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ザカライアの屋敷にて。
「ザカライア、お姫様の到着は明後日だっけ?」
執務室でがむしゃらに仕事をしているザカライアを見ながら、ハロルドが声をかけた。
「そうだ」
「そろそろデューク王国を出たころかな・・・」
時計を見ながら、ハロルドがカップに入った紅茶を口に運ぶ。
ザカライアもちらりと時計に目を移し、
「だろうな」
と一言だけ呟くと、再び書類作業に戻った。
「・・・あー、ザカライア?」
「なんだ?」
「ここ一か月、ずっと仕事しっぱなしじゃないか?執事のサムエルさんも心配していたぞ」
「大丈夫だ」
相変わらず言葉少なに、顔を上げることもなく書類をチェックし続けるザカライア。
「そんなに、お姫様と一緒にいたいんだな・・・」
一心不乱に机に向かうザカライアを見て、ハロルドはため息をついた。
この一ヶ月、ザカライアは驚くほどの勢いで仕事に打ち込み、ひたすら片付け続けていた。
もはや「仕事をしないと殺されるのでは?」と思うほどの気迫である。
それもすべて、これから訪れる隣国の王女のために、少しでも時間を作ろうとしているからなのだろう。
最初、デューク王国から帰ってきたばかりの頃のザカライアは、まるで人が変わったようだった。デューク王国での出来事を延々と語り続けるのだ。
ハロルドは「お土産話を聞かせてくれ」と確かに頼んだが、それは“お土産話”というレベルではなく、もはや“長大作”だった。
そして、ひとしきり話をして満足したのか、今度は驚異的なスピードで溜まっていた仕事を片付け始めた。
普段のザカライアは冷静沈着で、女性にも興味を示さず、口数も少ない男だ。
そんな彼の豹変ぶりに、ハロルドは驚きを隠せなかった。
話の内容から察するに、どうやらザカライアはデューク王国のお姫様に並々ならぬ思いがあるようだった。
それを確信したのは、ザカライアが帰国後、真っ先にやったことを見た時だった。
国王陛下への謁見でもなく、商会の運営確認でもなく、ザカライアが最初に取りかかったのはなぜかドレスの注文だった。
しかも、商会でも最高のデザイナーを手配し、素材にも金の糸目をつけず次々と注文を決めていく。
目が飛び出るほどの支払いになったはずだが、ザカライアは、むしろ楽しそうにさえ見えた。
そこまでくれば、さすがにハロルドも気づかざるを得ない。
(これは、恋する男の行動 だ、)と。
そうこうしているうちに、今度はザカライアの姉、イザベル皇妃が、お忍びで邸を訪ねてきた。二人は長いこと部屋にこもり、何を話していたのかはわからないが、帰りの馬車に乗る皇妃は、大変ご機嫌だったという。
(なるほど、すでに陛下も皇妃もこのことを知っているのか・・・そうなると、あとはお姫様の囲い込みだけってことだな・・・デューク王国のお姫様は、ザカライアの話を聞く限り穏やかで聡明な方のようだし、このままザカライアが一生独り身というのも困る。何より、あいつがここまで誰かを想う姿なんて、今まで見たことがない・・・お姫様を自分の目で確認してからだが・・・まぁ、俺も何か手伝ってみるか・・・)
そんなことを考えながらハロルドも、オクタヴィアに会うことを楽しみにし始めた。
「おかえりイザベル」
アーロンは、帰宅した妻を優しく迎えた。
イザベルは、帰国したザカライアがなかなか城に姿を見せないことに業を煮やし、とうとうアービング公爵の屋敷まで足を運んでいた。
「ただいま、アーロン」
「ザカライアは、どうだった?」
「すごかったわ・・・」
イザベルは肩をすくめながら、驚きと呆れが入り混じったような笑みを浮かべる。
「すごいとは・・・?」
「あの子、想像した以上に、デューク王国の王女に夢中のようです」
「そんなにか?」
「ええ、そんなにです。私に、ドレスに関して色々質問をしてきたぐらいよ」
「ドレスについて・・・?」
「どうやら、今度の夜会にご出席される王女のドレスをザカライアが用意すると約束をしたそうです」
アーロンは驚きのあまり目を瞬かせ、思わず口をぱくぱくと動かした。
「全く女性に興味がなかった、あのザカライアが・・・・?ドレスを贈る・・・?」
「・・あのザカライアが・・・」
「本当に驚きましたわ。ついこの前、例のお茶会があったばかりですのに。私たちの力を借りずとも、自分で唯一を見つけてきたようですわね」
「そうか・・・ドレスを・・いかんせん信じがたい話だが・・・、王女に晩餐会で会えるのが楽しみだな」
城の奥からアーロンを探しに来ていると思われる側近の姿が見えた。
イザベルはちらりとそれを確認すると、微笑を浮かべながらアーロンへと向き直る。
「さぁ、アーロン、いつまでも油を売っていないで、仕事に戻ってください。ザカライアのことは、温かく見守りましょう。もちろん、手助けは惜しみませんが」
「・・そうだな。イザベルはこの後、新しい商会の面談だったな」
「えぇ、そうです。新しく取引を始めたいという商会があるのだとか・・・リンゼン公爵からの申し入れで、その商会長と面談することになっております」
「ザカルド商会で、ほぼ間に合っているがな」
「まぁ、そうですが・・・現状、そうもいかないでしょう。それでなくても、急成長したザカライアの商会を妬んでいる者も多くいますから。ザカライアばかりが特別視されていると思われぬよう、帝国がお墨付きを与える商会はいくつか必要ですわ」
「そうだな・・では、もう私は行くとしよう。リンゼン公爵によろしく伝えておいてくれ」
「えぇ、そのように伝えておきすわ」
イザベルは優雅に一礼すると、アーロンが仕事に戻るのを見送る。
そして、アーロンが視界から消えたのを確認すると、面談に備え自室へと向かった。




