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第58章

「それで、蜘蛛の巣にかかった連中っていうのはようするに、小物ばかりだったっていうことなのかい?」


 ハムレットは、聖ウルスラ祭が一週間後に迫ったというその日、モントーヴァン家の会議室となっている広間で、ランスロットとギネビア、それにカドールからそのように報告を受けていた。彼らはあれからセドリックの情報に基づき、聖ウルスラ騎士団のフランソワ派の騎士たちが出没するという噂の、一階が軽食屋兼飲み屋、そして二階が夜には娼館に早変わりするといったようなタイプの店で、客を装い張っていたわけである。だが、期間があくまで二週間ほどと短かったせいもあるだろうが、さして劇的な事件が起きるといったこともなく終わっていたのである。


 彼らは昼間眠っておいて、夜にそうした場所へ赴くのだったが、単に空振りに終わることもあれば、のみならず、聖ウルスラ騎士団のフランソワ派の騎士などはまったく関係のない庶民の乱痴気騒ぎに巻き込まれたりと――成果のほうは上がっているとは決して言えなかった。


 また、ランスロットたちがこの<大捕り物>をするには、一年のうち時期がもっとも悪かったということも否めない。というのも、聖ウルスラ騎士団の面々は幼き頃より星母神書や騎士聖典にあることを叩き込まれるため、聖ウルスラ祭がだんだんに近づいてくる頃になると……普段は多少なり嵌めを外し酔っ払うことのある者でも、「一年の間、せめても今の時期くらいは」と、この期間のみ特別慎み深くなる騎士らというのは多かったろうからである。


「結果として我々にわかったことといえば」と、口をへの字に曲げたまま、カドールが面白くもなさそうに言う。「ここメルガレス城砦の警護機関がなかなか上手く機能していることと、確かに不正のようなことはあるし、騎士がそのことを見逃す代わりに賄賂を受け取っていたり、あるいは政府の認可を受けてない娼館でその手の女性と関係を持っていたりと……我がローゼンクランツ騎士団であれば、それだけでも騎士団から除名されるか、それ相応の罰と恥を負うところだったでしょうが、聖ウルスラ騎士団には聖ウルスラ騎士団の流儀というものがあるでしょうからね。俺とランスロットの見た限りにおいては――このくらいのことは厳しく処罰するより、お目こぼししてやるくらいのほうが、もし戦争が近いといった場合は特に、軍の士気は上がるだろう……といったように感じたという部分は確かにあります」


「私と主人であるラウールさま、それに今は亡きサイラスさまがあなた方、ローゼンクランツ騎士団と志しを同じくしている、ということは間違いなく確かです」と、セドリックが溜息を着いて言った。「それに、私と私の家系の手の者がこの件に関し調べているのは一年も前からです。ですから、わかることとしては……とりあえず今の時点においては彼らの不正を摘発し、逮捕することまでは難しいということなんですよ。いえ、私も騎士に仕える者のはしくれとして、そのようなことが公になり、聖ウルスラ騎士団の名に傷がつくような事態は出来るだけ避けたいとすら思っています。ただ、私がサイラスさまを殺害された恨みゆえに、ほんの小さな瑕疵を大袈裟に罪深いと泣き叫んでいるようには思わないでいただきたい。問題は、騎士団長であるフランソワ・ボードゥリアンが巫女姫マリアローザと恋仲にあること、またそれと知ってもフランソワの部下たちが彼を自分たちの主であると認めるか否か、ということです。また、守備隊士や巡察隊士らと騎士たちの癒着というのは、やはりあってはならぬものと私は考えます。そして、それを戒めねばならぬ立場の者が、自らが大罪を犯しているがゆえに……注意するどころか、むしろ今後とも大いに賄賂を受け取り、娼婦たちと懇意にせよと勧めているというのが、何より私は許せないのです」


「そうだ、そうだ!!」と、ギネビアがセドリックに同調する。「ランスロットもカドールもどうかしているぞ!わたしがもし聖ウルスラ騎士団の騎士団長であったとしたら、全員手打ちにしているところだ。父上だってそう判断することだろう。確かに、ここメルガレス城砦の警護機関については、多少なり見習うべきところはある。ええと、なんだっけ……各区にある警護院に所属する巡察隊とそれを率いる巡察隊長、さらにその上にいる警護大隊長と、また法務院には時と場合によって軍隊を動かしてでも、法を執行することの出来る力があるとか。こちらには城砦の守備隊士らが所属していて、警護院所属の巡察隊士とは交替か、大体半々くらいで任務に就いているわけだ。そして、これらふたつの組織よりもさらに上にいるのが聖ウルスラ騎士団ということになる。つまり、夜警団が警護院の巡察隊士だけで構成されず、また軍隊に所属している守備隊士だけで構成されてもいないのは何故かと言えば、このふたつの組織同士で見張りあう関係を作りだすことによって、不正を犯さぬようにするといった意味合いがあるわけだ。ところが、彼らよりもさらに上の立場にあるはずの聖ウルスラ騎士団の騎士たちが堕落の一途を辿っているなどとは、決して許すことが出来ないのは当たり前のことだろう!!」


「ギネビアとセドリックの言い分のほうが正しいですよ」タイスがふたりに加勢するように口を挟んだ。むしろ、カドールとランスロットに対し、咎めるような眼差しさえ送る。彼らは同じ騎士という立場の者に対し、あまりに同情的で寛容すぎるように思えたからだ。「これは、俺が僧籍にある者だから、堅苦しく物事を考えているわけではありませんよ。ようするに、それだけ騎士というものには社会的な責任の重さが伴うということです。守備隊士に対しても、軍隊組織に連なる者として庶民に模範を示さねばならぬ立場だというのに、その彼らが賄賂をもらって小銭を稼ぐような真似をしていたり、非公式の娼館のような場所で自堕落に夜を過ごすのだとしたら……本来であれば、逮捕され裁かれるべき罪でしょう。むしろ、何故今そうなっていないのか不思議なくらいですよ」


 実をいうとハムレットも、ランスロットとカドールについていきたかった。ここメルガレス城砦の堕落した夜の実態を知りたかったというわけではない。単に、ここの市井の人々の暮らしについて、よく知りたかったということがある。だが、彼らにもギネビアにも強硬に止められたため、諦めることにしたわけだった。


「ラウール殿がしたためた書簡に対しては、今もまだメレアガンス伯爵から返信はないのだったな」


 ハムレットは少しばかり話の方向性を変えることにした。セドリックとギネビアとタイスの言うことは、論理としては間違いなく正しい。だが、今ここで聖ウルスラ騎士団の罪について云々しても、結局のところ彼らに逮捕状を出すことが出来るわけでもないのだから。


「はい……」と、セドリックは彼が悪いわけでもないのに、この件に関しても非常に申し訳なさそうな顔をした。「ラウールさまの話では、このこともまた予想通りとのことでした。先にハムレットさまにも申しておられたとおり、聖ウルスラ祭が無事終わるまでは、最低でもなんの御沙汰もないものと思う、と……メレアガンス伯も御決断はつきかねるでしょう。王都より重税が課されているもので、地方郷士たちは伯爵さまにかねてより不満を持っています。一応、理屈としてはわかっているのですよ。重税を課しているのはクローディアス王であり、メレアガンス伯爵ではない。また、遥か昔の歴史より、そうした形での州内における反乱というのはあったことです。これはどこの州でも同じでしょうが、それでも大抵の内乱というのは鎮圧されて終わるか、一時的に自治独立を勝ち得たにしても長続きはしないですからね……ただ、外苑州の中で、メレアガンス州とロットバルト州というのは、なんと言いますか、特異な立場にありますもので……」


「わかっております」と、ランスロットが隣のセドリックに親しげに頷いてみせた。「我々に対して遠慮する必要はありません。何分、特に内苑七州の人々から外苑の砂漠三州というのは、田舎の砂漠の民と揶揄されることがよくありますからね」


「そうです。我々は同じ騎士としての絆によって結ばれているのですから、何か奥歯に物が挟まっているかのように気を遣う必要はないですよ」と、カドールもまたランスロットに同意して頷く。「というより、先に俺のほうではっきり言ってもいいくらいだな。ここメレアガンス州や隣のロットバルト州は、我々砂漠の三州以上に色々な物資が豊富で、民ひとりあたりについて言ってもずっと豊かなのだ。何故かといえば、内苑七州とも距離的に近く、メレアガンス州は特産品と言っていい上質な衣服や布類、糸や染色料その他の色々な物資を金と交換可能だ。それはエルゼ海に面しているロットバルト州についても同様で、こちらは海産物類などを内苑七州に高く売っているといったような関係性。ゆえに、砂漠三州の田舎の豪族たちが反乱を起こすよりも、メレアガンス州やロットバルト州の内乱のほうがより深刻なわけです。何がより深刻かといえば、それだけ商人たちの持つ力が強いからですよ。彼らもまた城壁町内に紡績工場や染色工房を持ち、さらには腕のいい織物職人たちを数多く抱えている。そして、それぞれのギルドが資産を抱えているがゆえに……自分たちの城壁町を守るための民兵組織も持っているわけです。ゆえに、これ以上重税を課すことに我慢がならないとなれば、お互いにギルド同士で連携し、メルガレス城砦を囲むということが、今後とも絶対ないとは言えないわけだ」


「そうなんです。その……私自身が思いますには、むしろハムレットさまの目的を達するためには、メルガレス城砦を除いた他の城砦や城壁町の有力者たちを説得し、現在の王制を打倒すれば、今ほどの重税を課されなくて済むということで一致団結することが出来た場合――彼らはそれぞれの民兵組織の力を総結集し、ここメルガレス城砦を包囲し、そのようにメレアガンス伯爵を説得するということも……シナリオのひとつとして、頭のどこかに置いてもいいのではないかと考えるところです」


「ですが、そうはさせたくないからこそ」と、タイスが言った。「ラウール殿はメレアガンス伯爵にそうしたことも含め、ハムレット王子に味方したほうが良いと、そのように親書をしたためてくださったわけでしょう?」


「ええ……先ほどランスロットさまとカドールさまは砂漠の田舎三州と卑下しておっしゃいましたが、ここメレアガンス州でもロットバルト州でも、あるいは内苑七州のどこでも、ライオネスとローゼンクランツとギルデンスターンの砂漠三州の騎士や兵士たちというのは非常に恐れられております。何故なら、ひとりの兵士につきこちらの三人分くらいはタフな体力があり、統率力にも優れ、一度戦争ということになって戦えば、我々よりも遥かに名高い武勲を上げられるのですから。そのあなた方とまずは戦い、内苑七州を守ろうと考えるより――東王朝との戦争において、常に形程度の派兵をし、バリン州の領主を盾として後ろに隠れることの多い内苑諸州の人々を相手どるのと、果たしてどちらがいいか……」


「なんとも苦しい決断だな」自分という存在がその判断を強いているのだと思うと、ハムレットは思わず溜息が洩れた。「きっと、メレアガンス伯爵も、民のことを第一に考えておられることだろう。だが、謀反を悟られ、王都に呼びだされれば、残虐な拷問刑が待っているのだから、領主として悩むのは当然のことに違いない。いや、自分だけでなく細君や御子息や血縁のある者ほとんど全員にその危害が及ぶことを思えば、伯爵がこの問題については保留にしておき、出来るだけ時間をかけたいというのはよくわかる」


 ハムレットのこの言葉に、会議の円卓を囲っていた者はみな、一度しーんとなった。だが、ここでギネビアがおずおずと、小さく手を挙げ発言する。


「でもさ、クローディアス王に王都へ来いって言われても、行かなきゃいいだけなんじゃないか……なんて言うのは、流石に無責任なことなんだろうか。もちろん、その場合は謀反の意図ありとして、王都から軍が派遣されてくることになるんだろうけど……その時には、我々砂漠の三州がメレアガンス伯爵に味方するということにすれば……」


「難しいですね」と、セドリックがまた、いつもの申し訳なさそうな顔に戻って言う。「いえ、ギネビアさまがそのようにおっしゃってくださるのは、ここメレアガンスの州民のひとりとして本当に嬉しい。ただ、クローディアス王は非常に賢いお方。メレアガンス州へは、ロットバルト州の領主であるロドリゴ伯爵にまずは命じて、こちらへ兵を向かわせるでしょう。メレアガンス州とロットバルト州、それにバリン州とは、東王朝が攻めてきた時、常にまずはこの三州が結託し、リア王朝とは常に対峙してきたことから……ライオネス州とローゼンクランツ州、それにギルデンスターンの三州が特別な間柄であるように、こちらの三州もまた特別な関係性にあります。ですがまず、バリン州のボウルズ伯爵があのような形でお亡くなりになられ、次は我がメレアガンス州の伯爵が拷問室送りとなった場合――ロドリゴさまの御苦悩はいかばかりかと思われますし……」


「前にも聞いた気がするが、ロットバルト州の伯爵はどのような御気質のお方なのだ?」と、ギネビアは聞いた。「だって、そうだろう?バリン州のボウルズ伯爵は代々ペンドラゴン王朝に忠実に仕えてきた家系の立派な御仁であったと聞く。それが突然、平民から成り上がったヴァランクス男爵に首をすげかえられたにも等しい扱いを受けたんだぞ。そして、もしメレアガンス州の伯爵も拷問室へ呼びだしを受けたとしたら……いや、もちろんわかっているさ。そんな直接的な言い方はしないだろうということはな。だが、そうなった場合、わたしがロットバルト伯爵だったとしたら、こう思うだろうな。次は自分の番かもしれないと。それだったら、ハムレット王子に味方したほうがいいと、そう判断したほうが遥かに賢い決断というものじゃないか!」


「ロットバルト伯爵の御性格というのはだな」と、ランスロットはカドールと視線を見交わして、微かに笑った。「一言でいえば冒険家気質といったころかな」


「そうだな。俺たちも数えるくらいしかお会いしたことはないが」と、カドール。「ロットバルト伯爵は、今も大船団を造って出航したいと考えておられるような、そのようなお方だ。ところが、王都から重税を課されるもので、そのような余裕が国庫にまるでないのだな。まあ、俺たち砂漠の海に住む民にしてみれば、まったく不思議な話ではある。何分エルゼ海というのは、気まぐれな暴れ馬のような海で、今まで歴代の王たちがみな船団を築いては帰って来ない……といったことを何度となく繰り返しているにも関わらず、やはり同じことを繰り返さずにはおれないのだからな」


「どうしてだ?」ギネビアが素朴な疑問を口にする。「確かに、エルゼ海には暴れ竜が住んでいると聞いたことはある。だから、どのような立派な船団を築いても、その竜にやられてしまうんだって……」


「まあ、それはおそらくはもののたとえでしょうな」と、セドリックが優しく微笑する。「以前、みなさんもおっしゃっておられたとおり、確かに我が州のことは後回しにし、先にロットバルト州にて、ロドリゴ伯爵をご説得されたほうが良かったのかもしれませぬ。ですが、やはり私にもわかりません。ロドリゴ伯爵は白・黒のはっきりした気持ちの良い方ですが、一度こうと決めたことは最後まで貫き通されるお方。ですから、当然私のようなただの庶民には窺い知れぬところがあるのですよ。やはり頑固に最後までクローディアス王に忠義を尽くされるかもしれませんし、あるいはハムレットさまにお味方してくださるとなったら、ロドリゴ伯爵は決して裏切ることはないということだけは、ラウールさまも強く頷かれるところだと思います」


 ――この日の会議もまた、いつも通り堂々巡りといったところだった。ギベルネスはそろそろ正午になるところだと見てとり、席を外すことにした。彼にしてもディオルグにしても、会議の席で口を挟むことはあまりなく、大抵の場合は聞き役に徹していることが多い。そしてギベルネスは今日、ちょっとした用事があるのだった。


「先生、例のところに行くだぎゃか?ほいだら、オラも連れてってくんろ」


 ギベルネスとはまた別の意味で、レンスブルックは会議に余計な口を挟むようなことはない。ただ、こうした高貴な人々の話の場に参加できるというだけで、彼には非常に光栄なことのように思われ、面白くもあるのだった。


「ギベルネ先生、例のところってどちらへ行かれるのですか?」


 カドールが、どことなく手厳しい口調で言った。彼にしてみれば相も変わらず不思議なのだった。ハムレット王子もタイスも、他の誰も――<神の人>が昼食時や夕食時にいなかったとしても、誰も居場所を知らないことすらよくあるからだ。そして、いつも自分ばかりが「ギベルネ先生は一体どちらへ行かれたのですか?」と聞いてばかりいるような気がする。


「例のところと言えば、例のところだぎゃ」


 レンスブルックが残された片目だけでウィンクして、思わせぶりな態度をして見せる。


「ええとですね……以前、レンスブルックがパン屋ポンピーの令息に殴られたということがあったでしょう?その時間違えられた<綿布の王>と呼ばれる方とお会いすることが出来たのですよ。モーステッセン家のアルマ嬢が、彼と取引していることがわかりましたものでね」


「ただの悪徳高利貸しの、悪魔みたいな男だぎゃ」


 顔が似ているだけに、レンスブルックの心境は複雑だった。「お宅に間違えられて、えらいめにあったぎゃ」と言っても、<綿布の王>ウィザールークは腹を抱えて笑うのみだったからである。


「そんな悪徳高利貸しに、一体どんなご用があるというんです?まさか、その男から金を借りようってわけでもないんでしょうしね」


「先生は、<綿布の王>の奴に、包帯とかガーゼとか、そんなものをどの程度の値段でどんくらい作ってもらえるか、頼んでるところだぎゃ」


 カドールの言葉にレンスブルックが答えると、彼はもう一度ギベルネスのほうに視線を戻した。他のみなも、どういうことなのか知りたいらしく、こちらへ注目している。


「その……なんと言いますか、万一に対する備えといったことなんですよ。メレアガンス伯爵やロットバルト伯爵が協力してくれたにしても、いずれ大きな戦争は避けられない可能性が高そうですから……傷薬も消毒薬も何もかも足りないでしょうが、それでも、鎮痛剤については随分安く済みそうだと思っています」


「まさか、ギベルネ先生。その鎮痛剤というのはアヘンのことではないでしょうね!?」


「ええ。まさか、メルガレス城砦の外にあんなにケシ畑が広がっているとは思ってもみませんでしたので……」


「あなたはご存知ないんですか!?」カドールはさらに眉根を寄せ、険しい顔の表情になって言った。「アヘンといえば、この城砦の貧民層をほとんど廃人にしているような危険な薬剤なんですよ!!」


「わかっています。ですが……ほとんど助からないほどの重傷を負った兵士には、せめてもそんな形によってでも痛みを取り除けるほうがずっといい。そのために、出来ればなるべく早い段階から用意をしておくに越したことはないと、そう思ったものですから」


「…………………」


 では失礼、とギベルネスが去っていこうとするのを、誰も止めようとはしなかった。レンスブルックにしても、いつも不思議なのだった。カドールの旦那は何故ああも、ギベルネ先生のすることに突っかかってばかりいるのだろうと……。


 カドールはこの時も、自分が心の内に感じている疑問を口に出しては言わなかった。(ということはだ、<神の人>の力を持ってしても、戦争を避ける力まではないのだ)と、彼はそう思った。また、ギベルネ先生は自分たちの会議に積極的に参加することはまずもってないが、ああ言ったということは、メレアガンス伯爵もロットバルト伯爵も結局のところハムレット王子に協力してくると、彼はそう見積もっているということなのかどうか……。


 こうした疑問についてカドールは、タイスに聞いたことがある。すると彼はこう答えていたものだった。「ギベルネ先生のことでそんなにあなたが気を揉むことはないんですよ」と。「もちろん、俺にも<神の人>の考えについてなんてわかりません。ただ、我々人間の間にはあるじゃないですか。『うむ、よくわかった。そういうことであれば協力してしんぜよう』なんて言っていて、土壇場で裏切るなんていうことがね……人の心というものは最後の最後までわかりません。そうしたことがあるゆえに、もしギベルネ先生が先々についてある程度見通しがついていたにせよ、はっきり『こうなる』などとおっしゃらないのは……つまりはそうしたことなんじゃないかって」


 だが、カドールにとってはそれもまた、「本当の意味で神にすべてを委ねきることの出来ない」自分に対する慰めの回答のように感じられたものである。何故かといえば、ハムレット王子やタイス自身はやはり僧院出身だからだろう。<神の人>であるギベルネ先生がどこへ行って何をされていようと、結局は何かしら自分たちのためになることをしてくださっている――との絶対的な信頼があるらしい。それが彼らと自分の間にある差であると悟ってからも、やはりカドールはギベルネという<神の人>の動向が気になった。また、このことはランスロットもギネビアも、あまり気にならないらしい。「先生はいい人だから、何も心配ない」とランスロットは言い、「我々に善をなすことはあっても、悪をなすことだけは絶対にない。それで十分だと思うがな」というのは、ギネビアの言である。


 けれど、この中で自分だけがやはり<神の力>なるものを疑っているのだろうとカドールは思うわけである。そしてそれが、「先生のことはすっかり信頼して、もう何も聞くまい」と思うのに、つい先ほどのように突っかかってしまう一番の理由だろうと、彼はそのように自己分析していた。




 >>続く。






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