40 小さな勇者の冬休み 2
「ケビンは風魔法が得意だったね。じゃあ、僕がフレアーを放つから、それを風で広げてくれる?」
「うん、分かった」
二人の少年は道の両側に分かれて、ケビンは携帯用のロッドを、リオンは右手を前に伸ばして、魔法の呪文を唱え始めた。
その魔力の動きに気づいたのか、三十メートルほど先にたむろして警戒していたウルフの群れが、ゆっくりと動き出した。
「…汝、自由なる風の精霊よ、今一陣の突風となりて眼前の敵を吹き飛ばせ、ウィンドランス!」
「我が友にて、偉大なる火の精霊よ、炎の舌をもって眼前の敵を焼き払え、エリアフレアーッ!」
その瞬間、風と火が何もない空間に現れ、混然一体となってこちらに向かっていたウルフたちを包み込んだ。
炎に包まれたウルフたちのけたたましい叫び声が響き、危うく炎を逃れた数頭が、道の脇に逃れて、こちらに向かって恐ろしい唸り声を上げ始めた。
「よし、来やがれっ、犬っころども」
オーロンが剣を片手にゆっくりと、残ったウルフたちに近づいていく。
「私もご加勢いたしますぞ」
老執事もロングソードを持ってオーロンの後に続いた。
しかし、まだウルフは五、六頭いる。二人で大丈夫だろうかとケビンが口に出そうとしたとき、道の反対側にいたリオンが執事を引き止めた。
「爺や、その剣を僕に……僕がやる」
「い、いや、しかし、リオン様……」
老執事は知っていた、リオンが生き物を殺すことに、ためらいがあることを。実戦で魔物相手にためらいがあれば、それは、即、命を落とすことにつながりかねないのだ。
「大丈夫だ……ま、魔物は、普通の生き物じゃない……魔物は…殺せる」
そう言うリオンの体が小さく震えているのを、老執事もケビンも気づいた。しかし、この場面で、皆を救える技量を持つのはリオンだけであることも、彼らは知っていた。
老執事は、迷った末、ロングソードをリオンに手渡した。
「では、お願いします。ためらえば、オーロン殿だけでなく、ここにいる者たちは全員魔物に食い殺されることになります……ですが、リオン様ならできる。爺は信じております」
リオンはしっかりと頷くと、剣を片手にオーロンのもとへ向かった。
「オーロンさん、僕が前に出ます。打ちもらした魔物が後ろに行かないようにお願いします」
「あ、ああ、大丈夫かい、坊ちゃん?」
オーロンの問いに、リオンは小さく頷くと、キッと前を睨んで一歩を踏み出した。
ウウウッ、ガウッ、ガウウッ……ウルフたちはリーダーを失ったのか、バラバラな動きで唸り声を上げながら、リオンを取り囲むように距離を詰めてきた。
ウガアアッ、ついに一頭が跳躍してリオンに襲い掛かった。それに連動するかのように他のウルフたちもリオンの小さな体に飛び掛かっていった。
後方で見ていた者たちは、あっと息を飲んで、これから起きるであろう惨劇に思わず目をつぶった……が、次に目を開けた時に見たのは、信じられない光景だった。
確かに何かを切る、ズバンッという音が二度くらい聞こえたが、ウルフの声は全く聞こえなかった。それなのに……道には一面に両断された魔物の死体が転がっていたのだ。
リオンはふうっと息を吐くと、辺りを見回し、他の魔物がいないことを確かめてから、剣を鞘に納めゆっくりと馬車の方へ戻って来た。そんな、彼の足はやはり細かく震えていた。
ケビンや老執事が、賞賛の声を上げながら彼を迎えている横で、オーロンはまだ口をぽかんと開けたまま、前方を見つめていた。
彼だけは、目をつぶらず、そこで何が起きたのかを目撃していたのだ。
「……な、なんだ、今のは……」
彼に見えたのは、ただリオンが優雅な舞のように空中で回転する姿だけだった。そして、彼が着地したとき、すべては終わっていた。
♢♢♢
リオンたちはイルクスで一泊した後、その日の夕方、無事にシーベル男爵が治めるバナクスの街に到着した。
ケビンからの手紙で、プロリア公国の宰相の子息が訪れると聞いていたシーベル男爵は、城門のところまで出迎えに出ていた。そして、そのまま彼を屋敷へ案内し、歓迎の祝宴を開いてもてなしたのだった。
翌日から、リオンのシーベル家での生活が始まった。
どちらかというと人見知りなリオンだったが、努力してシーベル家の人々と積極的にコミュニケーションを図った。特に、男爵とは魔法談義を通して親密になっていった。その努力は、すべて、この辺境の地に自分の生涯の友となる人物がいないか、その情報を集めるためだった。
「リオン君、今日は私の魔法の師匠が来られる日なのだ。午前中だけなんだがね。初めに私の個人指導、その後に魔導士たちへの指導となるんだが、参加してみるかね?」
シーベル家に逗留して四日目の朝食の時に、男爵がそう言った。
「僕も今日が初めてなんだ。楽しみだったんだよ」
ケビンは、リオンを驚かせようと思って、その日までそのことを話さないでいたのだ。
「そうですね、ぜひ見学させてください」
リオンはにこやかにそう答えたものの、実はさほど期待していなかった。実家で公国筆頭魔導士の個人授業を受けていたので、こんな辺境の地の魔導士を少し見下していたのである。
まさか、この日が、彼の人生を大きく変える一日になろうとは、まったく予想もしていなかったのだった。
男爵の個人授業と魔導士兵たちへの講習は、屋敷の地下にある訓練場で行われた。魔導士たちが来る前に、男爵の個人授業が始まった。
「ポーデット先生、ご足労いただき、ありがとうございます」
男爵が直々に出迎え、地下訓練室に案内されて入って来た教師の姿を見て、先にケビンとともに訓練場で待機していたリオンは思わず驚きの声を上げた。それは、ケビンも同様だった。
「ええっ、お、女の子、しかも、僕と同じくらいの……」
「こら、ケビン、失礼だぞ。紹介しよう、こちらが私の魔法の師であり、魔導士兵団の顧問をしていただいている、リーリエ・ポーデット先生だ。今日は。助手として弟のロナン殿もきておられる。先生、こちらが息子のケビンで、あちらはプロリア公国のセドル伯爵のご子息リオン殿です」
まだ、動揺している二人の同年代の少年たちの前で、銀髪の少女はにこやかな笑顔で見事なカーテシーを見せて挨拶した。
「リーリエ・ポーデットと弟のロナンです。平民ですので、失礼な言動が出るかもしれませんが、どうかお見逃しいただければ幸いです」
「あ、あ、ど、どうも、ケビン・シーベルでひゅ、よろしくお願いします」
「リオン・セドルです。お目にかかれて光栄に思います」
二人の少年たちの対照的な挨拶に、少女魔導士はその天使のような顔に笑みを絶やさず、弟とともに訓練場の中央へ歩いていった。
「くうう、嚙んじゃった、恥ずかしい……で、でも、すごいきれいな子だよね?」
ケビンの言葉に、リオンはクスッと笑いながら頷いた。
「ああ、一瞬、天使様かと疑ったよ。どんな魔法を見せてくれるのか、楽しみだ」
二人の少年は、それぞれ別の意味で胸をドキドキさせながら、男爵とともに少女魔導士の前に進んでいった。




