オーギュスタン
思い付きで番外編を書いてみました。
他のキャラも書きたくなったら投稿するかもしれません。
オーギュスタンの内緒の話です。
それは、なんとも不思議な感覚だった。
いつの頃からか、オーギュスタンにとって、王太子として政略結婚で王妃を迎え、いずれ国王となることは、当然の未来として心に刷り込まれていた。
だから、学友たちが恋の話をしている時や、「好きな令嬢ができた」などと言っているのを聞いても、いまいちピンとこなかった。
そもそも、オーギュスタンにとって、結婚に恋愛は不要な要素だった。必要性を感じなければ、興味もわかない。
今も隣で、友人のアークが夢中で恋の話をしているが、耳を傾けながらも心の奥では「何がそんなに楽しいのか」と首をかしげていた。
「それでさ、先日の夜会で見かけた令嬢が忘れられなくて。ずっと探してたんだけど、ついに見つけたんだよ!」
「それはすごいな。よく見つけたものだ」
「意外と近くにいたんだ。一学年下のクラスにいる、マルベリー・キリアン子爵家の令嬢だった!」
「へえ、年下のご令嬢だと、確かに探すのは手間取っただろうな」
「ああ、この学園にはほとんどの貴族の子弟が通ってるからな。人数も多いし、見つけるのに二週間かかったよ」
「で、そのご令嬢とはもう話したのか?」
「もちろん! やっとの思いで、来週お茶をする約束を取りつけたよ!」
「それは良かったな。・・・だが、アーク、今度こそ成功するといいな」
オーギュスタンはニヤリと笑い、アークの肩を軽く叩いた。
「ああ、今度こそ絶対にうまくいかせてみせる!」
アークは宰相の息子で、この国でもかなり高い地位にある。顔立ちも悪くなく、性格も誠実だ。だが、惚れっぽくて肝心な場面で緊張してしまうあがり症のため、いつも最後で失敗してしまう。
オーギュスタンは幼なじみとして、アークが玉砕するたびに慰め役を買って出ていた。今回もまた、その準備をしておこう・・・と、今この瞬間にも考えてしまっている。
(それにしても、なぜアークはこうも毎回、無駄足を踏むのか?親に決めてもらった婚約者と仲を深めていく方が、遥かに無駄もないだろうに・・・)
目の前で、「どれだけその令嬢が素晴らしいか」を熱弁するアークの言葉を聞き流しながら、オーギュスタンは恋愛というものの非効率さについて考え続けていた。
「でさ、本当に可愛いんだよ!笑顔が・・・・・。って、聞いてるか?スタン?」
「ん?ああ、聞いているぞ。可愛い笑顔といえば、妹を思い出していたんだ・・・」
「あの噂の姫か。姫は学校には通ってなくて、城で家庭教師に勉強を教わってるんだったな。俺も小さい頃に一度チラッと見かけただけだけど、確かにとんでもなく可愛かった記憶はある。可愛すぎて学校に通えないって、どれだけの美貌なんだよ。早く姫の社交界デビューが見たいもんだ」
アークはそう言って、楽しげに笑った。
確かに、妹、オクタヴィアはとんでもなく可愛い。
ブルーシルバーの艶やかな髪に、宝石のようなネオンブルーの大きな瞳。まるで人形のような容姿に、優しい性格。どこを取っても『完璧な美少女』だった。
だが、なぜか動物や昆虫と話せるという不思議な力を持っていて、人前に出すにはいろいろと危うい。そのため、学園には通わせていない。
オクタヴィアには気の毒だが、彼女の力は王家の機密事項でもある。だから、自然と「姫は可愛すぎて外に出せないらしい」という噂が広まり、それがそのまま理由として定着していた。
オーギュスタンはあえてその噂を否定せず、流れるままにしている。そして今では、オクタヴィアが「美しすぎて外に出せない姫」として語られているのだ。
「たとえデビューしても、アークには近づけさせないぞ。あんなに可愛い妹だ。すぐ惚れられても困るからな」
「大丈夫だって。俺は今、マルベリー嬢一筋だからな!」
(ほんの二週間前には、別のご令嬢一筋だったはずだが・・・・)
胸を張ってそう宣言するアークの姿を見ながら、オーギュスタンは心の中で強く思う。
(・・・絶対にアークは、オクタヴィアに近づけさせまい)
その日の夜、家族で和やかに夕食を囲んでいる最中、父がふいにオーギュスタンに声をかけてきた。
「オーギュスタン、お前には好きな令嬢などおらんのか?」
「好きな令嬢、ですか?・・・・おりませんね」
(今日は妙にこういう話が多いな・・・・)
あっさり、きっぱりと答えたオーギュスタンに、父と母はどこか寂しそうな顔を向ける。
その様子を不思議そうに見つめながら、妹のオクタヴィアはパンをもぐもぐと食べ続けていた。
「父上、どうしたのですか?急に・・・」
「いや・・・お前に好きなご令嬢がいれば・・・と、思ったのだが・・・」
「私は王太子です。結婚に恋愛や愛情は必要ないと考えております。いずれ政略結婚することになるのなら、そのお相手と穏やかに関係を築いていければ十分です」
「あ、ああ、それはそうなんだが・・・」
そう言いながら、父はどこか困ったような顔で母と視線を交わす。
「それが、どうかされましたか?」
「・・・先日の議会で、そろそろ王太子に婚約者をとの話が出てな・・・・・」
「そうですか。どなたが候補に挙がったのです?」
あまりにも淡々としたオーギュスタンの返答に、父と母は少し困惑していた。
妹は、手にしていたパンを口元で止め、興味津々といった様子で三人を見つめている。
「・・・・有力候補はメイベル・サンライズ侯爵令嬢だ」
「メイベル・サンライズ侯爵令嬢ですか?」
オーギュスタンは、学内にいる令嬢たちの顔を思い浮かべてみたが、その名に心当たりはなかった。
「そうだ。今は語学習得のために、隣国で学んでいるらしい」
「そうですか、どうりで記憶にない名前の訳です。しかし、ご令嬢が語学習得で他国に行くとは、珍しいですね」
「そうだな。彼女はとても優秀で、学ぶことが好きな、穏やかで落ち着いた性格だと聞いている」
「穏やかで学問を好まれる方なら、王妃としての教育も問題なくこなせそうですね。良いと思います」
そう言って、オーギュスタンは再びナイフを手に取り、魚料理へと向き直った。
その様子は、まるで他人事のようだった。
両親は、その無関心さにどこか釈然としない面持ちで息子を見ていた。
やがて、母のベロニカが口を開く。
「オーギュスタン、本当にこの話を進めてよいのですね?」
と、確認する。
「ええ。議会で決まったことなら、その通りに進めましょう」
王妃ベロニカは、興味なさげに応じる息子の横顔をじっと見つめた。
オーギュスタンは、父王譲りのさらりとした金髪に、淡いブルーの瞳を持ち、細身ながら均整のとれた体格をしている。まさに“王子様”と称されるにふさわしい容姿で、憧れている令嬢も多い。
しかし、いまの会話を聞けば、恋愛とは無縁で現実的すぎる思考。
確かに王の器ではあるが、結婚相手となる女性の気持ちを慮るには、あまりにも無関心すぎて心配になる。
少なくとも、結婚というものは、相手に対する敬意や好意がなければ、長くは続かないとベロニカは考えていた。
果たしてこの息子は、結婚相手を幸せにできるのだろうか?親として、そんな不安は簡単には拭えない。
「オーギュスタン、来週メイベル嬢が一度、顔合わせのために帰国されるそうです。その一週間、毎日ご令嬢をお誘いなさい。どのようなお嬢様か、しっかりと見極めてきなさい」
魚料理に視線を落としていたオーギュスタンだったが、その言葉に顔を上げた。
「毎日ですか?それは、必要なことでしょうか?」
学業に加え、王太子としての務めをこなす日々。そこに毎日、令嬢との時間を捻出するとなると、正直なところ面倒に感じた。
「ええ、あなたには必要です。評判の良い令嬢とはいえ、未来の婚約者かもしれない方です。自分の目で確かめるのは当然でしょう?」
「・・・私は、どんな方でも構わないのですが・・・・」
「オーギュスタン、いいですね?毎日必ずお誘いするのですよ」
息子の言葉に重ねるように、ベロニカはきっぱりと言い切った。
その声は、『これは決定事項です』という母としての確固たる意思を感じさせた。
オーギュスタンも、その言葉の重みを理解している。
母がこう言ったからには、もう覆ることはない・・・そう思い、内心うんざりしながらも「わかりました」と頷いた。
一方、突然の兄の婚約話に、妹はすっかり興奮していたが、この日の会話はひとまず、これで幕を閉じた。
いよいよご令嬢が帰国する日、オーギュスタンは母に言われて謁見室に来ていた。
これから、メイベル嬢が挨拶に来るらしい。
サンライズ侯爵が父王に謁見し、その後、オーギュスタンがメイベル嬢に声をかけて二人で話す場が設けられると聞いていた。
オーギュスタンは、それも公務の一環だと割り切り、事前に調べたメイベル嬢の趣味や特技について軽く話して終わらせよう、と考えていた。
王座に座る父の背後に立ち、頭を下げているサンライズ侯爵とその隣に並ぶメイベル嬢を見下ろしているオーギュスタン。
「顔を上げよ」
父の声に、侯爵が顔を上げ、続いてメイベル嬢も顔を上げてこちらを見た。目が合う。
やや赤みのある金髪に、透き通るようなエメラルドグリーンの瞳。可愛らしい印象の令嬢だった。
だがその目の奥には、明らかに聡明さを湛えた光があった。ただの「可愛らしい令嬢」ではない。そんなことを、彼女自身が語っているようだった。
オーギュスタンが彼女を観察している間にも、父と侯爵は形式的な会話を交わしていた。
少しして、
「では、オーギュスタン・・・」
父がオーギュスタンを振り返り、目で促す、『早くお誘いしなさい』と。
それを受けて、オーギュスタンは用意していた挨拶を口にし、メイベルを誘った。
「はじめまして、メイベル・サンライズ侯爵令嬢。王太子のオーギュスタンと申します。もしよろしければ・・・・・・・王城をご案内しましょうか?」
本当は「庭を散歩しませんか」と言うつもりだった。
なのに、口をついたのは「王城の案内」。
自分でもなぜそう言ってしまったのか分からず、オーギュスタンは自分に驚いたが、表情には出さず、わざとらしいほどの笑みを浮かべてごまかした。
(なぜ私は、王城を案内するなどと言ってしまったんだ?・・・だが、あの目を見たら、庭よりも王城を見せるべきだと思ってしまった・・・・・)
父王も、突然「王城の案内」などと言い出した息子に驚いた顔をしている。だが、オーギュスタンはあえて父を見ず、メイベルだけを見つめ、返事を待った。
「王太子殿下、お誘いありがとうございます。自国の成り立ちに大変興味がございましたので、その王家のお住まいを拝見できるとは、大変光栄にございます。ぜひ、よろしくお願いいたします」
その返答に、サンライズ侯爵もぎょっとした顔を見せたが、メイベル嬢は嬉しそうにオーギュスタンを見ている。
オーギュスタンも、そんな彼女の笑顔に心が温かくなり、自然と足が一歩、彼女の方へ出た。
気がつくと階段を降りていたオーギュスタンは、メイベル嬢の前に立ち、手を差し出していた。
「では、参りましょうか?」
「はい、よろしくお願いします」
差し出された手を取り、メイベルは優しい笑顔の王子を見上げる。
彼女が受けたオーギュスタンの第一印象は、「賢そうで優しそうな殿下」。
そんな二人を、なぜか父親たちはそれぞれ目を丸くして見つめていた。だが、二人はあまりにも自然な仕草で謁見室を後にしてしまった。
「あー・・・侯爵、良ければ茶の用意をしているから、別の部屋でメイベル嬢を待っていてはどうだろうか?」
「あ、はい・・・陛下、お気遣いありがとうございます・・・そう、させていただきます・・・」
まだ衝撃から立ち直れていないようだが、なんとか会話を交わしている。
「・・・しかし、あれだな・・・我が息子が結婚に対して淡白な考え方だったので心配したが、案外うまく行くかもしれんな・・・」
「・・・はい、我が娘も少し変わっているところがございますので、心配でしたが・・・王太子殿下がお気に召していただけたなら、うまくいくかもしれません・・・・・・」
二人の父親は自分たちの前から、さっさと消えた子供たちが出て行った扉を、黙ってしばらく見ていた。
「こちらが、歴代の王の肖像が飾られている回廊です」
その頃、オーギュスタンは自分の腕に手をかけて歩くメイベル嬢を見下ろしながら、丁寧に説明をしていた。
「まあ!こちらの自画像は初めて見ました。初代王のデューク・リフタス国王陛下ですね?」
「はい、こちらの絵はデューク王の妃が描いたものです」
「まあ、王妃様が・・・仲睦まじかったと伝えられていますが、王妃様が描かれた絵が残っていたとは・・・」
エメラルドグリーンの瞳を輝かせ、絵に魅入るメイベル。
その姿に、オーギュスタンは胸が掴まれるような感覚を覚え、思わず彼女から一歩距離を取った。
(なんだこれは・・・)
言いようのない感情に、心がざわつく。落ち着かない。
「オーギュスタン王太子殿下、本当に素晴らしいですね。このお城も、ほとんど当時のままだとか・・・あちらの扉の造りなど、ファルマン帝国の様式を取り入れていて・・・あちらの壁は・・・・もしかしてルカルド王国のものでは?」
メイベルは、見るものすべてに興味津々で、あちこち動き回りながら壁の継ぎ目や扉の蝶番を指でなぞり、何かをぶつぶつと呟いている。
案内してからまだ1時間しか経っていないが、進んだ距離は百メートルにも満たない。
この調子では、城をすべて見て回るのに二、三ヶ月はかかりそうだった。
だが、オーギュスタンはそんなメイベルの姿を好ましく思っていた。今も、古い型の蛇口に興味津々で、下から覗き込んだり、長さを測ったりしている。
常人からすれば謎すぎる行動だが、本人にとっては至って真剣なのだろう。
「あ!オーギュスタン王太子殿下!!こちらを見てください!この蛇口に古語が刻まれています!」
何かを発見したらしく、嬉しそうにオーギュスタンを手招きする。
本来なら、王太子に向かって手招きなど不敬の極みだが、本人はすっかり忘れているようだった。
「ええと、ここに、古語が・・・・何と書かれているのか・・・・」
蛇口のパイプに顔をぎりぎりまで近づけ、目を凝らしているメイベルを見て、オーギュスタンは思わず笑ってしまった。
「「ファルマンからデュークへ寄贈する」」
二人の声が重なり、顔を見合わせ笑った。
「さすがですわ!オーギュスタン殿下は、こんな細かいものまでご存じなのですね!」
「この城には、こういったものが他にもたくさんあって、子どもの頃は古語の書物を片手に、毎日、城の中を冒険していたんだ。遊び半分だったけれど・・・」
「いいえ!すごいです!遊び半分で古語を読み解きながら冒険ができたなんて、なんて、羨ましい!!」
メイベルは本気でそう思っているようで、楽しげに息を弾ませている。
(かわいいな・・・)
自分を飾ることなく、ただ興味に真っ直ぐな彼女を見ていると、オーギュスタンは久しく忘れていた「楽しい」という感情が湧き上がってきた。
(母に言われなくても、この令嬢とはもっと話してみたい・・・)
気づけば自然にそう思っている自分に驚いた。
その日は、城の一階部分の探索でメイベルの帰る時間が来てしまい、二人は残念がりながらも「明日は南館へ」と約束をして別れた。
その日の夜、家族との晩餐の席。普段は聞き役に回る兄が、延々とメイベル嬢との「城探検」の話を止めず、父も母も妹の私も、口をぽかんと開けて兄を見ていた。
「スタン兄様?・・・その・・・とっても、メイベル嬢と気が合うのですね?・・・」
兄のおしゃべりが止まらないと、食事もままならないぞと考えたオクタヴィアは、いつもと違う兄の言動に動揺しながらも、なんとか話に割って入った。
「気が合う?・・・・いや、そうではなく・・・・いや、そうなのか?・・・そうかもしれないな・・・。とにかく、見ていて飽きないご令嬢だ。ヴィアも話してみると良い。すごく賢くて、話も面白い。きっと気が合うぞ」
兄が笑いながら言うのを見て、私は「今だ!」とばかりにスープスプーンに手を伸ばした。
・・・が、また兄が話し始める。
「それでな、メイベル嬢が初代国王について語っていたんだが、面白い持論があって・・・・」
父と母に至っては、二人そろって空中でフォークが止まっていた。
冷静沈着だったはずの我が子が、メイベル嬢との今日の出来事をとりとめもなく楽しげに語り続けているのだ。驚かないほうが無理というものだ。
それからというもの、オーギュスタンとメイベルは毎日のように城内の探検に明け暮れた。
二人で並んで歩き、夢中になって何かを語り合っている姿を、オクタヴィアは何度も見かける。
(あんなに楽しそうに笑うスタン兄様・・・いったい、いつ以来かしら?・・・ふふ、メイベル様と一緒にいる時は、まるで子どものように目を輝かせて話しているのね・・・・)
「姫様?」
立ち止まったオクタヴィアを不思議そうに見て、ナージャが問いかける。
「しーっ、ナージャ。少し遠回りになるけれど・・・スタン兄様の邪魔はしたくないの。あちらの回廊を通ってお部屋に戻りましょう?」
ナージャは王太子の声が聞こえる方へ一度視線を向けると、にっこり微笑んでうなずいた。
「そうしましょう」
オクタヴィアとナージャは、なるべく二人の邪魔にならないように音を立てずに方向を変えた。
明日は、メイベル嬢が留学先へ帰る日だった。
そのことを思うだけで、オーギュスタンは朝からずっと、学園で沈んだ表情を浮かべていた。
「・・・どうした?スタン?」
「明日・・・・メイベル嬢が帰ってしまうんだ・・・」
「そうか・・・スタン、お前、メイベル嬢と知り合ってから毎日楽しそうだったもんな・・・・」
「本当に、毎日が楽しかったよ・・・明日から彼女のいない生活かと思うとな・・・・」
いつもは相談する側だったアークは、そんなオーギュスタンの姿を見て戸惑っていた。どう言葉をかければいいのか、分からない。
「その・・・・今日も会うのかい?」
「ああ、もちろん」
「彼女が留学先に戻ったら、他の令嬢とも顔合わせをするんだよな・・・・・?」
「・・・・・その予定にはなっているが・・・・・私は彼女がいいんだ」
そういった、オーギュスタンの顔には迷いなどなかった。
「そうか・・・お前、決めたんだな。良かったじゃないか。素敵な女性に出会えて・・・」
「ああ、そうだな。アークもマルベリー嬢一筋だもんな・・・今ならその気持ちがわかるよ」
「あ、ああ・・・・そのな、スタン。実はそのマルベリー嬢のことなんだが・・・・・怒らせてしまったみたいで、終わってしまったよ・・・」
「え?・・うまくいっているって・・・・」
「ああ、あれは嘘だ。お前が幸せそうにメイベル嬢の話をするのを聞いて、水を差したくなかったからな・・・だがな、今はテイラー伯爵令嬢といい感じだぞ!」
「アーク・・・・」
「お前の方が、婚約も結婚も先にしそうだな。スタン、お前は王太子である前に、一人の男だ。少し前までの恋愛観は、今だから言うが、正直破綻していたぞ。でも今は、そんなお前が、こんなに幸せそうな顔をしている。羨ましいよ・・・メイベル嬢と早く婚約しろ。いっそ、今日にでも結婚を申し込んじまえよ」
「・・・ありがとう、アーク」
「まあ、結婚の申込は冗談だとして・・・・今日の生徒会の仕事は、俺がやっておくから。お前は一刻も早く、メイベル嬢に会ってこい!」
アークはオーギュスタンの手から生徒会の書類を強引に奪い取り、「じゃあな」と言って生徒会室へと向かって行った。
その後、オーギュスタンは城の屋根裏部屋で、埃まみれの古書を嬉々としてめくるメイベルの手をそっと取り、心に決めていた婚約の言葉を告げるつもりだった。だが、唇からこぼれたのは違う言葉だった。
「メイベル嬢・・・明日から、あなたのいない日々が始まると思うと、こんなにも胸がざわつくんだ・・・。どうか、これからも私の隣で、ずっと笑っていてくれないだろうか」
「オーギュスタン王太子殿下・・・・・」
メイベルは大きく目を見開いて、動けないでいる。
彼女のエメラルドグリーンの瞳の光彩まではっきり見える位置で、オーギュスタンは緊張を滲ませながら、彼女の目をまっすぐに見つめ続ける。
「あの・・・・殿下・・・・私は、その・・・・こんな性格ですし、王太子妃には向かないのではないでしょうか・・・・・」
「・・・メイベル嬢。私は王太子妃が欲しいわけではない。王太子という立場を離れ、一人の男として、あなたと共に生きていきたいと思っている・・・だから、あなたが私をどう思っているのか、聞かせてほしいんだ・・・・」
あまりの近さに、メイベルは思わず身体を引き、顔を赤く染めながらハクハクと浅い呼吸を繰り返していた。
目の前には、整った顔立ちで令嬢たちの憧れを一身に集める王太子。
そのオーギュスタンが、ありえないほどの距離で自分の顔をのぞき込んでいる。まるで、結婚を申し込むかのような、真剣な言葉を紡ぎながら。
その光景に、メイベルは今にも倒れてしまいそうだった。
とにかく、これ以上は耐えられない。
そう思った彼女は、反射的に、今できる最大の防御行動に出る。
ぎゅっと、両目を固く閉じたのだ。
暗闇に包まれた意識の中で、メイベルは静かに、自分の心に芽生えた言葉を見つめていた。
(でも・・・・こんなにも真摯に気持ちを伝えてくれた殿下に、何か答えなきゃ・・・・)
「一度、家に持ち帰らせてください」と言うつもりだった。
しかし、次の瞬間、口から出た言葉に、メイベル自身が一番驚いた。
「オーギュスタン王太子殿下!私も、貴方と毎日一緒にいられたら幸せです。是非、私と結婚してください!!!」
目をぱちりと開けた瞬間、すぐ目の前にオーギュスタンの顔があった。そしてその表情が一瞬だけ驚きに染まり・・・次の瞬間、信じられないほど眩しい笑顔が弾けた。
「メイベル嬢っ・・・・!」
オーギュスタンはそのまま、メイベルをギュッと抱きしめた。
首元に彼の顔がうずくまり、メイベルは思わず安堵するが・・・・。
直後、自分の言った言葉を思い出して青ざめた。
(信じられない!私から結婚を願ってしまった!!!!しかも王太子殿下に・・・・こんなの・・・不敬すぎるわ!!)
混乱の渦中にいるメイベルの肩をオーギュスタンがそっと掴み、彼女を正面に向かせた。
「メイベル嬢!嬉しいよ。君がそんなふうに言ってくれるなんて・・・・ああ、もちろんだ! 結婚しよう!」
その言葉を聞いた瞬間、メイベルの意識はふわりと遠のいていった。
(だめ・・・・これ以上は耐えられない・・・)
彼女が崩れ落ちる寸前、オーギュスタンはしっかりとその身体を受け止めていた。
教会の鐘の音が、街の隅々まで高らかに鳴り響く。
春の陽に照らされた花々が、風に揺れながら祝福のように揺れている。
白い花々で彩られたブーケを手に、メイベルはゆっくりと新郎のもとへと歩みを進めた。
一歩ごとに、床に撒かれた花弁がふわりと舞い上がり、空気をやさしく彩る。
この一年、彼女は必死に王妃としての教育を受けてきた。
本来十年かかるとされる王妃教育を、たった一年でやり遂げたその努力に、周囲の大臣たちは驚きと称賛を隠さなかった。
すべては、愛する殿下と一日でも早く並んで歩きたかったから。その想いが、メイベルを突き動かした。
日々の公務の合間を縫って、オーギュスタンは必ずメイベルのもとを訪れた。
その変わらぬ姿勢に、彼女の心はますます惹かれていく。
どんなに忙しくても、ふたりの時間は穏やかで温かかった。
結婚後は、今のようにはいかないかもしれない。だがこの人となら、どんな未来でも歩んでいける。そう、心から思えるのだった。
この結婚式は、オーギュスタンの妹・ヴィアとともに、メイベル自身が準備したものだった。
派手ではないが、心を込めて選び抜いた品々。想いを重ねた日々が形となった、ふたりだけの特別な式だ。
オーギュスタンが、そっと手を差し伸べてくる。
レースの合間からのぞく彼の表情は、あふれんばかりの微笑みに満ちていて、まっすぐにこちらを見つめていた。
きっと、私も負けないくらい幸せな顔をしているに違いない。
私から「結婚してください」と頼んだはずなのに、
後になって、「先に愛を告げたのは私のほうだ」と言ってくれた彼の優しさが、どれほど嬉しかったことか。
差し出されたその手を、メイベルはそっと、けれど確かに握り返した。
【御礼】
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