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第49章

 ギベルネスが『怒れる牝牛亭』へ戻ってみると、ギネビアもディオルグもレンスブルックも、すっかり荷物をまとめる準備をしているのを見て、彼は驚いた。


「どうしたんですか?もしかして、もうこちらへは用はないとして、出発することに決まったんですか?」


「うんにゃ!」と、レンスブルックが寝転がっていたベッドから跳ね起きて言った。「なんでも、ほれ、ランスロットのお友達さんがいるという聖ウルスラ騎士団の方のお宅へご好意で泊まらせてもらえることになったぎゃ。ギベルネ先生の荷物は少ねえし、べつに急ぐってこともなかっただども、例の麻のずだ袋のほうに洗濯した服とかそんなもんをオラのほうでしまわせてもらったぎゃ」


「そうだったんですか。どうもありがとう」


 ギベルネスは科学の最新兵器ともいうべき物については、大抵の場合身に着けて移動している。また、ここまでやって来るまでに生じたある種のプラスチック製のゴミなどは、宇宙船カエサルまで持ち帰らねばならぬため、二重底にした袋の下へしまっていたが、それも究極、何かの拍子に見られて困るというほどのものではない。


「ランスロットの聖ウルスラ騎士団のお友達というと……お名前をサイラス・フォン・モントーヴァンさんとおっしゃるんでしたっけ?」


「彼は死んだ」ギベルネスが帰ってきたと気づくなり、隣の部屋からギネビアがすっ飛んできて言った。「いや、殺されたんだ。聖ウルスラ騎士団の騎士団長を決めるという時、フランソワ・ボードゥリアンという男と勝負して、落馬して骨を折ったという話だ。だが、その前に勝負した騎士が執拗に鎧の継ぎ目を狙って攻撃し、一太刀浴びせるなり、その後はすぐあっさり負けたことから……槍の先に毒でも仕込んであったんだろう。その毒は遅効性で、さらには次の試合開始までの時間を計算してあったに違いない。サイラスは試合直前で(おかしい)と勘付いたらしいのだが、それでも試合直前で逃げるなど騎士の名折れと思い、無理して戦ったのが良くなかったんだ。まったく、こんなことを正義の旗を掲げる騎士団の騎士が行っていいのか!?まったくもって絶対許せないっ!!」


「落ち着け、ギネビア」と、先ほどまったく同じ話を聞かされたばかりのディオルグが言った。「とにかく、そのサイラスというランスロットの親友の父親が、自分の屋敷のほうへ招いてくれたんだ。随分広い屋敷らしく、俺たち全員を泊まらせても部屋など余るくらいのところに、大切なひとり息子を亡くされた元騎士団長のラウール・フォン・モントーヴァン殿は信頼できる従者と暮らしておられるらしい」


「では、ランスロットはきっと落ち込んでいるでしょうね」ギベルネスはそんなことが心配になった。「そうした事情があるならば、仇討ちを考えるのも当然とは思いますが……」


「そうなんだっ!だが、騎士聖典では騎士が復讐の仇討ちをはかることは禁じられている。しかーし、来月の聖ウルスラ祭の時に馬上試合トーナメントがあるんだ。優勝した者には報奨金が出るらしいから、聖ウルスラ騎士団の連中の多くがエントリーしてくるだろう。わたしも出場して、そのフランソワなんとかいう奴と運良く当たったら、目にもの見せてやろうと思っているっ!!」


(ほら、これだよ)というように、ディオルグが肩を竦めて言う。


「確かに不正義や悪といったものは正されねばならんだろうが、おまえさんもランスロットもローゼンクランツ騎士団に所属する騎士だということを忘れてはいかん。先ほど、素性を隠して云々と息巻いていたが、それでもだ。のちのちそのことがわかったとすれば、メレアガンス伯爵との関係に影響するかもしれん。となれば、クローディアスという偽王を斃すという我々の大義にも支障がでるかもしれないのだぞ」


「確かに、それはそうだ」


 静かに階段を上がって来たハムレットが、ディオルグの言葉を引き取った。彼の後ろにはタイスとカドール、それにランスロットが荷物をまとめた旅装束で続いている。


「だが、ランスロットとギネビアが来月にあるという馬上試合に出場することを止めはしないよ。何分、これからお世話になるモントーヴァン卿の息子が無念の死を遂げたのだ。馬上試合トーナメントで仇の男が恥をかくくらいのことがあったとしても……まだしも優しい天罰と言えはしないだろうか?」


「ディオルグと同じく、その件に関しては俺も反対なのですがね」


 カドールがムスっとしたまま言った。


「おまえが反対なのは、ギネビアの出場に対してであって、俺に対してじゃないだろう?」と、ランスロット。


「まあな。そういうことであれば、俺だってその馬上試合に出場したいくらいだからな。だが、やはり個人的な感情から大義を見失うわけにはいかん。聖ウルスラ騎士団の現騎士団長さまが、ローゼンクランツ騎士団長の息子に赤っ恥をかかされたことがのちのちわかってみろ。これから我々は一致団結してクローディアス王を斃そうというのに、ローゼンクランツ州とメレアガンス州の軍内で遺恨が残るというようなことでは困る」


 だが、カドールにしてもわかってはいるのだった。自分は今、聖ウルスラ大聖堂にて、神の奇跡にも等しい現象に遭遇したことで――少しばかり敬虔な気持ちになっている。ゆえにこのような考え方が出来るのであって、そうでなければランスロットの親友の仇討ちに関しては諸手を挙げて賛成したろう。


「まあ、そこらへんは空気を読むとしよう」と、ランスロットは言った。「それに、馬上試合にエントリーしたところで、サイラスの仇の男と上手く当たれるかどうかもわからん。そのあたり、俺は冷静な判断が利くほうだからまだいいとして……ギネビアは絶対にダメだ。いいか、おまえは仮にもローゼンクランツ公爵家の娘なんだからな。家名に傷をつけ、父親である公爵さまの顔に泥を塗るような真似だけは絶対するんじゃない」


「何おーうっ!!だが、たった今おそれ多くも賢くも、ハムレットさまがおっしゃってくださった。わたしも馬上試合に参加してもいいと……だからわたしは参加するのだ。そうとも、ランスロット。もしおまえと当たったとしたら、今度こそ貴様の首の骨を叩き折ってくれよう!!」


 ランスロットとギネビアがいつもの言い争いをはじめるのを脇目に、一行は『怒れる牝牛亭』をあとにした。支払いのほうは先に済ませてあったが、宿のおかみは最後「これはあんたが持っておいきよ」と言って、例の孔雀の羽飾りをギネビアに握らせていたのである。


「いや、これはおかみさんにあげたんだってば!それに、あのボドリネールの奴、またこのあたりをうろつきはじめるかもしれないし……」


「その時はその時でまた考えるさ」と、おかみはウィンクして言った。「それに、あの孔雀の羽根をあんた以外の人間が使ったからって、有効になるとは限らないだろ?わかったら、持っておいき。今後、もしかしたら必要になるかもしれないんだから」


 彼らは実に金払いのいい客だったため、おかみも彼女の針金のように細い旦那も、店内の酔っ払った客のことなど放っておいて、外まで見送りに来てくれた。「俺たちゃもうすっかり顔見知りって奴だ。もし宿に泊まらなくても、近くを通りかかったらちょいと一杯飲みに寄ってくれや」と、牝牛の看板の下で、そんな話をして別れた。


 そして、『怒れる牝牛亭』と同じ通り沿いに位置する『小躍り牡馬亭』の前には、そちらに宿泊していたキリオンとウルフィン、ホレイショとキャシアスの姿がすでにあった。ギベルネスは(自分のせいで移動の出発が遅れたのだろうか)と心配になったが、モーステッセン家を訪ねたのを後悔してはいなかった。


「ギベルネ先生、疲れてるんじゃないですか?」


 ハムレットが隣に来てそう言ってくれたが、「いえ、大丈夫ですよ」と答えておいた。実際にはかなりのところ歩き通しで疲れていたが、自分の好きなように時間を過ごしたのだから仕方がない。


「夕食は食べられましたか?」


 そう聞いたのはタイスだった。何故か彼は以前からよくギベルネスの体調や食事のことを気にすることが多かった。無論、ギベルネスが<神の人>であるならば、大丈夫だったに違いない。それでも、彼としては心配だった。そもそも、この<神の人>は縦にばかり細長く、いくら食べても太りそうになかったからだ。


「そうですね。軽く食べてきましたから大丈夫ですよ」


「そういや先生、例のオラにピエロの格好させてえとかいう物好きな娘っこには会ってきただぎゃか?ほいで、どうだったぎゃね?」


 レンスブルックがそう聞くなり、何故かみなの注目が自分に強く集中するのをギベルネスは感じた。何故なのかまではわからない。


「ええ。お宅のほうに招待してくださるというので、ちょっと遠かったですが、お邪魔してきました」


「ハムレット王子に服を作ってくださるよう、ゴリ押ししに行ったわけではないのでしょう?」


 そう聞いたのはカドールだった。彼は<神の人>があのウルスラという男装の店主や、その美人の妹に興味を持ち、それでわざわざ出かけていったのだとはまるで考えない。だが、それならばそれで、一体どんな用があの姉妹にあったというのだろうか?


「へええ。ギベルネ先生、ああいう姉妹が好み?」キリオンが意外そうな顔をして言う。彼にとってギベルネスは最初から、<神の人>だから大切とか、そうした対象ではなかったのである。「ぼくだったら妹のほうが好みかな。ああいう、自分の身のこなしをわかってる女の人って、素敵だよね」


「ええと……私は隠れた恋心なるものがあって、あの服飾店をもう一度訪ねたわけではないのですよ」フランシスとルースもすっかり勘違いしていたことを思い出し、ギベルネスは苦笑した。「もちろん、もしお願いできそうなら、ハムレット王子の衣装を頼みたい気持ちはありました。ですが、よくお話を聞いてみると、なかなかに大変なご事情があるようで……あのウルスラさんという方は、来月の聖ウルスラ祭のファッションショーに人生のすべてを懸けていて、そのことに彼女たち十人姉妹の運命がかかっているそうです」


「ええ~っ!?十人姉妹?じゃ、あの人たち、他に八人も家族がいるんだ?そんで、全員女なの?男の兄弟はひとりもいないの?」


 キリオンが驚いて言った。もし男の兄弟がせめてもひとりかふたりでもいて、彼らが稼いでくれるというのでないなら……彼女たちの生活の苦労はいかほどだろうかと思ったのである。


「そのようですね。両親のほうはすでに他界されていて、一番下の子はまだ七歳ということでした。まあ、私に何が出来るというわけでもないのですが、多少なり、何か力になれることがあればいいと思ったり……ああ、そういえば、<ルキア食堂>にいたとても元気のいいウェイトレスの娘さん、彼女が実はあのウルスラさんの妹だということもわかりました。それと、そのルースと同じく姉妹のフランシスと帰り道で会って、軽く食事をしたんです。なんでもこのフランシスさんは、宮廷でメレアガンス伯爵夫人の衣装係をなさっているとか」


「メレアガンス伯爵夫人の衣装係?」


 ほぼ同時にそう口にしたのは、タイスとカドールである。特にカドールは、宮廷という場所において、衣装係というのがいかに重要な役割を担っているか知っていた。相当の信頼を得ているか、気に入られてでもいない限り、そもそもすぐ首になるようなポジションのはずである。


「ええ。ただ、最近ちょっと失恋を経験したとかで、落ち込んでらっしゃいましたね。なんでも、聖ウルスラ騎士団でも名のある騎士さまだそうなのですが、結婚の約束もしていたのに、振られてしまったとか……」


「そいつの名前は?」


 ランスロットが勢い込んでそう聞いた。(まさかとは思うが、フランソワ・ボードゥリアンではあるまいな)と思ったのである。


「確か……フランツなんとかいう名前だったと思いますが」


「フランツだって!?」と、今度はギネビアが噛みつくように言った。「だが、このメルガレス城砦にはフランツなんて名前の男、掃いて捨てるほどいるだろうしな。ギベルネ先生、そのフランツって男はフランツなんていうんだ?」


「なんでしたかね」


 ランスロットとギネビアの熱意が理解できず、ギベルネスは一生懸命首を捻りつつ思いだそうとした。フランシスは何度となく『フランツがあーしたとかこーした』という話をしながら、その間もハンカチで涙をぬぐっていた。その時に時々、『フランツ・~~~~こそ、わたしの運命の相手だったのに!!』と、苗字についてまで語っていたような記憶もあるのに、何故かはっきりとは思いだせない。


「確かフランツ……ボーなんとかいう」


「ボードゥリアンではないだろうな!?」


 ランスロットにギロリと睨まれ、ギベルネスは首を振った。


「ちょっと違うと思います。なんとかアンではなかったような気が……」


「まさかとは思いますが」と、今度はタイスが聞いた。「ヴォーモンではないですよね?」


 ハムレットもカドールも、法務長官ヴォーモン卿の弟が聖ウルスラ騎士団に所属していると聞いたのを覚えていたのである。


「フランツなんとかモンでもなかったと思います。ええと、ええと……う~ん」


 何故かはわからないが、その名前が重要なものらしい感じ、ギベルネスは一生懸命思い出そうとした。そして、最後にハッと脳裏に閃いたのである。


「そうです!フランツ・ボドリネールという名前だったと思いますよ。間違いありません」


 一瞬、みんなしーんとなった。すっかり陽も落ち、最後の残光も闇に消えゆこうかという逢魔ヶ時であったため、通りではどの店もドアや窓を壊され、泥棒に入り込まれぬため、頑丈な二重扉を閉めると、しっかり錠を掛けている最中だった。


「ぼっ、ボドリネールっていえば、ギネビアが『怒れる牝牛亭』で撃退したっていうならず者じゃないかっ!!」


 そう叫んだのはキリオンだった。彼もまた話を聞いただけではあったが、騎士でボドリネールといえば、このメルガレス城砦においてかなりのところ限定された人物ということになる。


「まあ、ボドリネール違いということもあるだろうが……」


 ギネビアは先ほど『怒れる牝牛亭』のおかみから受け取った孔雀の羽根をポケットから取りだした。


「わたしも、あいつの名前までは知らないんだ。たぶん、おかみさんもあいつのことはよく知らなかったんじゃないかと思う。だが、騎士の家系の者は民衆のほうでも把握している場合がほとんどだからな。つまり、もしあいつが騎士の家系の者であったとすれば、あんな地上げ屋的行為を出来るはずがないんだ。何分、騎士というのは法の守護者でもある。一族の中からでも不法に手を染めている者があったとすれば、家長が自ら裁くことさえあるほどだ」


「裁くって、具体的にどうするぎゃ?」


 レンスブルックが聞くと、カドールが溜息を着いて言った。


「一族から破門にして、以後一切の関わりを絶ち、死んで墓に葬られた者として扱うということだ。あるいは、家長が騎士であるなら、家名に泥を塗ったとして息子の首を刎ねても罪には問われない。騎士という存在にはそう出来る資格がある……が、実際にはある程度の金を持たせ、追い出す場合のほうが多いかもしれんな」


「とにかく、『怒れる牝牛亭』にやって来て、わたしにこの孔雀の羽根を渡した男は、おそらくそのフランツ・ボドリネールという騎士とはまた別の男さ。騎士の顔とケチなチンピラの二つの顔を使い分けるなんてことは出来やしない。もし出来たとしても、あんな大っぴらに真っ昼間から旅籠屋を娼館に改造すべく動いたりは出来ないはずさ」


「確かに、それはそうかもしれないが……」と、ランスロットもまた、何かが腑に落ちないというように首を捻っている。「だが、ボドリネールなんて苗字、フランツという名前がありふれているのに対し、ここメルガレス城砦の家系にそう多くあるものだろうか?おそらく、そいつのことはちょっと調べればどこの家系に属する者かはすぐわかるはずだぞ。それに、あのおかみの話じゃ、バックに大物がついてるからこそデカい顔して威張り散らしてるってことなんだろ?」


「なんにしても、それもこれもこれからラウール殿のお屋敷へお邪魔すればわかることさ」と、ギネビアが明るい笑顔で言った。彼女は、もし次にあの孔雀の裏地の男と会ったとしたら、一勝負してとっちめてやろうと考えていたのである。「ラウール殿じゃなくても、聖ウルスラ騎士団の人間関係についてならセドリックに聞けばおそらく一発だろう。さあ、そうと決まったら早く貴族の瀟洒な邸宅の並ぶ地域まで移動しようじゃないか!」


「そうだな」カドールが珍しく、ギネビアの言葉にそのまま頷く。「ここから先のことは、今後のハムレットさまの進退にも関わる重要な機密事項でもある。まずは、モントーヴァン卿の屋敷へ移動してから、今後の方策のことについてはあらめて話すとしよう」


 こうして、今後の方針が決まると、一行はがやがやと、今度はどうでもいいような話ばかりしながら、だんだんに傾斜がきつくなる坂道を上がっていった。丘の頂上に建設されているメルガレス城も、その近くにある市庁舎も、巫女姫がその最奥に住まうという聖ウルスラ神殿も――今は闇に沈みつつあるようにしか見えない。


 だが、聖ウルスラ神殿では国の平和と民の安寧を願い、平和の炎が焚かれるとともに、巫女たちが常に祈りを捧げ続けているという。ということは、大理石の壁などによって阻まれ、こちら側からは見えないだけで、今も、真夜中のどんな時間であっても、神殿の炎の元には必ず何人かの巫女の姿があり――民の多くが寝静まっている時間にも、必ず祈りの炎と香が焚かれるのと同時、そこには巫女の祈りが目に見えぬ馨しい香りとなって天上へ上り続けているに違いない。


 メルガレス城砦内では、火の不始末による延焼を恐れ、火の取り扱いについてはかなりのところ厳しく取り締まっているという。それでも街角には通りの名前の刻まれた青銅の標識の下などに、黒鉄のランタンが吊り下げられていたが、これは夜警を担当した巡察隊士や守備隊士が見回り時に必ず点検することになっている。また、メルガレス城砦には、炎が大きくなったとすれば効果はあまりなかったにせよ、消防車の原型となるような、水を大量に馬車に積み、ポンプ装置によって吹きかけることの出来る消火装置も一応存在してはいたのである。


 タイスは途中、角燈に火を点したが、というのも、名のある貴族の邸宅が並ぶあたりはすっかり薄暗くなっており――そこから出てきた人々が、手にやはりカンテラを持ち、どこかへ出かけていく様子だったからである。


 モントーヴァン邸の門前にはセドリックがいて、彼は門の石壁のところにふたつのカンテラをそれぞれ左右に掛け、目印のようにしておいてくれていた。


「みなさま、お待ち申しておりました!!」


 角燈の光があるとはいえ、セドリックは十二人もの人間がぞろぞろといるうち、誰がハムレット王子なのかまではわからなかった。とにかく失礼のないよう、まずはすぐ門を開き、こちらもカンテラの光に照らされた玄関先まで案内した。


「空いているお部屋のほうはどこをお使いいただいても構いませぬが、まあまずはお食事に致しましょう。適当なところにお荷物を置いてください。積もる話のほうは、ゆっくり食事でもして寛いだそのあとでも遅くありますまい」


「モントーヴァン卿はどちらに?」


 ハムレットはまず、この屋敷の主人に挨拶しなくてはと思いそう聞いたのだが、その瞬間、セドリックのほうにハッと息をのむような気配があった。室内には客人をもてなすために、あちこちの燭台に火が灯されていたが、(この方こそ、ハムレット王子に相違ない……!!)と、彼にははっきりそう直感されたのであった。


「主人のほうは今、食堂のほうにおります。我が主君をモントーヴァン卿がお迎えできないのには事情がありまして、卿は今足をお悪くしているのでございます。ですが、このような名誉な機会を与えられ、主人のほうでも喜んでおります。ずっと加減のほうがお悪かったのですが、今日の午前中にランスロットさまとギネビアさまの御訪問を受けて以降、いつも以上に矍鑠とされ、昔の健康を取り戻したかのようにすっかり元気になられまして……」


「それは良かった」ハムレットはほっとした。「こんなに大勢で押しかけた上、屋敷の主人に挨拶もしないというのでは失礼極まりないと思ったものだから……それに、そのように堅苦しくならないで欲しい。フランソワ・ボードゥリアン騎士団長のことは、オレもギネビアやランスロットから聞いた。これから聖ウルスラ騎士団に真の正義をいかようにして取り戻すべきか、今後は我々でともに算段することにしよう」


「ありがとうございます、ハムレット王子」


 セドリックはその場に跪き、深々と礼をした。


「伝統あるモントーヴァン家に代々仕える従者として、これほど嬉しい言葉はありません……ささ、どうぞこちらへ。ラウールさまが王子の到着を今か今かとずっと待っておいでになるものですから、喜びの到来を私のほうで引き延ばしてばかりいては、主人の心臓にも障りましょう」


 広い食堂のほうではすっかり、銀器の用意のほうも十二人分してあり、ラウールもまた七枝の燭台の前で椅子に座り、招待客のやって来るのを待っているところだった。


「この度はお招きに与り、ありがとうございます」


 カドールが挨拶すると、ランスロットとギネビアもそれに続いた。


「体が片方動かぬものでして、食事をするにも見苦しいやもしれませぬが、あまり気にしないでいただきたい。では、そのお方が……?」


「ハムレット・ペンドラゴンでございます」


 ハムレットは老騎士の座る椅子の前にて跪いた。


「おお、これはなんともったいない……!お待ち申しておりましたぞ、ハムレット王子。本来であれば、わしのほうで身を屈めねばならぬというのに、何分体が不自由なものでして、騎士として礼儀に反すること、どうかお許しいただきたい。まったく、お若き頃のエリオディアスさまにとても面差しが似ておられる……わしくらいの年代の者で、一度でもエリオディアス王と謁見したことのある者ならば、そのように感じることじゃろう。いやいや、それだけでも王のお血筋の方として、誰も疑いなど持たぬくらいじゃ」


「今日の昼間、聖ウルスラ大聖堂のオド=オスティリアス修道院長さまとお会いしてきたのですよ」


 ハムレット王子のためには、当然上座の席が用意されていたが、ラウールが座していたのは下座の末席だった。そこでハムレットは、そのままこの老騎士の隣に座って話を続けることにしたのである。


 ラウールの瞳には涙すら滲んでおり、それが何か、自分の父であるエリオディアス王との思い出に関するものらしいと、ハムレットにしても即座に感じ取っていたのだった。


「オド殿とか!?して、大修道院長さまから、何か実りのある会話を引き出せましたかな?」


「はい……オドさまは信頼のおける、大変素晴らしい方と感じました。我々はこれから、メレアガンス伯爵に出来れば味方になっていただきたいのですが、どうしたらよいものかと、知恵をお借りしに行ったのですよ」


 ハムレットとラウールの座席のほうが定まると、みなそちらを上座であるように考え、それぞれ適当に座りはじめた。また、セドリックのほうではこれを食事開始の合図と思い、厨房にいる者たちに声をかけた。コックも配膳係もみな、セドリックの従兄弟や親戚らであるため、口の堅い信頼の置ける者ばかりであった。


 まず、手を洗うためのボウルと、籠に入った山盛りのパンが、おのおの手で取って食べられるようにと三籠ほどテーブルの上へ置かれた。次にスープが運ばれて来たため、ミンチにした肉団子と野菜の浮かんだ、薬味の効いたスープにみな舌鼓を打つ。また、そうこうするうちも会話のほうは続いた。


「オレには、神と人の口以外、自分を証し立てるものが何もありません。オド修道院長はその評判通りの方であり、守秘義務ということもあって、もし仮にオレがエリオディアス王の息子を騙っているだけの者であったとしても、誰にも何もおっしゃらなかったことでしょう。ですがその時……神の奇跡と言いますか、秘蹟のようなものが起きたことで、オドさまはオレがいずれ王の座に着く者であると、そう信じてくださったのです」


 この時、ハムレットが隣のタイスと斜め向かいの座席に座るカドールのことをちらと見ると、彼らは共に神妙に頷いていた。


「はて、神の奇跡とは……この不信心な老人にも、それがどのようなものか教えていただけますかな?」


「それは、オレが持っている剣の話なのですよ。伝統的なことを言えば、名剣デュランダルというそうです。オレはそれを、キャメロット州にて、女王ニムエにいただいたのです。そして、オドさまにそうした話をすると、剣の柄か鞘にでも竜の刻印がないかとおっしゃったので……いつもではないが、刃に光の竜が現れることがあるという話をしました。それはオレが『出でよ、光の竜!!』などと唱えたところで出現するわけではありませんから、オレとしても心許なくはあったのですが、なんにせよ、鞘から剣を抜いてみることにしたわけです。すると、今までオレが見たことのないほどの勢いと強さによって大きな光の竜が現れたものですから――それですっかり、オドさまはオレこそが次の王位に就く者として相応しいと、そのように認めてくださったのです」


「なるほど……それはわしが思うに、おそらくはオド修道院長の信心の賜物でもあったのでしょうな。わしのような不信心者の前では、王子が聖なる剣デュランダルを抜いたとしても、何ひとつ起きないやもしれませぬ。オド修道院長からお聞き及びかもしれませんが、ここメルガレス城砦には、聖ウルスラ神殿に聖なる鎧冑が、聖ウルスラ騎士団に聖なる大盾がありまする。また、これらはどちらも聖剣デュランダルの所有者のもの。ゆえに、オド修道院長としても、今目の前に横たわる数々の困難などすっかり飛び越えて――ハムレット王子がいずれここ、ペンドラゴン王朝の次代の王になる幻視ヴィジョンが見えたのではありますまいか」


 ここで、ランスロットがにんにく肉団子を飲みこみつつ言った。


「もし仮にハムレット王子がおじさんの目の前で剣を抜き、何も起きなかったとしても……特段心配は入りませんよ。おじさんは俺たちがハムレット王子の話をしただけで、この方こそが先王エリオディアス王の血を引く者であると信じてくださった。しかしながらきっと、オド修道院長にはそのような奇跡が必要だったのでしょう」


「そうですよ」と、カドールが同意する。「『神を見ず、その奇跡や秘蹟を経験せずとも神を信じる者こそ幸いなり』と、騎士聖典にもあることですしね」


 ここで、老騎士は「ハッハッハッ!!」と、豪快に大笑いした。


「ものは言いようじゃて。したが、聖ウルスラ騎士団で長く騎士団長の地位にあった者としては、そのように格好つけさせてもらうとしますかな」


 ラウールのざっくばらんな態度によってか、場もすっかり和み、モントーヴァン邸の食堂ではここ暫くなかったほど、楽しい団欒のひとときとなった。食事のほうもまったく素晴らしいものばかりで、その後も一同は若鶏のソテーや鹿肉のベーコン巻き、うなぎのパイ、鮭ときのこのチーズ焼きなど、食べきれないほどのご馳走をたくさん戴いた。


 セドリックは嬉しかった。サイラスという自慢の息子を亡くして以来、ラウールは肉体的にも精神的にも落ち込んだままであり、「もういつ死んでもいいのだが」、「まったく、無駄に若い者の手だけかけるな」などと、気弱なことしか口にしないようになっていたのである。その自分にとって最愛の主人が、かつて昔、よく騎士たちがこの屋敷へ出入りして賑やかだった頃と同じように闊達に話し、豪快に笑っている……彼にとって、これ以上の喜びはないほどだったのである。


 この日の夜は結局、加減よく葡萄酒が回ったせいもあり、途中から深刻な話はまた明日しようといった雰囲気になった。ギネビアとランスロットが帰ったあと、客室のほうをあらためて掃除し、寝具類も新しくしたのであろうか、枕にしてもシーツにしても、ライラックともラベンダーともつかぬ、とても良い香りがしたものである(寝具類にハーブで香りづけするのは、虫除けのためであった)。


 翌日、朝食後に一同はあらためて会議の場を持つことになったのだが、ギベルネスが「すみませんが、私は少々用事があります」と言って参加を辞退すると、カドールが彼の後を追いかけてきた。


「何か、気に入らないことでもありましたか?」


 カドールとしては、例の<神の人>ならば云々……という棘のある態度についてはすっかりあらためていたし、彼が何を考えているのかさっぱりわからなかった。無論、人間に神の全能の力が理解できぬように、その使者である者のことも理解できないのは当然であったには違いない。


「気に入らないこと?」


 ギベルネスとしては(今度は一体なんだろうか)と思い、怪訝に眉を顰め、カドールのことを振り返った。玄関口から門へと続く小径でのことである。


「そんなことは、何もありません。ただ、私は私で少しばかり用事があるというそれだけなんです。それに、私がみなさんの話しあいに参加したとしても、特に何か意見するわけでもありませんし……ただ、その結果としてこれからどうすることにしたか、あとから話を聞かせていただければ十分だと思います」


「何故ですか?べつに俺は、あなたに対して<神の人>ならばこうすべきだのどうだの、そんなことはもう思っていません。ですが、ハムレット王子は今が肝心な時だ。メレアガンス伯爵が味方になってくださるかどうかで、今後のすべてが決まってしまう。今このメルガレス城砦の中で、我々の味方と言えるのは、聖ウルスラ修道院のオド=オスティリアスさまとモントーヴァン卿だけです。けれど、おそらくは結局のところすべてうまくいく……!だんだん俺にもわかって来たんです。それはあなたがいるからなのだろうということが」


(買いかぶりすぎですよ)という言葉が、ギベルネスは喉まで出かかっていたが、やはりこれほど先進的な時代精神を持つ賢いカドール・ドゥ・ラヴェイユをしても、やはり神の持つ力や旧来型の信仰心に負けつつあるのだと、そんな気がしていた。


「大丈夫です。わかっています」と、溜息を着きたくなるのを堪えて、ギベルネスは言った。「ただ、あなた方の今後のためにも、私としては小さな用事を片付けて、その上でこちらには戻って来たかっただけなんですよ。そのあとであれば、いくらでも会議に参加します」


「それで、これからどちらへ行かれるのですか……?」


 実をいうと、カドールが一番気になったのがその点だった。朝食後、「すみませんが、私はちょっと出かけて用事を足してきます」と言って席を立っても、誰も行き先さえ聞こうとしなかったのだ。唯一レンスブルックがからかい調子に「先生、ファッショナブルな娘っ子のとこでも行くだぎゃか?」と聞いていたが、ギベルネスは「まあ、そんなところです」としか言わなかったのである。


「買い物でしょうか。といっても、目当ての物があるかどうかまではわからないのですが……あと、きのう言ったモーステッセン家へも行こうと思っています。というのも、末の小さい子たちに美味しいお菓子を持っていく約束をしてしまったからなんです。それ以上の他意はありません」


「いえ、もしかしたら大切なことかもしれません」と、カドールは考え深げに言った。「ほら、その家の五女だか六女だかが、メレアガンス伯爵夫人の衣装係をしていると言っていたでしょう?それに、フランツ・ボドリネールの元恋人だとも……」


 実をいうとフランツ・ボドリネールについては、昨夜のうちに誰なのかが判明していたのである。彼は今、聖ウルスラ騎士団で副騎士団長の地位にある男だということが。


「そうですね。私にはよくわかりませんが、確かに伯爵夫人の衣装係ということであれば、多少なり何か個人的な願いごとを聞いていただける可能性もあるかもしれません……でも、私が一番安心したのは、フランツという人物の人となりのことだったでしょうか。私もきのう一度お会いしただけですが、フランシス・モーステッセンという娘さんはとても感じのいい女性でした。悪い本性を隠し持った男に実は騙されていたといったような話でなくて、本当に良かったと思ったものですから」


「いえ、すみません。どうやら私は今もまだ相当な不信心者のようだ……ギベルネ先生、余計なお手間を取らせました」


 カドールが勝手にひとり何かを納得したように、モントーヴァン邸のほうへ引き返すのを見て――ギベルネスはほっとして門の閂を引き、外へ出た。天気のほうは気持ちよく晴れ上がっていたが、蒸し暑くもあった。ギベルネスはすでに、午前中は街路のどちら側に影が出来るかわかっていたので、なるべくそちら側を選び、先を急いだ。


 そして、そうこうする間も、ギベルネスの頭は、おそらくこの広い惑星の中で、彼しか理解しえない事柄でいっぱいだった。昨晩、ギベルネスは眠る前に、「多少なり医療の心得があるものですから」と断り、ラウールのことを軽く診察させてもらっていた。その後、セドリックに日頃の食生活や習慣にしていることや、風呂に入る回数のことなどを聞いたが、結果としてギベルネスに現時点で出来ることはと言えば……「医療」ではなく、「医療もどきの何か」であることがわかっただけだった。


 ただ、自慢の息子を暗殺されるに等しい形で亡くして以降、失意の日々を送っていたというのに――昨夜の夕食の席にて、ラウールが本来ある活力と元気を取り戻しつつあることは、ギベルネスにもわかっていた。また、そうした上向きな心持ちにある時に、何かの治療を……それが仮に「治療もどき」のものであれ行なえば、現時点で考えられる限りの範囲で快癒することはあり得ると思ったのである。


(まあ、せいぜいのところを言って、いわゆるホリスティック医療といったところではあるだろうがな……)


 ギベルネスはまず、商店街に車椅子の部品に出来そうなものを探しに行こうと思っていた。もちろん、車輪部分のステンレスやゴムといったものがどこにもないことはわかっている。だが、その原材料に出来そうなもの――たとえば馬車を製造している工房へ行き、大体こんな形のものを作って欲しいと依頼すれば、作ってもらえるのではないかと想像したのである。


(とはいえ、その場合結構金がかかるだろうな。だから、自分で手作り出来たほうがいいのだろうが……)


 この日、ギベルネスはそのような目的で商店街をあちこち覗いてまわり、その途中でモーステッセン家の九女のダニエラと十女のハンナが好きだという紐付きの練り菓子と棒付きキャンディを買うと、雑踏を抜け、今度は第十六区のある方角を目指すことにした。


 途中で買った練り菓子とキャンディの他に、モントーヴァン邸の厨房のほうで余った食事の残りをもらって来てもいたのである。きのうのルースやフランシスの反応、それにキリオンの口振りなどから、「出会って間もない女性のお宅を訪ねる=気がある」ということになるらしいと感じ、ギベルネスは仕立て屋街にある店のほうへは行かなかった。だが、驚いたことにはこれもまた誤解の種を蒔く結果になってしまったのである。


 というのも、モーステッセン家にはこの日、フランシスを除く九人姉妹が全員いた。ルースは店のほうの当番が休みだったし、他の娘たちは下のダニエラとハンナ以外、みななんらかの手芸仕事に黙々と勤しんでいたからである。




 >>続く。






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