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第42章

「こんにちは」


「あら。こんにち……って、あなた、確かきのうの……もしかして、考え直してくださったとか!?」


 エステルはきのうとはまた別の、目も覚めるようなブルーのドレスを着ていた。これはギベルネスがあとから知ったことだったが、彼女は実はウルスラデザインのドレスを着て歩くことで、店の商品をアピールする役も担っていたわけである。


「いえ、すみません。そういうわけではないのです。ただ、いくつか気になるというか、お聞きしたいことがありましたもので……」


「ああ、そう。どうせあなたもウルスラに会いに来たのでしょ?」


 エステルは何故かぶすっとして言った。


「いつもそうなの。ウルスラは特別美人ってわけじゃないわ。というより、十人姉妹の中じゃ、次女のわたしが一番の美人だって、そう言う人も多いくらい。だけど、ウルスラなんて男の人に興味なんかさっぱりないのに、何故かいつも向こうからやって来るの。わたしのことなんか、透明人間みたいにまったく見えなかった……みたいな具合でね。いつもそう。わたしは姉さんのオマケみたいなものだわ」


「えっ!?えっと……エステルさんは優しくて可愛らしくて親切で性格もよくて……今日着てるドレスも、きのうにも増して、なんともお美しく……」


「いいのよ。気にしないで」と、エステルは微笑んだ。「あなたこそ優しい人ね。姉さんなら二階にいるわ。もっとも、あなたが何か話しかけても、まともな会話を期待しちゃダメよ。今が一年で一番忙しい書き入れ時なはずなのに……父さんが死んで以来、お客さんがパッと離れていっちゃってね。だから、来月ある聖ウルスラ祭に姉さんはすべてを賭けてるのよ」


「…………………」


 ギベルネスはもう少しエステルに何か訊ねようかとも思ったが、彼女が再び手許の刺繍仕事に一心不乱になる姿を見て――そのまま二階のほうへ静かに上がっていくことにしたのである。


「エステル、だれ!?お客さんでも来た?」


 妹が上へ上がってきたと思ったのだろう。ウルスラもまた、人形に着せたドレスの襞飾りをつけながら、振り返りもせずそう聞いた。


「すみません。なんだか、お仕事の邪魔をしてしまったようで……」


 思ってもみない男の声に、流石のウルスラも入口のほうを振り向いた。棚には繻子やタフタや更紗など、数え切れないほどの反物と、色とりどりの糸、それにレースやリボン類がびっしりと並んでいる。その他、作業台の上には無駄なく型取りのされた布地が、途中まで鋏で裁断される形で放置されたままになっていた。


「ほんとね。なあに?あなた、まさかあの人たちを代表して、なんとか急いで服を作ってくれないか……なんて、頼みにきたってわけでもないのでしょ?」


 一度相手が誰かを確認すると、ウルスラはすぐに興味を失い、仮止めしてある布地を再び縫いはじめた。ギベルネスの目には、その薄い桃色のドレスはほとんど完成しているように見えたが、襟元に飾られた薔薇の花の位置を直してみたりと、ウルスラはどうやらいまひとつ何かが気に入らないようだった。


「いえ、今回は服のこともモデルのこともまったく関係がないんです。ただ、きのうなんとなく……何かお困りになっていることがあるのではないかと、直感的にそう感じたものですから」


「そりゃまあ、困ってるってのは見てのとおりよ。来月の聖ウルスラ祭までに、完成させなくちゃいけないドレスも残ってるし……かといって、一生懸命毎日寝る間も惜しんで作業したところで、ファッションショーのほうは失敗して終わるかもしれないんですものね」


 ギベルネスはウルスラが自分のほうをまったく見てないのをいいことに、棚の上にあったウルスラのデザイン画のほうをぱらぱらと捲って見ていた。そうしながら、隅のほうにあった椅子に座って会話を続ける。


「ウルスラさんは、十人姉妹の長女だというのは本当ですか?」


「変な人ね」ウルスラは口の中に含んでいた待ち針を吹きそうになった。やはり、リボンの位置を少し変えようと思いつく。「確かにその通りよ。それにそんなことで嘘ついてどうしようっていうの。わたしに何か得なことでもある?」


「いえ、先ほどこの店の先代であったのだろうお父さんが亡くなったとエステルさんに聞いたものですから……ということは、今ではあなたが一家の稼ぎ頭ということなのでしょう?」


「そうね。ただし、そんなに稼いでないってことが問題なのよ」と、ウルスラは溜息をついた。このドレスについては、もうこれでいいだろう。残りの部分は家のほうへ持って帰り、三女のアルマに仕上げを頼めばいい。「エステルからどこまで聞いたか知らないけど、父さんは本当に腕のいい仕立て師だったの。それで、出来れば娘にじゃなく息子に跡を継いでもらいたかったのね。ところが母さんは十人も娘だけ生んで死んじゃって……それがちょうど今から五年前のこと。その頃、<西王朝>と戦争があったでしょ?そんな時にファッションショーなんかやってらんないわよね。というか、聖女ウルスラに祈りを捧げるという意味でもショー自体は行なわれるのよ。だけど、コレクションのほうはどうしても、軍服や喪服を思わせるような、地味で厳粛で暗い感じの色調のものになっちゃう。その時、父さんがたまたま機能的で身体にフィットしつつ、人々のその時の厳かな心情を表現したような地味でシンプルな男性の夜会服や女性のドレスを発表したのよ。特にドレスのほうは薔薇の灰色と呼ばれて、一大旋風を巻き起こしたの。ところがね、メレアガンス伯爵や伯爵夫人のお気に入りになったのも束の間、父さん、仕事のしすぎで倒れちゃってね。ようするに働きすぎちゃったってことなんだけど……その後、戦争が終わると同時に、また派手な色調のものが流行りはじめて、父さんのモリス=モーステッセンはファッションの歴史に薔薇の灰色という流行を一時期残したというだけで消えちゃったわけ」


「でも、ウルスラさんも、お父さんと同じように今回の聖ウルスラ祭に賭けてるんでしょう?」


「そりゃあね」と、ウルスラは今度は別の、繊細な植物が刺繍されたドレスを人形に着せた。今回デザインした中で、彼女が一番気に入っているドレスだった。「だって、他に一体どうしようがある?下にはまだ九人も妹たちがいるのよ!三女のアルマと四女のメリンダと五女のルースは、昼間は別のところで働きながら、夜は刺繍仕事を手伝ってくれるわ。一番下のハンナはまだ七歳だし、その上のダニエラは九歳、八女のメイシーは十二歳なのに、下の子の面倒をよく見てくれる!七女のケアリーは十四だけど、家のことはみんなケアリーがやってくれてるようなものなの。六女のフランシスは、わたしたちみんなの期待の星よ。フランシスはね、今メレアガンス伯爵夫人の衣装係をしているの!」


「じゃあ……こんな聞き方をして申し訳ないのですが、やはり聖ウルスラ祭にはそうした……なんと言いますか、多少の縁戚関係による贔屓ですとか、何かそうしたものが存在するということなのですか?」


「どうかしらね」


(この人はやはり余所者で、メルガレス城砦のしきたりについてなど、何も知らないのだ)と、ウルスラはあらためてそう感じた。


「毎年、一体何が流行るか、誰のどのドレスがメレアガンス伯爵夫妻や貴族たちの目に留まるかなんて――誰にも予測はつかないの。第一、今まで膨らんだ袖やら腰のドレスやら、男性服にしてもキュロットにタイツスタイルが流行ったかと思えば、次の年にはまったく見向きもされないといった具合ですものね。馬鹿みたいに高い三角帽子が流行ったこともあれば、何かの動物のシンボルを頭にのっけることが流行したり……過ぎ去ってみれば、微笑ましくも馬鹿らしい、流行なんてみんなそんなものじゃない?そしてそれはね、貴族のなんとか婦人の姪の夫の妹がデザインしたものだから、みなさん出来れば推してあげてねなんて、そんなことを伯爵夫人が言ったりするような破廉恥なことはないって、みんなわかってるのよ。なんでかって、そんなことをしたところで、どのコレクションが良かったかっていうのは、無記名投票ですからね。そんな馬鹿みたいな野暮なこと、昔はどうか知らないけど、今じゃ誰もしなくなって久しいわ。六女のフランシスがわたしたち姉妹の希望の星だっていうのは、伯爵夫人の衣装係はお給金がいいってこと!あとは宮廷内であったあれやこれやの話を聞くことが出来て楽しいし、きっとあの子はわたしたちの中で一番最初にいい男を捕まえて結婚するかもしれないわね。なんにしても、貧乏な男と結婚するより、それなりに裕福な男とそうなるでしょうから、やっぱり宮廷に出入り出来るっていうのは何かとお得なことが多いのよ」


(そんなものだろうか)とギベルネスは思ったが、その件について特に何か意見しようとは思わなかった。ただこの時、植物柄のドレスの襟元に、銀糸でレースをつけるウルスラの横顔を見て、ふと気づいたことがあった。


「その……間違っていたらおそらく他人の空似ということでしょうが、ウルスラさんの五女のルースさんというのはもしや……商店街の『ルキア食堂』で働いていたりしませんか?」


「ええ、そうよ。よく知ってるわね。というか、あなたほんとに誰?うちの姉妹のうちの誰かのストーカーってわけじゃないでしょ?きのうの今日会ったばかりで、そんな我がモーステッセン家の事情についてあれこれ聞いたりして……それともまさかロリコンなの?たまにほんとにいるのよ。お宅の可愛らしい末の娘さんをお引き取りしましょうか、なんて人がね。明らかに幼女趣味の変態よ。偏見とかじゃなくて見た目や顔に浮かべてる表情や話し方でわかるの。十人も娘がいるから、ひとりくらいならいなくなっても誰も気づかないだろう……なんて思ってるんじゃないかしら。まったく、冗談じゃないわ」


(ストーカーのロリコン……)


 心外だ、と思ってギベルネスが黙ったままでいると、ウルスラは今日、三度目に彼に視線を送った。だが、すぐにまたドレスの襟と向き合うと、眉根を寄せて難しい顔になる。


「ごめんなさいね、悪気はなかったのよ。ただ、わたしも今追い込まれてるものだから、明日には今日あなたに何を話したのかもきっと忘れちゃってるわね。そういう頭のおかしい女の言ったことだと思って、笑って許してちょうだい」


「いえ、お忙しいところ、ろくに裁縫仕事を手伝える腕もないのに押しかけてきた私が悪いのでいいんです。ただこれ……」


 ギベルネスは少し気になることがあって、デザインのスケッチ画をウルスラのそばまで持っていった。そこには、ギベルネスがよく知っている男性のスーツスタイルに極めて近い絵が描かれていたのだ。


「ああ、それはね、父さんが残したデザイン画をさらにわたしなりに発展させたものなのよ。ただ、ちょっと先進的すぎるかしらと思って……今回のコレクションに入れるべきかどうか迷ってるの」


「これを見せていただくわけにはいきませんか?私は、他の服飾店のスパイなどではありませんし……こうしたデザインをすっかり覚えておけるほど記憶力も良くありません。ただ、ほんの少しだけ……私でもお手伝い出来ることがあればいいと思って……」


「ええ。あなたみたいな人はスパイだなんてこと、まずないわね。もし仮にそうだったとしても――」ここで、ウルスラはけらけらと笑いだした。「わたしの見る目がなかったんだと思って、あとから自分のドジと間抜けを笑うしかないわね。もしそうだったとしたら」


 ウルスラは、喜んでギベルネスのことを三階まで連れていった。そこには、やはり頭部のない何体かの人形に、男性用の衣服が着せかけてある。一着目は、中に紋章化された花飾りの刺繍のある水色のフリル付きブラウス、上に同系色の空色のベスト――ただしこちらは植物柄の刺繍がくっきり浮きでている――さらに、その上に襟や袖口などが金刺繍によって飾られた濃紺の膝丈コートというスリーピース。ズボンのほうは一見黒っぽく見えるものの、近寄ってみると光の加減によって濃いブルーであることがわかった。


(確かにこれは、ハムレットさまが着たらさぞかしお似合いなことだろう。見た限りにおいて、サイズも大体合いそうな気がするし……)


 二着目は、法務官が着ていそうな、足のくるぶしより十センチほど上の丈の、スカートタイプの衣服だった。スカート、などといっても、タイスやギベルネスがそうであるように、それは僧が着る衣服にも似て、女性的な印象はまったくないデザインだった。首から肩の半ばまでケープのようになっており、その先は体のシルエットを隠すほどたっぷりしていて、くびれもなく下までストンと落ちている。だが、腰のところに金の三つ編みのようなベルトが巻いてあり、バックルはメレアガンス州の紋章である蜘蛛が描かれている。その他、白の生地部分には赤い太陽、丸い星のぼんやりとした青銀の輝き、森の緑、鎖のように連鎖した月など、神羅万象を象徴した模様が刺繍されている。


(これは、私でも着れそうな気がするが、似合うとしたらタイス……いや、カドールも似合いそうだな)


 三着目は、軍服風で、右肩のところから胸元に金モールが下がっている。また、左の肩からは斜めに深紅の飾帯がかかっており、短い立ち襟には左右対称に鷲が描かれ、制服のように見える上衣は深い紫だった。数え切れぬほど徽章に似たブローチが飾られているように見えるのは、実はすべて精緻な刺繍細工である。下のズボンの色は朱色という派手さで、こちらは不死鳥の柄が浮きでている……この軍服については見た瞬間、ギベルネスはすぐにピンと来た。


(ランスロットにぴったりだ!ランスロットはいつも、暗めで地味な色合いのものを好んでいるから、こうした派手な色合いのものは倦厭するだろうが、実際に着てみたらよく似合うことだろう)


 四着目は、芥子色の明るい地に、鹿、虎、孔雀、白鳥、熊、狐やイノシシ、羊、馬、ヤマアラシ……などが刺繍によって散りばめられた楽しいジャケットだった。中はキャメルの革のベスト、狩猟を意識したものかどうか、中のチュニックは常盤木色だった。さらに、黒の膨らんだ膝丈のキュロットには、金色の愛らしい大きな犬が一匹刺繍されている。また、チュニックには森の樹木やシダといった植物が上品に刺繍されているのがわかる。


(キリオンにぴったりだ!)と、ギベルネスが思っていると、隣でウルスラが囁くような声で言った。「ほら、メレアガンス伯爵は狩猟がお好きでしょ?それに、伯爵夫人は愛犬家だから……そこから来ているモチーフなの」と。


 そして五着目が、明るい茶の絹地で出来た、ギベルネスのよく知る世界でいうところの、スーツに近いスタイルのものだった。だが、ポケットや裾や袖などに、幾何学模様の刺繍が縫い取られていたりと、どうしてもある種の過多な装飾性から逃れられていないようだった。また、その隣には似たスーツタイプのデザインのものがもう一着あり、そちらは灰色のカシミヤに近い肌触りのものだった。


「その茶と灰色のはね、まだ習作なのよ。自分でもピンと来てないんだけど、もう少しで何かがつかめそうみたいに思って、時々煮詰まった時なんかにいじったりしてるってだけなの」


 ウルスラは何故かとても自信なさげに言った。一方、ギベルネスは「とてもいいと思います」と答えていた。「きっと必ず、あなたの時代が来ると思いますよ」と。


「そうかしら?」


 ウルスラはぱっと顔を上げてそう聞いた。彼女のギベルネスに対する印象は、(優しいけれど、優柔不断な男)というものであり、ゆえに(決断力に欠ける、そこらへんによくいる男)とも直感的に感じていた。けれど、この時は何かが違ったのである。もし彼がただ「とても素敵ですね」とか「素晴らしい思います」といったような、一般的な意見を述べただけなら――ウルスラにしてもお世辞として「あ~ハイハイ」といった態度だったことだろう。けれど、「あなたの時代が来る」だなんて……彼女は今まで、自分のデザインを褒めてくれた誰からも聞いたことはなかったのである。


「そうですね。ただ、たとえば……」


 ギベルネスは中学時代、制服のある学校へ通っていた。それはブレザータイプの制服だったため、入学したての頃、一生懸命ネクタイの締め方を覚えたものである。


 彼はこの時きょろきょろして周囲を見回し、作業台の上に放置された細長い黒の布のはぎれを、結びやすいように鋏で軽く整えた。それから、茶のスーツの首あたりにそれを回し、ネクタイのようにして結ぶ。


「すごいわ!!ねえ、一体今のどうやったの!?」


「ちょっと結び方が複雑なので、一口では説明し難いのですが……他に、蝶ネクタイといったものもあります」


 ギベルネスは裁縫のほうはまったくの不得手であったが、この時も明らかにいらないだろう布のはぎれを床から見つけると、それを少しばかり糸で縫いつけ、蝶ネクタイの形にしてみせる。


「ねえ、あなたもしかして天才なんじゃない!?」


 ウルスラが興奮して、ギベルネスの腕を掴んで言った。この時彼女には思い浮かんだあるデザインがあった。それは言ってみれば、ネクタイや蝶ネクタイから逆算した場合、どんなデザインが適当かという素晴らしい閃きだった。


「えっとね、あなたがどこの州出身なのかはわからないわ。だけど、ここメレアガンス州ではね、男性が衣服のどこかにリボンをつけたりしてても、オシャレとして十分通るのよ!まあ、その時の流行り廃りにもよるけど……これ、今まで誰も思いついたことのないような斬新なアイディアだわ!!」


「もし良かったら、何かの衣服にでも当てはめて使ってください。ただ、ネクタイのほうは結び方がちょっとややこしいので……ある程度の形を私のほうで作っておいて、あとは首にかけて締めるだけという感じにしておきましょうか」


「ありがとう!!えっと、あなた……」


 喜びに瞳を輝かせながら、ウルスラは彼に名前を聞いた。


「ギベルネです。とりあえず、仲間たちからはそう呼ばれているというか」


 この時、ウルスラはあまり聞いたことのない名前の発音に首を傾げた。けれど、ギ・べ・ル・ネと一音一音発音してみると、それはなんだかとても不思議な魔法のような響きさえ持っているように感じられる。


「あなたの名前は当然、聖女ウルスラから来てるんでしょう?」


「ええ、まあね。だけど、今じゃここメレアガンス州じゃ、最低でも十人にひとりくらいの割合でついてるって意味で、あまりにありふれた、つまらない名前という気もするわね」


 聖女ウルスラの伝説を聞いた時、ギベルネスはそれを少々変わっていると思った。彼女は両親のいない極貧の身の上で、星母神の恵みと導きにより、糸を吐きだす蜘蛛に助けられ、腕に覚えのある騎士たちさえ倒せなかった毒竜をやっつけ、囚われた人々を救いだし――その後、自分が助けた騎士のひとりと幸せに暮らしたということだったからである。


「ねえあなた、これからうちへ来ない!?」


 ギベルネスが(そろそろお暇しようかな)という空気を見せた気がして、ウルスラはすかさずそう聞いた。


「ファッションショーに出すのは、もちろんここにあるものだけじゃないわ。残りはうちにあるの。良かったら、これから見に来ない?」


「ええ。ですが、ウルスラさんも妹さんたちもお忙しいのでは……」


「いいのよ!どうせこれから客なんて来そうにないし、今日はもう店のほうは閉めるわ。それに、さっきのギベルネの一言で、今わたし、次から次へとアイディアが湧いてきてるの。ちょっとここのところスランプ気味で煮詰まってたから、少し休憩したほうがいいかもしれないわ。ああ、久しぶりに惑星直列を経験したような気分よ!!」


「…………………」


 ギベルネスはこの時も、なんとなく不思議な感じがした。ここ惑星シェイクスピアの住人たちは、奇跡が起きたという言葉と大体同じ意味で『惑星直列』という言葉を使うことがある。たとえば、ハムレットにしても「オレがこの国の王になるだなどということが起きたとしたら、それは惑星直列にも等しいことではないか!」といったように口にしたことがある。だが、ここから空を見上げていたところで――惑星直列などというものは、どう考えても肉眼で見えようはずもない。


「ねえ、エステル!今日はもう店のほうは閉めるわよ」


「ええっ!?一体どうしたのよ。今朝まで、くだらないことにもプリプリしながら、気違いみたいにブツブツ文句ばっかり言ってたくせに……姉さんも案外お手軽なのね。ちょっと格好いい男の人が好意を見せてくれたってだけでコロッと気分が変わるだなんて。第一、普段はそういう女のことを冷たく論評してるくせに」


「違うわよ。全然そんなんじゃないの!とにかく、ギべルネにわたし、他のコレクションも見てもらいたいのよ。まあ、家に帰ったら妹たちがあまりに騒々しくて集中なんて出来ないわけだけど……ねえ、エステル。わたしやっぱり、父さんデザインの薔薇の灰色のあれ、来月の聖ウルスラ祭に出展してみることにするわ。ずっとね、あともう少し何かが足りないって思ってたんだけど……それをこのギベルネ氏が埋めてくだすったってわけよ!まさに、聖女ウルスラが星母神から啓示を受けたが如く、わたしの身の上にも惑星直列が起きたってわけ!!」


 姉のウルスラが、本当にいいアイディアが思い浮かんだ時――ほとんど手がつけられないほど興奮状態になると知っているエステルは、(ご迷惑じゃないといいのだけれど)といった視線をギベルネのほうに向けた。彼としては迷惑でもなんでもなかったが、ただ、道をしっかり覚えておかなければ……とは思っていた。何分、帰りはタクシーにでも乗って、「『怒れる牝牛亭』まで」などというわけにもいかないのだから。




 >>続く。






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