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「では、オクタヴィア、まずは、お茶でもいかがですか?」
「はい、ありがとうございます」
一通りの挨拶を済ませ、少し緊張がほぐれたオクタヴィアが、柔らかく微笑んだ。
「では、ナージャさんは先に私と準備いたしましょうか。こちらにどうぞ。」
ナージャはマリアについて行くことになり、サムエルを先頭に、ザカライアのエスコートを受けながらオクタヴィアはティールームへと向かった。
「すごく大きなお屋敷ですね。一人で歩いたら迷子になってしまいそう。でも、これだけ使用人の方がいらっしゃるなら、迷っても案内してもらえそうですね」
ふふ・・と笑うオクタヴィアを見て、ザカライアは困ったような表情を浮かべる。
「一人にはしませんので大丈夫ですよ」
「冗談です。それくらい、驚いたということです」
そう話しているうちに、サムエルが部屋の前で立ち止まり、扉を開けた。
そこは、白い大理石の床、ブルーとグリーンを基調とした可愛らしい壁紙が施され、大きなガラス窓に囲まれた広々とした部屋だった。
窓の外には、滝が流れる川があり、その奥には森が広がっている。
部屋の中央には白いピアノが置かれ、そのそばには艶やかなテーブルと、ゆったりとした座り心地の良さそうな椅子が二脚。
オクタヴィアは思わず足を止め、窓の外の景色に釘付けになった。
「ザカライア様、あの・・・森がありますね。しかも、川まで・・・私は都市の中にいると思っていたのですが、いつの間に森へ入ったのでしょうか?」
目の前の光景に、呆然とするオクタヴィア。
「ああ、屋敷の北側には自然を残した区画があり、小さいながらも森があります。オクタヴィアがお好きな動物も、たまに姿を見せますよ。川は人工のものですが、魚も泳いでいます。この部屋は、そんな自然に面した一室なのです」
あまりの規模に驚きが収まらず、唖然としたままエスコートされるオクタヴィア。
椅子に座ると、それが驚くほど柔らかく、心地よいことに気づく。
気がつけば、サムエルがいつの間にか入れてくれたお茶のカップを手にしていた。
「このお部屋、すごいですね。本当に森の中にいるみたいです」
「そうですね・・・ここも、姉のこだわりのティールームです。いつも思い悩むとピアノを弾きながらここに閉じこもっていたものです」
「こちらがイザベル皇妃様の落ち着けるお部屋だったのですね」
「どうですかね?陛下と喧嘩をしたときには、ここでピアノを叩くように弾いていましたね」
ザカライアは何かを思い出したのか、可笑しそうに笑った。
「なるほど・・・そういう発散の仕方もあるんですね」
オクタヴィアも、いけないと思いつつ、くすりと笑ってしまう。
「オクタヴィアはピアノを弾かれますか?」
「上手くはありませんが、少しだけ・・・」
「わがままを言ってもよろしければ、一曲聴かせていただけませんか?」
「いえ、本当に拙いので・・・」
断ろうと首を振ると、ザカライアが何も言わずに期待を込めた目で見てくる。
「・・・・・」
(ザカライア様の期待を込めた目力に負けてしまうわ!・・・ここは森だし・・・でも、誤魔化せばなんとか・・・・・)
オクタヴィアは窓の外の森をちらりと見る。
長い沈黙が流れたが、サムエルが無言でピアノの蓋を開け、準備を整える。
(サムエルの無言の圧力がすごいわ・・・これはもう、弾かないと帰れないのでは・・・?)
「・・・わかりました。お耳汚しになるかもしれませんが、短い曲でご勘弁ください」
「弾いていただけるのですか!?」
ザカライアはすごく嬉しそうに身を乗り出す。
まるで、子供が嬉しいプレゼントを貰えると知った時のような無邪気な様子に、オクタヴィアも仕方がないな、と笑ってしまった。
「ザカライア様は音楽がお好きなんですね?」
「音楽?・・ええ、好きですよ。なので、オクタヴィアがどんな音楽を奏でるのか、楽しみです」
「期待されると困りますが、本当に少しだけ・・・」
ザカライアが椅子を引いてくれ、手を取られるままにピアノへと移動する。
オクタヴィアが椅子に腰掛けると、ザカライアはその傍に立ち、鍵盤に置かれた彼女の白く細い指を見つめた。
オクタヴィアが奏で始めたのは、有名なワルツだった。きっとザカライアも知っている曲だろうし、何より短い。
優しい旋律が、静かに部屋に響く。
姉のピアノは、音楽家にも認められるほどの腕前だ。
しかし、オクタヴィアの奏でる音色は、それとはまた違った魅力があった。
どこか心にすっと染み入るような、ずっと聴いていたくなるような……。
そんなことを考えながら、ザカライアがオクタヴィアの指先と音色に集中していたそのとき・・・ふと外に気配を感じとり、振り向いた。
「!!!」
窓の外には、見たこともないほどの数の動物たちが集まっていた。
森とはいえ、ここはあくまで屋敷の敷地内。
小さな庭のような規模なのに、これほど多くの動物がいるとは思えない。
リスやテン、アライグマ、キツネ、ウサギに鳥類・・・。
ざっと見ただけでも三十を超える数だ。
さらに、窓には蝶やトカゲまで張り付いている。
(この部屋では、たまに動物の姿を見かけることはあったが、せいぜいキツネが一匹通り過ぎる程度。これほどの数が窓辺に集まるなど、いったい何が・・・。)
そんな中、演奏が終わり、オクタヴィアがザカライアを振り返ると、一点を見つめたまま動かないでいる。
ザカライアの視線の先に目を向けた。
(あぁ、やはり・・・・・・)
窓の外には、じっとこちらを見つめる動物たち。
オクタヴィアが小さく頷くと、彼らは合図を受け取ったかのように散り散りに森の中へ消えていった。
窓に張り付いていたトカゲだけが、窓の上部へと移動する。
ザカライアは、一切動揺しないオクタヴィアを見る。
「オクタヴィア、これは、いったい・・・?」
「・・・ええと・・・ザカライア様、私が音楽を奏でるとあのようにいつも動物が集まって参ります。自分でも不思議なのですが子供の頃からそうでした。驚かせてしまいました・・・申し訳ございませんでした」
(さすがに、動物と話せるなんて突飛な話はできないけれど、このぐらいなら大丈夫だと思いたいわ・・・)
「そう・・・ですか・・・」
オクタヴィアも緊張しながらザカライアの次の言葉を待つ。
「・・それは不思議ですね・・・」
「ええ、本当に不思議です」
ザカライアは、ふと、あの日の出来事を思い出す。大きな鹿に静かに語りかけていたオクタヴィアの姿を。
(あの日もそうだったのだろうか?・・・とりあえずこの話は、もう少し考えてからにしよう・・)
「・・演奏ありがとうございました。とても優しい音色で聴き入ってしまいました。では、ドレスの準備ができたようですので、別の部屋に移動しましょう」
ザカライアが自然な仕草でオクタヴィアの手を取り、歩き出す。
(よかった・・とりあえず、誤魔化せたようだわ・・・ピアノの演奏で、あの話ができなかったけれど、試着が終わったらザカライア様に話さなくては・・)
しかし、オクタヴィアが「誤魔化せた」と思っている一方で、ザカライアは心の中で静かに考えていた。
(・・・後で、もう少し調べてみるとしよう)
そう、実はまったく誤魔化せてなどいなかったことを、この時のオクタヴィアは知らない。




