77 リーリエ、びくびくする
昨日の朝、いきなりヒューイット伯爵から「会って話がしたい」という連絡が来た時は、びっくりした。そして、丘の上で転移してきた伯爵と会い、彼の話を聞いて、さらに驚いた。
「えええっ! 魔王軍の幹部を……本気ですか?」
「ああ、千載一遇のチャンスだと考えている。どうか、協力をお願いしたい」
「は、はい、ちょっと考えますので、お待ちを……」
私はそう言うと、ない頭を振り絞って必死に考えた。
(やばいよ、どうしよう……でも、確かに伯爵様の作戦は面白い。うまく魔王軍の幹部を亜空間の中に閉じ込めることができたら、リオンたちにとって大きなメリットになる。でも、失敗して、この道具が魔王軍に知られたり、奪われたりすれば、逆に世界の破滅につながってしまう……うわあ、ここは失敗しないようにきっちりと作戦を立てなければ……)
しばらく必死に考えた後、私は顔を上げて伯爵様を見つめた(なぜか目をそらされたけど…)。
「分かりました、協力いたします。ただし、失礼ですが、今、伯爵様がお話になったやり方では危険が多すぎます。ですから、こうしましょう……」
こうして、短い時間で作戦を話し合った私たちは、それぞれの場所で緊張しながら作戦を進めていったのだった。
『作戦成功』……その短いメモを丘の上で見つけた私は、石の箱を回収して自分の部屋に戻った。そして、ロナン宛てにメモを送った。
『石の箱をすぐに砕きなさい。理由は後で話します。新しいものもその時渡します。ためらわず、すぐにやりなさい』
それから、覚悟を決めて石の箱をハンマーで粉々に砕いたのである。
あとは、伯爵様がうまく魔王幹部を〝亜空間に収納〟できたかどうかだ。私はいろいろな意味で、内心びくびくしながらその日を過ごした。
そんな眠れない夜が明けた朝、私は朝食の後、家族に私とプラムだけで来客と会う旨を告げた。
「心配しないで。今はまだ紹介できないけれど、とても誠実で信用できる方よ。あ、誤解しないでね、そういう関係の人じゃないから……やめて、お父さん、そんな疑いの目で見るのは……」
「い、いや、だって、心配なんだよ。こんな美人で気立てのいい娘なら、男が放っておかないだろう、なあ、レーニエ?」
「ええ、そりゃあ心配よ。でも、リーリエちゃんは賢いし、男の人を見る目も確かだし、私たちを心配させるようなことはしないと信じてるわ」
「うん、お母さん、ありがとう」
「あはは……レブロン、あまり干渉しすぎる父親は嫌われるよ。この子なら何の心配もいらないさ。でも、あたしが生きているうちに、リーリエの花嫁姿は見たいものだね」
「おばあちゃん……もう、まだそんな年じゃないでしょ? それに、私はまだ十五だよ。もうすぐ十六だけど、まだ、結婚なんて当分先のことよ(今のところ、結婚する気はあまりないけどね)」
そんな話をした後、私とプラムは手早く〈オーク肉のカツサンド〉と〈数種のハーブとラディッシュのサラダ〉を作り、自家製ワインとともに籐製のバスケットに入れて、丘の上に向かった。
成功しても失敗しても、報告に来ると、伯爵が約束していたからだ。
伯爵の到着を待つ間、私とプラムは『新しい転移門』の制作にいそしんだ。
プラムは、数種類の薬草をすりつぶし、それに松ヤニを燃やして採取した煤を混ぜて特殊な塗料を作っている。その横で、私は近くの岩から土魔法で直方体の岩を切り出し、それを箱の形に成形していた。
「お嬢様、できました」
プラムがそう言って、陶器のカップにドロドロの黒い塗料を入れて持ってきた。
「うん、ありがとう。こっちも、あと一つで終わりよ」
私はそう言うと、四個目の石の箱を集中して作り始めた。本当は六個くらい作っておきたいところだが、今は緊急なので、とりあえず私用と伯爵用、そしてロナンたち用、予備を一つということにした。
問題は、新しい転移陣のデザインとちゃんと機能するかの実験だ。特に、デザインは苦手なので頭を悩ませた。
「あ、ねえ、プラム……」
「はい、何でしょう?」
「今、ふと思ったんだけどさ……亜空間の中って、息ができるのかな? 地面てあるの?
たぶん、真っ暗闇だよね?」
私の問いに、プラムはしばらくじっと私を見つめてから、ふっと微笑んだ。
「お嬢様は、本当にお優しいですね。亜空間に入った魔王の幹部たちのことを心配されているのでしょう?」
「うん……まあ、悪い奴らだと分かっているけど、自分が亜空間に閉じ込められたらって考えると、やっぱり気が狂うほど怖いって感じるのよ」
「そうですね……あ、でも、神様たちには彼らが見えるんじゃないでしょうか?」
プラムの言葉に、私は目を開かれた思いで感嘆の声を上げた。
「ああ、なるほど……いや、きっとそうだわ、さすが、プラム。神様の世界では、きっと空間や時間なんて無いのも同然でしょうから、見えているわよね。そして、どうするか、考えてくださるわよね。ラクシス様、アポロトス様、ご迷惑をおかけしますが、どうぞ、よろしくお願いしますね」
私はそう言うと、空を見上げながら手を合わせた。
『まかせなさい』
そんな声が、天から聞こえてきたような気がした。
♢♢♢
そろそろ昼になるという頃、ヒューイット伯爵が巨大なこうもりの姿で丘の上に飛んできた。
「やあ、待たせたね」
彼は人間の姿に変わると、何やら上機嫌で微笑みながら私たちに近づいてきた。
「お待ちしておりました。その御様子だと、うまくいったようですね?」
私は用意していたテーブルへ伯爵を招きながら尋ねた。
伯爵は椅子に着くと、にこやかに頷いた。
「ああ、君の見事な作戦のおかげだ。心から感謝する」
「いいえ、伯爵様の勇気あるご決断の結果です。実を言うと、夕べは不安であまり眠れませんでした。今も、内心はびくびくしているんです。何かの拍子に、その幹部たちが亜空間から出て来やしないかと……」
「うむ……私も実のところ、空間魔法については詳しくはない。だが、少なくとも一週間経っても出てこないときは、安心していいだろう。それまでは、私の方でも油断なく監視を続けるつもりだ」
私は伯爵の言葉に頷くと、プラムに合図した。プラムはマジックバックから、用意していたサンドイッチとワインを出して、テーブルに並べた。
「夜通し飛んでこられたのでしょう? 軽くお食事をとられて、しばらくお休みになられてはいかがですか?」
「おお、これは……何とも逆らい難い誘惑だな、あはは……では、遠慮なくそうさせていただこうか」
伯爵はいかにも嬉しそうにそう言うと、私が注いだワインを一気に飲み干した。
「おお、何とも芳醇な味わいだ……すまぬが、もう一杯所望できるか?」
「ふふ……遠慮なくどうぞ。野生のブドウとプラムを混ぜて作った自家製のワインです」
「なるほど、プラムの香りか……これは旨い。良かったら、作り方を教えてくれないか?」
「ええ、喜んで……」
早春の風はまだ肌寒かったが、丘の上の小さなテーブルには日差しが溢れ、和やかな笑い声に満たされた空間は暖かだった。




