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第56章

 現在、聖ウルスラ神殿に仕える巫女の総勢は167名である。彼女たちの仕事は朝から深夜に至るまで、一秒として途切れることなく続く。というのも、ここ聖ウルスラ神殿においては、巫女が常に交替で祈祷を捧げており、夜明けとともに深夜帯に祈りを捧げていた巫女たちと早天祈祷を担当する巫女たちが交替するところから――聖ウルスラ神殿の一日は始まる。神殿内は五層構造となっており、この内の一番高い階層が巫女姫専用の、彼女しか入ることの出来ない<天頂神殿>と呼ばれる部分であった。四階には巫女姫の寝室その他、ここもまた彼女のためにしつらえられた、この世の贅を極めたと言っていい調度品によって装飾された部屋となっている。また、ここには巫女姫の下仕えをする巫女たちの控えの間、さらに彼女たちが交替で祈祷を捧げる祈りの間も存在した。三階層はすべて、巫女たちの居住区域となっており、二階部分には巫女姫、あるいは巫女たちが王や王妃、あるいはメレアガンス州の伯爵、あるいは貴族など、身分の高い人々と会うための謁見の間や、食事するための広間など、言うなれば彼女たちが俗世の人々と接する境界線がこの二階部分であったに違いない。


 聖ウルスラ神殿の一階が神殿内で一番広く、人々が百段もの階段を丘の頂きに向かって上がってくると、そこには外神殿と呼ばれる、誰もが神に祈りを捧げることの出来る祭壇の間が広がっている。そして、その奥にある内神殿、あるいは奥神殿と呼ばれる部分は、巫女か神官しか入ることを禁じられていた。神官たちは週に一度、あるいは祭事日などにその祭壇から有難いお説教をしてくださるのであったが、彼らにとってより重要だったのはおそらく、民衆たちが納めにやってくる神殿税のほうであったろう。


 この神殿税というのは、成人した民ひとりにつき一クラン捧げるものとされており、決して高いものではない。また、それすらもない者はそれに準ずる何がしかの品――たとえば、野の花の一輪でも――捧げれば良いとされている。また、神殿税は一年に一度捧げれば良いものとされており、こうした規定というのは信心深い民たちにとって喜ばしいものだったと言える。何故なら、どんな不信仰者でも一年に一度(そのように安い)神殿税を捧げるためだけにでも聖ウルスラ神殿へ詣でるなら、その後の一年の生活が祝福されるのみならず、神の御前にすべての罪が許されるとされているのだから。


 さて、神官たちにとって何故そのような神殿税が重要かと言えば、当然そのことには理由がある。いくら成人した者ひとりにつき一クランとはいえ、その胸にたぎる信仰心を持った者ほど、より多く捧げようとし、中には牛一頭分の肉を抱えて百段もある階段を上りきる者もいれば、高価な香辛料を捧げる者ありと、神官たちは毎日、それらの捧げ物をより分けるだけでも忙しいのである。また、その年最初の収穫物――一般に、初物の収穫物と呼ばれるものを神殿に捧げると、その年の畑の収穫物が巫女姫のとりなしにより祝福されると信じられており、収穫期はいつでも神殿のほうも大忙しということになる。


 こうして、ここメレアガンス州においては強制的に税を取り立てる伯爵の城と市庁舎のある同じ丘の上に、「各人の自由意志によって」捧げ物を捧げる聖ウルスラ神殿とが存在していたわけたが、人々がより熱心に喜びつつ税を捧げようとしたのは後者であったのは言うまでもないことであったろう。聖ウルスラ神殿は一年を通して常に潤っていた。民衆たちは不作の年にも巫女姫や巫女たちを恨むでもなく、むしろ生活が苦しければ苦しいほど、星辰の神々の祝福が必要だと考え、厚い信仰心を携えて神殿へ詣でた。また、これはある意味不思議なことであったかもしれないが、巫女姫と巫女の評判に決定的なまでに傷がつき、その威信が地に落ちた……ということは、メルガレス城砦の歴史書を紐解く限り、今まで一度もないようである。無論、時に巫女の中の誰かしらが男と通じたことがわかり処罰された、ということはあったにせよ、これも数として多くはない(あくまでも事が公となり処罰された数、という意味ではあるが)。


 メルガレス城砦及びメレアガンス州の人々にとって聖ウルスラ神殿は自分たちに固有の特別な信仰の場所であったし、巫女姫と巫女たちの評判を守る盾となったものとして、メレアガンス州領主の庇護、それに聖ウルスラ騎士団というもうひとつの民衆に人気のあった存在、それに悪いことはすべて神官らの企てたことであって、巫女姫方は何ひとつとして悪くない――そう考えたがる民衆の深層心理があったに違いない。


 無論、神官らはそのように悪者にされやすいという関わりあいから、「そのような損な役割を押しつけられるのならば」と、徐々にひねくれ、やがては私腹を肥やすに至った……というわけではない。さて、ここでひとつ考えてみよう。現在、ここ聖ウルスラ神殿の神官たちのトップは大神官ゴーマドゥラ=グザヴィエールという、ゴマ油のような名前の男である。彼が今の地位に就くまでの間には権謀術数をめぐらすのみならず、なかなかの苦労があったようである。彼はそもそも、聖ウルスラ修道院の前に捨てられた孤児であった。まさかこの時、すっかり痩せ細り、あとは死ぬのを待つばかりといった小さな子供が――その三十年後には二メートル近くばかりある、百キロを越える巨体にまで成長するとは、当時誰も想像してもみなかったに違いない。


 ゴーマドゥラは修道院前に捨てられたのが三歳の頃であり、自分の父の顔も母の顔も覚えていなかった。だが、おそらく自分の上には兄弟姉妹がいたものと確信している。今もよくあることだが、もう子供を望まぬ夫婦にまたいらぬ赤子がひとり増えた……そうしたことだったのだろうと理解したのは、彼が十になるかならずかの頃であった。ゴーマドゥラは生来からずる賢く、食べる・飲む以外のことでは、いかにして物事を上手くさぼるかについて思索を巡らせることが多かった。というのも、彼にとって修道院での暮らしというのは厳しいものであったし、戒律にしても守っても守らなくてもどうでもいいようなものばかりのように感じて育った。こうした暮らしの中で、ゴーマドゥラがまず覚えたのが、目上の者に気に入られるということであり、そのためであれば時に身を粉にして働き、逆に誰も見ていない、神だけがすべてをご存知だ……といったような瞬間には大いによくさぼった。また、かといって彼はまるきりの馬鹿ということもなく、並程度に利発なところもあったので、「この人物に褒められる必要がある」という場面においては、星母神書に書かれたことを必死に暗記し、そらで暗誦してみせるなど、信仰心のあるところを強くアピールしたりと……なかなかに抜け目のない人生を送ってきたのであった。


 さらに、ゴーマドゥラにとって有利に働いたこととして、生まれついての美声に恵まれたということがあったに違いない。彼は聖歌隊においてすぐソリストに抜擢され、その歌声に魅せられる者は数多かった。彼は他の少年たちが変声期を迎えても声変わりすることなく、去勢したというわけでもないのに、三十を過ぎた今もヒステリー気味の女性のような、甲高い声で話していたものである。


 ゴーマドゥラが自分の人生を振り返って思うに、重要なターニングポイントがいくつかあった。まず第一が、聖歌隊のソリストになれたこと、またそのお陰で修道院内における多少のことは大目に見てもらえたこと、さらには人々の歓心を得ることが出来たということである。その前まで、ゴーマドゥラは人生というものは不平等なものだと感じ、神に対しても愚痴ってばかりいた。だが、この時初めて「神というものを信じても損はないかもしれない」と思うことが出来たのだ。また、聖歌隊で歌う歌詞をより深く理解するため、神学についてもより深く学ぶことがだんだん苦でなくなっていった。そしてこの時、第二のターニングポイントがゴーマドゥラに訪れる。十四歳の時、先代の大神官の家系に連なる、セシル=ヴォーモンという、ふたつ年下の少年が修道院にやって来たのだ。


 これもまた今もよくあることだが、貴族の子息が世俗の誘惑を離れ、学問のみに集中するため、修道院に預けられるということがある。こうした、貧しさゆえに口減らしとして修道院へ送られたに等しいゴーマドゥラといった少年たちと、貴族の子息としてある一定期間修道院に在籍する……といった少年たちの間には、ある種の壁があった。互いに対等な関係であったとしたら、おそらくは時に喧嘩してその後仲直り――といったことを繰り返し、やがて本当に親密になっていったということも、あったかもしれない。だが、場所は修道院という特殊な建物内におけることであり、さらにセシル=ヴォーモンのような子息が入ってくるという時には、必ず年長の修道僧たちからその旨、何度も強く注意を受けることになっていた。


 そして、こうしたやんごとなき貴族の子息といった身分の少年たちの中でも、セシル=ヴォーモンはもっとも変わっていた。彼は本当に勉学にしか興味がなく、修道院へやって来たのも、大聖堂に付属した図書館に読みたい本があったからだというもっぱらの噂であった。彼はいつでもひとりでいることが多く、態度のほうも超然として見え、本ばかり読んでいるため、十六歳で修道院を出ていくという頃には祈りと読書のために若干猫背気味だったほどである。


 おそらく、ゴーマドゥラが自分にとって「なんの得にもならない」にも関わらず、積極的に接触を持ち親しくなりたいと感じたのは、このセシル=ヴォーモンという少年が初めてだったに違いない。セシルには特に、容貌としては人目を惹くようなところは何もない。奥に引っ込んだような小さな目に、狭い額、眉は薄く、鼻は小さく唇も色が薄かった。髪の色はブロンドだったが、どちらかというと黄色といったように色褪せて見えたものである。こうしたセシルに自分が何故惹かれるのかとゴーマドゥラは不思議だった。他の彼の仲間の少年たちは、尊大な態度の貴族の子息とは違い(彼らは二言目にはすぐ「パパに言いつけてやるからな!」と言った)、セシルはいじめやすそうだと見てとったのだろう――何かとちょっかいを出されたり嫌がらせに近い行為をヴォーモン卿の息子は受けたが、ある一線を越えることがなかったのは、ゴーマドゥラが止めたせいだろう。またそうした力が彼にあることを、セシルのほうでもすぐに理解したようである。


 こうしてゴーマドゥラとセシルは親しくなり、よく聖ウルスラ大聖堂の付属図書館にて、ただ黙って一緒に本を読んだり、時に神学や哲学について激論を交わすという仲になっていった。当時、彼らが熱中した議題のひとつに「神学と哲学、どちらが偉いか」というものがあったが、セシルは「哲学とは、神学のはした女なり」というある聖人の言葉を引用し、ゴーマドゥラはといえば、神学よりも哲学のほうが優れているのだという証拠をいくつも提出するのだが、結局のところセシル=ヴォーモンのことを完全に打ち負かすことは出来なかったものである。


 ふたりの熱心な議論は、セシルが修道院を去る時まで続いたが、彼は最後に次のようにゴーマドゥラに言い残していった。「これからも僧籍にあるだろう君のほうが神学を哲学より劣るものだとし、今後は世俗に生きねばならぬ僕のほうが哲学よりも神学のほうが優れていると主張するのは……なんともおかしなことだね」と。セシルが貴族街の自分の屋敷のほうへ戻っていったのは、父の逝去によるものだったが、ゴーマドゥラはこの時、ひどい孤独と喪失感に苛まれたものである。


 セシル=ヴォーモンとゴーマドゥラでは生きる世界が違ったというのは確かにそうだったろう。セシルのほうではその後、貴族の子息のみが入学を許されるに等しい高等学術院や大学院を卒業後、今度は法務院へ務めることになったようである。ヴォーモン家の家督のほうは騎士の弟のほうに譲り、彼は相も変わらず暇さえあれば書物を読み耽るという生活であるらしいと伝え聞くと――ゴーマドゥラはある種の満足を覚えた。彼自身、その後もセシルとまったく会わなかったということもなく、神官というのは法務院で行われる裁判にて、裁判官の任務に当たることもあれば、それに付随する書類仕事もあり、さらには法務院に務める役人たちに法律に宗教が果たすべき役割について一席ぶつこともあるなど、会う接点というのは何度かあったわけである。


 そうした時、ゴーマドゥラが思うのは、セシル=ヴォーモンがあの頃とまったく変わらないということだった。もともと童顔だったせいだろうか、セシルは美男子でなかったのは間違いないが、平凡すぎる顔立ちゆえに誰もが警戒感を持たず、どちらかと言えば好感を抱きやすい雰囲気を持ち合わせてもいた。今では彼は法務院において一番役職が上の大法官の地位にあり、自分は神官たちのトップである大神官の地位にある――彼はもうセシル=ヴォーモンとは何年も口を聞いてなかったが(喧嘩別れしたということではまったくない)、遠くからセシルのことを見るたびに思う。今の自分の地位があるのも、間違いなく彼のお陰だと……。


 さて、ゴーマドゥラがセシル=ヴォーモンとの出会いが人生の第二のターニングポイントと考える理由だが、まず、ゴーマドゥラは彼が修道院から出ていくと、神殿勤めをすることになったのである。それまでにもたびたび行ってきた、聖ウルスラ大聖堂内の掃除をしたり、聖具室にある聖なる道具類をぴかぴかに磨くといった仕事のことではなく――聖ウルスラ神殿に初めて出入りを許されることになったのである。


 ゴーマドゥラにまず最初に与えられたのは、奥神殿(内神殿)において、人々がその日持ってきた(場合によっては前日、さらには前々日の捧げ物がまだ残っていることさえある)奉献の品々をより分けるということだった。食品類についてはまず真っ先に巫女さま方の食物とすべくそちらへ運ばれることとなり、そこで必要のないものについては聖ウルスラ修道院へもたらされ、さらに残ったものについては救貧院などへ持っていくということになっていた。その他、衣類や反物や各種染料や撚り糸など……民衆たちが聖ウルスラ神殿に持ってくる捧げ物は多岐に渡る。中には生きたニワトリ二羽やその日捕まえたウズラといった鳥など、扱いが面倒なものもあったし、生け捕りにした鹿の剥製のような、神殿に飾るには相応しくないものなど、処分に困る奉献物も多々あったものである。


 この時、ゴーマドゥラは人々が賽銭箱に投げ入れていった貨幣については直接触れることはなかったとはいえ、それでも他の自分よりも高位の神官たちが一日の終わりに賽銭箱の金を数える姿を見てはいたから、神殿がいかに儲かるかということを、この時実際に目で見、肌で感じてわかっていたわけである。彼はこの日以降、如才なく振るまい、着実に出世していった。何故なら、神に関わっていると――いや、言い方を変えよう。神殿に関わっているとそれが結局自分たち神官の懐が潤うことに繋がるのだと理解したからである。そしてこの、神官には似つかわしくない「出世」という言葉……その術をゴーマドゥラに与えてくれたのが、他でもないかつての親友セシル=ヴォーモンだったのである。


 ゴーマドゥラはその後もほとんど声変わりしなかったことから、今もその美声によって人々の心を掴むことが出来たし、それのみならず神学や哲学について話をはじめれば、彼の右に出る者はないほどであった(この点、今もゴーマドゥラは自分を言い負かせられるのはセシル=ヴォーモンただひとりだけだろうと思っている)。また、ゴーマドゥラは人と接する機会のあるたびごと、必ずセシルのことを真似た。彼は誰にも媚びることなく平等で公平な態度であったが、愛想が少しばかり足りなかった。そこでゴーマドゥラは、セシルの仕種や雰囲気を真似つつも、そこに不適切にならない程度、愛想笑いを加えたわけである。これがまったくもって効果絶大であった。聖ウルスラ神殿に出入りをはじめた神官たちは、自分たちの仕える神々がいかに富をもたらすかを知り、出世欲から妙に媚びた態度を取りはじめることがあるが、ゴーマドゥラはそれでは逆効果だろうとわかっていた。さらには、そのような金銭欲を実は隠し持っていた場合においても、自分より年長の神官たちには見抜かれてしまうことだろう。この点、まったくもってゴーマドゥラは清い潔白な人品賤しからぬ人間であると――誰もが太鼓判を押すような人物だったと言ってよい。


 さて、聖ウルスラ神殿の奥神殿に出入りを許されたその時、ゴーマドゥラの一僧としての位階は助司祭であった。そして、ひとつ上の階級である司祭になるためには、俗世を捨て、神にのみ忠実であることを誓う、終身誓願が必要となる。この時、ゴーマドゥラはまったく悩まなかったわけではないが、司祭になるよう司教から推挙されると、すぐにその言葉に聞き従うことにした。というのもこの頃、ゴーマドゥラはある女性に恋をしていたが、相手が巫女のひとりである以上結局のところそれは実らぬ恋であるとして、諦めることにしたのである。


 だが、司祭になってからもゴーマドゥラの秘めた恋心は続いた。また、神殿で巫女たちの姿を見かけたり、話をする機会があるたび、それが誰であれ彼の心は高鳴った。それに、ゴーマドゥラは機知ある会話の出来る男だったので、彼女たちの間でも人気のある神官でもあったのである。


(若い処女の娘たちの、神殿の香の匂いの残り香……)毎日そんな香りを嗅ぎながら、美しい乙女たちの柔肌を間近に感じていながら、決して触れることだけは叶わぬという禁欲状態――もっとも彼の場合、小さな頃から特殊な環境で育ち、女性といったものと一切触れる機会がなかったことから、それが突然肉欲に変貌することはなく、ゴーマドゥラが当初抱いていたのは、本当に清い、年若い少年が乙女らに抱く憧れのような淡い恋だったのは間違いない。


 その後も、ゴーマドゥラは時に禁欲的な思いに悩まされつつ、聖ウルスラ神殿に通いつめ、やがては信用できる神官のひとりとして、他の助司祭らを監督し、また自身は他の司祭らと賽銭箱の金を日々勘定する立場にまで「出世」することが出来た。ゴーマドゥラはそうした金を自分の懐に入れることはなかったが、他の神官らが時折、それが金でなくとも、奉献物を懐に入れて持ち去ることがあるらしいとは随分前から気づいていた。また、そのことを司教でもある大修道院長に相談したこともある。何故なら、彼自身は「神の前に罪を犯す」一線を越えたいと思ったことはないが、他の者たちにそのような注意を与え、煙たい人物だと思われたくはない――その板挟みによって悩んでいたからである。その時の大修道院長ヴァンサン=ヴァルヴィエは、ゴーマドゥラに次のようにアドバイスしていた。「自分自身は清い身を保ち、他の者たちの罪に巻き込まれぬよう注意せよ」と……つまり、それは次のような意味だった。「自分は罪を犯していない清い身であるにも関わらず、他の者らの嫉妬を買い、逆に訴えられぬよう注意せよ」との。


 ゴーマドゥラはその瞬間、ハッとしたものである。大修道院長自身にしてからが、そのような過程を通って司教となり、さらには現在の地位にあるわけである。そしてゴーマドゥラはいかに神官という俗世を離れた身であろうとも、処世術ということが肝要なのだとこの時はっきり理解した。また、自分の身を清く保ちたければ、大修道院長というのが最後に自分がなれる限界であり、それ以上の者となりたければ――つまりは、神官街に住む世俗的神官らのように豪奢な生活を送りたければ、時に「長いものには巻かれる」ことが非常に大切なのだということをこの時はっきり悟ったのだ。


 こうして、一度禁を犯してみると、ゴーマドゥラが罪の世界へ墜ちるのはあっという間のことだった。司祭らは互いに同じ罪を犯している関係性にあったから、当然その日からなんの署名もなしに運命共同体として機能することとなる。特にこの時、ゴーマドゥラが幸運であったのは、時のシャンカラ大神官に気に入られていたということであったろう。彼はこの時、大神官さまのお下がりの女性をあてがってもらい、生まれて初めて肉欲の世界なるものを知った。この次の大神官の地位に就いたルシンドラという男にも気に入られたが、こちらについて言えば、彼好みの少年を供物として捧げることによってだったに違いない。この頃にはゴーマドゥラ自身、メルガレス城の宮廷に出入りするのみならず、神官街の豪華な屋敷の主にもなっていたものである。


 富を得た者はさらなる富を、権力を得た者はさらなる権力を得ることによってしか満足しないようになる――という言葉は真実であったらしく、ゴーマドゥラはルシンドラを秘密裏に毒殺し、現在の大神官の地位に就いたのであったが、彼は自分の心の内部に今は虚しい深淵が広がるばかりであることを知っていた。


 大司教の地位は終身制であるため、一度この地位に就いた者はよほどのことでもない限り、その富と権力を奪い去られるということはないであろう。また、ゴーマドゥラは自分がルシンドラという先代の大神官を殺害したように、次は自分が……といったように怯えてもいなかった。ただ、彼は毎日考えている。欲しいと思ったものは、ほぼすべて手に入れた。それなのに自分は飢えている。飲食について言えば、それらは腐るほどあった。若く美しい処女の乙女らのことも、思うまま好きなように抱くことが出来る。果たして、今の自分に足りないものは一体なんであろうか、ということを。


 その日もゴーマドゥラは、美しい乙女たちに囲まれて、湯浴みをしているところであった。七人いる娘たちのうち、全員が彼のお手つきであり、飽きたり、気に入らなくなった娘のことは、他の神官らに譲り渡すことにしている。娘たちは金で買われてきたため、口答えすることもなく、実に大人しいものだった。大神官さまのだぶついた贅肉の裏側までも石鹸を泡立てたタオルで丁寧にぬぐい、ピカピカになるまで足の裏の垢をこするということもある。こうして、最後には頭からゆっくり湯をかけられ、彼は脱衣場にて体を拭いてもらい、ゆったりとした亜麻布の部屋着を身にまとい、寝室において気に入りの娘のひとりと――時にふたり同時に相手をすることもあるが――褥をともにする。


 屋敷中、床も壁の列柱にしても、大理石がふんだんに使われた贅を凝らした作りであり、控えの間には常に、同じ罪に繋がれているがゆえに絶対的に信頼できる腹心の神官が呼べば忠犬よろしく駆けつけた。ゴーマドゥラはこの時、処女であったところからすっかり自分好みにしつけた娘の胸を揉みしだきつつ……来月ある聖ウルスラ祭において、自分がスピーチすべき説教の草稿を読んでいるところであった。


 ゴーマドゥラはこれまで、文書官と呼ばれる神官の書いた草稿を五度も六度も書き直させていたが、今度のもいまいち気に入らなかった。そこで、注意すべき箇所について、自分で添削しようとしたのだが――ラドラという娘が息遣いも荒く、潤んだ瞳で自分を見つめているのに気づくと、先に彼女の相手をすることにした。


 大抵の娘たちが、こんなガマガエルのような男と今後自分は起き伏しを共にするのかと、初めは絶望する。だが、ゴーマドゥラは女性の体の隅々までを知り尽くしていたし、やがては他の側女たちの間で嫉妬といっていい感情まで芽生えるらしいことも知っていた。彼は物をよく知っており、機知に富んだジョークを言うこともしばしば、さらには彼女たちを物のように扱うこともせず優しい男でもあった。


 大神官の側女たちは、ゴーマドゥラがまた新しく何も知らない女が欲しいという時に、他の神官たちに下賜されることになるのであったが、女中としてでいいからこのまま屋敷に置いてもらいたいと願い出る女性までいるほどだったのである。こうして、金、権力、女と、この世のすべてを手に入れたに等しいゴーマドゥラであったが、果たして彼と邪宗教ネクロスティアの開祖クエンティスと、どちらがより邪悪で腐敗した人間であったかと問われたとすれば――それはおそらく、神のみぞ知るということであったに違いない。




 >>続く。






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