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第39章

 メルガレス城砦は、撚り糸と織物と染色料で有名な城砦都市であり、時折『虚栄の町』と揶揄されることもあるほど、そこに住む住民は自分の着るものについて日々余念がない……といったように言われている。


 アヴァロンからメレアガンス州に入るまでは五日ほどの道程で、砂漠での移動に比べると、気温がぐっと下がったこともあり、ハムレット一行にとっては極めて楽な旅だったと言える。メルガレス城砦へ辿り着くまでに、三つの町や集落を経由したが、どこも活気があり、衣食住に事足りた、豊かな生活を送っているといった印象でもあった。もっとも、この場合の豊かさとは、アヴァロン州の農民たちに比べて、といった意味であり、それと同時にこの中~小規模の町や村の人々も、旱魃が起きる、流行り病いが流行するといったことが起きれば……ギリギリのところで豊かと言えた生活が根幹から崩れ、ある意味アヴァロンの農民たちより貧しいことになるかもわからなかった。何故なら、アヴァロンの村民たちは小麦についてのみ税としてほとんど強制没収されるのだったが、他の作物についてであれば、自分たちが食べていく分には困らなかったろうからである。


 また、こうした町や村を通過した時にも、人々が身に着けている衣服については目を引くところがあったわけだが、メルガレス城砦へ辿り着いてみると、ハムレットたちの驚きは頂点に達した。みな、頭に被っている帽子やフード、ダブレットやズボン、ブーツや靴に至るまで――実にカラフルであり、似た格好の人物はいても、ひとりひとりがそれぞれのステイタスを誇るように着飾っている場合が多く、極めて個性的だったからである。


「メレアガンス州の人々というのは、食べ物を切り詰めてでも着る物のほうにお金と時間をかけると言われていますからね。まあ、言ってみればそうした州民性なのですよ」


 何度もこちらのほうで宿泊したことのあるカドールがそう言った。ちなみに彼は、深い紺青と深紅色が効果的に二色使われた上衣を着、そこには金ボタンがかかっており、ベルトのバックルも精緻な彫り物の施された銀だった。またそこから濃紺のズボンを履いた足が伸び、茶色いショートブーツへと続いている。女性の振り返る容貌とも相まってか、彼はここメルガレス城砦にて、生まれてからずっと住んでいると言われても不思議でないように感じるほど、気品があったと言える。


「今までは、ハムレット王子の真の身分がわからぬようにと目立たぬ地味な格好をしてきましたが、ここではむしろ、しみったれたような襤褸をまとった人間のほうが目立ちます。仕立て屋のほうで、それなりにまずまずといった衣服をまずは調達したほうがいいでしょう」


「旅の人間とわからないほうが賢明でしょうしね」


 タイスは軽く溜息を着いた。彼は現在二十歳であり、もうすぐ二十一歳になろうかという年頃だったが、窮屈な僧院暮らしから解放されたにも関わらず、自分の身なりを着飾るといったことについてはまったく興味がなかったようである。これまでもずっと中に白のチュニックを着、上に青灰色のガウンを羽織るという格好だったが、着替えのほうも清潔でありさえすれば、まったく似たり寄ったりでもまるで気にならないという性分だった。


「王子はいかがなさいますか?」


 ランスロットが隣までやって来てハムレットにそう聞いた。ハムレットにしても衣服についてはタイスとほぼ同じ価値観だった。とはいえ、赤や青や芥子色や緑やクリーム色や……その他、色々な組み合わせの衣服を着用した人々の行き交う往来を見るのは楽しく、自分がどうこうというより、満足な住む場所と食べるものがあって初めてこうした贅沢が叶うというのであれば――その豊かさは人民にとって極めて重要なものだろうと、そのように感じるばかりだったのである。


「オレは……べつにいいよ。今の格好のままでも特に不都合は感じない」


「まあ、そうおっしゃらずに。メレアガンス伯爵とお会いする前に、王子として相応しい服装をなさるというのは、儀礼的な意味でもとても重要なことだと思いますからね。カドールの言うとおり、宿で少し腰を落ち着けて休んだら、まずは仕立て屋のほうへ向かうというのはいかがですか?」


 ランスロットは人の往来が激しいため、道の端に馬を寄せてはいたが、時折邪魔なものでも見るように行き交う人々から睨まれた。なるべく早く宿のほうを決め、厩舎のほうで馬の世話をしてもらう必要があるだろう。


「だが、今から仕立ててもらうとしたら、どんなに急いでも結構かかるのではないか?だったら、ローゼンクランツ城砦やギルデンスターン城砦で仕立ててもらったものがあるから、そちらの衣装で十分間に合うだろうし……」


「せっかくそんな色男に生まれたのに、もったいないぎゃ、ハムレットさま。オラがハムレットさまみてえな美少年に生まれてたら、毎日鏡見て、それこそ自分の虚栄心を満足させて過ごすぎゃ。オラなんぞ、何着たって結局変わり映えしないぎゃ。ま、背がちっこくて着るもんの面積がせめえから、その分布代のほうは浮くとはいえ……こんなこと言ってることからして、自分が虚しいぎゃ」


 意気阻喪といったように溜息を着くレンスブルックのほうを振り返り、ハムレットは微笑った。近くにいて、レンスブルックの言葉が聞こえていたディオルグやギベルネス、それにキリオンやウルフィンも一緒に笑う。


「ま、そう言うなよ、レンスブルック」と、キリオンが慰める。「てっきりおまえがずっと常盤木色のフード付きガウンを好んで着てるのは、何かあった時に緑の中へ隠れるためなのかとばかり思ってたよ。そういうことなら、ハムレットと一緒に何か一張羅を仕立ててもらうといい。金ならぼくのほうで出すよ。なあに、レンスブルックの場合、おまえがさっき言ったとおり、布代のほうは大してかからないさ。ただ、立派すぎて服に着られてるように見えないようにしたほうがいいかもな。あと、道化者に見えないようにすることも大切だ」


「へん!キリオンお坊ちゃま、その言葉忘れないようにして欲しいぎゃ。オラはただで何かしてもらえると聞いたら、冗談でも言われた言葉にしがみついて、絶対に果たしてもらうがめつい性格してるぎゃ。さあて、そうと決まったら、仕立て屋がオラの姿見てべっくりする姿を想像しただけで、何やら心楽しくなってきたぎゃ」


 こうしてハムレット一行は、野菜や果物、その他色々な品を乗せた荷馬車の車輪の音や、馬の規則正しい蹄の音、往来を行き交う人々の笑い声、怒声、噂話をする声に紛れるようにして――旅籠屋の看板が下がっている建物を目指した。ギベルネスの若干あやしい記憶によれば、ここメルガレス城砦は近隣にある町や村落含め、軽く十万人以上が居住していたはずである。彼はそのことを思い、往来の激しさについて(さもありなん)と溜息を着いていた。(ホリングウッド夫人が、こうした都市生活よりも田舎暮らしのほうがいいと言っていた気持ちが、まったくわかろうというものだな)というようにもしみじみ感じてしまう。


 一行は、カドールとランスロットが以前宿泊したことがあるという『踊る小鹿亭』という旅籠屋へまずは到着したのだが、総勢十二名というのは一度に泊まる客として多すぎるということで、他に二軒、通りを挟んだ向こうにある『怒れる牝牛亭』と『小躍り牡馬亭』という宿屋を紹介された。『踊る小鹿亭』で引き受けられるのは四名とのことで、ここにハムレットとランスロットとカドール、それにタイスが宿泊することになった(ギネビアは「わたしだって王子を守る騎士だぞ!」と怒ったが、彼女は結局すぐ向かいの『怒れる牝牛亭』のほうへギベルネスとディオルグ、それにレンスブルックとともに振り分けられることになった)、そして残りの四名、キリオンとウルフィン、ホレイショとキャシアスが『小躍り牡馬亭』へ泊まることになったわけである。


 この三つの旅籠屋は、近接した場所にあったので互いに行き来するのに便利だったが、メレアガンス伯爵が居城としているメルガレス城からは遠く離れた、城下町の中でも下手側に位置していた。メルガレス城砦は全体に楕円形をしており、その中央の小高い丘のてっぺんに伯爵は居城を構えている。城砦都市は大抵がどこもそうだが、領主の城自体も入り組んだ作りをしており、町全体が迷路のように通りがいくつも複雑に交差している場合が多い。これは、万一敵軍に侵略された時、一気に城まで攻め込まれないための工夫のひとつであり、領主の城館にしても、主の私室にまで兵士がまっすぐ突き進んで来ることが出来ぬよう、殊更凝った作りにするものなのである。


 とはいえ、メルガレス城砦もまた、職人たちのギルド(同業組合や兄弟団)によって、大まかにいくつかの街区に分けることが可能であったに違いない。たとえば、兜屋、武具屋、刀剣屋などのある通りには必ず鍛冶屋があり、またクロスボウや各種攻城装置までも扱う武器商人らの集まる区域は工廠街と呼ばれ、彼らのギルドの本部も同じ場所に位置していた。石工や煉瓦工、木材職人やしっくい職人、ガラス職人、金細工人や銀細工人、彫刻師や木彫職人、馬具職人……などがギルドを構える街区は工廠街に隣接していたが、こちらは工房街と呼ばれていた。とはいえ、住んでいる人々はこうした区分けのことをほとんど気にしていない。そして、工廠街も工房街もともに、比較的城壁に近い、都市の外れに位置していた。逆に、小高いメルガレス城が建つところから坂を下ってきて、庶民に一番馴染み深い場所は商店街だった。隣の州であるロットバルト州はエルゼ海に面しており、そちらの海、あるいは河川で獲れた魚介類が売られていたり、青果店、食堂、色々な品を扱う雑貨店、衣服や反物、撚り糸や染料を扱う店など、ここは朝から陽が暮れるまで常に人で賑わっている。他に、領主の城を下りてくる途中にあるのは、メレアガンス伯爵に仕える貴族たちの館や、ウルスラ聖教の総本山となるウルスラ神殿、それに聖職者たちの修道院やその居住区、他には市庁舎や、その市庁舎に勤める役人の館などがそこには立ち並んでいる。


 そして、メルガレス城砦や、メレアガンス州の他の城壁都市や町や村落を特徴づけるものとして、機工しょっこう街と呼ばれる区域が必ず存在し、メルガレス城砦にしても、この機工街と呼ばれる区域がもっとも広かった。というのも、絨毯やタペストリーや衣服に至るまで、毎日朝から晩までその工程に必要なもののすべてがここで作られ、完成に至るからである。撚り糸や織物や染色料などがいくつもの専用工房で作られ、都市全体で軽く数百機はある機織り機の前には、機織り職人や職人見習いが一日中そこで作業している。


 ギベルネスの感覚としてこの機織り工房を覗いた時一番驚いたのは、機織り機の前に座っている多くが男性だったことだろうか。逆に、手間をかけて羊毛を梳き、糸巻き車の前で糸を巻く大多数が女性であり、染物商は男性と女性がそれぞれ半数くらいだったに違いない。また仕立て屋については、男性の衣服については男性のクチュリエが、女性の衣服については女性のクチュリエールが作る場合が多いということだった。とはいえ、女性が男性の服を作ったり、男性が女性の服を作ることがタブーとされているわけではなく、依頼があればどちらも製作するのが一般的ではあるらしい。


 ハムレットたちは、旅籠屋に身を落ち着けた翌日、朝食を済ませると商店街をあちこち見てひやかしたのち、仕立て屋街へ出かけてった。仕立て屋街は織工街の外輪に位置した、静かな通りにあった。とはいえ、どこの店先にも必ず客が何人もおり、そこからは採寸してもらう光景や、貴族の館の小間使いが女主人の出来上がったドレスを引き取りに来ていたり、店先に並ぶ人形の着た服に見とれていたりと、引っ切りなしに人の往来があったものである。


 何十軒もオーダーメイドの服飾店が並んでいるにも関わらず、暇そうに欠伸をしている店員もいなければ、閑古鳥が鳴いているような店舗もないということで、ハムレットもギベルネスもランスロットもカドールもタイスもキリオンもレンスブルックも……どこの店が特別腕が良いかもわからず、最終的に途方に暮れることになった。


 ちなみに、ギネビアはランスロットが冗談で「おまえもこの機会にドレスでも作ってみちゃどうだ?」とからかうと、その言葉に頭に来たらしく、留守番を決め込んでいた。もっともその顔には(本当は一緒について行きたかったのに!!)と書いてあるも同然だったにも関わらず。


「ねえ、あなたたち、もしかしてどこで服を仕立てたらいいかわからない田舎者なんじゃない?」


(田舎者だと!?)と、神経を逆撫でされたのはカドールくらいなもので、他の者はみな「ええ、まあ……」というように、なんとなくぼんやりしたままでいる。


「じゃあ、ついていらっしゃいよ」と、ランチの材料を詰めた籠を提げた若い娘はウィンクした。彼女自身、大きな翡翠色の帽子に同じ色の薄緑のドレスを着ており、実にファッショナブルだった。しかも、フリルだらけの白い日傘まで片手に持っていたのである。


(まあ、ローゼンクランツ城砦などでも、女性が日中日傘を手にしているところは目にすることがあったが……傘のほうの骨組みは動物の骨によって出来ているのが驚きだったとはいえ、メレアガンス州は向こうよりも降水量が結構あるはずだ。だが、あの日傘は雨傘と兼用というわけではなさそうに見える。ここの人たちは大切な服が濡れないために、雨合羽的なものも持っているということなんだろうか?その場合、エレガンスではないという意味で、メルガレス城砦の人たちの美感とは一致しないような気がするが……)


 エステル、と名乗った女性は白のパラソルを楽しげにくるくる回し、通りの半ばまで進んできた時――くるりと後ろを振り向いて言った。


「ここよ。一階はお客さん相手に接客したり、採寸したり、ちょっとした手芸品を売っていたりと、そんなところ。で、二階から上のほうが作業場といったところかな」


<ウルスラ服飾店>と看板の出ている店は、縦に細長い三階建ての建物だった。白い化粧漆喰の壁は比較的新しく見え、看板のほうは白に金文字によって店名が彫り込まれている。


「姉さ~ん!お客さん連れてきたわよお~っ!!」


 エステルが階段に向かってそう叫ぶと、「今縫製中なんだけど~っ!!」と、彼女の姉と思しき人物が返事をする。


「ちょっとお待ちくださいな」


 エステルは一同に膝を屈めて優雅に挨拶すると、面倒くさそうにドレスの裾をたくしあげ、階段を上がっていった。すると、「その続きはわたしがやるから、姉さんは下のお客さんの相手してよ」、「何言ってるのよ。接客はあんたがやってっていつも言ってるでしょ。あんたのほうが愛想もよくて、絶対客受けもいいと思うもの」、「でもわたし、採寸はまだ時間がかかってもたついちゃうもの。姉さんの腕がいくら良くても、そこで不信感持たれたくないじゃない?」、「んもう、役立たずねえ。だけど、場数こなさないと、採寸も裁断も縫製も上手くなっていかないのよ」、「だけど、今回はお願いだから姉さんがやって!このとおりだからっ!!」……といったやりとりが五分ほど続いたのち、トントンと階段を下りてくる足音が響いてくる。


「おやおや。これはこれは……」


 なんとはなし全員、エステルの姉と思しき女性が階段から姿を見せると、そちらに視線が釘付けになった。おそらく彼女がこの惑星世界の美的基準において、特段美人だったからではないと思われる。だが、そうした一般的な意味ではなく――「ここの服飾店のデザイナーであるウルスラ・モーステッセンです」と名乗った女性のことを、みな美しいと感じた。彼女は明るい赤毛に近い茶褐色の髪色をしており、大きな瞳の色はエメラルドのような濃い緑だった。化粧をしていない顔の鼻や頬にはうっすらそばかすが浮いていたが、他の肌のほうは陶器のように白くて綺麗だった。


 そして、ギベルネスの価値観としてはまったく驚くに当たらないことであったが、彼女はくるぶしまであるパンタロンに似た縞模様のズボン、それに丈の短いストライプの上衣を着ており――早い話が男装していたわけである。


「それで?あなたたちのうち、一体誰が新しく服を仕立てたいんです?」


「ええと、その……」と、タイスが口ごもった。カドールとランスロットは王子を守る騎士として正装できる替えの衣装を持っている。他に、メレアガンス伯爵と謁見する時、相応しい服装を急遽仕立てなくてはならないのは、自分とハムレットくらいだろうかと考える。「彼に、とっておきの……貴族の方が宮廷に出入りする時と同じような、あるいはそれ以上のものを仕立てていただきたいんです」


「それは、結構お金がかかりますよ」


 ウルスラは一同の顔を眺めまわし、どこか呆れたような口調でそう言った。彼女は、妹が連れてきたこの一団がどういった集まりなのだろうかと訝った。ランスロットとカドールは騎士として申し分なく身だしなみを整えていたが、ハムレットとタイスは美少年、ギベルネスは茶のフード付きのガウンを身に纏った、ウルスラ寺院の聖修道僧に似た雰囲気を持っており、キリオンは童顔だったので彼女にはまだオシャレに目覚めたばかりの子供のように見え、最後のひとりは宮廷に出入りしている小人の道化にそっくりだったからだ。


「おいくらくらいでしょうか?」


「ざっと安く見積もっても百リーヴルはかかるでしょうね」


 値段を聞いたタイスだけでなく、他のみなも驚いた。レンスブルックなどは「ひどいぼったぐりだぎゃ」と、はっきり聞こえるように呟いている。


「まあ、ぼったくりとお思いなら、それはそれで仕方ない。ということはあなた方は、そもそもこの城砦都市で服を作る時のやり方をあまりご存知ないのでは?わたしに言わせれば、百リーヴルでもまだまだ良心的なほうですよ。貴族のご婦人方などは特に、一着のドレスに十万リーヴル支払うこともまったく珍しくありませからね。なんでしたら、もう数軒ここいらの店を回って大体の値段を見積もってもらい、うちは割とマシな言い値を張ったなと思ったら、戻ってこられるというのでも結構ですし」


「ハムレットさま、他の店もいくつか回ってみるべきだぎゃ。大体、女がへんてこな格好して、男の服を作るなんておかしいぎゃ」


 レンスブルックがそう言っても、ウルスラは口の端に薄ら笑いを浮かべた程度のもので、まったく気にしてないようだった。それよりも、どちらかというと早く上の作業場へ戻りたいとでもいうように、気が急いているように見える。


「いや……お願いするとしたら、あなたがいいとは思います。ただ、我々は単にお金があまりないのですよ」


「ハムレットさま、お金ならありますよ!!」と、馬鹿正直な主君を叱るように、カドールが口を挟む。「俺も、メレアガンス伯爵の姿を見たことがあるのはただの一度きりとはいえ、その時も実に凝った刺繍のお召し物を身に纏っておられたし、ここはメルガレス城砦のしきたりに従って奮発すべきと考えます。百リーヴルくらい俺が出しますから、その点はお気遣いなく」


 ウルスラは肩を竦めて続けた。


「もしかして、あなた方は一か月後にある聖ウルスラ祭りで……メレアガンス領主のお目にとまりたいとでも考えているとか?」


「聖ウルスラ祭り?」


 ほぼ全員が、ほとんど同じタイミングでそう聞き返していた。そこでウルスラは、今度は呆れたように肩を竦めている。


「ほんとに、城砦外のどこかからやって来られたのですね。しかも聖ウルスラ祭りを知らないということは、メレアガンス州出身でもなけば、隣のロットバルト州出身でもないのでは?とにかく、こちらは一か月後の聖ウルスラ祭りに向けて仕事が立て込んでいるのですよ。ですから、もしお引き受けできたとしても、完成するまでに最低三か月は見ていただかないと。ちなみに先に申し上げておきますと、事情はここの仕立て屋通りにおいて、どこの店もまったく同じです。聖ウルスラ祭が終わるまでは、新規の顧客に新しい衣服を一月以内に仕立てるなぞというのは、それが靴下ひとつでもお断りだという店ばかりと思いますからね」


「そうでしたか……では、残念ですが諦める以外にないようですね」


 ハムレットは断られてみると、案外がっかりしている自分に驚いた。それだけ、道ですれ違う人々の中に、まったく同じ衣服を着た人を認めず、色彩の乱舞でも見るかの如く見惚れていた影響があったのかもしれない。今まで、それほど着るもののことを気にして来なかったのは、どちらかというと衣服の装飾性よりも快適性のほうが優先されてきたからだが、このメルガレス城砦にいると嫌が応でも他人との比較において、己の着ているものが気になってきてしまうのだ。


「ですが、ハムレットさま」と、カドールはやはり食い下がった。「次にはロットバルト州のロドリゴ伯爵にもお会いすることを考えた場合……ハムレットさまのご尊顔をさらに引き立てるような御衣装というものは絶対に必要ですよ。なんだったら誰か、完成した頃にでも使いの者を出して取りにこさせればいいのですし」


「ありがとう、カドール。だがいいんだ。それより、商店街で見かけたある程度の出来合いのシャツやリネンの下着や……今の我々にはそんなもののほうがよほど重要と思う。それに、ライオネス城砦で買ったりするよりびっくりするくらい安いんだ。やっぱり、こちらから他の州まで運ぶには、卸売り商を経てそれだけ手間のかかることだから、値段が跳ね上がるんだろう。まずはここで、清潔な下着やちょっとした衣類を安く購入して、今後の旅で困らないようにすることのほうが先決だと思う」


 王子の口からここまで言われては、カドールとしても引き下がらざるを得なかった。実をいうとカドールは、メレアガンス伯爵と一度だけ謁見したことがあるわけだが、伯爵はでっぷりと太った猪首の脂肪肝なのである。そして、そのような伯爵が最上の深紅スカーレットで染めた上着プールポワンを着、そこから精緻な金糸・銀糸によって刺繍されたチュニックを覗かせ、ベルベットのズボンや大きな房飾りのついた靴を履いていたとしても――(彼はこの服を脱いだら、一体どの程度の器の人間なのだろうか)と感じるばかりの人物だったのである。


(だがその点、ハムレットさまは違う。この方は、どんな衣装をお召しになっておられたとしても、本物の王だ。それなのに、メレアガンス伯爵と謁見しようという時には、たかが見せかけの服装のことで格差を感じなければならないとは……)


「忙しいところ、手間を取らせてすまなかった」


 ハムレットがそう言って、店のほうを辞去しようとした時のことだった。ウルスラが「ちょっと待って」と一同を引き止めようとしたのは。


「よく見るとあなたたち、結構いいセンいってるわよね。どう?来月にある聖ウルスラ祭でモデルをしてくれるっていうんなら、一着くらいならただで望みの衣装を作製してもいいわ。それで、これからさらにロットバルト州へも行くっていうんなら、そちらで送ってくれた使いの者か、あるいはメレアガンス州からロットバルト州へ行く業者に届けさせるってことも出来ると思うけど……そういう条件でどう?」


 ハムレットもタイスもカドールも、ウルスラが何を言っているのか理解しかねる――といったように、顔を見合わせていた。ギベルネスとランスロットとキリオンとレンスブルックは、(自分たちには関係ない)とでもいうように呑気に構えていたが。


「まあ、他の州じゃ、内苑七州でも王都テセウスでもどこでも、ファッションショーなんてやってないから、わからなくても無理はないわ。そうね……たとえば」


 ウルスラは店内に飾られた、白いトルソの彫刻像を抱きつつ言った。彼はフリルのたっぷりついた絹のシャツブラウスに、これでもかというほど贅を凝らした刺繍のベストを着ている。


「これなんて、なかなかの一品だと思わない?作製したのはわたしじゃなくて、名うての仕立て師だった死んだ父なんだけど……でも、着た人によっちゃ、このせっかくの衣装の素材が全部死んでしまうわ。その点あなたたちだったら、わたしの作製した衣装を最大限活かして魅せてくれると思うの」


「それで、もしその取引に応じたとして、ハムレットさまの衣装については結局のところ作るまでに時間がかかるんだろう?」


 こうした交渉事にはタイスかカドールが当たる場合が多かったが、この時はカドールがウルスラと話した。どうやらタイスは自分もモデルの頭数に入っているとはまるで思ってもみない様子だったからである。


「そうね。それに、ただで作るんだし、そちらが贅沢なものを望めば望んだ分だけ時間もかかるわ。人によってはそもそも、衣服を染める染料や刺繍糸の種類にも拘るものだからね。もしかしたらあなたたちにはわからないかもしれないけど、ここじゃ、同じ色でもいい染料を使ってるのか、安物で済ませたのかさえ、目利きにはすぐわかってしまうことだから、うるさい人はほんとうるさいのよ」


「で、あなたが先ほどおっしゃった『あなたたち』というのは具体的に、この内の誰と誰のことなんです?」


 タイスはあくまで自分は関係ないと思い、そう聞いていた。だが、ウルスラがあっさり「あなたたち全員」と答えるのを聞き、驚く。


「ま、まま、まさか、オラもだぎゃか?」


「ええ、そう」と、ウルスラは涼しい顔をして頷く。「ここじゃ、あなたみたいな道化は人気があるの。ファッションショーの時、カラフルな衣装を着て町のみんなを楽しませてくれると嬉しいわ」


「へえ~、なんか面白そう」と、キリオンが無邪気に口笛を吹く。「だけどさ、おねえさん。ぼくたちみんな男だよ?よくわかんないけどそういうのって、女性が馬鹿みたいに膨らんだドレスを見せびらかしたりするのがメインなんじゃないの?」


「ふふっ。まあ、それが普通っていうか、他の州の人ならそう考えるのも無理ないかしらね。だけど、この城砦都市へ来てわかったでしょ?もともとこのメルガレス出身なのかどうかって、着てるものを見ただけで一目瞭然だものね。男性も洒落者が多いし、どんな服を着てるかでどの程度の資産階級なのかもすぐにわかるって意味でも……ここじゃ女性と同じくらいか、それ以上に男性もファッションというものに興味を持ってるの。もしかしたら熱狂してるといってもいいくらいね。まあ、これがこのメルガレスが『虚栄の町』と呼ばれるゆえんなわけだけど、見てくれだけ格好良く決めて人を騙すような手合いも多いから、そのあたり、騙されないように気をつけることが肝要よ。ハムレットさんがさっき言ったみたいに、自分たちは着飾ってはいるが本当は金がないだなんて、この町の住人は口が裂けても本音で話すことはない連中ばかりですものね」


「ちょっと、相談させていただけますか?」


 タイスはファッションショーなるものが何なのかもわからず、他のみなも同じであろうと考え、まずは店を出、それからカドールにこのあたりの事情を詳しく聞こうと思ったわけである。


「ええ、どうぞどうぞ。特にわたしのほうにはなんの損にもならない取引ですからね。ただ、見たところ、あなたたちが着れそうなちょうどいい衣装がわたしのほうにもあるし……まあ、返事のほうはなるべく早くお願いしたいといったところだわ」


 一同はこのあと、ぞろぞろとウルスラ服飾店より出ていったわけだが、ウルスラはそんなのを最後まで見送っておれないとばかり、二段飛ばしで二階のほうへ戻っていった。ギベルネスはそんな彼女の後ろ姿を見て(よほど忙しいんだろうな……)と、故郷の惑星における流行の発信地、ウルビーノやケルビ―ノのことを思った。もっとも彼はファッションにはもともと関心の薄いほうだったが、それでも春と秋にこれらの都市ではコレクションが開かれるということくらいは知っていたからである。




 >>続く。






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