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第13話 3人目の勇者

 路地の奥――車が一台、ひっそりと停められていた。黒い車体、目立たぬナンバー。明らかに“公式ではない移動手段”だった。


 シロウは自然と助手席に座った。田所が運転席へ乗り込み、静かにドアを閉める。


「ベルトをお締めください、神城さん。移動距離はそう長くありませんが……」


「うるせー、分かってる」


  当たり前だったこういったやり取りも、運転する田所の隣に座るのもやけに久しぶりに感じた。


 田所の言葉に淡々と返しながらも、シロウは車窓に目をやった。仁美の姿が、遠ざかる歩道の向こうに小さく残っていた。


「何だか神城さんを乗せて運転するのも久しぶりに感じますね。いうて1ヶ月ほどしか経っていないはずですが……」


「……」

「それで、誰なん……あっ」


 その瞬間、シロウの身体に違和感が走った。

 鋭い痛みでも、外傷でもない。もっと根源的な、“形が戻される”ような感覚――


「チッ、もう……時間だったか……」


 咄嗟に窓に手をつこうとしたが、指が、手が、すでに小さく縮んでいく。


 骨格が変形し、声が出せなくなり、視界の位置が低くなる。


 シュッという微かな風のような音とともに、神城シロウの姿は――白い猫へと戻っていた。


 運転席の田所はちらりと視線を向けたが、まるで予想していたように何も言わず、静かにアクセルを踏む。


「……分かってはいましたが、この子猫があの神城シロウだと思うとなんだか、面白いですね」


 田所は穏やかな声でそう言うと、前方の信号を確認しながらハンドルを軽く切る。


 助手席のシートにうずくまる白猫は、目を細めた。


 小さな尻尾が一度だけ、不機嫌そうに揺れる。


(コイツ、絶対内心笑ってやがる……)


 言葉にならない思考が、喉の奥でくぐもるように鳴った。

 人間の姿なら軽く皮肉を返せたが、今はただ、睨むしかできない。


 田所はそれでも一切気にせず、淡々と続けた。


「ですがご安心を。お連れする“あの方”は、あなたが猫の姿あろうと関係ありません。むしろ、猫のままの方が……お気に召すかもしれませんね」


 猫の目が細くなる。


 “あの方”――田所が繰り返すその人物が、果たして何者なのか。


 そいつが味方なのかも分からないまま、車は地下のスロープをゆっくりと下りていく。


 やがて、暗がりの中に鉄扉が見えた。警備の目はなく、ただ自動で開く無人のゲート。


 世間の目から隔絶された“勇者庁”の裏口――

 

 それは公式の出入り口とは別に設けられた、限られた者だけが知る地下経路だった。


 金属製のシャッターが無音で開き、車は静かに滑り込む。


 冷たいコンクリートの通路。壁には一切の標識もなく、無機質な蛍光灯の明かりが規則的に続いていた。


「着きました。この入り口は神城さんも初めてですかね。まぁ秘密の入り口ですから、あまり使うことないですからね」


 車が停車し、田所がドアを開ける。

 彼はシロウの姿にちらりと目を向けると、軽く腕を差し出した。


「歩けますか? 抱きかかえましょうか?」


(……ふざけんな。歩く)


 そう言いたかったが、もちろん声は出ない。

 代わりに白猫は無言で助手席からひょいと跳ね下り、足音もなく床を進んだ。


 田所の案内で奥へ進む。

 薄暗い廊下は無機質で、ただ靴音と猫の爪音だけが反響していた。 


 やがて、その先に現れたのは、一対の重厚な扉と、その横に設けられたエレベーターのパネル。


 カードキーと生体認証を兼ねた端末に、田所が静かに手をかざす。


 ピッ、と小さな電子音。

 そして、ゴウン……という鈍い振動とともに、古めかしいエレベーターが姿を現した。


「このエレベーターはなかなか乗れることないんですよ」


 田所が一言そう告げると、シロウ――白猫はため息でもつきたいような目をしながらも、さっとキャビンの中へ跳び乗る。

 後に続いて田所も乗り込み、静かに扉が閉まった。


 密閉された空間。

 エレベーターは一定の速度で、ゆっくりと上昇していく。


 田所は無言だった。

 猫のシロウもまた、黙したまま天井を睨みつける。


 思考だけが冷静に巡る。


 カチリ、とブレーキがかかり、扉が静かに開いた。


 そこは、先ほどの地下とはまるで違う空間だった。

 柔らかな間接照明。赤いカーペット。応接室のような落ち着いた空気――


 そして、その中央。

 ひときわ高級そうなソファの上に、優雅な姿で腰掛けていたのは――


 白銀の毛並みを持つ、大型の犬。

 気品と風格を纏い、王族のような雰囲気を湛えている。


 「よく来たわね」


 女の声だった。

 落ち着いた低音――若々しくも、どこか“年の功”を感じさせる声音。


 白猫の瞳が細くなる。

――現勇者庁長官、鷹森ユズハ。


長い銀髪をゆるくまとめ、品のあるスーツを着こなした女性。年若く見えるが、その眼差しには歴戦の鋭さと深い洞察が宿っている。


 どこか大学生のような若々しさを保ちながらも、背筋はまっすぐで、場の空気を支配する威圧感すら漂わせていた。


――勇者庁の最大権力者でありながら、その実は勇者ランキング3位に位置する結の使い手。


 彼女は優雅に微笑みながら、エレベーターの前に歩み寄ってくる。


 田所が無言で一礼し、一歩引いた。


「心配したのよー!!めちゃくちゃ探したのよー!!その姿も可愛いわねーー!!よーしよしよし」


――と、第一声とともに、彼女はしゃがみ込み、ためらいもなくシロウの頭を撫で始めた。


(やめろ……この女……! 年増のくせに――)


 大学生くらい若く見えるが、結で細胞の老化を抑えているだけで、かなりの年齢のはず……だがその実年齢は誰にもわからない


 白猫のシロウは即座に後退ろうとしたが、素早く頬を包まれ、もふもふと頬ずりされる。


「ちょ、てめ、やめろって……!」


 出るのは鳴き声だけだった。


「ふふ、怒った顔もまた愛らしい。ほんと、猫になってもシロウくんはシロウくんね」


 ユズハは満足げに頷くと、ようやく手を離して立ち上がる。


「――さて。冗談はこの辺にしておきましょうか」


 表情がすっと切り替わった。目の奥に宿る光が、途端に鋭さを取り戻す。


「手荒な真似をしてしまってごめんなさいね。それでもどうしてもあなたと接触する必要があったの?」


(そうだ、こいつらは仁美を巻き込もうとした)


 シロウはユズハを睨みつけたまま、前足でカーペットを踏みしめる。


 鳴き声しか出せない猫の姿でも、その瞳の怒りは隠しようがなかった。


 ユズハはシロウの表情を読み取ったように、ふっと微笑んだ。


「私たちは、A級精霊エチュードの件の時も、黒い結を使う組織の根城を壊滅させた時も、あなたが現れた情報を入手していたの。そして各地のカメラ映像を確認したところ共通して映っていたのが白い猫だった……」


 ユズハは言葉を区切るようにして、一歩だけ近づく。


「白くて、気高そうで、やたらと事件の近くに現れる猫。それでも流石に白猫=神城シロウだとは考えなかったわ。私がこんなことになるまでは……」


 そう呟いたとき、ユズハの指先がすっとスカートの裾に触れたかと思うと、次の瞬間。


 ――光が一閃した。


 気配が変わった。


 白猫のシロウが反射的に身構えると、目の前にいたのは――さっきまでの人間の姿ではない。


 光が静かに収まり、そこにいたのはーー


 濃い琥珀色の毛並みを持つ、大型の犬。ゴールデンレトリバー。


 柔らかな光沢を帯びた深いブラウンの毛並み。耳は優雅に垂れ、瞳は人間だった頃と変わらぬ、研ぎ澄まされた聡明さを宿していた。

 堂々たる体躯は威厳に満ちており、そのたたずまいはまるで貴族の番犬のような風格を放っている。


「この姿こそが、いまの私の“本当”よ」


 結で伝わる……低く落ち着いた声――だが、確かにユズハの声だった。


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