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「おい、そこの女!」
リリアはビクッと肩を震わせて振り返った。
ジゼルはリリアの部屋に勝手に入り、ソファにどかっと座ると、不機嫌そうにテーブルの上に足を投げ出した。
「お前の父親のせいで、俺まで被害を被っているんだ!!お前より可愛くて従順な女なんて掃いて捨てるほどいるのに、たいして可愛くもなく、つまらない女と結婚しろなんて!!ふざけるなっ!」
リリアは、ルカルド王国に来てからというもの、ジゼル殿下から日々罵声を浴びせられていた。
国王のサイラスも、王妃のバーバラも、まるで彼女が存在しないかのように扱っている。今すぐにでもファルマン帝国に戻りたい・・・しかし、それは許されない。
この生活がいつまで続くのか・・・そう思うと、自然と涙が溢れてくる。
「泣くなっ!ジメジメとうっとうしい!少しは俺を楽しませる努力でもしろよ!」
ジゼルはそう怒鳴ると、テーブルの上にあったティーポットを掴んでリリアに投げつけた。
中に入っていた熱い紅茶が彼女にかかり、ドレスを濡らす。
「熱いっっ!」
思わず声を上げると、ジゼルはその様子を見てニヤリと笑った。
「本当になぁ・・あのデューク王国の王女だったら、俺も、もう少し楽しめたのにな」
その言葉に、リリアの目が鋭く細まる。
ジゼルは、ニヤついたままリリアの前に歩み寄り、その顎を無造作に持ち上げた。
「お前、あの王女のことが気に入らないんだな?」
「・・・」
「へぇ、意外とつまらない女じゃないかもしれないな・・・」
リリアの目を見つめながら、ジゼルは唇を歪める。
「俺も、あの王女には何度も恥をかかされたんだ。近いうちに、俺の前にひざまずかせてやるつもりだ。・・・お前、俺を手伝うつもりはあるか?」
リリアはジゼルの目をじっと見据え、そしてゆっくりと頷いた。
そして、ルカルド王国に来て初めて、彼女はニヤリと笑った。
「いいね・・・。今から人に会うんだが、お前も一緒に来い」
そう言うと、ジゼルはさっさと歩き出した。
リリアは慌てて、ドレスが汚れているのも構わず、ジゼルの後を追う。
(・・・やったわ!時間をかけずとも、あの王女に一泡吹かせられる時がこんなに早くに来るなんて!なんてツイているの!しかも、今まで機嫌が悪かったジゼル殿下が、今は機嫌が良さそう!)
しばらく歩くと、応接室のような部屋にたどり着いた。
ジゼルが扉を開けて中へ入るのに続いて、リリアも中へ足を踏み入れる。
その部屋には、見知った男一人と、見知らぬ男が座っていた。
「おや?リリア様、お久しぶりです」
そこにいたのは、リリアが嫌っている、あの執事だった。
「あなた・・・なぜここに・・・?」
「もともと、私はこの国の者です。ある方に頼まれてあなたのお屋敷で働いていたのですよ」
「そ・・そう・・・」
執事の隣に座る男は、髪を一つに束ね、白い髭で顔の半分を覆った大柄な男だった。
その目つきは執事と同じように嫌な雰囲気をまとっており、リリアは思わずジゼルの後ろに身を隠すように立ち位置を変える。
「殿下、その女はなんです?」
髭面の男がリリアを指さしながらじろじろ見て言った。あまりにも無礼な物言いだ。
「ああ、このままいくと、俺が結婚するらしい女だ。ファルマン帝国のリンゼン公爵の娘だ」
「リンゼン公爵の娘か。てっきり殿下からのお土産かと思いましたよ」
「まさか!だってお前は失敗したからな。そうだろう、ドーガン? 失敗した奴に土産なんてあるわけないだろ?」
「はは、手厳しいですね。けど、仕方なかったんですよ! 蜂に襲われなければ、うまくいってたんですって!」
「いいか、ドーガン。もう二度と失敗するなよ? あちこち綻びが出てるんだ。お前が捕まったら、全部パーになる。他国には、お前を指名手配犯だと公表して情報操作をわざわざしているんだからな」
ジゼルは厳しい表情でドーガンを睨みつける。
「ドーガンさん、あなたが失敗したせいで、ブレーンの私まで呼び戻されたんですよ。殿下にきちんと謝罪なさい」
「へい、へい、ジゼル殿下すいませんでした!」
髭面の男が、適当に謝罪しているが、ジゼルは無視して、執事に体を向けて話しだす。
「シーザス、一度失敗してしまったが、まだ挽回はできるか?」
「ええ、もちろん。次の手は、すでに用意してあります」
「さすがシーザスだな!」
リリアは黙って男たちの会話に耳を傾けていた。
執事の名はシーザスというらしく、ジゼルに深く信頼されているようだ。
ブレーンと呼ばれているあたり、戦略を練る担当らしい。
隣に座るドーガンは、最近何かの任務で失敗し、今は不貞腐れたような顔をしている。
「で、シーザス、今日こいつを連れてきたのには訳があってな。こいつはデューク王国のオクタヴィア王女の事が嫌いらしい。俺としても、最終的にはオクタヴィア王女をこちらの手中に収めたいと思っている。こいつは、そのためならなんでもやると思うから・・・作戦で使ってやってくれ」
「・・・そうですか、なんでもやるのですね?」
シーザスがリリアに問いかける。
「・・・ええ、あの王女が痛い目に合うのであれば、お手伝いいたしますわ」
「・・・わかりました。殿下のご命令です。リリア様、その時が来ましたら、協力してください」
「ええ」
シーザスがジゼルに視線を送る。ジゼルは頷くとリリアのほうを向く。
「お前は、もう部屋に戻れ」
ジゼルはリリアを見ようともせず、虫を払うように手だけで合図する。
「・・・わかりました」
リリアは静かに頭を下げ、外で待っていた侍女とともに部屋をあとにし、自室へと戻っていった。
彼女の足音が完全に遠のいた頃、ジゼルは口元に笑みを浮かべた。
「どうだ? あの女、使えそうだろう?」
「使ってみないとわかりませんが、まぁ、父親に似て、野心だけは一丁前ですね」
「だが、今まで箱入り娘だったからな。その時になったら逃げ出すかもしれないがな」
「問題ありません。女の嫉妬と執念は、時にどんな薬より強力な毒になりますよ」
「さて、その話はまた今度・・・・では、お二人とも、次の作戦ですが・・・・」
シーザスは静かに地図を広げ、作戦の概要を語り出した。




