43
「皇女様、どうぞこちらに」
侍女に促され、オクタヴィアは鏡台の前に腰を下ろした。
(皇女様?・・・聞き間違えかしら・・・)
「急にごめんなさいね」
「いいえ」
侍女が静かに頭飾りを外し始める。オクタヴィアは鏡越しに彼女の動きを目で追った。
「ところで、このお部屋にはあなただけしか侍女がおりませんが・・お一人だけですか?」
皇女様の化粧直しに侍女1名とは珍しいな・・・と思い、さりげなく問いかけた。
「いいえ、私一人ではありません」
「・・・?」
部屋を見回したが、他に誰の姿もない。
(これから来るのかしら・・・?)
その時、不意にいつぞやのヤモリの声が頭に響いた。
{オイ、コイツ、アイツラノ、ナカマダゾ}
「!!」
血の気が引いた。慌てて椅子から立ち上がろうとした瞬間、口元に布が押し当てられる。
(この匂いは!!!吸ってはダメ!眠ってしまうわ!)
あわてて息を止めようとしたが、すでにその薬品を吸ってしまっており、頭がクラクラする。
(ダメだわ・・・思うように息が止められない・・・)
{ニゲロ、ドウシタ、オイ}
遠くで聞こえるヤモリの声がだんだんと遠のいていく。
(あの壺は・・・・・)
視界の隅に、部屋の隅に置かれた大きな壺が映る。
{ナニカ、イレル、ドコカ、イク}・・・
ヤモリの言葉を思い出す。
(あれは・・・・人を入れて運ぶという事だったのね・・・・・・・)
それを最後にオクタヴィアの視界は完全に闇に閉ざされた。
「オーギュスタン殿下、それでどうされるおつもりで?」
「ルカルド王国とは、鉄と銅の取引を縮小するつもりだ」
「・・・それは、ルカルドにとっては大ダメージですね」
「あのままにしておく訳にもいかないしな・・・。ジゼル殿下は100%オクタヴィアを狙っている。放っておくと、正式に婚約を申し入れられてしまう」
「そうですね・・・」
「そうなってしまってからでは・・いかにアービング公爵とはいえ、王族同士の婚約を曲げることは難しくなってしまうだろう。だから少しぐらい仲が悪いほうが都合がよいと思うが・・・・そうだろう?」
「・・・お気遣いありがとうございます」
「それと、気になる事がある」
オーギュスタンはあの令嬢を思い出す。
「なんです?」
「20歳前後の伯爵以上で、金髪、ドレスは緑と金、右目の横に小さなホクロのある令嬢は誰だかわかるか?」
ザカライアは少し考え、すぐに答えた。
「・・・リリア・リンゼン伯爵令嬢かと」
「その令嬢、オクタヴィアをずっと睨んでいた。アービング公爵、何かあるのか?」
「・・正直に言えば、少しつきまとわれていまして」
「なるほどな」
「ですが、オクタヴィアに手を出させるつもりはありませんよ」
「もちろん、そうであってほしいものだ」
オーギュスタンは小さく溜息をついた。
「それで、先程の話ですが・・ここからはザカルド商会の会頭として、商売の話をさせてください」
「そう言えば、アービング公爵は商会も持っていたな」
「ええ。そこで、ひとつ商談を。オーギュスタン殿下、ルカルド王国に卸していた鉄を、こちらに回していただけませんか?」
「鉄を?」
「はい、今までのルカルド王国との取引量の1.5倍の取引が希望です。あと、金額はこれくらいでいかがでしょうか?」
オーギュスタンが提示された紙に目を通した瞬間、目を見開いた。
「なっ・・!今までの二倍の金額!?」
「正規料金に少し色を付けただけですよ。しかし、商売です。すぐに利益を出すつもりですから・・まずは一年の契約で、年ごとに見直していくのはどうでしょうか?」
「わかった、この条件で国に持ち帰ろう・・しかし、ファルマン帝国も鉄の産出はしているだろう?いくら我が国を助けてくれるとはいえ、高すぎでは・・」
ザカライアは笑みを浮かべて首を振った。
「いいえ、助けているつもりはありませんよ。これはあくまで商売です。それに、我が国の鉄は不純物が多い。デューク王国の鉄の品質には遠く及びません。ルカルドが手放すなら、その分を頂くだけです」
「・・なるほどな」
「良いお返事をお待ちしております」
オーギュスタンは時計を見る。
「そろそろ、オクタヴィアも終わった頃だろう。迎えに行くとするか」
ザカライアも時計を見て時間を確認する。
「そうですね、参りましょう」
ザカライアとオーギュスタンは、オクタヴィアの部屋へと向かった。
扉の前で立ち止まる。
(見張りの者がいない・・・?)
ザカライアは、慌ててノックをする。
しかし、中からは何の反応もない。
「オクタヴィア?」
「ヴィアいるかい?」
二人で同時に呼びかけるが、静寂だけが返ってくる。
嫌な予感がした。
ザカライアとオーギュスタンは顔を見合わせ、オーギュスタンが躊躇なく扉を押し開ける。
「オクタヴィア!!」
「ヴィア!!」
部屋へ駆け込んだ二人は、必死に辺りを見回した。
目に飛び込んできたのは床に倒れた二人の見張り、どちらも血に染まり、すでに動く気配はない。
オクタヴィアの名を呼びかけようとしたが、声が喉に詰まった。
そこにいるはずのオクタヴィアが、跡形もなく消えていた。
静まり返る部屋に、ただ風に揺れるカーテンの音だけが響いていた。




