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第18話 復活の雷光1

 久我ハヤトは――飛び続けた。


 黒い羽を震わせて、3日と3晩、空を翔けた。人々の暮らしを遥か下に見下ろしながら。


 彼の細い足首には、“逆結探知機”が装着されている。重みはほとんど感じないが、その存在は常に意識の片隅にあった。


(まだ、鳴らん……)


 冷たい風が羽根を撫でる。昼も夜も構わず、ハヤトは旋回し、滑空し、地上の異変に耳を澄ました。


 鳥の目と聴覚は人間より遥かに優れていた。最初は戸惑ったがいまはよく聴こえ、よく見えることに慣れて来た。


(風の流れ。ネズミの走る音。……遠くの電車のブレーキ音まで聴こえる)


 夜の街を飛ぶときなど、煌めく街灯の一つひとつ。そこに暮らす人々の営み、誰かの話し声、テレビの音、泣き声、笑い声――そして時折混ざる、不穏な沈黙。


 結の反応はない。しかし逆結の兆しがある時、不幸が誰かを傷つける。


 この数日、無意識に“神城シロウ”を基準にして考えていることに気づいて、ハヤトは舌打ちするように小さく鳴いた。


(ちゃう。俺様は俺様や。あんな奴に、二度も背中見せるかいな)


 強く羽ばたいた。逆風を裂き、上昇気流をつかむ。


そのときだった。


 探知機が、微かに振動した。


 ピリ、と足首に感じた電気信号のような感覚。


(来たか……!?)


 ハヤトは速度を落とし、旋回する。探知機に備えられた小さな灯が、淡く赤く点滅していた。


(……西側。半径一キロ以内――)


 瞬時に方向を定めると、ハヤトは地面すれすれまで高度を下げ、ビルの谷間を滑るように飛んだ。


 夜の風が、羽毛を逆撫でする。


(これが……探知機が捉えた、“逆結”……!)


 凍るように冷たい風が吹いた。街の喧騒が、まるで消えたかのような静寂。


 ハヤトは注意深く、声もなく気流をたどる。


 すると――


 ハヤトは空中で羽ばたきを止めるように滑空し、倉庫の屋根へそっと降り立った。月明かりが斜めに差し込む路地裏は、生ぬるい夜気に包まれながらも、どこか不自然な冷たさがあった。


 その中心に、ぽつんといる少年。


 細い腕で膝を抱き、うつむいた顔は髪に隠れて見えない。けれど、確かに聞こえる――小さな声が、呪いのように繰り返されていた。


「……嫌いだ、嫌いだ、嫌いだ……ママも、パパも……あいつも、あいつも……みんな、みんな……嫌いだ……」


 吐き出される“言葉”は、ただの愚痴や憎まれ口ではなかった。


 それは――“願い”だった。


 憎しみという名の、最も危うい形の願い。”逆結”の源。


 少年の足元に、黒いもやのようなものが蠢いている。地面から浮かび上がるように、まるで何かを“生み出す”ための胎動が始まっていた。


逆結――勇者が使う結と真逆の存在。それは感情が歪んだ果てに生まれる“負の具現”。


 ハヤトはそっと羽ばたき、地面へと舞い降りた。小さな爪でアスファルトをつかみ、慎重に近づく。


 少年の身体がわずかに震えた。感情が昂ぶり、逆結がさらに脈打つ。


 カラスの存在に気づいた少年は、はっとしたように顔を上げた。


 その目には涙が溜まり、しかしその奥に――底知れぬ闇が揺れていた。


「……カラス……臭いし、汚い……僕にはカラスみたいのしか寄って来ない……僕は1人だ……」


 その言葉に、ハヤトは一瞬だけ、まばたきをした。


(酷すぎるだろ……そんな臭いんか……)


 冗談のように思えたが、すぐに、空気が変わった。


 少年の足元――黒いもやが、形を持ちはじめていた。


 輪郭をもった塊が、地面の陰から生まれてくる。じわり、じわりと這い上がるように。頭部のようなもの。手のようなもの。背中には、ひび割れたガラスのような結晶が刺さっている。


 それは明らかに、「精霊」と呼ばれる存在に近いものだった。


――精霊が出現する原因は解明されていない。


(俺様はとんでもない瞬間を目にしているんやないか?)


 ハヤトはアスファルトの上で身を低くした。風の流れ強くなった。地表を這うように、空気がざらついているのがわかった。


 まるで目に見えぬ砂粒が、喉にまとわりつくような不快さ。精霊が発生する時と同じ異常現象。


 少年の身体が、また震えた。


「……うるさい……全部……うるさいんだ……」


 少年の身体震えるそのたびに黒いもやが脈動する。生き物のように息づき、地面を這い、空間に染みこみ、世界の輪郭そのものを侵蝕していく。


「ママ、パパ……」


 少年の声が、か細く宙に消えかけたその瞬間――


 ぐらりと、少年の上半身が傾いた。

 膝を抱えていた腕に力が入らなくなり、前のめりに崩れ落ちる。額が、乾いたコンクリートにごつっと鈍くぶつかる音が響いた。


(……間違いない。出る)


 黒いもやの中心――感情が渦巻く核となり、そこに集まるように結晶質の物質が浮かび上がる。ひび割れたガラスのような背中。異様に長い四肢。歪んだ肋骨。むき出しのような心臓部が、ドクン、ドクンと赤黒く脈を打っていた。


 精霊の出現。


 目の前で起きている”精霊の誕生”を見つめていた。


(……精霊は……逆結によって生まれていたんか……)


 結の探知機は、すでに沈黙している。今この瞬間、探知機が探すべき“逆結”がこの場に存在しないことを示していた。


 それはハヤトも気付いていた。先ほどまで感じ取れていた黒く不気味な“逆結”の脈動が――今は、完全に消えていた。


(……逆結は、精霊を産んだ。いや生まれ変わった。願いが、形になった瞬間に……“結”そのものに変質したんや)


 ハヤトは静かに、しかし確かな衝撃をその胸に受け止めていた。


 少年は、精霊を生んだ。

 精霊は、少年の“嫌いだ”という強烈な拒絶から生まれた。

 ハヤトの喉が、乾いた風を吸い込む。


(これは、勇者庁にすぐにでも報告せなあかんやつや)


――それよりも……


(どうするんや……こんな身体の俺1人で、倒せるんか?)


 そう思う間にも、精霊の身体が、音もなく膨張していく。

 ガラス片のような背中の結晶は軋むように輝きを増し、皮膚のない四肢がぎこちなく地面を這い、確かな“存在感”を増していく。

 存在の大きさはA級精霊に匹敵するものだった。


(元の姿ならまだしも、どう止めろっちゅうねん……!)


 ハヤトの思考が焦りを帯びはじめたとき――


「……どこ?ママー?パパー?」


 精霊が喋り出す。濁った声だった。

 金属をこすり合わせたような、不協和音のような声。


「みんな、どこ?みんな……」


 ビルほどにまで大きくなった精霊が、首を――否、“それ”に似た器官を、ぎこちなく左右に振った。


 今、このまま放置すれば――この精霊は、半径数百メートルを“舞台”に変える。


 都市ひとつが、崩壊する。


「ママァアアアアァァァァ!!!」


 金属を軋ませるような絶叫が、空を裂いた。


 その声に反応するように、精霊の背中の結晶が激しく脈動し、赤黒い光を吐き出す。


 ハヤトは低く身構えた。カラスの小さな身体で、羽をすぼめ、爪を踏みしめる。


(俺様がやるんや!!!)


 そう心で叫ぶと同時に、ハヤトの視界が一気に狭まった。


 カラスの体では何もできないと、誰よりも本人がわかっていた。


 それでも、勇者ランキング5位のプライドが逃げることを許さなかった。


(“逆勇舎”の根城を潰した時も、神城に任せて俺は共に戦うことすら放棄していた)


 思い出す。あのとき、目の前で敵をなぎ倒す神城の背中を、ただ見ているだけだった自分を。


 どこかで「あいつがいれば俺はいらない」と思っていたことも、事実だった。


(俺様は神城シロウを超えるんや!!)


 叫ぶような怒りが、心の奥から沸き上がる。


 次の瞬間、バチッと火花が弾けた。


 カラスの羽根の中から、雷が奔る。

 脳裏で、何かが“許可”を与える感覚があった。


 (俺は……雷光の勇者、久我ハヤトや!!)


 ズンッ!


 空気が震えた。


 ハヤトの身体を、光が包んだ。


 それは、呪いの枷を内側から焼き破るような――一瞬の奇跡だった。


 カラスの小さな身体が、閃光の中で形を変える。


 羽根が裂け、骨が伸び、雷光が脊髄のように背を貫いた。


 青年のような――目に宿る決意は、かつてよりずっと強い。


 久我ハヤトが、人の姿を取り戻す。


『創結プラス変結混合結術――』

『《雷光剣》――』

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