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「ここが、王太子の棺の部屋だな・・・」
部屋の前には護衛の騎士が立っており、近づくことはできない。
ハロルドは少し離れた柱の陰から様子をうかがった。
視線を右に移すと、奥まった場所にもう一つ部屋があるのが見える。
(あれが謁見室の入口か?・・・)
今は使われていないのだろう。扉の周囲には誰の姿もない。
ハロルドはポケットから何かを取り出し、勢いよく投げた。
それは棺の部屋の横にある植木にぶつかり、派手な音を立てる。
騎士たちはすぐに反応し、音のした方向へ駆け寄っていった。
その隙をついて、ハロルドは素早く謁見室の中へと滑り込む。
「何の音だ?」
「ああ、植木の鉢が脆くなっていたようだ。欠けてひびが入ってる・・」
「鉢が崩れた音か・・・・」
「最近、城の中も荒れてるよな。金が回ってないんじゃないか?」
「おい、そんなこと言うなよ!誰かに聞かれたらどうするんだ!」
「でも、皆言ってるだろ?ジゼル殿下があちこちの国で問題起こして、示談金だの取引停止だので、お偉いさんたちが頭抱えてるって」
「まあな・・・正直、次の国王には不安があったから、この結果に少し安心してるところもあるが・・・・」
そう言いながら、一人の騎士が棺の部屋にちらりと目をやる。
「今じゃ、騎士より他国で稼ぐ傭兵のほうがよっぽど儲かるって話だぜ」
「らしいな。今月もまた、辞める奴が大量にいるって話だし・・・」
「俺たちも、そろそろ考えた方がいいんじゃないか?今の国王もケチで、給料はちっとも上がらないし」
「そうだよな~・・・」
謁見室の奥の影から、ハロルドはその会話を聞きながら、気づかれないようにそっと階段を駆け上がる。
(だから、人が少ないのか・・・騎士が辞めて警備も手薄ってわけか)
驚くほどあっさりと侵入に成功している自分に、ハロルドは苦笑する。
ファルマン帝国では考えられないほどの緩さだった。
階段を上がりきると、右手の突き当たりに、例の音楽室がある。
(結構近いな・・でも・・・・ここから逃げるのは案外簡単だ・・)
周囲を見渡し、誰もいないのを確認してから、音楽室前の廊下にある大きな窓に近づく。
(小さなバルコニーか、ここから目の前を覆う木を伝って降りられるな。ここを使えば逃げ道は確保できるか・・)
バルコニーを確認し、音楽室の扉に手をかけようとしたそのとき、誰かの話し声が近づいてきた。ハロルドは素早くカーテンの後ろに身を隠す。
「ミネルバ様の侍女みた?ほんと態度が大きくって、嫌なやつだわ!」
「ああ、あの子ね〜・・オルガとか言う子でしょ?ミネルバ様、騙されてるわよね〜」
「ジゼル様が連れてきたんだっけ?どうせ、ジゼル様にも媚びてたんでしょ?」
「なんでも、占いが得意で、ミネルバ様のことを色々当てたみたいで、ミネルバ様も、オルガに心酔してるらしいわ」
「どうせ、占いなんて嘘よ」
「でも、ジゼル様が亡くなるのを占いで予言したとか言ってたわよ」
「え!?本当?それじゃあ、本物なの?」
「まさか。あくまで噂よ。本当に当てたってわけじゃなくて、せいぜい自分で何か隠して、占いで当てたふりでもしてたんじゃない?」
「今じゃミネルバ様、侍女長の言うことよりオルガの話しか聞かないらしいし。偉そうだった侍女長も、ざまあみろって感じだけどね」
侍女たちは、ハロルドには気づかずぺちゃくちゃと人の悪口を楽しげに話しながら通り過ぎていく。
「なるほど、占いか・・・ま、遠からずって、ところか・・・」
確かに、オルガの仲間がジゼルを殺したことには違いない。
ハロルドは、誰もいなくなったのを確認してから、音楽室の扉を開けた。




