悪役令嬢の攻略方法
その日は朝から少し空気が重かった。
カーテン越しに差し込む光も弱く、体調もいまひとつ。
メイドが差し出してくれた薬を飲み、ぬるい水で喉を潤したころ。
ノックもなく、扉が開いた。
「……姉さま?」
入ってきたのはリリス。
けれど、今日は様子が違った。
そのまま無言でベッドに近づき。
「……っ」
枕に、思いきり拳を叩きつけた。
ぽふん、という間抜けな音が部屋に響く。
驚くより先に、私は少し微笑んでしまった。
ああ、そういうこともするんだ。
意外だった。
けれど、妙に嬉しかった。
私にだけ見せてくれる、子供っぽい一面。
ずっと抑え込まれてきた彼女の、ほんの欠片。
私たちはまだ、十歳なのだ。
大人の世界に組み込まれすぎて、忘れそうになるけれど。
「姉さま、ご機嫌が悪いの?」
尋ねると、リリスは唇を尖らせてそっぽを向いた。
「……別に」
視線を外したまま、けれど私がじっと見つめると、やがて観念したようにぽつぽつと語り始めた。
「……聖女探しが、進まないのよ」
「聖女?」
「そう。世界を救う存在にして、守護龍の生贄として申し分ない器」
彼女は椅子に座り、話を進める。
「その聖女に、私の龍の紋章を譲渡することができれば……私は生き続けられる」
リリスは、唇をかみしめる。
それは冷徹な判断だった。
自分の命を他人に肩代わりさせる選択。
姉さまらしい――けれど。
今の彼女には、まだほんの僅かに「迷い」があるように見えた。
私は思う。
(姉さまが聖女を狙っていたのって、そういう理由もあったんだ)
ゲームでは語られなかった設定。
けれど、私にはそれがとても大きな情報だった。
なぜなら。
もしゲーム通りの構造が、この世界にあるのなら。
「聖女」は3人のうちから選ばれるからだ。
ゲーム開始時に、プレイヤーは、3人の中から1人を主人公として選ぶ。
選ばれた者が、聖女として覚醒するのだ。
1人目は予言の聖女「クラリス・ヴァレンティナ」
ゲーム難易度はイージー。
2人目は太陽の聖女「ティアーナ・ルフェーブル」
ゲーム難易度はノーマル。
そして3人目は悪役令嬢の妹、月の聖女「アリス・エルメロワ」
ゲーム難易度はベリーハード。
つまり
「私が主人公なら、聖女になれる」
「紋章を受け取って代わりに死ねば、姉さまは助かる」
ふっと、心が軽くなった。
(よかった、ちゃんと……救える方法があるんだ)
この世界に転生して、初めて「生きたい」と思った。
姉さまを救いたい。そのために生きていたい。
けれど、すぐに私は立ち止まった。
この世界で、誰が「主人公」なのか。
まだ、それは明らかになっていない。
選ばれていなければ、私が何を望んでも聖女にはなれない。
だから、私は口をつぐんだ。
姉さまに、この希望をまだ話してはいけない。
彼女は、静かに私の薬の瓶を見下ろしていた。
その横顔は、誰よりも強くて、誰よりも脆く見えた。
私は願う。
彼女が、誰かにとっての「生贄」ではなく。
誰かと共に生きる未来を選べるように。
そして、もし「主人公」が私なら。
私は迷わず、それを差し出そう。
姉さまのために。
この命を、惜しまずに。