41 小さな勇者の冬休み 3
「では、今日は前回に引き続き、無属性魔法の一つ、〈結界〉について学んでいただきます。男爵様には、先日少しお話しましたので、今日は実技を中心にやっていただきます。ケビン様とリオン様は、初めてなので難しいかと思いますが、まずはご覧になっていて下さい」
リオンの目の前に、何か現実離れした世界が繰り広げられていた。先ず、教師である少女魔導士の言葉の意味が理解を越えていた。
もちろん、〈無属性〉も〈結界〉も言葉としては知っている。だが、どちらも書物の中でしか知らない言葉であり、一方は実在するものの〝何の役にも立たない存在理由が不明〟の魔法属性であり、もう一方は、実在さえ不確かな〝伝説上〟の魔法、という認識だった。
それを、今、少女魔導士は〝実在する〟魔法として、見せようとしている。しかも、それを伝授するというのだ。
リオンは、いつしか興奮に息を荒げながら、食い入るように少女魔導士の一挙手一投足を見つめていた。
それは、もちろんケビンも同様だった。初めは、少女の美貌に心を奪われ、浮かれた気分で見ていたのだが、彼女の話とその実技を見聞きするうちに、驚愕の感情に包まれていた。
「はい、今、私の前には、高さ2ラリード、幅1ラリードの盾状の結界があります。実際にあるかどうか、確かめてみましょう。ロナン、正面から私に向かってウォーターランスを撃ってみて」
「はい、姉様」
ロナンはニコニコと頷くと、五メートルほど離れて姉の正面に立った。そして、右手を前に突き出すと、いきなり水の槍を放ったのである。
あっ、という声が見学者一同から同時に上がったが、それは、水の槍が少女魔導士の前で弾かれ、霧散したことに対してだけではなかった。
「ちょ、ちょっと待ってっ!」
リオンは、思わず声を上げてロナンのもとに走り寄っていた。
「ねえ、君、い、今、詠唱なしで魔法を放ったよね、どうやったの?」
リオンのあまりの勢いに、ロナンは驚いた顔で少し後ずさった。
「えっ? ど、どうって……うーん、逆に聞くけど、なんで詠唱する必要があるの?」
そう問われて、リオンは大きく目を見開いた。
「あ、いや、それは魔法学の基礎で、魔法を発動した後の確かな映像を言葉で紡ぐことで、無駄な魔力を使うことなく、かつ迅速な発動を……」
「つまり、確かなイメージと数値化さえすれば、自分の思い描いた魔法が発動するってことだろう?」
「……イメージと…数値化……」
リオンは、その後の言葉を失った。確かに、自分が言ったことを簡潔な言葉で表現すれば、確かなイメージと数値化だったからだ。
「リオン君、すぐにはなかなか理解できないだろうが、先生の話を聞いていれば、理解できるようになる」
男爵は、リオンの姿に先月までの自分の姿を重ねて微笑みながらそう言った。
「さあ、先生、続きをお願いします」
こうして、シーベル男爵の個人授業は滞りなく進んでいったが、リオンとケビンにとっては、まさに新しい世界の扉が開かれたような感動の連続だった。
特に、リオンは、幼いころから魔法の才にも剣の才にも秀で、もうこれ以上学ぶことは無いのではないか、と多少うぬぼれていた自尊心が粉々に砕かれる思いだった。しかし、それは決して不快なものではなく、むしろ心が沸き立つような喜びであった。
(まだ、この世には、こんなにも不思議な、こんなにも深遠な魔法の世界がある。まだまだ、僕が学ぶべきことはたくさんあるんだ……)
リオンは、目の前でいとも当たり前のように無詠唱で、伝説級の魔法を次々と見せてくれている少女を、いつしか限りない憧れ、いや信仰とも言うべき思いで見つめていた。
「それでは、男爵様、今日の個人授業はこれで終わりです。ありがとうございました」
「「「ありがとうございました」」」
リオンもケビンも、男爵とともに自然に大きな声で感謝の言葉を口にし、頭を下げていた。
「ね、ねえ、君、ああ、ロナン君だっけ、ちょっといいかな」
姉の手伝いを終えて、ほっと一息ついたロナンのもとに、リオンが走って来て声をかけた。
「えっ、僕? ええっと……」
ロナンはびっくりして、姉の方を見た。
「ふふ……まだ、魔導士さんたちへの講義までには時間があるからいいわよ。お茶の用意をしておくわね」
姉の言葉に、ロナンは頷いてリオンの方を向いた。
「うん、分かった。では、いいですよ、リオン様、何でしょうか?」
「ああ、ありがとう。ロナン君、君は魔法だけじゃなく、武術も相当鍛えているんだろう?」
「え? ど、どうしてそう思ったの、でございますか?」
リオンは笑いながら、ロナンを促して壁際のベンチに一緒に座った。
「言葉遣いは気にしなくていいよ。僕も普段の言葉で話すから、君も普段通りに話して」
ロナンはニコッと微笑んで頷いた。
「はい」
「何、何? 二人でえらく楽しそうだけど……」
そこへ、ケビンも加わってきた。
「うん、あのね、このロナンは魔法使いとしてもすごいけど、きっと剣か槍か、そういう武術もきっと鍛えているんじゃないかって思ったんだ」
「へえ、どうしてそう思ったの?」
ケビンもロナンと同じことを尋ねた。
リオンはニッコリと頷いて言った。
「さっき、ロナンがショートソードで結界を攻撃しただろう? あのときの、剣の振り方と足さばきを見てそう思ったんだ」
そう言われて、ロナンは困惑したような顔になり、うつむき加減で言った。
「そう言われても、自分じゃ分からないな。僕のお師匠さんは、姉様のメイドなんだけど、とてつもなく強くてね…まだ、僕なんかじゃ全然歯が立たないんだ」
「うわ…何なんだよ、この姉弟って……」
ケビンが呆れたような声を上げる横で、リオンはますます楽し気に目を輝かせて、身を乗り出した。
「ねえ、ちょっと試させてもらっていいかな?」
「えっ? 試すって……」
「木剣で僕と試合してくれないか?」
ロナンは驚いて、断ろうと声を出しかけたが、その時、いつの間にか近くで様子を見ていた姉が、ニコニコしながらこう言ったのである。
「ふふ……いいじゃない、ロナン、せっかくだから教えてもらいなさい。プラムの教えとはまた違ったことが学べると思うわよ」
「姉様……そ、そうか、うん……分かりました。お願いします」
ロナンの言葉に、リオンは喜んで、さっそく男爵に練習用の木剣を貸してもらい、鍛錬場の中央に向かった。
ロナンも立ち上がり、男爵から短い木剣を貸してもらうと、リオンの待つ場所へ歩いていった。




