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45 《閑話》 吸血伯爵の見つめる先は……

 吸血鬼は、〝昼間は太陽の光を避けて眠り、夜起きて行動する〟という説は、確かに一般の吸血鬼には当てはまる。彼らは、太陽の光に含まれる聖属性の魔力にさらされると、存在が消滅させられるのである。

 だが、それはあくまで一般の吸血鬼に当てはまることで、〈真祖の吸血鬼〉には当てはまらない。彼らは、普通の人間と同じように生活している。太陽の光は彼らにとっても嫌なものだが、さしたる影響は受けない。


 ゲールランド大陸のほぼ中央にある小さな独立国、ヒューイット公国の領主、イアン・ヒューイット伯爵は、その〈真祖の吸血鬼〉だった。(彼が吸血鬼になったいきさつは、23話に述べたので、参照されたい。)


 ヒューイット伯爵は、吸血鬼になったことを悔やまない日は一日もなかった。確かにやむにやまれぬ事情があって、自ら吸血鬼になることを選んだのだが、彼は常々思っている、『吸血鬼は、この世界にいてはいけない存在である』と。


 彼が、この千年余の長い日々を生き延びてきた理由は、ひとえに彼の領地とそこに住む領民への責任感からだった。自分が死ねば、ここは再び他国の王に支配され、自分の過去の旧主のような非道な為政者のために苦しむかもしれない。それならば、いっそ、不老不死の化け物である自分がこの領地を支配し、他国の魔の手を阻止しながら、領民を守り抜くことができれば、自分が存在することにも一つの意味があるのではないか。

 彼は、そのために生き続けた。


 生き続けるためには〝生きた人間の血〟を体内に入れる必要がある。だが、罪もない領民の血を吸うことはできない。そのため、彼は罪人を探し、襲い、その血をすすった。それは、喉の奥に入れることもためらうほど不純な味だった。しかし、生きていくには贅沢など言ってはおれない。しかも、彼には眷属の部下たちも数名いるのだ。彼らの分も確保しなければならない。


 そうした日々が続く中で、伯爵はなんとか人に害を与えず血を得る方法はないかと考え、側近で錬金術の研究をしていたライカ・スタッガーに相談した。彼女は、何か思う所があったらしく、自信に満ちた表情でその研究を引き受けた。


 その日から三百年余り後のある日、ついに、ライカは伯爵の問いに対する一つの解答を導き出し、その成果を伯爵に披露した。今から五百年以上昔のことである。


「こ、これは……」

 ヒューイット伯爵は、目の前の大きなガラスの容器に入っているモノを見て、衝撃のあまり言葉を失った。


「これは、人間の心臓と骨髄を培養した、一種のホムンクルスでございます」


「ホ、ホムンクルス!? つまり、生きているのか?」


「はい。ただし、生きていると言っても、知能はありません。栄養を与えなければ死んでしまいます。でも、生きている限り、無限の血液を生み出してくれます」


 伯爵は、これが完成するまでに、どれほどの数の罪人の命が失われたかを考え、気が遠くなるように感じた。しかし、これが、今のところ考え得る限り最良の答えであることは理解できた。このホムンクルスを、大事に育てていけば、もうこれ以上他の人間を襲う必要もなくなるのだ。


「よくやってくれた。これの維持に必要な経費はすべて私が出そう。できれば、もう一体、予備を創ってくれ。ご苦労であった」


 こうして、伯爵の長年の願いはかなえられ、公国はそれ以降、長く平和な時代を送ることになった。吸血伯爵の噂は、当然周囲の国々にも広まり、どこの国も交流をしようとはしなかったし、あえて敵対して軍を差し向けようともしなかった。言わば、触らぬ神に祟りなし、という態度で、関わろうとしなかったのである。

 時折、功名心に駆られた冒険者や、どこかの国の暗殺者が密かに伯爵の命を狙ったこともあったが、誰も母国に帰ってくることは無かった。


 一方、公国内の領民にとって、伯爵はこの上もなく良き領主様だった。税金は極めて安く、公共の施設やサービスは至れり尽くせりだった。だから、たとえ本当に伯爵が吸血鬼だとしても、領民たちは他の国へ移住しようとは微塵も思わなかった。

 しかも、長年、伯爵とその部下たちが周辺の盗賊や国内の悪人たちを狩り続けてきたため、悪の芽は完全に摘み取られ、近づこうという悪人さえいなくなったのである。


 自ら望んだ鎖国ではなく、周囲から自然と鎖国状態に追い込まれた公国だったが、国内は平和で食料も有り余るほど豊富であり、人々はどの国の国民より豊かな暮らしを享受していた。そのことは、どこからともなく噂となって周辺の国々の民衆の間に広まっていった。

 貧しさに苦しむ人々が、少しずつ、公国に逃げてくるようになった。小さな国なので、大量の移民は受け入れられなかったが、伯爵は、出来るだけ苦しんでいる人たちを受け入れていった。


 現在、ヒューイット公国の人口は三百万に近づいている。伯爵は、今後のことを考え、周辺の国々と交渉し、未開の土地の買収交渉を進めていた。

 吸血鬼を恐れる国々は、なかなか交渉に応じようとはしなかった。ただ、南の小国ラーシア王国は、度重なる暴風や干ばつなどの自然災害のため、国が疲弊しきっていたため、一縷の望みを託して、公国との交渉に応じたのであった。



♢♢♢


 伯爵からの親書を受け取って読んだラーシア国王は、その内容に驚いて、にわかには信じられない気持ちだった。

 その内容とは、


一、 自分の国は小国で、増えすぎた領民を養う土地がなくなった。そのため、ぜひ貴国の未開の土地を買い入れたいということ。

二、土地の開拓は、費用、人員含めて公国がすべて受け持つこと。

三、開拓が終わったあかつきには、その土地を自由交易都市とし、お互いの国民が自由に出入りし、住めるようにすること。


 というものだった。


 あまりにもラーシア側にとって利益の多い話だったので、家臣たちの中には公国側の策略を疑う者も多かった。

 しかし、王国の使者兼調査団一行が、公国を訪問して、その善政と領民たちの豊かな暮らしぶりを見聞し、帰国してから報告すると、反対者たちの考えも一変した。


 結果、二つの国は友好な関係を結び、国境地帯の広大な森や荒れ地の開拓が進んでいった。

 現在、まだ開拓は半ばだったが、交易路は開かれており、そのおかげで王国は存亡の危機から救われたのだった。



「伯爵様、海の向こうの大陸から、オーガキングの使者という者が来ておりますが、いかがいたしましょう?」

 公国に初めての雪が降った日の夕方、執事が伯爵の執務室を訪れてそう告げた。


「っ! オーガキングだと? しかも、こんな時間に訪れるとは、魔物には礼儀もへったくれもいらぬというわけか……まあ、いい、応接室に通せ」


「はっ」


 執事が頭を下げて出ていくと、伯爵は険しい表情で椅子から立ち上がった。

 自分は確かに魔物だが、オーガのような下劣な魔物と一緒にされたくないという強い怒りの感情が湧いていた。


「待たせたな。私がヒューイットだ」

 伯爵は、応接室のドアを自ら開いて、つかつかと部屋の中に入って行った。


 中央の客用のソファに座っていたのは、魔法使いの格好をした黒髪、黒い目の女と、もう一人、同じような黒いローブに身を包んだ背の低い、ひどく醜い老人のような男だった。


「これは伯爵様、お初にお目にかかります、べリシアと申します。こっちは私の部下でブコですわ。どうぞ、よしなに」

 二人は一応立ち上がって頭を下げたが、ブコというおそらくゴブリンが進化した魔物と思われる男は、下から悪意に満ちた目で伯爵を睨みつけていた。


「そうか。それで、どんな用件で参られたのか?」


 女の方は、おそらくネクロマンシーであろう、どす黒い魔力が体から漏れ出ていた。彼女は、妖しい笑みを浮かべながら、媚びるようなしぐさでこう言った。

「まあ、見かけによらずせっかちな方ですのね。ふふふ……はるばる海を越えて来た者に、ワインの一杯もご馳走して下さらないんですの?」


 伯爵は薄笑いを浮かべながら、心の中で唾を吐いていた。彼は、侍従に無言でワインを持ってくるように合図してから、こう言った。

「私は、他の吸血鬼とは違って、夜はゆっくり眠ることにしているのだ。明日の政務に差し支えるのでね。だから、話は早く切り上げたいと思っている」


「あら、これは失礼しました。太陽が沈んでからの訪問がよかろうと思い、この時間にしましたのに、かえってご迷惑でしたわね。ふふ……分かりました、お話します……」

 ネクロマンシーの女は、〝吸血鬼風情が何を言っている〟と言いたげな表情で、笑いながら続けた。

「……わが主、ザメロス様からの言伝(ことづて)です。吸血鬼の王よ、(われ)が魔王となったあかつきには、我がもとに馳せ参じよ。我とともに人間の国を滅ぼし、世界を我らが手に収めようぞ、以上です」


「ほお、魔王が生まれるのか、久方ぶりだな」


「はい。わが主は、先日旧敵のオークキングを倒し、オーガキングとなられました。残る古竜のじじいブロドンを葬り去り、その心臓を食らうことができれば、オーガエンペラーに進化なさいます。あと三年、遅くとも五年の内には魔王となられるでしょう」


「神にも近い存在の古竜エンシャントドラゴンを、そう簡単に倒せるかな?」


「キングとなられた主のお力と、我ら配下の総力を結集すれば、必ずや……」


 この時、伯爵は〝自分は領政にしか興味はない、よって、魔王、人間どちらにも(くみ)しない〟と答えるつもりだった。

 だが、不意に心の声がそれを止めた。相手は魔物だ。人間に対するような理屈は通じない。先ほどのように答えれば、恐らく、相手は魔物や悪人を使って、我が領内の民を人質にしたり、殺したりして無理矢理魔王側に引き込もうとするだろう。今、開拓が行われている国境辺りは特に危険だ。それならば……


「分かった。よかろう。ただし、我が領内の兵力はわずかだ。だから、人間との戦には助力できない。だが、魔王が人間界を征服したあかつきには、僕となって、ともにこの世界を支配する手助けはしよう」


 女とゴブリンの男は、にやりと嫌らしい笑みを浮かべた。

「承知しました。主にはそのように伝えましょう。できれば、その旨、誓約書にしていただけますか? 言葉だけでは、主も納得しないかもしれませぬゆえ」


「うむ。よかろう、しばし待て」

 伯爵は頷くと、自分の執務室に戻り、先ほど答えた内容を羊皮紙にまとめて、自分のサインを書き、最後にロウを垂らして封緘印を押した。


 書類を持って応接室に戻ってみると、女たちは、余裕の表情で執事が持ってきたワインを飲んでいた。


「これでよかろう」

 伯爵は、そのルビー色の瞳で冷たく女とゴブリンを見下ろしながら、羊皮紙を渡した。


「……はい、結構ですわ。では、盟約の証に〈血の誓約〉を交わしましょう」


「いや、それはできぬ。無理矢理、戦場に引っ張り出されてはかなわぬからな。〈血の誓約〉は、魔王が世界を征服した後にしたい」


 女とゴブリンの目に、一瞬、憎らし気な色が浮かんだが、女はすぐにそれをごまかすように微笑みを浮かべて言った。

「そうですか、仕方ありませんわね。ですが、くれぐれも、この誓約の内容をお守りくださいませね。わが主は、裏切りを決してお許しにはなりませんから」


「ああ、分かっておる」


 女とゴブリンは目を合わせると、ソファから立ち上がった。

「では、我々はこれで。とても有意義な時間でしたわ。そうそう、ワインはもう少し時間をおいて寝かせたほうが、さらに風味が増しますわよ、ふふふ……では、ごきげんよう」


 女は、そう言うとゴブリンとともに、すでに暗くなった闇の中へと消えていった。


 応接室の窓を開けて、それを見ていた伯爵は、憎々し気に窓の外に唾を吐くと、荒々しく窓を閉めて自分の部屋に帰っていった。


(ふん……そうやすやすと人間がお前らごときに屈するものか。せいぜい今のうちに有頂天になっているがいい)

 伯爵の赤い瞳は、窓の外の暗闇のもっと先にある、神々しい夜明けの光を見つめるように輝いていた。


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