歩法
毎日、私は歩いている。
薬の効き目があるうちに、できる限り身体を動かしておきたかった。
最初は庭を一周するだけでも息が切れた。
けれど今は、三周まではなんとかこなせるようになっている。
そんなある日、私のすぐ隣を歩いていたセラが不意に口を開く。
「アリス様は……何を望んで、歩いておられるのですか?」
その言葉に、私は立ち止まって考え込んだ。
「……なにを、って言われても……」
今のところ、はっきりとした目的はない。
せめて倒れずに動ける身体になりたい。
その先には「ステータスを上げる」こと。
そして、聖女として選ばれて姉さまの“竜の紋章”を継承すること。
でも、それをセラにどう伝えればいいのか、わからなかった。
だから私は、簡単に言い換えることにした。
「……強くなりたいの。姉さまを守れるくらいには」
セラはほんの一拍だけ間を置き、こう返してきた。
「つまり、身体を鍛えるだけでなく、戦えるようになりたい……ということでよろしいでしょうか」
迷いながらも、私は頷いた。
「うん、大体そんな感じだと思う」
セラはまっすぐ私を見て、こう告げた。
「であるならば、良い方法があります」
次の日から、私は“歩き方”を変えた。
歩く速度は、これまでの半分以下。
地面に足を置く瞬間、全身の体重を意識して叩きつける。
次の足も同じように。
踏みしめて、踏みしめて、重く、ゆっくりと。
最初は意味がわからなかった。
けれど、セラが「気を整える練習」と言っていたので、私は信じて続けていた。
そんな私の新しい“歩き”を目撃したのが、姉さまだった。
彼女は、私の姿を見つけるなり、眉を顰める。
「……何をしているの、アリス?」
その声は、呆れたような、戸惑ったような響きを含んでいた。
私が何も言えずにいると、代わりにセラが前に出て応じる。
「これは、私の流派に伝わる歩法です」
「貴女の……流派?」
「はい。東方拳法と呼ばれる戦技体系です」
リリスが目を細める。
「知らない単語」に対する、軽い警戒。
だがセラは、いつになく饒舌に語り続けた。
「お嬢様は、生まれつき体が弱く、魔力量も少ないです」
「この条件では本来、日常の行動すら困難なはずです」
「ですが――アリス様は、毎日歩いていらっしゃる」
リリスが黙る。
セラは言葉を区切ってから、ゆっくりと続けた。
「それは、肉体でも魔力でもなく"気"という第三の力を無意識に使っておられるからです」
「……き?」
リリスが、困ったように復唱する。
「気は、血の流れ、呼吸、重心の移動に宿る力です」
「恐らく、お嬢様はそれを直感で理解されている」
「だからこそ、東方の“気の技”を用いた鍛錬が有効かと」
そう言うと、セラは無言で地面に一歩、足を踏み出す。
その動きには一切の無駄がなく、力みもない。
足も、ただ置いているだけ。
次の瞬間、ドスンッと音がする。
セラの足は土の中に沈み、土誇りが、風を巻くように浮いた。
「これは重心の流れ、すなわち気の流れを足で叩き込む技です」
「極めれば、身体の操作が洗練され、運動効率が飛躍的に向上します」
私は思わず口を開いた。
「すごいでしょ、セラの技!」
すると、リリスはため息混じりに言った。
「……まあ、貴女がそれでいいというなら、構わないけど」
その言葉は、普段のような冷たさとは違っていた。
あきれ顔。
そして、少し口元が緩んでいたようにも見えた。
ゲームでは決して見ることのなかった、姉さまの表情。
私は、嬉しくなった。
毎日が苦しくても。
歩くだけで倒れそうでも。
それでも“この歩き”は、意味のある一歩になっている。
姉さまに、笑ってもらえるなら。