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葬儀の日。重苦しい鐘の音が王都に鳴り響く。
王宮の広間は、黒と紫の喪章で荘厳に飾られ、厳かな空気が漂っていた。各国から招かれた王族や高官たちが慎重な面持ちで集い、ジゼル殿下の遺影の前に静かに頭を垂れる。
その列の中に、黒衣に身を包んだオクタヴィアと離れた位置には、ザカライアの姿があった。どちらの表情にも悲しみはあったが、それ以上に、鋭い警戒の色が浮かんでいる。
ザカライアの後ろにはハロルドとサムエル。オクタヴィアの傍にはナージャとデービットが控えていた。
(敵は必ず動く。この喧騒に紛れて)
ザカライアは周囲を一瞥しながら、念入りに会場内の動線を確認する。護衛たちの配置も、あえて隙を見せるように配置した罠。こちらの作戦に気づかれないための演出だ。
そのとき、オクタヴィアの方に貴族の一人が近づいてきた。裾の広がった喪服をまとい、深く頭を下げているが、オクタヴィアには、その横顔は見覚えがあった。
(・・・来たわね、オルガ)
「殿下・・・少し、お時間をいただけますか?ミネルバ王女がお話ししたいことがあると申しております」
「まぁ、ミネルバ王女が?・・・もちろんです。ご案内ください」
オクタヴィアはあえて一人で行動するふりをし、オルガに導かれるまま静かに会場の外へと足を運んだ。ナージャが一歩前に出ようとするが、オクタヴィアがさりげなく手を振って制止する。
(始まった・・・私の役目が。)
一方、ザカライアも異変に気づく。王太子の棺の安置された部屋に、不自然に警備が手薄な一角がある。周囲の警備兵の中に、妙に落ち着いた者が数人いる。
「・・・やはり、敵が紛れているな」
ザカライアの言葉に、ハロルドが小声で返す。
「・・・だよね。見てみなよ、ザカライア。あのサイラス王、呑気なもんだ。こんな敵だらけの中で護衛もほとんどつけずに、突っ立ってるだけなんて。警戒心ゼロだよ」
ザカライアは視線を王と王妃がいる方へ向けた。
「・・ミネルバ王女がいないな」
「それなら、あっちじゃないか?」
ハロルドの示した「あっち」が、誰のことかは言うまでもない、オクタヴィアだ。
ザカライアは一瞬、不安げな表情を浮かべたが、何も言わず黙していた。
その頃。
オクタヴィアは、思いがけずミネルバ王女の私室へと通されていた。
(まさか、王女の部屋に案内されるなんて・・・これは想定外ね)
「侍女の方は、扉の外でお待ちください」
オルガがオクタヴィアの傍にいたナージャへそう告げる。オクタヴィアは軽くうなずき、ナージャに合図を送った。
オルガが扉をノックすると、中からミネルバの声が聞こえる。部屋に入ると、ミネルバは最初から高圧的な態度だった。
「オクタヴィア王女、お久しぶりね。お兄様にはお会いになった?あなたのこと、相当恨んでたから、きっと死んでも死に切れなかったんじゃないかしら?」
とんでもない一言に、オクタヴィアは表情を曇らせる。
「・・・こんにちは、ミネルバ王女。どういう根拠でそのようなことを言われているのかは分かりませんが、いきなり不快な発言ですね」
「そうかしら?まあいいわ。私から言いたいのは一つだけ。あなた、ザカライア様のもとを去りなさい。あの方にふさわしいのは私。貧乏小国のあなたには、どう考えても似合わないでしょう?」
また出た、“貧乏小国”。
もはやここまでくると、ルカルド王国の教育に疑問すら抱かせる。
「・・・どなたをお傍に置くかは、ザカライア様が決めることです。私でも、あなたでもなく」
「いつ話しても生意気ね、あなたは!・・でもまあ、あなたがいなくなれば、残るのは私だけ。今ここで何を言っても、どうせ無駄なことだし」
ミネルバは、くすくすと笑う。
「今日あなたをここに呼んだのは、私じゃないの。私の侍女が、あなたに話があるそうよ。オルガ、私はそろそろ父上たちのところへ行くわ。この王女とは手早く話を終えて、あとで私のところにいらっしゃい」
そう言って、ミネルバは外で待機していた護衛に声をかけ、そのまま部屋を後にした。
ミネルバの部屋には、オクタヴィアとオルガだけが残された。
最初に口を開いたのは、オルガだった。
「・・・ほんっと、王女ってバカばっかり」
「オルガ、一体何のためにこんなことを?」
「ふふ、やっぱり最初から気づいてたのね」
「・・・」
「何のためって、自分のために決まってるじゃない。あんたのせいで私は今、落ちぶれてる。でも、もうすぐ私はあんたより上になるの。私が味わった惨めさを、あんたにも教えてあげる!」
オルガが大声を上げると、奥の部屋からナイフを手にした男が二人現れ、オクタヴィアの前に立ちはだかった。
「本当はもっとじっくり、いたぶって殺してやりたかったけど、私にも用事があるの。あんたにかける時間なんて、ない。いろいろ言いたいけど、もういいわ。ここで死になさい。犯人は・・・そうね、ミネルバってことにしておく。国同士で、もめればいいわ。まあ、そのミネルバも結果的には死ぬんだけど」
「・・・オルガ」
「ああ、ごめんね。もう時間。あんたが野垂れ死にしてるところは、あとで見にきてあげる。さあ、やりなさい!」
オルガはすっと続きの間へと姿を消す。あの先に、隠し通路でもあるのだろう。
「・・・オルガ・・・」
男がにやりと笑いながら、ナイフを片手にオクタヴィアの方へ一歩踏み出した。
「・・・・詰めが甘いわね。・・・・デービット!」
ナイフを手にしていた男たちのうち一人が、隣の男を殴って気絶させ、すぐさま縄で拘束する。
そう、デービットは、オルガが差し向けた刺客の一人になりすまし、事前に部屋へと潜入していたのだった。
オクタヴィアは気絶した男を一瞥し、扉の外に控えるナージャに声をかけた。
「ナージャ、こちらは片付いたわ。ハロルド様に報告をお願い」
「はい、行ってまいります!」
ナージャはすぐさま部屋を飛び出し、報告へと向かった。
「デービット、この男を引き取りに騎士が来るまで、私が見ておきます。あなたは、ザカライア様のもとへ急いで」
「はっ!承知しました」
デービットは一礼し、駆け出していった。
一人残ったオクタヴィアは、縄で拘束された男をじっと見つめる。やがて男が意識を取り戻し、身じろぎを始めた。
「・・・赤蜘蛛さん、お願いできるかしら?」
オクタヴィアが誰もいない空間に向かってつぶやくと、部屋の隅の暗がりから、赤蜘蛛がぞろぞろと姿を現す。手のひらよりも大きな毒蜘蛛たちが数十匹、一斉に男へと近づいていく。
それを見た男は、恐怖に引きつった声を上げた。
「ひぃっ!!!」
〔エモノ〕
動いた男を見つけ、赤蜘蛛たちがじりじりと距離を詰めていく。
「糸でこの男をぐるぐる巻きにしてくれる?・・・でも食べちゃだめ。動けなくするだけでいいの」
〔エモノ、チガウ〕
「そう。あなたたちの獲物じゃないわ。これは、私の獲物よ」
〔ワカッタ〕
赤蜘蛛たちは男の体に這い上がり、光沢のある糸を全身に巻き付け始めた。