影武者
足の裏で地面を叩きつけるようにして、ゆっくりと歩を進める。
けれど――なにか、違う。
「踏みしめる」というより、私はただ「打ちつけている」だけだった。
その様子を黙って見守っていたセラが、小さく口を開く。
「アリス様。足を置くときは、力を入れなくていいのです」
私は彼女の言葉に従い、呼吸を整える。
静かに、足を置く。
そして、重心を前へ――踏み抜く。
足の裏に伝わる確かな“重み”。
地面が「きゅっ」と微かに鳴いた。
顔を上げると、セラが静かに頷いていた。
私の歩みは、たった今。
一歩、前に進んだのだ。
その喜びをかみしめていたとき、彼女はやってきた。
「出かけるわよ」
姉さま――リリス。
私は思わず聞き返す。
「……お外に?」
リリスは、無言で頷いた。
私は、嬉しくなった。
この世界のことを、私は何も知らない。
塔に閉じ込められていた私にとって、外とは未知そのもの。
けれど最近は体調も安定しているし、歩くことにも慣れてきた。
外へ出ても、きっと大丈夫だ。
だが――次の言葉に、私は少し驚いた。
「今日は、あなたに“影武者”になってもらいたいの」
影武者――。
ゲーム中にも、アリスがリリスの影武者として登場するシーンがあった。
双子である私たちは、化粧と髪型さえ整えればほぼ同じ顔になるからだ。
でも、現在の私は。
姉さまと自分の体を見比べて、思わず不安になる。
どう考えても私の方が小さくて貧相だ。
本当に“なりきる”なんて、できるのだろうか。
「……私にできるかな」
そう呟くと、姉さまは少し驚いたように目を瞬いた。
「影武者になること自体には、驚かないのね」
私は微笑んで答えた。
「姉さまの考えることくらい、お見通しよ?だって私は、姉さまの共犯者なんですもの」
すでに私用の服も用意されていた。
姉さまのものよりひとまわり小さく仕立てられた、漆黒のドレス。
セラの手によって髪は巻かれ、化粧が施される。
そして――姉さまの隣に並んだ時。
鏡に映るのは、まさに「二人のリリス」
私の方が少しだけ背が低かったが、厚底の靴で差はごまかせた……とは言えないかもしれない。
「誰も私の身長が正確にどれくらいだったかなんて、覚えてないわよ」
リリスはそんなふうに、私の心配を軽く払ってくれる。
「今日行くのは、とある人物の誕生日パーティー、あなたは、ただ黙って立っていればいい」
「何か話しかけられても無視して。私の性格を知ってる者なら、無言であることは機嫌が悪い事の証左と思って近づかないわ」
「……誰の誕生日パーティーなの?」
リリスは、あっさりと答えた。
「クラリス・ヴァレンティナよ」
私は目を見開いた。
予知の聖女。
ゲームでのイージーモードヒロイン。
聖女の中でも特に性能が高く、選ばれる確率が最も高かった人物。
「今のところ、彼女が聖女である可能性が最も高いわ」
リリスは淡々と続ける。
作戦はこうだ。
影武者である私が、パーティー会場で「主役」を引きつけている間に、
本物のリリスがクラリスの私室に侵入し、髪の毛などの“情報物”を採取。
証拠を残さずに撤退。
2人は同じ顔ではあるが、同じ場所にさえいなければ幾らでも誤魔化しは聞く。
目撃されても「見間違いだ」と言い逃れできる。
……かなり雑な作戦だけど、合理的ではある。
ゲームの中では語られなかったイベント。
何が起こるかなんてわからない。
でも。
「私に、できるだろうか」
心臓がどくんと跳ねる。
不安と緊張と、ほんの少しの高揚。
いや。やらなきゃならない。
もしクラリスがこの段階ですでに「聖女」として覚醒していたら、
私の計画は、根本から見直さなければならないのだから。
これはただの影武者ではない。
姉さまのために、私自身の未来を賭けた――戦いの始まりなのだ。