私をつなげるきっかけでしかない」


 真帆の視線がシロウの胸元を泳ぐように動き、白いシャツの隙間にちらりと肌を見て恍惚とした吐息を漏らした。


「あなたに救われたあの日から、私は……ずっとあなたのことしか考えられなくなったの」


「……救われた?」


 神城シロウとして戦った数々の戦場で救った命は多すぎて、一人の顔を思い出すのは無理だ。そもそも顔を見ていない。


「あなたが……私を抱えて火の中から助けてくれたの。3年前のデパート火災、覚えてる?」


 真帆の声は子どもが母を呼ぶような切実さに変わった。


「あの時、煙の中で私に声をかけてくれた。『大丈夫だ』って。あの言葉がずっと、私を生かし続けたの……」


 3年前――勇者ランキングを駆け上がり、神城シロウとして“最強”を証明するために、どんな現場にも真っ先に飛び込み、誰よりも多くの人を救うことに執着していた頃だ。


 あの時の自分は、ただ「最強」の肩書きを保つことにしか興味がなく、人を助けることすら人気や評価のための手段だった。


(あの火災……たしかにデパートで爆発が起き、フロアが崩落しかけていた。煙で視界も悪く、火が四方を塞いでいた中で、何人もの避難遅れの市民を一気に救出した)


「あの日から私は、あなただけを見て生きてきた。ニュースやSNSであなたを追い続けた。あなたの声を何度も繰り返し聞いた。あなたがどんな敵を倒し、どんな姿を見せるのか、息を殺して追いかけてきたの」


 真帆は言葉を途切れさせ、胸の奥から絞り出すように続けた。


「でも……あなたが突然、姿を消してしまった。勇者庁が『神城シロウは行方不明』と公式に発表した時……私は、生きている意味を失いかけたの」


 そこまで言うと、真帆はベッドに片手をつき、ぐっと顔を近づけてくる。今にも触れそうな距離で、黒い瞳がシロウを射抜く。


「絶望感に満ちていた私は逆勇舎に誘われた……逆結を使えるようになって私は気づいたの。あなたほどの人が、ただの事故や戦闘で消えるなんてあり得ないって。協力な逆結の呪いをうけて、きっと別の姿で生きているはずだって……」


 真帆は震える唇で言葉を紡ぎ、感情を抑えられないように目を潤ませた。息が乱れ、肩が小さく上下する。だがその吐息は、恐怖や緊張のものではない。彼女の瞳には明らかに狂気が宿り、その熱はシロウの胸元に突き刺さるようだった。


「あなたが逆勇舎の根城を潰した時、私も援軍として呼ばれたの”神城シロウが現れたって”でも間に合わなかった。私が着いた時には、崩壊した根城と、瓦礫から這い出てくる白猫だった。私はやけにその白猫が気になった。」 


「その後もずっと、白猫を探した。似た白猫の目撃情報を集めて、街を歩き回った。勇者庁に潜り込んで情報を盗んだり、逆勇舎の仲間に探らせたり……でも見つからなかった。でも……」


 真帆は喉を鳴らし、小さく笑った。黒い瞳は狂気と陶酔の色を湛え、シロウの胸元を舐めるように見やる。


「講義の前、仁美ちゃんが写真を見せてきた。“最近拾った猫がいるの”って。スマホの画面に映っていたのは……真っ白で、どこか誇り高くて、私がずっと探していたあなたにそっくりな猫だったの」


「ずるい……ずるいわ……あんな普通の女の子に、あなたが心を許して、笑いかけて……! 彼女があなたを抱きしめているのを見て、頭がおかしくなりそうだった……!」


 シロウは黙って聞いていた。だが、表情は硬く、金色の瞳は真帆の言葉を寸分漏らさず捉えていた。真帆は息を整えようと一度目を閉じ、再びシロウを見据えた。


「だから……私が救わなきゃとおもったの!あなたの強さを知っている私が、あなたの”最強”を守らないとって!彼女は無垢で優しいけど、その優しさがあなたを弱くする。あなたは、そんな女に縛られていい人じゃない。誰よりも強くて、誰よりも特別な、神城シロウなのに!」


 声が張り詰め、真帆の声が部屋に響いた。だがすぐに声を潜めると、しとやかに微笑んだ。血の気の引いた頬、紅潮した耳、潤んだ目がその異常さを際立たせる。


「私のところにきて。逆勇舎を潰したいならいくらでも情報をあげる。あなたが元に戻れるようにいくらでも協力する。何も知らずにのうのうも生きている彼女にあなたはもったいない。だからお願い……」


 シロウは睨む視線に力を込めた。声は冷たく、夜気のように張り詰めていた。


「……黙れ。仁美を侮辱するな。俺は、彼女のそばにいると決めた。お前に何を言われようと、その決意は揺るがない」


 真帆の目が大きく見開かれたかと思うと、次の瞬間、狂気が爆発したように顔を歪めた。両手を振り上げ、シロウに掴みかかろうと布団を乱暴に蹴飛ばしながら立ち上がる。黒い瞳は理性を失い、むき出しの激情を滲ませていた。


 真帆の周囲を覆うように黒い結、逆結が立ち込める。


「なんで……なんで! あんな女のために……私よりもあんな女を選ぶなんて!!」


 真帆の声は金切り声に変わり、室内に甲高く響いた。シロウに向かって無我夢中で腕を伸ばす。だがその瞬間、空気を裂くようにシロウが動いた。次の瞬間、彼女の手首をがっちりと掴み、引き寄せる。


「……いい加減にしろ」


 シロウの低い声が、雷鳴のように重く響いた。真帆は息を呑み、全身を強張らせる。シロウの金色の瞳が、至近距離でギラリと光を放った。怒気に満ちた視線が真帆を貫き、圧倒的な気配が部屋の空気を凍らせた。


「知っているんだろう?今の俺は最強だ。お前が逆結に願いを込める前に、俺はお前の心臓を止めることができる」


 言葉というより宣告に近いその声音に、真帆の瞳が怯えで揺れた。頬が青ざめ、唇が小さく震える。だがその奥で、なおも諦めきれない執着が微かに灯っているのをシロウは見逃さなかった。


「っ……嫌……!嫌なの……あなたは私の……!」


 真帆は掴まれた手首を振りほどこうともがくが、シロウの力は微動だにしない。彼の圧倒的な存在感が、激情で突っ走った真帆の思考を強制的に冷やしていく。やがて肩を落とし、絞り出すように小さく呟いた。


「……わかった……今日は帰る。でも、あきらめない……」


 シロウは手を離し、一歩下がる。真帆は肩を上下させながら荒い呼吸を整え、乱れた髪をかき上げた。目に浮かぶ涙は怒りと悔しさ、そして狂おしい執着が入り混じったものだった。


「あなたは私のものよ……絶対に」


 床に散らばった荷物を荒々しくかき集めると、真帆はドアに手をかけ、振り返らずに部屋を出て行った。ドアが音を立てて閉まると、残された部屋には再び静寂が訪れた。


 真帆はひくりと眉を震わせ、しかしすぐに恍惚とした笑みを浮かべた。瞳には涙が光り、声は甘く絡みつく。


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