14
(どうして、私は・・・・なぜこの子がこんな目に・・・・オルガにこの子の命を奪う資格などなかったはずなのに!!・・・・いいえ・・・オルガをここに無理に連れてきてしまったのは私・・・私が全て悪い・・・)
目の前にいるベロニカの存在にも気づかず、オクタヴィアはただ、手の上にいるサンドネズミを見つめ続け、涙を流し続けていた。
心の中で溢れる痛みを押し込むことができない。抑えきれない嗚咽が漏れ、声にならない悲しみが湧き上がる。
涙は止まることなく、次第に呼吸は乱れ始め、喉元で苦しげに息を呑み込む。
「どうして・・・」
その声は震えており、まるで誰かに助けを求めているかのようにか細く響いた。だが、息を吐こうとしても、空気が肺に届かず、喉の奥に冷たい圧迫感が押し寄せる。
視界がぼやけ、目の前が黒く沈んでいくのを感じる。
ベロニカは娘の様子がおかしいことに気がつき手を伸ばした瞬間、オクタヴィアの意識がついに遠のいてパタリと倒れた。
ベットに眠るオクタヴィアを侍女に任せ、一旦オーギュスタンの部屋へ向かうベロニカ。
「何が起きたの?」
「オルガ嬢に聞き取りを行った騎士によると、突然ヴィアがオルガ嬢を怒鳴りつけたそうです。それにびっくりしたオルガ嬢が、どうやら、偶然そこにいたネズミを踏んでしまい、それを見たヴィアが、オルガ嬢を突き飛ばしたとのことです。」
「他には?」
「オルガ嬢は“せっかく仲良くしてあげていたのに、ひどい扱いだ”と憤慨しているようです。」
「“仲良くしてあげた”……ね。」
ベロニカは静かにため息をついた。
「オクタヴィアとネズミの間に、何かしらのやりとりがあったのでしょう。あんなにショックを受けていたのですから。」
「あんなヴィアを見たのは初めてです。ヴィアは親切心でオルガ嬢を連れてきたのにこんなことになって、やはりあの時にきちんと止めるべきだったのに!」
「オーギュスタン、それは私たち親の責任です。中途半端な優しさでオクタヴィアを傷つけてしまいました・・」
「こうなっては、もうオルガ嬢を城にいさせるわけにもいきません!すぐに孤児院にでも行かせましょう!」
妹を罵るオルガの姿を思い出すたびに、心の奥から怒りがふつふつと湧き上がる。
「まだ、状況がわかりません。オクタヴィアが目を覚まし、状況が判断でき次第結論をだしましょう」
「・・・はい」
「オーギュスタンもう休みなさい。私はオクタヴィアの様子を見てきます」
オクタヴィアの手に優しく握られていたサンドネズミは、そっとサイドテーブルの上にある小さな木箱に移された。その小さな箱の中で、サンドネズミは静かに横たわり、安らかな姿を見せている。
オクタヴィアが目を覚ましたとき、すぐにその姿が目に入るように、箱は彼女の視線の届くところに慎重に置かれていた。
ベロニカは顔色悪く眠る娘をベットの横の椅子に座って見つめる。
(きっと、このネズミはオクタヴィアを助けようとしてくれたのでしょうね。昔から、オクタヴィアは動物たちから愛されているものね。あの娘より、ずっと仲が良いのだから・・・。)
王妃としては、二人を平等に扱わなくてはならないが、親としては腹の底から湧き上がる憤怒を押さえられない。オクタヴィアが声もなく倒れるほど泣かせたあの娘をオーギュスタン同様、すぐにでも城から叩き出したいと思う。
(でも、あなたはそれを望まないのでしょうね・・・)
「ベロニカ、オクタヴィアはどうだい?」
心配そうな顔で部屋に入ってくるデニス
「あなた・・・」
デニスはベロニカの表情をみて、なにかを悟り椅子に力無く座るベロニカを抱きしめながら、眠るオクタヴィアを心配そうに見つめた。
オクタヴィアが倒れてから三日。
ベロニカはオクタヴィアのベッドの横に座り、そばで仕事をしながら娘の目覚めを待っていた。
「う・・・・」
「オクタヴィア!」
ベロニカは立ち上がり、オクタヴィアの手を取ると目を覚ましそうな娘を見守る。
「お・・母様?」
「具合はどう?」
「具合・・・?」
まだぼんやりしているオクタヴィアは、半分眠りの中にいるようだ。あれを思い出したらどうなるか・・ベロニカは緊張し、握る手に無意識のうちに力が入る。
その時、オクタヴィアのネオンブルーの瞳が大きく見開かれた。
「サンドネズミさんっっ!」
サイドテーブルに置かれていた小さな箱に手を伸ばし、そっと手の平にのせる。
目に涙を浮かべながら、人差し指でネズミの小さな体を優しく撫でた。
ベロニカは何も言わず、静かに娘の様子を見つめる。
「お母様、私・・・取り返しをつかないことを・・」
「オクタヴィア、何があったのか聞かせてくれるかしら・・・」
涙が止めどなく流れ、しゃくりあげながらも、オクタヴィアはゆっくりと話し始めた。
話の途中で言葉が詰まると、ベロニカが背中をさすって落ち着かせる。
すべてを話し終えるまでに、かなりの時間を要した。
「・・・私が、すべて悪かったのです・・」
「・・すべてオクタヴィアが悪いとは言いませんが、少なくとも動物に対してあなたに責任があります。一つの命が失われたのは事実として受け止めるしかありません。今後、どうしていくのかよく考えなさい」
「はい・・」
「オルガ嬢のことですが、オクタヴィアの話が正しいかどうか、騎士団に調査させます。本当に王族の所有物を盗んだのであれば、王国の法律に従い、追放刑となるでしょう」
「・・追放・・・」
オクタヴィアの手が震えた。
「お・・お母様・・・もしオルガから何も出てこなければ・・・追放はないですよね?私の間違っていたら・・・そうなると、間違えらえたオルガは傷つくのでは・・・」
「オクタヴィア、先ほどの話では、そのネズミがわざわざ教えに来てくれたのですよね?あなたは、それを嘘だと?」
「嘘なんて言ってません!・・・・でも・・でも・・・」
「こればかりは仕方ありません。オルガ嬢の年齢を考えれば気の毒ですが、管理者である親と共に追放すれば、親子は離れずに済むでしょう」
「・・・・・・・・」
「まずは騎士団に調べてもらいます。いいですね、オクタヴィア」
オクタヴィアは声もなくコクリと頷くしかなかった・・・。
その後、騎士団がオルガの部屋を詮索すると・・
オクタヴィアのブレスレットとパールのイヤリング、綺麗なペン、城に飾ってあった小さな壺など数十点の品が見つかった。
オルガは泣きじゃくりながら謝っているそうだが、王妃が言ったように追放刑となった。
オルガの父親は他国で療養中と言っていたが、もとより他国には行っておらず、勝手にいなくなったオルガを探し回っていたそうだ。まさか城にいるとは思わず、城の者に声をかけなかったそうだ。
オルガになぜ盗んだのか理由を尋ねる。
「オクタヴィアばかり恵まれていて、私にも少しくらい分けてもらっても罰は当たらないと思った。」
「寂しいお姫様と仲良く“してあげた”のだから、物をもらうのは当然の権利だと思った。」
そう答えた。
追放刑が正式に言い渡されたとき、オルガは最後の最後に叫んだ。
「オクタヴィアを一生許さない!!」
王妃の判断で、その言葉はオクタヴィアには伝えられなかった。
だが、オクタヴィアは知っていた・・・
一部始終を見ていた蜘蛛が、その話をしに、彼女の部屋まで来たのだから。
オクタヴィアは、当分の間、自室にこもり、誰とも話さずに過ごした。
心配したオーギュスタンが何度か部屋を訪ねたが、扉の向こうから返ってくるのは決まって
「心配いらない、大丈夫。」
その一言だけだった。
扉を閉ざしたまま、オクタヴィアはひたすら静かに過ごした。
そんな日々が一年ほど続いた頃—、少しずつ、彼女は庭へ出るようになった。
毎日庭に集まる動物や虫たちと話をすることで、次第に心が落ち着いていった。
そして、決定的にオクタヴィアが元気を取り戻したのは、ナージャが専属侍女になってからだった。
ナージャは根気よく彼女に仕え、動物や虫たちの話に一緒に笑い合ったり、時には気分転換と称して孤児院へ出かけたりしながら、少しずつオクタヴィアを元気づけたのだった。