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「おい!起きろ!馬車を乗り換えるぞ!」
荒々しい男の声が聞こえ、オクタヴィアは目を覚ました。
瞬時に状況を思い出し、体がこわばる。
攫われたのだ。
慎重に周囲を見回すと、薄暗く狭い空間が目に入る。
どうやら、あの壺の中らしい。
口には猿ぐつわ、手は固くロープで縛られている。
「皇妃様、ちょっと揺れるぜ!」
そう言うと、足で壺を蹴って、馬車から落とす。
壺は割れ、破片があたりに飛び散る。
オクタヴィアはその衝撃で、体中を打ちつけた。
「ゔっ・・・」
痛みに思わず声が漏れた。
(まただわ・・・また、皇妃って・・・)
何度も呼ばれるたびに違和感が募る。
なぜ自分を皇妃と呼ぶのか?
疑問が頭の中をぐるぐると巡る。
「ほら、立て!」
男が雑にオクタヴィアの腕を引っ張る。
強く縛られたロープが手首に食い込み、皮膚が裂け血が滲んだ。
「ゔゔ・・っ・・!!!」
熱い痛みが脈打つ。
涙が滲むが、ここで泣いてはいけない。
必死に痛みを飲み込み、ゆっくりと男の顔を見上げた。
ゴワゴワの髪をひとつに結び、無精髭が顔の半分を覆っている。
体格は良く、筋肉の塊のような腕は、逃げ出せば簡単に捕まってしまうだろう。
(・・・逃げても、すぐに捕まってしまうわね・・・)
「皇妃様には、こっちの馬車にのってもらう。なに、こんな見た目だが王家の馬車より、ちっとばかし乗り心地がわるいぐらいだ!」
自分の話がおかしかったようで、大きな声でガハハと笑っている。
見るからにボロボロの馬車だ。幌部分も破けている。
警戒しながら見ていると、男はオクタヴィアを砂袋のように軽々と担ぎ上げ、馬車に投げ込んだ。
ドンッ!
体の横半分を床に叩きつけられ、衝撃で一瞬、息が止まる。
目が滲むが、涙を落とすわけにはいかない。
「うぅ・・・・!」
「悪いな、皇妃様。ここは城じゃねえんだ。あんたは人質だ。これでも丁寧にしてやってんだぜ?逃げたら・・・足を切る」
馬車に乗り込んできた男の顔を見る。
(あの目・・本気で足を切るつもりだわ・・・)
「お頭!出発していいか?」
馬車の手綱を握っている若い男が、オクタヴィアの目の前の男に聞いている。
「ああ、出せ!」
(お頭・・?・・もしかして・・・)
その言葉にオクタヴィアの脳裏に一人の男の名が浮かんだ。
「かわいそうになぁ…人質とはいえ、どうせ生きて帰れねぇんだ。ある人が、お前の国を欲しがっててな…その手伝いをすりゃあ、小せえデューク王国は俺らにくれるって話でよ。
皇妃様は皇帝を引き寄せる餌になってもらう。お前ら、仲がいいらしいじゃねえか?
二人とも仲良く殺してやるよ」
(え!?デューク王国?どうして私の国が・・・!?)
思わぬ情報に混乱し、オクタヴィアは身じろぎした。
男はニヤニヤとその様子を眺め、気味の悪い笑みを浮かべる。
「しかし、さすがファルマンのお妃さまだな、聞いてた年よりずいぶん若く見えるじゃねえか。肌も白くて・・・手触りもよさそうだ・・・」
男の視線に体が勝手に震える。
言葉の一つひとつが気持ち悪くて、吐き気が込み上げてくる。
「怯えてる女は好物なんだよな。どうせ死ぬなら、勿体ねぇ。王様が抱いてる女を、味見してやろうか・・・」
男が立ち上がり、ゆっくりと手を伸ばしてくる。
その視線が、胸元のネックレスに止まった。
にやりと笑うと、それを掴み、ブチッと引きちぎる。
「!!」
首に走った痛みに、オクタヴィアは身を縮めた。
「さすがに、こんなデカいのはガラスかと思ったが・・・本物じゃねぇか!さすが皇妃様、記念に俺がもらっておいてやるよ」
男はそれを無造作に、傍の棚に置いた。
「・・今は、それよりも・・・」
男がいやらしく笑いながら、オクタヴィアへと再び近づいてくる。
(嫌!!!誰か・・助けて!!)
足を掴まれ、ずるずると引き寄せられる。
必死にもがき、振り上げた腕が男の頭を殴った。
「てめぇっ!!!」
殴られたことで怒りが爆発し、男は逆上した。
大きく振りかぶった手が、オクタヴィアの頬を叩きつける。
バチンッ!
猿ぐつわの中で口の中が切れ、血の味が広がる。
視界がぐにゃりと歪み、気を失いそうになるが、それでも意識を手放すわけにはいかない。
「ふざけんなよ?!この女!!覚悟しろっ!」
ザカライアからもらったドレスの胸元を掴まれ、下まで引き裂かれる。
前見頃を破られたが、まだ肌は見えていない。
・・・・だが、時間の問題だろう。
(お願いっ!動物さんでも虫さんでも、誰でもいい!助けて!!)
必死に祈るように目を閉じた、そのとき・・・
ブゥゥンッ!
羽音が響き、暗闇の中から鬼蜂の大群が飛び込んできた。
「うわああああああああっ!!」
鬼蜂が男に襲いかかる。
地獄のような悲鳴が響き、男はパニックのまま馬車から飛び降りた。
(ありがとう!鬼蜂さん!・・・逃げるなら今しかないわ!)
襲われそうになった恐怖で足がもつれながらも、なんとか自分を奮い立たせ、オクタヴィアは馬車から転げ落ちた。
地面に叩きつけられた痛みはあったが、今はそれどころではない。
必死に立ち上がり、男が逃げた方向とは逆の森へと走り出す。
道はわからない。ただ闇雲に前へ前へ。
走るうちに靴は脱げ、裸足のまま森を駆け抜けた。
途中、男が追ってきていないか耳を澄ましながら、限界まで走る。心臓が潰れそうだ。
後ろを確認しようと振り返ったその瞬間、
木の根に足を取られ、崖をものすごい勢いで転げ落ちていく。
「ザカライアさ・・・ま・・・」
オクタヴィアは薄れゆく意識の中、ザカライアの顔が頭をよぎった。




