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アービング公爵との話は興味深く、オクタヴィアは時間を忘れるほど会話を楽しんでいた。
気がつけば、夕日が傾き始め、柔らかな光が庭を黄金色に染めていた。色とりどりの花々が夕日に映えて輝き、その美しさにオクタヴィアは思わず目を奪われる。
(もう、日が落ちる時間なのね・・)
そんな彼女の様子に気づいたザカライアが、そっと声をかける。
「あまりに楽しくて、つい時間を忘れてしまいましたね。残念ですがそろそろお送りしないと」
オクタヴィアは、はっとし、慌てて背筋を正した。
「私もです。兄から、“長居してご迷惑をかけないように”と言われていたのに・・・申し訳ありません、アービング公爵様のお仕事のお邪魔をしてしまいました」
「いいえ、決してそんなことは」
ザカライアは首を振ると、穏やかに微笑んだ。
「最近は忙しくしていましたので、今日はもともと休みを取るつもりでした。オクタヴィア王女のおかげで、実りある休日になりましたよ」
その言葉に、オクタヴィアの表情がほころぶ。
「そうおっしゃっていただけると、少し安心しました」
ふと、テーブルに並んでいたスイーツの数々を思い出し、オクタヴィアは再び微笑む。
「どのスイーツも本当に美味しかったです。これほどたくさんの種類を作るのは、大変だったでしょうね。ぜひ、シェフの方々へお礼をお伝えください」
オクタヴィアの言葉に、ザカライアは満足げに頷いた。
「ええ、必ず伝えます。シェフたちも喜ぶでしょう」
帰りの馬車も、話が尽きることはなかった。
揺れる車内の中でオクタヴィアは笑顔で語る。
「アービング公爵様、本当に帝国は素晴らしいですね。そのうち、ぜひ帝国にも行ってみたいですわ」
「・・・近いうち、王女を我が国へご招待いたしましょう」
「ありがとうございます」
建前だとはわかっていながらも、オクタヴィアは嬉しそうに微笑み、礼を述べた。
やがて馬車は城門をくぐる。到着するころには、夜空に薄く月が浮かんでいた。
「遅くまでお付き合いいただき、ありがとうございました」
「いいえ、アービング公爵様、本日は本当にありがとうございました。とても楽しかったです」
その言葉に、ザカライアは少し表情を和らげ、ふと真剣な面持ちで言った。
「オクタヴィア王女、よろしければ、友人となったのですから、アービング公爵ではなく、ザカライアとお呼びください」
「え・・・? でも、さすがにそんな・・」
名で呼ぶこと。
それはただの呼び方ではなく、深い親しみを意味する。ましてや王族や貴族の間では、よほど親しい間柄でなければ許されないものだ。オクタヴィアは思わず戸惑い、視線を落とす。
だが、ザカライアは穏やかに続けた。
「私を名で呼ぶのは家族だけなのです。私はずっと、友人ができたら名前で呼んでほしいと憧れていました。その願いを、オクタヴィア王女が叶えていただけませんか?」
優しく差し伸べられた指先が、そっとオクタヴィアの手を包む。
真剣な眼差しが、まっすぐに向けられていた。
その気持ちが痛いほど伝わってくる。
地位が高くなればなるほど、心から信じ合える友は作りにくいもの。
オクタヴィアもまた、かつて同じ孤独を感じていた。
「・・わかりました。では、ザカライア様とお呼びさせていただきます」
「オクタヴィア王女・・ありがとうございます」
ザカライアの顔が、一瞬にして喜びに輝く。
そんな姿を見て、オクタヴィアも自然と微笑んだ。
「では、私のことも“王女”と呼ぶのはやめてください。どうぞ、“オクタヴィア”と呼んでください」
「・・・良いのですか?」
「はい、ぜひ」
「では・・・・・、オクタヴィア」
「はい、ザカライア様」
「・・・ははっ、なんだか照れますね」
「そうですね・・・」
はにかみながら向かい合う二人の間に、優しい夜風が吹き抜ける。
ザカライアは馬車を降りる前に、もう一度微笑んだ。
「また、お迎えに上がります。次も楽しみにしております」
「そうですね。よろしくお願いします」
静かな夜、馬車が去った後も、オクタヴィアの心にはどこか温かな余韻が残っていた。