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(・・・・痛た!・・体が動かないわ・・・)
オクタヴィアは、ゆっくりと意識を取り戻していった。
ぼんやりと視界が開け、最初に目に入ったのは、椅子に座ったままうたた寝をしているオーギュスタンだった。
(スタン兄様・・・)
兄の名を呼びたいのに、口はハクハクするだけで肝心な声がでない。
手を動かそうとしても、まるで重りをつけられたようにびくともしない。
(足っっっ!!)
その瞬間、あの男が「足を切る」と言っていたことを思い出し、血の気が引いた。
確認しようにも、体が言うことを聞かない。
(体も動かず、声も出ないなんて・・・私、死んでしまったのかしら・・・?)
恐怖と混乱の中で、せめて周囲の状況を把握しようと、目だけを左右に動かして情報を集めようとする。
その時・・・
「オクタヴィア!!!」
突然、視界にザカライアの美しい顔が飛び込んできた。
「・・・・・」
声を出そうとしても、やはり何も発せられない。
「ヴィア!!」
ザカライアの叫びに近い声を聞き、オーギュスタンが目を覚ます。目を開いているオクタヴィアを見た瞬間、ザカライアを押しのけるように、オーギュスタンが勢いよく立ち上がり、駆け寄る。
オーギュスタンの目には涙が溢れ、その一筋がオクタヴィアの頬を濡らした。
(スタン兄様が泣くなんてありえない・・・やはり私はあの時、死んだようね・・・・)
そんな兄妹を見ながら、ナージャがそっと水の入ったコップをザカライアに渡す。
ナージャも泣きそうな顔をしているが、涙は何とか耐えている。
「オーギュスタン殿下、さがってください。オクタヴィアに水を飲ませます」
再びザカライアの顔が視界に入る。
(水・・?)
ひんやりとしたコップの感触が唇に触れる。
喉がひどく渇いていることに気づいた途端、意識がはっきりと覚醒した。
無意識のうちに、ごくごくと夢中で水を飲む。
「・・落ち着きましたか?」
背中を支えられ、少し上体を起こされた状態で水を飲んでいると、自分を支えているのがザカライアだと気づいた。
「・・ゴホッゴホッ!!!」
急に飲み過ぎたようで、咳き込んでしまう。
慌ててオーギュスタンが背中をさすってくれる。
「ヴィア、大丈夫かい?」
「ゴホッ!・・スタン兄様・・ゴホッ・・私生きているのですか・・・?」
やっと掠れているが、声が出た。
咳き込みながら、ずっと気になっていたことを尋ねる。
「ああ!!もちろん、生きているよ!」
「でも・・体が、全然動かないのです・・・あの、足は・・ありますか?」
「足?」
「はい、足を切ると言われたので・・ちゃんとついているのかと・・」
「・・・オクタヴィア・・・それは、誘拐犯が?」
「はい・・・」
オクタヴィアの脳裏に、あの夜の恐怖が鮮明に蘇る。
途端に震えが止まらなくなり、コップを持つ手に力が入らなくなった。
それをみたザカライアはすぐにグラスを取り上げ、ナージャに渡すと、そのままオクタヴィアをそっと抱きしめた。
「わ・・私・・・、鬼蜂さんが助けにきてくれて・・に、逃げたのですが・・足を滑らせて・・・あ・・あの人たちは・・・つ、捕まりましたか?」
あの顔を思い出すだけで、恐怖に押し潰されそうになる。
(でも、ここにはザカライア様も、スタン兄様もいる・・)
自分に必死で「大丈夫」と言い聞かせる。
「オクタヴィア、大丈夫です。ゆっくり息を吸って。私もオーギュスタン殿下もここにいます」
ザカライアの言葉に従い、必死にゆっくりと息を吸い、落ち着こうとする。
「オクタヴィアが落ち着いたら、犯人のことをきちんと話しますよ」
「はい・・」
「まずは、今の体の状態について説明しましょう。今、体が動かないのは、打ち身がひどかったため、寝ている間にあまり動かないように全身に包帯を巻いているからです。オクタヴィアが目を覚ましたので、後ほど巻き直しましょう」
ザカライアは優しくオクタヴィアの背中をぽんぽんと叩く。
「オクタヴィアには、打ち身や擦り傷がたくさんあります。当分はベッドの上で過ごしてください。この部屋にはオーギュスタン殿下が泊まり込んでいますし、部屋の外にはデューク王国から来た騎士たちも控えています。安心して休んでください」
「・・ザカライア様・・・」
「オクタヴィア、よく頑張りましたね。生きて帰ってきてくれて・・・本当によかった・・・」
ザカライアは、落ち着きを取り戻したオクタヴィアをそっとベッドに寝かせ、優しく布団をかける。
オーギュスタンはベッドサイドに座り、横たわるオクタヴィアに優しく語りかけた。
「ヴィア、安心して。朝も夜も、ずっとそばにいるからね。看病は私と・・・・ナージャに任せてくれ」
「ふふっ・・スタン兄様に看病されたら、かえって悪化しそうですわ。でも、ナージャも来てくれたのね。ありがとう」
オクタヴィアは遠くに控えるナージャの方へ視線を向けた。ナージャはこくこくと頷いている。その姿を見て、オクタヴィアはいつもの生活が戻ってきたような気がして、ほっと胸をなでおろし、微笑んだ。
「やっと、笑えたね・・」
オーギュスタンはオクタヴィアの穏やかな笑顔を見て少し安心する。
「ヴィア食欲はある?」
「・・・お腹は空いてませんわ」
「わかった。食事はまた後でね。そろそろ疲れただろう? もう一度眠るといい」
「スタン兄様、ありがとうございます。そうします・・・」
言われてみれば疲れを感じて、オクタヴィアのまぶたが落ちかける。
だが、その直前、ハッとザカライアを見つめた。
「ザカライア様、これだけはお伝えしないと・・・」
「オクタヴィア、話はあとででも・・・」
ザカライアは、これ以上オクタヴィアに負担をかけたくなくて、話を遮ろうとした。
「・・・私・・イザベル皇妃様と間違えて・・攫われたようでした・・・」
「皇妃と!?」
思いがけない言葉に、ザカライアの目が見開かれる。
「はい・・私のことを、ずっと『皇妃』と呼んでおりました・・私はそのことについて・・・訂正はしませんでしたが・・・・イザベル皇妃様は・・・ご無事ですか・・・?」
そう言いながら、オクタヴィアのまぶたが再び閉じていく。
「・・皇妃はご無事ですよ・・・オクタヴィア、次に目を覚ましたら、詳しくお話を聞かせていただけますか?」
「よ・・かった・・はい・・・・」
オクタヴィアはそのまま、スウっと深い眠りについた。
「・・どういう事だ?」
オーギュスタンは、オクタヴィアの話に混乱した。
「確かに・・あのとき、オクタヴィアが攫われた部屋は、本来、皇妃が使う予定でした。しかし・・・」
オクタヴィアが本当に誤って攫われたのだとすれば、今回の誘拐事件の見え方が一変する。
もし狙われていたのがイザベルだったとすれば、それはもはや帝国への宣戦布告。
国に対する明確な挑戦にほかならない。
ファルマン帝国は、他国が戦を仕掛けてきてもすぐに返り討ちにできるほどの大国だ。
近隣諸国との国力差は圧倒的であり、今さらそんな愚かな行為に出る者がいるとは思えなかった。
「オーギュスタン殿下、オクタヴィアを頼みます」
オーギュスタンも、事態の重大さに気づく。
万が一、ファルマン帝国とルカルド王国が戦になれば、デューク王国も無事ではすまされないだろう。
「ええ、わかりました・・・何かわかりましたら、こちらにも、すぐにお知らせください」
ザカライアは頭の中を整理しながら、アーロンのもとへと急いだ。




