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第34章

「……王子、起きておられますか?」


 そう聞いたのはギベルネスだった。彼にしても、ふと目を覚ました瞬間、あたりに人の気配がないのに気づき、驚いたのだった。だが、ただひとりハムレットだけが眠っていて、彼を起こすべきかどうかとギベルネスが迷っていた時――ハムレットが突然跳ね起きるのを見、彼もまた二度驚いたというわけである。


「他のみんなは?」


「わかりません。ちょっと梯子を上って二階のほうを見てこようと思いますが……」


「いや、オレが行こう。この剣が明かりがわりになる」


 二階では、ギネビアがいつものようにいびきをかいて寝ているはずだったが、誰もいなかった。その間、ギベルネスは足許に気をつけながら戸口のほうまで行った。足を折って休んでいたはずの馬たちは、鼻息も荒く興奮している様子だった。外へ出てみると、雨は上がっており、濃い霧が遥か彼方まで漂っているようにしか見えない。


「上には誰もいないな」


(せめてギネビアだけでもいてくれたら、少しは何かが安心だった気がするのに……)


「じゃあ、みんなどこへ行ったっていうんでしょうか。ひとりかふたりいないくらいなら、外へ用を足しにいったとでも思うところですが……」


 ハムレットもギベルネスも嫌な予感がした。どこへ行ったといって、この場合、近くにあるというアヴァロン城址以外に、一体何があるというだろう。


「待ちますか?どちらにせよ、いずれ夜が明ければ……それまでに誰かしら戻ってくるかもしれませんし、これが何かあやかしの者の仕業なら、今動くのは危険でもあります」


「いや……うまく説明できないが、オレは今行かなければならない気がする。もちろん、タイスもカドールもしっかりしているし、ランスロットもギネビアも腕は立つかもしれない。それに、何故そう思うのかは謎であるにしても、レンスブルックは一番大丈夫という気がする。とはいえ、仲間を見捨てるようにして、ただここでじっとしているということだけはオレには出来ない」


「じゃあ、アヴァロンの城のあるあたりへ向かいますか?」


 ハムレットは、ギベルネスが恐れていないらしいのが不思議だった。それよりも、自分がそう言うだろうことを喜んでいるような節さえあるように見える。


 このあたりの地方は朝方に冷え込むとわかってはいたが、その日の夜の冷え込みは、単なる気温的な問題だけでないように感じられた。濃霧の中には何か、霊的な気配を感じさせるものすら潜んでおり、それに肌をさらしていると、徐々に生気を吸い取られてゆくのではないかと錯覚しそうになるほど――体のみならず、心や魂といったものまでも衰えるものがそこには含まれているように感じられたのである。


 とはいえ、ハムレットが聖剣をかざすと、道からすうっと霧が引いていったため、明かりのほうは馬車から取った角橙ひとつでも、不思議とどうにかなりそうだった。もっとも、道のほうはほんのニメートルほど先がようやく見えるかどうかという不気味さだったのだが。


「ランプは、あの納屋のような室内にひとつと、私たちの乗ってきた馬車にふたつありました。左右にそれぞれつける箇所がありましたからね。でも、右側になかったということは、誰かがそれに火を点けて持っていったんですよ。ということは、彼らは何も幽霊に誘拐されたとか、そういうことじゃないんだと思います」


「だといいが……」と言いかけて、ハムレットは不思議と口許に笑みが浮かんだ。確かに自分はつい先ほどまで、その可能性も少しくらいは残っていると思っていたのだ。「そうだな。確かに、実体のないものが実体のあるものを攫ったりすることは出来ない。だが、不思議なんだ。何故みんな、オレとギベルネ先生のことだけ残して、外へ出ていったりしたんだろう?」


「何故でしょうね。私はあまり……あやかしの者だなんだということは信じてないのですが、女王ニムエがアヴァロンにメルランという妖術使いのような男がいると言ったからには、そのような者の仕業なのかもしれませんね」


 角灯で周囲の闇を照らしつつ、明らかに人の往来によって草が分けられ道になったとわかる細い道をふたりは辿って行った。もしこのような暗闇の中をひとりで進んでいったとすれば――間違いなく、濃い樹影の中に人の気配を感じたり、人間の顔や姿を確かに見たと、ギベルネスですら信じたかもしれない。そのくらいあたりは薄気味悪い空気で満ちており、このまま永遠に朝など来ないのではないかというくらい、夜の暗闇を越えた深い闇に包まれていたのである。


 やがて、沼沢地のようなものが見えてきたが、茶色というよりも砂色に近い細い道は、さらに先へと続いていた。だが、次の瞬間、霧の中に燐光のような仄暗い――いや、明るい黄緑の輝きが遠くとも近くともつかぬ場所に見えてきて、ハムレットもギベルネスも仰天した。


「あっ……あれは……よく噂に聞く、墓場などで時に見られるという……」


 この瞬間、流石にギベルネスも(ここの惑星でもやはりそうなのだな)などということさえ頭に浮かばなかった。だが、気づいたのだ。霧の中、それらの黄緑の蛍光色は規則的に明滅して見えるということに。


「王子、ちょっとここで待っていてください。その聖剣が明かりの代わりになるでしょうから、この角燈は私がちょっと持たせてもらいます」


「いっ、いやだっ。行かないでくれ、ギベルネ先生っ!!きっと他のみんなも、そんなふうに霧の中で別れ別れになっていったんじゃないか?そう考えた場合……」


「いえ、ハムレット王子。落ち着いてください」と、ギベルネスもまた、深呼吸して言った。「いいですか、よく考えてください。敵はこうした真夜中にしか活動できないか、そのような時間帯にもっとも己の力を発揮できるからこそ、我々に暗示をかけるか幻を見せるなりして連れだそうとしたということでしょう?ということは、たかだか有限の力しか持たぬ弱い存在だということです。ええと、ハムレット王子も確か、女王二ムエに蟻かミミズかノミと思えと言われたとか……」


「だ、だがっ……」


「大丈夫ですよ。何も心配入りません」


 ギベルネスが霧の中に消えてしまうと、ハムレットは一層不安になった。このような暗闇の中、果たしてメルランとやらを本当に蟻かミミズかノミのように思えるものなのかどうかすら、今となっては覚束ない。


(女王二ムエよ、オレに託宣を与えてくださった三女神よ、どうか他のみなやギベルネ先生のことをお守りください)


 気づいた時にはハムレットはそのように祈りはじめてさえいたが、ギベルネスは確かに再びすぐ戻って来た。そして、彼がハムレットのことを安心させるように微笑んだため、彼のほうでもつられて笑みを浮かべた。内心では、ギベルネスが無事ですぐ戻ってきてくれたこと、ひとりぼっちにならなくていいことに、心からほっとしながら……。


「ハムレット王子、私のローブの内側を覗いて見てください」


 そう言って、ギベルネスがローブの上あたりを留めている紐をゆるめると、そこから何かが飛び出して来た。ハムレットは驚くあまり、一瞬身を竦めたが、ギベルネスの胸の内側あたりから飛び出してきたのは――。


「虫!?あれは、昆虫の一種なのか?」


「そうです。たぶん……というか、間違いなくホタルです。おそらく今は交尾の季節なのかもしれませんね。この先は池のようにも沼のようにも見えるような場所で、先へ行くとほとんど無数かと思えるほどの数、ホタルがいました」


「だが、あんなふうに不気味に……いや、今よく見るとむしろ綺麗な気もする。けれど、あんなふうに宝石みたいに輝く虫を、オレは今の今まで見たこともない。それはおそらく、ギネビアやランスロットたちもそうなんじゃないだろうか」


 ギベルネスは一匹や二匹捕まえたのでは、すぐ懐のあたりから逃げていってしまうだろうと思い、五匹ほど捕まえたのだが、その全員を解放してやることにした。


「だとしたら、彼らにとってはやはり、ただの虫ではなく人の魂とも言われる燐光のように見えた可能性がありますね。けれど、このことに驚き怯えたかどうかはわかりませんが、とにかく彼らはこの道を先に進んでいったものと思われる。いいですか、王子。これは私の推測にすぎないことですが、おそらくここの地元民であれば、ホタルのことなど小さな頃から知っているので、あの明滅する黄緑色の光など見ても、驚くことはないでしょう。ただ、小さな子供などが夜暗くなった頃合にここへホタルやカエルを取りに来たりして……あまり想像したくないことですが、うっかり足を滑らせて沼に沈んで亡くなったといったことは、これまであったのではないでしょうか。そして、そうした話が長年の間に積み重なっていくと、ここは呪われた不気味な場所と呼ばれるようになっていてもまったく不思議はないということです」


「そ、そうかもしれないが……」ハムレットはギベルネスと一緒に、さらに先へと進んでいきながら言った。「だが、他のみんなはどうして消えたりしたんだ?それに、オレだって何かの幻を見たとすれば、そうした沼のあたりに嵌まりこむということがあるかもしれない。そして、蟻やミミズやノミには、そんなことをする力はないのだ。だが今、オレは確かに、メルランだかメルロンとかいうやつの術中に嵌まりつつあるような、嫌な予感が確かにするのだ」


「ハムレット王子」と、ギベルネスは再び自分を落ち着かせるために、深呼吸して言った。「ここに、細くはありますが、左右の緑の雑草の間に、確かに人が踏み分けた道があります。ということは、このようになって、再び緑が生えてこないくらいには、誰かしらがここへはよくやって来ることがあるんですよ。第一、昼間で霧が晴れたあとなら、どんな不気味な城跡も、ただの過去の遺物でしかありません。今、夜だから一体どうだというのですか」


「…………………」


 ハムレットは答えられなかった。というより、彼は周囲の先を見通せぬ暗闇と霧に怯えていたし、むしろギベルネスがにも関わらずそのように恐怖を感じないでいられるらしいのが、不思議でならなかった。いや、恐怖や不安をまったく感じていない、ということではないだろう。だが、今この時、ハムレットは初めて、本当の意味でギベルネスが強い人間だということを感じていた。少なくとも、自分のような小僧っ子よりも、彼のほうが遥かに力強く、勇気のある人間なのだと……。


(あなたは、本当は一体どこの誰で、何者なのですか?)


 これまでの間、ずっと心の奥底でモヤモヤとして、はっきりと形を取って来なかった問いの言葉が、ハムレットの思考の中ではっきり言葉として刻まれた。そしてこの問いと似たものは、タイスやカドールの脳裏にも間違いなくあるはずである。


『<神の人>というが、具体的に何をどうしてくれるというのだ?』ということを、カドールが口に出して言いたいらしいのを、ハムレットは何度かはっきり感じたことがある。だが、三女神の託宣があるからということではなく、ハムレットもタイスも他のみなも、ただひとりの人間としてギベルネスに好感を――今となっては友情、もっと言えば愛情にも近い気持ちを抱いている。ゆえに、彼本人が自分の口で<神の人>と名乗ったことがあるわけでもない以上、そのことはずっと曖昧なままにされて来た。


(だが、間違いなく今確かにオレは弱い。こんな暗闇と濃霧と虫の光に怯えているのみならず、この先に待ち受けている事柄に対しても、強い恐怖を感じている。オレは、本当はひとりでは何も出来ない、実は物凄く弱くてちっぽけな存在なんだ……)


「王子、今の聞こえましたか!?」


「い、いや……オレには何も………」


 ハムレットが、自分が聖剣を手にしていることの意味についてまで疑問に感じはじめていると、ギベルネスが力強くハムレットの剣を握ってないほうの腕を掴んだ。


『ぎいやあああ~~っ。たあすけてくれええっ!!』


「急ぎましょう。嫌な予感がします……というより、嫌な予感しかしません。今の声は私の聞き違いでなければ……」


「そうだ。たぶん、レンスブルックの声だ。どうしてオレはさっき、レンスブルックだけは一番大丈夫だなんて思ったのだろう。彼は普通の人より身長にもハンデがあるし、もし誰かから本気で暴力を振るわれたとすれば、我々の中で誰より不利なのに!!」


 小さな友を思う気持ちが、ハムレットの心を強くしたのだろうか。彼の心にもう迷いはなかった。ふたりは腐ったドブのような匂いのする川にかかる、半ば腐りかけているような木造の橋を渡ると、さらに先を急いだ。橋を越える手前あたりのところで、霧にけぶるようにして半ば崩れかけた城が見えてきた。城門のほうはアーチ部分が完全に崩れており、その他城塔と城塔を繋ぐ胸壁部分や歩廊などは、敵兵の襲撃にあって修復されなかったかのように朽ち果てている。だがこの時、彼らにとって一番重要だったのは、何よりその先に複数人の人間の気配を感じるのみならず――大きな篝火か何かが焚かれており、その炎が夜空を焦がしているのが、城の内壁の向こうにはっきり見えているということだった。


「ギベルネ先生、だがどうする?誰か人がいて、レンスブルックが囚われているのだとしたら、闇雲にこのまま突っ込んでいくのはむしろ危険だ」


 イバラやアザミが城の内壁の壁際から生えているのに気をつけながら、ふたりは次第次第に足音を忍ばせ、崩れかけつつある小さな階段を上がったり下りたりしながら、かつて広場だったと思しき場所へと近づいていった。いや、もしかしたらそこがかつて広場だったと考える必要はないのかもしれない。むしろ、市街地を囲む壁が崩れたことで、その昔は石造りの壁だったところが完全に崩れてなくなり、それで広場のような場所が生まれたというほうが正しいように見えた。


 そして、結構な人数の人間ががやがや騒いでいるような声が届くほどの距離まで近づいてくると――ギベルネスは隣の王子に対し、「しっ!」と口の前で人差し指を立てた。


「少しの間、ここで様子を見ましょう」


 とはいえ、ふたりにはわかっていた。こちらにも何かの拍子に誰か人がやって来るかもしれない。だが、事態がどうなっているかをまずは見極める必要があるだろう。


「このチビ助、一体どうします?」


「さあ~て。どうすべかな。無用な殺生はしたくねえが、こいつもまた、ホリングウッドんとこの客だべ。湿地帯の奥地にでも埋めておきゃあ、まず死体が発見されることはねえ。それより、あのブタどもをどう始末するかよの」


 この声には聞き覚えがあった。無論、声の似ている別人という可能性もある。だが、この村へやって来た時、ランスロットが宿のことなどを聞いてレハール銅貨の受け取りを断った、初老の男の声によく似ていた。


「巫女殿、メルランディオスさまはなんと言っておられるか?」


 ――こののち、半ば何かの呪文の詠唱とも、半ば人の呻き声ともつかぬ、女のしわがれた言葉と叫びが続いた。と、何人もの人間のどよめきと共に、ザッという砂利を踏みしめるような音が続き、あたりは数人の声を残してすっかり静まり返った。


「おお、メルランディオスさま……!!」


「どうか、今再び我らに御託宣をお与えください……!!」


「以前の税吏に代わって、新たに丸々太ったブタのような家族がやって来ました。今度は一体どのようにして追っ払ったらよいのか、どうか知恵とお力をお貸しくださいませ……!!」


(メルランディオスだと!?)


 ハムレットは反射的に、村民たちが崇めているらしき、あやかしの正体を見破るため、その場へ飛び出していきたくなった。だが、息を殺すようにしてギベルネスとハムレットがじっとしたままでいると――彼らの背後から忍び寄る者の影があったのである。


「カドール!それにタイスも……」


 彼らふたりもまた、「しっ!」と口許に人差し指を立てた。


「王子、話はあとです」と、カドールが小声で囁くように言う。


「ギベルネ先生も、どうかこちらへ……ここは、この集会が終わったら、村の人たちがここを通って帰るだろう通路ですから」


 そう言うタイスに手を引かれ、ギベルネスもハムレットも内壁と内壁の間を通り抜け、広場を囲っている反対側の場所へと移動した。すると、そこでは壁に耳でも当てるかのようにしてじっと佇むランスロットとギネビアの姿がある。


「ハムレットさま!!」


 ギネビアが驚きと喜びの入り混じったような態度を見せると、隣のランスロットが、「頼むから静かにしろ!」と、小声で注意する。


『生贄を捧げよ……あの者らの姿は私も見た……家畜とも見紛う醜いブタのような人間ぞ……ブタを屠るかの如く、あの者らをここへ連れて来て、火あぶりにするのだ……おまえたちのことは必ず今後とも私が守ろう……今までもそうして来たように、これからもずっと、永遠に……』


「いつ、いつでございますかっ!?いつまでにあの者らを生贄として火あぶりに……」


『次の、満月の夜までに……』


「ははーっ!!」


 再び、何十名もの人間が一斉に跪く時のような音が響く。何分声しか聞こえぬため、巫女がイタコのようにしてメルランディオスなる者の意思を伝えているのか、それとも本当にそのような霊的存在でもその場に君臨しているのかまでは、ハムレットたちにはわからない。


 だが、メルランディオスの託宣が下ったことにより、今宵の集会は終わりになりそうだと、内壁の間に隠れる一行が感じた瞬間のことだった。


『みなの者ども、待て……すぐそこに……どうやらネズミが潜んでおるようじゃ。その者らを捕えて、今すぐメルランディオスさまの生贄とせよ。メルランディオスさまは怒っておられる……今すぐこの土地に属さぬよそ者どもの血を流し、メルランディオスさまへの捧げ物とするのじゃ』


 こちらから向こうは見えないし、向こうからもこちらは見えないはずである。だが、すでに扉もなく、その形状によってかつてそこにはドアが取り付けてあったのだろうとわかるそばの通路入口へ、人々がなだれこむように近づいてくる気配があった。


「本当だっ!巫女さまの……メルランディオスさまのおっしゃる通りだべ!!」


 内壁と内壁の間は狭く、それだけでなく、右側三メートルほど離れた場所に空虚な通路としてのドアなき縦長の穴が、そして、左七メートルほど離れた場所にも同じものがあり――ハムレットたちは言わば、顔の半分を不気味な仮面で隠した村人の群れに挟み打ちされる形となった。


 とはいえ、ランスロットにもカドールにも、この状況はむしろ好都合だった。もし広場のように開けた場所において、五十名近くもの村民に囲まれたとしたら、誰ひとりとして大怪我をさせない……といったようにまで配慮するのは難しかったろうからである。


 その点、二~三人……いや、言葉として正確でないが、2.5人ほどの人間しか並べぬ通路であれば、一度に相手にするのは一人か二人で済む。農民は日々重労働に従事しているせいもあり、力と忍耐力に優れているとはいえ、騎士として武器の扱いを心得ている騎士の敵ではなかった。


 ランスロットは左側からやって来た、手に短刀や熊手や鍬を握る村の男たちを鞘のかかったままの剣によって倒していき、カドールは右側から迫ってくる男たちに、まったく同じように対応した。もっとも、なるべく怪我をさせないようにとはいえ、それは剣の柄の部分や鞘の部分で峰打ちを決めるという場合もあったが、向こうが血気に逸り、殺気までたぎらせている場合は――ふたりとも、本気の拳で殴らざるをえないという結果に終わったわけであるが。


「つ、強えっ……!!村長さま、こいつら、わしらではまったく歯が立ちませなんだっ……!!」


 十分ほども乱闘が続いたが、ランスロットもカドールも息ひとつ乱れていなかった。そして、その間に背の高いギベルネスが肩車をし、広場では一体どういうことになっているのか、ハムレットは確認していたのである。


「ありがとう、ギベルネ先生……っ!!向こうにもまだ、何人か人がいて、レンスブルックが火の上で逆さ吊りにされてるんだ。速く助けなきゃ……」


 ハムレットは内壁のてっぺんに立つと、崩れて低くなっている場所から飛び降りた。ハムレットが心配なためだろう、タイスがすぐ続こうとしたが、ギネビアが彼のことを押しのける。


「タイス、おまえよりもわたしのほうが剣の腕は立つ。ギベルネ先生、さあっ!!」


「さあって……」


 一瞬、ギベルネスにはギネビアが何を言っているのかよくわからなかった。だが、彼女が彼のことをしゃがませ、その肩に乗ろうとしたため――どういう意味かをようやく理解したわけである。


「すみません、先生。できれば俺もお願いします」


(ハイハイ)というように、ギベルネスはタイスのことも肩に乗せ、内壁のほうを越えさせてやった。それから(やれやれ)と彼が肩のあたりを回していると、ランスロットが叫ぶ。


「ギベルネ先生っ、カドール!!こっちだ」


 ランスロットが村の男たちをロングソードによって追いやると、ギベルネスもカドールも、がら空きとなったドアなき扉のほうへ急いだ。最後にランスロットもまた、そこから広場へ入り込む。


「なんだ、こりゃあ……」


 ランスロットが呆れたように言い、カドールですら唖然としている様子だった。とはいえ、彼らふたりには村の男たちが滅多なことをしないよう監視する役目もあり、その場からとりあえず動けずにいた。


 ただひとり、ギベルネスだけは、ハムレットとタイス、それにギネビアのいるほうへ走っていった。丸太を組んで篝火が焚かれているのだが、その上には後ろ手に縄で縛られたレンスブルックが逆さ吊りにされており、暑さに顔からダラダラ汗を流しているところだったからである。彼はもう意識もないらしく、ぐったりしている様子だった。


「そこから、レンスブルック……オレの友達を下ろしてくれないか」


 篝火の前には小さな祭壇のようなものがあり、その前にはひとりの中年過ぎほどに見える女性が立っていた。とはいえ、彼女もまた仮面をつけており、顔の半分ほどしか見えない。そして、この巫女と思しき女性を守るように、村の男たちが六人ほどまわりを囲っていた。


 そして、篝火の上には――この巫女がメルランディオスと呼んでいたのだろう、白いローブのようなものを目深に被った、顔色の悪い、琥珀色の瞳の男が亡霊のように立ちのぼっていたのである。


 ランスロットもカドールも、この実体なき亡霊のような男が炎の上に浮かび上がっている姿をはっきりと見、驚いたわけだが……この中で唯一、ハムレットとギベルネスだけが、この幽霊のような男を恐れていなかった。


「この醜い小男の命さえ助ければ、ただ黙って去ぬるか」


 巫女の声はしわがれていた。ということは、仮面を外した素顔は今見る以上に老いているのかもしれない。だが、やがてハムレットたちは気づいた。彼女は背後の亡霊のような男に、一時的に依代とされているのだろう、ということに。


「いや、それは出来ない」


 そう言ってハムレットは、帯刀している聖なる剣をゆっくりと鞘から抜いた。その剣から放たれた黄金の光は、隣にいたタイスのこともギネビアのことも驚かせはしたが、彼らにはなんの害になるものでもなかった。だが、巫女と彼女のそばにいた村の男たちは、「うぐっ!」、「ごぼえっ!!」などとそれぞれ叫び――誰も何もしてないにも関わらず地に打ち倒され、その後も暫く呻き続けていたのである。


 と、同時に篝火の上に巨人のように浮かび上がっていた亡霊の姿が小さくなり、激しく燃え盛っていた炎が、突然消えかからんばかりに弱くなっていったのである。


「タイスっ!今だっ!!」


 ギネビアにそう叫ばれ、タイスはハッとした。篝火の後ろのほうには台座があり、そこから駆け上がると、ふたりは吊り下げられているレンスブルックのことをどうにか助け下ろす。


「し、死ぬかと思ったぎゃ……」


 全身を包んでいた熱気が突然なくなり、腕を締め上げる圧迫感も消えると、レンスブルックはやっとのことでそう呟き、それから再び気を失っていた。


『小僧……おまえは一体何者だっ!?』


「オレは何者でもない。だが、おまえがおそらくは女王二ムエの言っていたメルランとかいう妖術使いだな?実は、おまえに頼みたいことがあって来た」


『このわしに、頼みごとだと!?図々しい奴めっ。こうしてくれるぞっ!!』


 次の瞬間、メルランディオスは何かの術を行使したらしかった。だが、再び篝火がぼうっと激しく燃え盛り、彼自身の亡霊としての姿が大きく引き伸ばされたという以外では――ハムレットたちには何かの風が一瞬吹いたほどの驚きしかなかったのである。


(効かぬ……っ!!一体何故だ!?何故この者らには我が術がまったく効かぬのだっ!!)


 メルランディオスはおかしい、こんなはずはないと思い、ランスロットとカドールが睨みつけ、その場に黙って立っているよう押さえつけている村民たちに自分の術を試した。途端、カドールとランスロットが理解できないことには、彼らは足許にいる毒蛇や毒サソリ、その他無数の気味の悪いヌメヌメした昆虫類が通路を満たしていると気づき――「ヒィィィッ!!」、「ギャアアアッ!!」などと一斉に叫びだしたのである。中には卒倒し、失神する者までいた。


「よさないかっ!もうこれ以上、善良な村の人たちを無駄に苦しめるのはやめるんだっ!!」


『ほっ!これは異なことを……こいつらはな、これまで生贄の供物を何人もこのわしに捧げてきたのだぞ。農地の豊穣を願い、収穫物の祝福を願い……また、隣の州から邪魔者がやって来るたび、どうにか殺してくれと言うので、奴らは原因不明の病いに倒れたり、深い湿地帯のどこかへ死体となって消えていったものよ』


 自分の術が他の者にはまだ効くことがわかり、メルランディオスは安心し、再び炎の上で巨人のような態度でふんぞり返った。


「それは……それもまた、そのようにおまえ自身がこの民らをかどわかしたそのせいだろう。それより、おまえに話がある、メルランディオス。オレはこれからクローディアス王と事を構える。その時、戦争になった際には攻囲戦において必要なものをすべて用意してもらいたい」


『何故だっ!何故このわしが、おまえのような小僧っ子に協力せねばならぬのだっ!!』


 いかなる力によるものであろうか、メルランディオスが激昂すると、広場を囲む内壁のいくつかに、落雷が落ちた時のような衝撃が走り、事実、これは幻などでなく、壁の石組みがいくつか大きく崩れ、それがあたりに飛び散るほどであった。


「お、終わりだっ!オラたちゃもう終わりだあっ!!」


「メルランディオスさまがお怒りになった……もうオラたちゃ終わりだっ!!」


「祟りだっ!呪いが来るっ!!飢饉と疫病の霊がこっちさ来るだああっ!!」


 ランスロットとカドールは、何をどうする術もなく、村の男たちが狂乱状態となり、転げまろびつつ、通路を迂回しどこかへ逃げていくのを――ただ見送るしかなかったものである。


 広場には今、巨大な亡霊の男と対峙するハムレットと、その脇で事の推移を見守るギベルネス、口から何かを吐き出したあとは、ぜいぜいと苦しげに息をしている村長や巫女、他に四名の彼らのお付きの者がいた。ギネビアとタイスはレンスブルックを介抱し、カドールとランスロットは驚きあやしみつつも、これはいかなるカラクリによるものかと、だんだんに落ち着いて妖術使いの様子を見上げることが出来るようになっていた。


「女王二ムエがそう言ったのだ。なんでも貴様はかつてその昔、女王二ムエに求婚し、その返礼として聖なる呪いを受けたのだろう?その話でもすれば、自分が女王に逆らえぬとわかり、メルランはオレに嫌々ながらでも協力せざるをえないと、そう聞いたのだがな」


『ぐぬうっ!な、何故それを……ッ!!』


 亡霊のような姿のメルランディオスの苦しむ姿は、まるでプロポーズを断られたことで羞恥に苦しむ男のそれに酷似していた。そしてこの時、ハムレットはあらためて思いだしていたのである。アヴァロンにはメルランの遺骨が眠る墓所があり、そこにこの剣を突き立てたならば、彼はこちらの言うことを聞く以外にないということを……。


(そうだ。忘れていた。そもそもオレはここに、その墓場にあたるものはないかと、まずは昼間に探しだそうと考えていたというのに……)


『フッ、小僧よ。おまえが何者かは知らぬが、そんな大昔の話を今わしに思い起こさせたところでどうなる。わしは、クローディアス王のことは気に入っておる。拷問による指締めや圧迫刑、焼きゴテによる烙印、生きたまま腹を引き裂き腸を巻き上げる刑罰に、釜茹でないしは硫酸がけの見事な仕上げ……あいつはまったくすごい奴だぞ。悪魔でもここまでのことは考えつくまいというほど、人間をありとあらゆる拷問にかけることが大好きなのだ。ふふん。毎日、朝食には赤ん坊を煮た肉を食べ、奥方は処女の生き血をそれに添え、その後はのんびり夫婦そろって拷問鑑賞することもあるらしいな。そして、二~三時間ほどかけて何人かが激しい拷問を受け、泣き叫ぶ姿を見、「今日の拷問はまあまあだったな」なんてことを抜かしつつ、あくびしながら政務に就くわけよの。しかも、奥方のほうは処女の生き血を注いだ風呂にその後入るというわけだ……まったく、わしも長くこの国の歴史を見てきたが、ここまで凄い奴らを見たのは初めてだったほどだわい』


「う、嘘だっ!!人間が人間に、そんなひどいことを出来るわけがないっ!!」


 この瞬間、メルランディオスはハムレットの心に初めて隙が出来たのを見た。だが、聖なる剣を彼が手にしている以上、何もすることは出来ぬように思われた。とはいえ、上手く口車に乗せ、聖剣さえ手放すように仕向けられれば……。


『ほほう、なるほどなあ』と、メルランディオスはとりあえず当てずっぽうに言った。『小僧、おまえ、クローディアスと事を構えようということは、王の血に連なる者なのだな?ふふん。ではせいぜい気をつけることだ。政権転覆が不首尾に終った暁には――貴様も貴様の仲間たちも、ただ死ぬというだけでは済まぬかもしれぬぞ。ギロチンにでもかかって一瞬で死ねれば万々歳といったところだが、クローディアス王はお気に入りの者のことは、特にたっぷり時間をかけて可愛がるようなのでな。たとえば、あの気の毒なボウルズ卿のように』


 いつもならばメルランディオスはここで、人間の心に骨まで染み入るような恐怖心を注ぎ込んでやる。だが、聖剣の護りによってハムレットにはやはり何もすることは叶わなかった。しかし、効果がまるでないということでもないようだと、メルランディオスはそのように見て取っていたのである。


「ボウルズ卿は、何故……」


『わしも、クローディアスと一緒で、あの家系の者はみな嫌いじゃった。だからあやつの気持ちはよく理解できる……あの男はな、自分がバリン州のバロン城を守らなくなったら、リア王朝の脅威を防ぎ切れまいと自惚れておったのであろうな。そこで、衷心から何事かをクローディアスの奴に申し上げでもしたのだろうよ。重税を軽くしろとか、あるいは例の拷問部屋に対して悪趣味だとか、気分が悪いとでも、決してそのことだけは言ってはならぬと、王の側近どもが震え上がって理解しておることを――わかっておらなかったのだろうな。最後は硫酸風呂に漬けられ、断末魔の叫びとともに溶け死んだのだ。しかもその前に、これ以上もないほど苦痛の数々を与えられてからな』


 メルランディオスは(これほど愉快なことがあるか)とばかり、大声で笑いはじめる。


『クックックッ!ハーハハッハァッ!!』


 その後、メルランディオスは分身の術でも使ったかのように、六人ほどの姿に分かれると、そのまま幽霊のような実体なき身体を回転させながら――夜の暗闇の空へ、その存在自体を溶かすかのように消え去っていった。


「待てっ!メルランディオス、オレはまだおまえに聞きたいことが……っ!!」


 だが、恐ろしい妖術使いはその場から姿を消した。ハムレットはこの時、己自身に落胆した。おそらく、もっと上手くやる方法があったはずなのに、自分は質問の仕方と脅すやり方を間違えたのだと、深く絶望しそうになったほどだった。


「大丈夫ですか?もしかして、あのメルランという者から指示されて、幻覚剤のようなものでも飲まされたのでは……」


 自分の目でも幽霊の姿をしかと直視してはいたが、ギベルネスは村長と巫女の元へ駆け寄ると、そのように聞いていた。そのせいで邪悪な者の言うなりになっていたという可能性はあると思っていたからである。


「オラと娘に触るでねえだっ!このよそ者が……っ」


 村長はそう言って、ギベルネスの手を振り払った。彼は地面の土を両手の中に握りしめると、泣きだしてさえいた。


「もうみんな、これで台無しだっ!オラたちにはメルランディオスさましかいねがったのに……村のもんがみんな、よそ者を排除し、どんなに生活が苦しくとも心をひとつにしてやって来れたのもすべて、メルランディオスさまのお陰じゃった。まさか、いいことしたとでも思ってるんでねえべな、おまえら!?うちの娘はな、生まれつき耳が聴こえねえっ。だが、メルランディオスさまが巫女に選んでくださったことで、みんなから崇められる存在になれただっ。それを、それを、おまえらはみんな台無しにしちまっただっ!!」


「村長さま、メルランディオスさまが怒ったのはオラたちにじゃねえだよ。こん人らにだ。次の満月までに、ホリングウッドの奴らを生贄にさえすりゃあ、きっとお怒りを解いてくださるだ」


「んだ、んだ。なんも心配いらねえべ。オラたちの中で巫女として依代になれるのは、レー二エちゃんひとりだけだべ。そしたら、また他のみんなも集会に戻ってきて、すべては元通りになるだよ」


 ――こうして彼らは、互いに互いを支えあい、慰めあうようにしてその場から去っていった。ハムレットが期待したのは、メルランディオスが実は邪悪な者であったとわかることで、彼らの目の覆いがとれ、その縛りから解放され、すっかり騙されていたのだと、目が醒めるということであったが……自分たちにとって都合の悪い真実には覆いをしたまま隠しておきたい、それが村民たちの望んだことだったようである。


「ランスロット、今見たあれをどう説明する?」


 自分の目で見たものしか信じぬ現実主義者のカドールは、隣の親友の意見を求めずにはおれなかった。


「さてな。だが、ここにいるみながアレを目撃したのだ。ということは、少なくともただの幻ではなかったということだろう。というより、俺はあのメルランディオスという妖術使いが言っていたことのほうが気になる。いや、所詮はあやかしの言ったことではあるが、本当なのか?特にボウルズ卿の死に様のことだが……ある時、王城に呼び出しを受け、ひどい拷問を受けたのち、帰らぬ人となったとは聞いていたが……」


「俺にも詳しいことまではわからぬ。しかも、どこまでが本当かを確かめることも難しい。ボウルズ卿の処刑ののち、卿の一族は反逆罪によってバリン州から追放されたと聞いているからな。また、王城で見聞きした真実を他の者に洩らしたと知られれば……いつなんどき、自分もまた拷問部屋で非業の死を遂げるともわからぬことから、誰も本当のことを語りたがらぬときてる」


 ランスロットとカドールは互いに顔を見合わせると、溜息をひとつ着き、自分たちの仕える主君の元まで戻った。ハムレットはメルランディオスの言ったことに心を蝕まれつつあり、周囲の者には不気味な亡霊に対し、なんの恐れもなく立ち向かっていったように見えたというのに――彼はその存在自体が小さくなったようにうなだれていた。


「ハムレット、気にするな」タイスがそう言って慰める。「あいつは所詮、ここらあたりの田舎を徘徊するしか能のない幽霊のような男なんだろうよ。じゃなかったら、こんなジメジメした土地からなどとっくに抜け出して、どこか別の色々な場所ででも悪さをしているはずさ。ということは、王都テセウスへなど行かれるはずがないのだし、人の噂話なんかをこねくりまわして、オレたちに適当なことをくっちゃべったに過ぎぬ」


 タイス自身、己が孤児であったればこそ、ハムレットの苦悩がよくわかっていた。彼は口に出して言ったことこそなかったが、すでに死んでいないと思っていた母が生きているとわかった時――それまでは心の中でだけ聖母のように崇めてきた母親像を、今度は生きた姿として憧れ求めるようになったのだろう、ということを。


「いや、どうやらオレは覚悟を決めねばならんようだ」


 ハムレットは落胆したまま溜息を着き、独り言でも呟くように言った。


「それがもし、実の母であれ……いや、実の母であればこそ、断固たる態度で処罰せねばならぬかもしれない。タイス、オレはどうやら夢を見すぎていたようだ。クローディアスという邪悪な王さえ倒せば、嫌々ながら結婚させられたのだろう母も、そのくびきから解放されるのだろうと……だが、おそらくそうではないのだ。何より、ふたりの間にはオレの異父弟と異父妹にあたる存在までいるのだからな。どうやらこのことではオレは、もっとよく考えてみなければならぬらしい」


 帰り道においても、ハムレットは気落ちした様子だった。まるで幽霊と直接対峙したことで、メルランディオスに一時的に生気でも吸い取られでもしたかのように。だが、そのあたりの空気の読めぬギネビアひとりだけが元気だった。


「だからさあ、夜中になんか外で騒ぐっていうか、誰かが揉めてるみたいな声が聞こえてきたんだよ。そんで外へ出たら、レンスブルックが仮面をつけた変な連中に連れていかれそうだったから……わたしはそいつらの後を追っていこうとしたんだ」


「俺は、その時まだ半分寝ぼけていたんだが」と、ランスロットが言った。「ギネビアが外へ出ていこうとする姿が見えたから、『ひとりでどこかへ行こうとするな』と言って、こいつの後へついて行くことにしたわけだ」


「俺は、外で何かガチャガチャやるような音が聞こえて目が覚めた」


 タイスがそう言うと、「それはたぶん、わたしとランスロットが馬車から角燈を取って、火を点けたりなんだりした時の音じゃないか?」と説明した。「だって、先を急いでるのにランスロットの奴ときたら、『火が点かない』だなんだ、くだらないことでやたら手間取るんだもの」


「悪かったな!でもしょうがないだろう。実際のところ、なかなかうまく火が点かなかったんだから」


「それで、一瞬盗賊かとあやしんだんだが」と、タイス。「剣片手に外へ出てみると、ギネビアとランスロットが霧の中に消えていく後ろ姿だけが見えた。『どこへ行くんだ!』と声をかけたにも関わらず、ふたりとも返事もせずに行ってしまったから……後を追うにしても、まずは誰かひとりくらい言付けてからと思い、カドールのことを起こしたんだ」


「いつもはそんなことはないんだが」と、カドールが言い訳がましく前置きして言う。「よほど疲れてたんだろうな。タイスに起こされるまで俺はぐっすり寝ていた。もちろん、王子を守るのに、騎士としてひとりくらい残っている必要はあると思ったが……ランスロットとギネビアがただならぬ様子で外へ出ていったと聞いて、どうしても気になったんだ。それに、ハムレット王子とギベルネ先生はぐっすり眠っている様子だったし……どういうことなのか、少しばかり様子を見て、すぐ戻るつもりだった。ところが……」


 ここで、ランスロットが堪えきれないとばかり、げらげらと笑いだす。


「ギネビアが、霧の中に虫の光を見て、幽霊がいると言って大騒ぎしてな。俺だって不気味ではあったが、今はそれどころでないと思って先を急ごうとしたんだ。何より、レンスブルックのことが心配だったし……ところが、ギネビアが『幽霊だ、ユーレイだっ!!』て叫んでやたら騒ぐから、それ以上先に進めなくなったわけだ」


「でも、そのお陰で俺とカドールが追いつくことが出来たんだから、良かったですよ」


「そうだな」と、カドールも思いだし笑いしている。「とにかく、俺とタイスもランプをひとつ持ってきていたから、俺がランプを手にして一体どういうことなのか確かめにいったわけだ」


「随分勇気がありますね」と、レンスブルックをおんぶしているギベルネスが感心して言った。「私は、あれが蛍か何かでないかといったように想像していたのでそれほどでもありませんでしたが……そうじゃなかったら死者の燐光か何かだろうと思い、暗闇の中、驚き怯えていたかもしれません」


「いや、単に俺は自分の目で見たもの以外は信じない主義なので」カドールは、実際には自分も結構なところ怯え――いや、肝を冷やしてビビッていたとは、白状せず続けた。「昆虫が光っているだけだとわかってからは、むしろおかしくなってきて笑いました。とはいえ、そんなことがあったからこそ余計……あのメルランディオスという男の使う妖術についてはどう説明してよいやらわかりません。ハムレット王子の話によれば、あの男は少なくとも数百年……いや、千年以上は昔に死んでいるのではないかと思われるからです。あの昆虫が黄緑色に光っているのを見て――俺はこう思った。大抵の幽霊現象だなんだということは、やはり説明のつくものなのだと。ですが、あのメルランディオスとやらは……」


 カドールは、アヴァロン城の広場で、メルランディオスが確かに落雷にも近いような衝撃波によって、内壁に積まれた石を崩すのを見た。また、それが自分たちの幻覚でないことを確かめるため、彼はその場所のあたりをじっくり観察することまでしていたのだ。


「死んだはずの人間であるにも関わらず、現実にこちら側の人間や物質的なものに強く干渉する力を持っている。ということは、クローディアス王といった時の王の心にも深く干渉し、悪事を行なわせることだって出来るのではありませんか?」


「だが、あいつの口ぶりでは」幽霊のことですっかり怯えていたのを恥かしく思いつつ、ギネビアが顔を赤らめたまま言う。「自分のような悪魔が手を貸しもしないのに、よくここまでのことをやったもんだ……みたいな口ぶりじゃなかったか?クローディアス王が拷問を愛好してるってのは有名な話だ。それに、ボウルズ卿のように立派な騎士を死へ追いやったことも許せない。でも、どこまでが本当のことかなんてわからないんだ。あんなしょうもない亡霊野郎の言うことを鵜呑みにすることは出来ない」


 ギネビアがそう言ったことには理由があった。というのも、あのような恐ろしげな、普通の人間であれば腰を抜かしていて不思議のない存在と――ハムレット王子は立派に渡りあったのだ。にも関わらず、今では両親に叱られてしょぼくれている子供のように、彼は落ち込んだ様子だった。そして、その理由が何故かについて行き当たると、ギネビアとしても胸が痛むばかりだったのである。


「確かに、その通りだ」と、ランスロットも同意する。「第一もしあのメルランディオスの奴が、そこまでのことの出来る凄い奴であったとすれば、何故こんなど田舎の湿地帯なぞで、無知な村人相手に生贄なぞ所望せねばならんのだ?とにかくなんにしても、このことをありのままにというより……多少なり加工してホリングウッド夫妻には話さねばならんだろうな」


「やれやれ。荷の重い話だな」カドールは溜息を着いた。結局のところ、自分がうまく説明せねばならないだろうとわかっていたからである。「とはいえ、夫人の食事はどれもこれもみな素晴らしく美味しかったし、今も他に五人も寝泊りさせてもらってるんだから、金を支払う以外においてもそのくらいのことはせねばなるまいな」


「みんな、ありがとうぎゃ……」


 そろそろあたりには夜明けが迫りつつあったが、霧のほうは一向やみそうな気配がなかった。そんな中を一行は元来た道を戻りつつあったのだが、ホタルたちは一体どこへ行ったやら、不思議に輝くあの蛍光色の光は帰り道では見当たらなかった。


「あのまんま、誰も助けにきてくれなかったら……オラ、蒸し焼きにされて殺されてたかもしれないぎゃ」


「大丈夫か、レンスブルック?」


 ギベルネスの隣を歩いていたハムレットが、心配そうにそう声をかける。


「王子さまにも、余計な手間をかけさせちまって、申し訳なかったぎゃ。オラ、単に夜中に外へ小便しに……ええっとまあ、お花を摘みに行ったぎゃ。そしたら、外の霧ん中の道をマスクつけた変な連中が歩いていくのを見て……ほんとはこっそり戻って、そのことをみんなに知らせようと思ったぎゃ。ところがお花を摘んでる時ってのは無防備なもんで、『あすこに誰かいるだ』だのなんだの、突然そいつらの内の目敏い奴が先に気づいちまったぎゃ。んで、『おまえは一体なんだ』だの、『こいつをメルランなんとかの生贄にするべ』とかいう話運びになって……殴る蹴るの暴力を受けたのち、縛られて連れていかれることになったぎゃ」


「そうだったのか」と、ギネビアが同情的に言った。「なんにしても、気づいて良かったよ。けど、人間ってのはわかんないもんだな。ちょっと村の前を通りかかったってだけだけどさ、みんな素朴で善良そうな人たちに見えたのに……」


「人間なんてわからんもんさ」と、カドールがギネビアの頭をぽんと叩いて言う。「『人間の心は井戸のように深くて底の知れないものだ』とも諺に言うからな」


「それは、ローゼンクランツ領に伝わる言葉か何かですか?」


 タイスがそう聞く。


「騎士の中には時々、武勇に秀でるだけでなく、文学を愛好するあまり、自分でもそういう冒険譚や詩を残した人物が何人もいるんだ」と、ランスロットが答える。「なんにしても、ここはメレアガンス州の属州のような場所だから、次にメルガレス城砦へ行ったとしたら……領主のメレアガンス伯爵に、そのあたりの相談をしたほうがいいかもしれんな」


「そうだな。あそこはウルスラ聖教の聖地だからな。ウルスラ寺院の司祭にでも来てもらって、ここの村民たちの信仰を一新させてもらったほうがいいかもしれん」と、カドール。「ここにももし、比較的健全な形での信仰対象なり、土地神を祀った寺院なりがあって、毎年豊穣のための祈りや祭りをしたりといったことがあったら良かった気がするんだが……そんな村人たちの心をねじ曲げて、あのメルランディオスとやらが生贄を求めたり、村長なんかが殺してくれと言ってきた人間を呪殺したりといった歴史がここには染みついてるってことなんだろうからな」


「だけど、そんなふうにメレアガンス州から派遣されてきた税の取立人を次から次へと殺してばかりもいられないだろ?ホリングウッド一家にしたってそうさ。彼らが不審な形で死んだとすれば、また別の税吏がやって来るっていう、ただそれだけの話なんだろうし……それに、そんなことばかり続いたとすれば、調査しに騎士団の誰かがやって来たりと、絶対面倒なことになるはずさ。あと、カドールの言ったウルスラ聖教の司祭がやって来て、村人の信仰がわりかし健全になったとして、あのメルランディオスの奴はそんなこと絶対面白くないだろうし、そしたら一体どうなる?村人が頼んだりしなくても、その司祭さんも呪い殺されちまったりしないんだろうか?」


「おまえにしちゃ珍しく、今日は随分頭が働くな」


 ランスロットが隣のギネビアの頭をぽんと叩いて笑った。幽霊が怖いと言って縋りついて来た時には可愛かったのだが、タイスとカドールがやって来るなり、彼女はランスロットのことを突き飛ばし、どうにか平気な振りを装おうとしたのである。


 このあと、やはりカドールもその時のことを思いだしたからだろう。ランスロットとふたりで、含み笑いをはじめると――ギネビアは「おまえらがなんのことで笑ってるか、わかってるぞっ!!」と言い、顔を真っ赤にしてして怒りだした。


 他のみなもランスロットとカドールの笑いが飛び火したように笑いだしたが、そんなふうにして例の納屋に近い一軒屋に一行が近づきつつあった時のことだった。


「ギャーッ!!ゆユゆ、ユーレイだあああっ!!」


 霧の向こう側から突然何者かがそう叫び、それから、「ぎゃっ!なんでこんなところに馬が……」、「ば、馬糞ふんじまっただ!!」と、男の声がブツブツ呟くのが続き、ハムレットたちは互いに顔を見合わせた。そして、ふと気づく。どうやら、納屋の本来の居住人が戻ってきたらしい、ということに……。




 >>続く。






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