67 転移魔法 1
「な、何だと? 《無詠唱魔法》、そんなものが三日で習得できるはずがなかろう」
イリスの兄トーラス王子は、その無謀な課題に憤って叫んだ。
「うむ、トーラス殿のご意見はもっともだな。無詠唱魔法は、あくまでも魔法使いにとっての夢だが、いまだ歴史上成し遂げた者はいない。虹の彼方の夢だ」
「それが……」
セドル伯爵がいかにも言いにくそうに、渋い表情でつぶやき、こう続けた。
「……これからお見せするものは、どうかこの場にいる方々だけに秘密にしていただきたいのですが、よろしいですかな?」
トーラス王子、オルセン侯爵、ブレンダ、イリスが怪訝な表情ながらも頷いた。セドル伯爵はそれを確認すると、息子の方に顔を向けて頷いた。リオンも頷き、今度はロナンと頷き合った。
二人は、鍛錬場の方を向いて並び、同時に右手を前に突き出した。次の瞬間、リオンの手からは炎が、ロナンの手からは風が吹き出し、その二つの魔法が合体して炎の渦となって鍛錬場の奥まで行くとゆらゆらと空中に消えていったのだった。
トーラス王子たちは、ただ唖然とした顔で、その炎の渦が消えた空中を見つめていた。
「……信じられん…まさか、本当に《無詠唱魔法》は実現していたのか……」
「こ、これが、勇者の力……」
「いいえ、これは私に与えられたものではなく、私が師と尊敬する方に教わったものです。ですが、その方の身の安全のため、どうか、このことは皆さんの胸に納めて外に漏らさないでください」
リオンは深く頭を下げて頼んだ。
「うむ、もちろん約束は守る。だが、リオン殿、これは世界の歴史を変える発見ですぞ。魔法学の発展と進歩のためには……」
オルセン侯爵の言葉に、リオンは頷いてこう言った。
「はい、それは分かっています。今はできませんが、魔王を倒し、世界が平和になったあかつきには、先生にお願いして、この魔法理論を公表できたらと思っています」
「すごい……すごいです。リオン様、私にやり方を教えてください。必ず、三日で習得して見せます」
イリス王女が、目をキラキラさせながら言った。
「わ、私にも教えてもらえないだろうか? 魔法は一応少しは使えるのだ」
ブレンダもすがるような目で、そう言った。
「分かりました。お二人にはこれからやり方を……」
リオンがそう言いかけた時、トーラス王子が遮るように身を乗り出した。
「待ってくれ。こんなすごいことを、みすみす見逃すことなどできるものか。私も参加するぞ」
「おお、トーラス殿、奇遇ですな。実は、私もそう思っていたところです」
リオンは困った顔で、父親の方に目を向けた。
「あはは……いいではないか、リオン。ただし、トーラス殿下、オルセン殿、やり方が分かったからといって、誰にでもできるとは限りませぬぞ。それで短気を起こされても困りますが、よろしいですかな?」
「ああ、もちろんだ。理論を学ぶだけでもこの上ない喜びだからな」
侯爵の言葉に、王子もしっかりと頷いた。
こうして、ブレンダ、イリスの二人の候補者とその後見人の侯爵と王子も、プロリア公国での滞在期間を延ばして、無詠唱魔法の習得に励むことになったのであった。
♢♢♢
「はい、お母さん、これ飲んで」
私の差し出したカップを見て、お母さんは眉を八の字に下げ悲しげな眼で私を見た。
「またこれ飲むの?」
「そうだよ。赤ちゃんのためなんだから、文句を言わないの」
「んん…だって、これ不味いんだもん……」
お母さんは泣きそうな顔で、でも仕方なくカップを両手で持ち、ちびちびと飲み始めた。
「せっかく、リーリエが作ってくれたんだから、ちゃんと飲まないとね」
お母さんのベッドの横で、赤ちゃん用の毛糸のケープを編んでいたおばあちゃんがニコニコしながら言った。
「うん、じゃあ、おばあちゃんにも、はい」
私がもう一つのカップを差し出すと、おばあちゃんは途端に小さく首を振った。
「あ、あたしゃいらないよ。赤ちゃん産むわけじゃないし……」
「ふふ……これ、誰が飲んでもいいのよ。代謝が良くなるから肌もきれいになるよ」
「え、そ、そうなのかい? じゃあ、飲んでみようかしら……」
カップを受け取ったおばあちゃんは、お母さんと目を合わせて、二人で同時に一口飲んだ。まあ、その後の二人の私へのごうごうたる非難は、ご想像にお任せする。
家族の中での私の役割の一つは、〈鑑定〉のスキルを活かしたいろいろな薬の開発だ。去年、牧場の牛が間違って毒草を食べてしまい、その毒を消す薬を探したのがきっかけだった。私の《聖属性魔法》は、ケガやアンデッドの魔物に対しては効果があるが、毒に対しては、完全に毒を消すことができなかった。たぶん、鍛錬が足りないせいだろう。まだ、ランクが3なので、5以上になれば毒も消せるのではないかと期待しているのだが……。
それまでは、自然が与えてくれる恵みを大いに利用させてもらおうと思っている。おかげで、今では胃腸の薬などの常備薬と解毒剤など特殊薬が十数種類、レシピとしてメモ帳に記録されているのだ。
それと、もう一つ、今夢中になって取り組んでいることがある。今日も、昼食が終わって、夕方までの自由な時間、丘の上でうんうん唸りながら、そのことに没頭していた。
「お嬢様、お茶をお持ちしました。少し休憩なさってください」
「ああ、プラム、ありがとう……うん、そうだね、気分を切り替えるのも大事だよね」
私は、メモ帳を閉じてプラムの隣に座った。
「やっぱり魔法陣について、ちゃんと勉強しないとダメなのかなあ……」
私は愚痴をこぼした後、プラムが淹れてくれたハーブティーを一口すすった。さわやかな香りが鼻から抜けて、もやもやした気分をスーッと晴らしてくれるようだった。
「不思議ですね。結界の場合は、お嬢様が作られた図形で上手く発動したのに、《転移》の場合は上手くいかないなんて」
「そうなのよ。やっぱり、《転移》の方が高級な魔法だから、適当な魔法陣じゃ言うこと聞いてくれないのかもね」
私の言葉に、ハーブティーをすすっていたプラムは、思わずむせながら笑った。
「けほっ……あはは……《転移》魔法って、まるで、いけ好かない貴族みたいですね。なんとかぎゃふんと言わせたいものです」
「ふふ……そうだね……高級か……ねえ、プラム、〝魔石〟にもランクはあるよね?」
私は、ふとひらめいてプラムに言った。
「はい、ランクはあると思います……あっ、そうか…魔石を……」
プラムも私と同じことに気づいて、目を輝かせた。
私は急いでマジックバッグから、収納していた〝魔石〟をすべて外に出した。とたんに私たちの前には、大小、色も様々な魔石が山のように積み上がった。
「あ、これ、この前討伐した地竜の魔石、これは高級よね?」
私は、赤紫色に輝く大きな魔石を手に取って尋ねた。
「はい、間違いありません。この、オーガキングの魔石も高ランクだと思います」
プラムは頷いて、濃い紫色の魔石を手に取った。
「うん、じゃあ、まず、オーガの魔石で試してみようか」
私たちはワクワクしながら、いつもの《転移魔法》の実験に取り掛かった。




