第31章
その後、ハムレット一行はリエンス城へ一月ほど滞在してのち、キャメロット州のカールレオンを目指すことになった。まだ内大臣のヴォロン一派は失脚にまで追い込まれたわけでないこともあり、トリスタンは義父であるリヴァリン領主を助けるため、まだ暫くはライオネス城砦へ留まるつもりであるという。
「ハムレット王子」と、リエンス城からハムレットたちを見送ろうとする時、トリスタンは翼を広げた女神像の前で言った。「ですが必ず、王子が王都テセウスより差し向けられた軍と対峙するという時には――精鋭の騎兵一万とともに馳せ参じますことをお約束致します。これから、そのことに備えてあらためて軍を鍛え直さねばなりませんし、また、そうした動きが我が軍にあることを、テセウスから派遣されたハエどもに悟られるわけにもいきません。そのためにもリヴァリンおじには助けが必要ですし、出来ることなら僕もまたランスロットやギネビアと一緒に、王子と旅をともにしたいところではあるのです。それが僕の心からの願いでもあります。ですが、今はまだ……」
「いいんだ、トリスタン。卿の気持ちであればすでに十分オレにも通じている」
一月ほどの間、リエンス城へ滞在していたことで、ハムレットもタイスもキリオンも他の者たちも、すっかり彼と親しくなっていた。また、ローゼンクランツ公爵やギルデンスターン侯爵と同じく、王都テセウスととうとう事を構えるという時には――ライオネス伯爵もまた必ずや出兵し、援軍として駆けつけてくれるだろうことに、誰も疑いの余地すら持ってなかったと言える。
「王子……」
「それよりも、今はあまり無理をして、大きく動かないほうがいいだろう。我々はこれからカールレオンへ試練を受けにいき、その後さらにアヴァロン州、メレアガンス州、ロットバルト州……と旅を続けていかねばならん。メレアガンス州のメドゥック伯爵とロットバルト州のロドリゴ伯爵へは、リヴァリン伯より親書を託ってもいる。今後のことは、ギネビアが鷲によって必要なことを知らせてくれるだろうし、こちらへも連絡が可能ということだ」
レンスブルックが馬やルパルカといった動物たちと話が出来るように、あるいはウルフィンがジャッカルによって一行の砂漠の旅を安全に守ってきたように……ギネビアは優秀な鷹使いであった。鷹の足のところに通信筒を括り付け、暗号による書類のやりとりをするのであるが、この鷹たちはまず滅多に人から弓矢などによって撃ち落されるということがない。
「はい、王子。もし何かしもべに出来ることがありましたならば、遠慮なくそうお知らせください。このトリスタン、この命に代えましても、どのような命令にでも従う覚悟であれば出来ておりますゆえ……」
これまでの間、十分に親しい心の交流があったため、別れの言葉はそれぞれ手短なものだった。一行はライオネス城砦に滞在中、装備品なども新調することが出来、保存食といったものも十分すぎるほど持たせてもらい、カールレオン目指し出発するということになった。
ここからは砂漠の地ではなく、荒地――そしてさらには丈高い緑がところどころに垣間見える、さらには豊かな大地へと、見える光景が少しずつ変わっていった。ハムレット王子以下の十一名は、おのおの旅をするのにいい耐久力のある馬をリヴァリン伯より与えてもらっていたが、ルパルカによって砂上を旅するよりも、このことで駆動力が遥かに上がった。とはいえ、馬にも十分草を食ませ、水も与えなければならないことから……一行の歩みは慎重ではあった。トリスタンより、カールレオンやアヴァロン、さらにはメレアガンス州やロットバルト州――また、内苑七州の地図などをハムレットはもらっていたが、そこには休憩したり野営するのにちょうど良い場所なども、随分詳細に書き込まれていたものである。
しかも、キャメロン州までは僅か一週間ほどの道程で済んでもいた。その上、カールレオンに近づくにつれ、いよいよ緑が色濃く、あたりの空気自体も清らかで澄んだものとなっていき……トリスタンが『行けばわかる』と言ったのがどういう意味だったのか、ハムレットたちも次第次第に理解していたものである。
砂漠に国境を引くのが難しいのと同じく、ライオネス領とキャメロン州との間に、何かそうした明確な線引きがされているわけではない。ただ、人々はキャメロン州のあたりまでやって来ると不思議とわかるのだ。ここが、他の場所とは明らかに違う、麗しの大地であるということが……。
一行は、周囲にエメラルドの絨毯が敷かれたような緑を馬の足によって踏みしめ、まずはトリスタンの言っていたカールレオンと呼ばれる環状列石のあるところへと向かった。そこは、明らかにかつてなんらかの文明が栄えていたのであろう名残りのある場所で、石造りの岩屋や、切石の積まれた塔などがいくつも残っている場所であった。
また、これもまたトリスタンが地図として書き記してくれたことなのだが、カールレオンは廃墟とはいえとても広く、その市街地のような場所はまるで迷路のように入り組んでいた。おそらく外壁をぐるりとまわったならば、崩れかけて低くなっている場所も含め、中へ入ることの出来る出入口としての門はいくつもあったろう。だがその後、五~六メートルばかりもある内壁が、何重にも張り巡らされていることによって――中心部にあるという環状列石へは容易なことでは辿り着けないのではないかと思われた。
「我々にしても、あらかじめそのような場所があると聞いているからこのように探し求めようとするのであって……どうしたものかな。トリスタンの地図によれば、南東の門をくぐった場合……」
タイスが地図を広げているのを、他のみなも彼を囲うようにしてじっと見た。「今、ぼくたちがくぐったのが間違いなく南東の門だって言い切れる?」と、キリオンが聞き、「いや、絶対とは言い切れないだろう」とカドールが指差しながら答える。「だが、トリスタンさまは我々が迷わなくてもいいようにと、わかりやすくそれぞれ目印になるような特徴についても書き記してくださっているから……」
「なるほど。確かにそうだな」と、ハムレットがたった今くぐってきた門を振り返って言う。「確かにあれは南東の門だ。形がちょうど鐘形をしているから……他に近くにある東門は崩れているようだし、南門のほうは崩れかけた橋が目印になっているようだ」
「念のため、確かめるのに一っ走り行ってきましょうか」
ランスロットがそう申し出ると、ギネビアが即座に張り合うように叫ぶ。
「よし!!じゃあわたしは、南門のほうを見て来よう」
「いや、そこまでする必要はないだろう」
ギネビアとランスロットのコントロール塔と化しているようなカドールが、溜息を着いて言う。
「ハムレットさまのおっしゃるとおり、これは南東の門で間違いない。それよりも、今我々にとって重要なのは……そろそろ陽も暮れかかって来たということだ。どうなさいますか、王子?ここは二手に分かれて炊事する班と城壁都市を調査する班とにでも分かれますか?」
「そうだな」と、ハムレットは朽ち欠けて何やら物寂しい城壁跡を見上げて言った。ここ以外の場所は土台のみが残っていたり、壁のほうも低いというのに、何故ここだけこんなにも切石がしっかり積まれたまま残ったのかと、不思議に感じながら。「どのみち、明日またカールレオン城内を探索するというのでも、問題はあるまい。みなも疲れているだろうから、今日は早めに休み、翌朝また探索開始ということでも女王ニムエが気を悪くすることはないと思うが、どうだろうか?」
「さんせーいっ!!」と、ギネビアが挙手して発言する。「いやあ、わたしなんかせっかちだからさあ、ほんとは今すぐにでもこの周辺とか見てまわりたい。でも、来る途中にちょうど泉もあったことだし、今夜はまずその近くの岩屋ででも休んだほうがみんなにとってもいいんだろうなって思う。さあみんな、ハムレット王子の慈悲深き心に感謝感激、雨あられっ!!」
「まったく、おまえが言うとなんでも安っぽく聞こえるな」
ランスロットが呆れたように眉根を寄せ、溜息を着く。
「なにおーうっ!!そのかわり明日は、おまえとわたしでどっちが先にカールレオン城の中庭にあるという女王ニムエの休息所へ到達できるか競争だかんな」
「いいだろう。が、まあ、結局のところ俺でもおまえでもなく、ハムレット王子がそこへまず真っ先にお着きになられるはずさ」
「そりゃそうだろうっ!!星神・星母のお導きがあるのはハムレットさまなんだからな。なんにしてもここは本当にいいところだ。この苔むすエメラルドの大地を見てみろよ。ローゼンクランツ領の砂と岩石の多い大地とは大違いだ。まるでふかふかのベッドみたいに柔らかいし、雨さえ降らなきゃきっと夜もそのままぐっすり眠れるぞ」
(女の言う言葉とも思えん)というように、ランスロットは左右に首を振っている。もっとも、一行はこんなふたりのやりとりにもすっかり慣れてしまったのだろう。ただ笑って済ませると、ここへ来る途中で見た、細い小川の途中にある泉の近くまで再び戻ることにした。しかもそのそばには不思議な形をした岩屋まであった。おそらく誰か昔の人が大きな石を、なんの加工もせずここまで運び、組み合わせたものに違いなかったが――その黒い石はまるで、見ようによっては何かの自然の戯れのオブジェのようにも見えるものだった。
ウルフィンがいつも通り、適当な石や薪を拾ってきて簡単な竈にして火を起こしてくれたのだが、彼自身この日、非常に敬虔なる思いに満たされ、こうした自然の恵みに感謝しつつ、あえて樹木を手折ったりはしなかった。というのも、まるで薪にしてくれとばかり、潅木のある地面には枝が落ちていたのだ。今は季節としては秋でもないことを思うと不思議なことであったが、その地面に落ちている枝は火の点きもよく、ウルフィンは自然の神に対し畏敬の念を覚えるばかりだったと言える。
「ここの泉の水は、なんだか特別に神聖な感じがするな」
ハムレットがカップの中の水を一口飲むと、他のみなもまた、まったく同じ思いに満たされていた。それで、この日の食前の祈りは少々長いものとなったようである。「この地に満ちる自然の神、それに女王ニムエの名を讃える。今日もまた、このように我らの食卓を祝福し、食べ物を与えてくださった大地の豊穣の神、そしてすべてのものの源なる、星神・星母の神の御名を讃える。日々、飢えることなく食糧が整えられてあることも、すべて神々の恵みなれば……このように塵にすぎぬ我ら人に心を留めてくださる神々にさらなる栄えあれ。また、もっとも貧しき者にもあなたさまがこのように食卓を整えてくださることを、我らは心より褒め称えます」――周囲に満ちる清らかな空気のせいもあるだろうか。食事の間中、珍しく一同は言葉少なく会話し、食後には神々の御業を寿ぐ歌を特に選んだ。キリオンがディンブラを弾き、ウルフィンがタヒードを爪弾く中、ギネビアが中心となって全員でその賛美歌を歌う。
♪褒め讃えよ、天地創造の神々の御業
神は星々の軌道を整え、その運航を確かなものとされた
天使たちが錫杖を振ると、それは流星となって地上へ降り注ぎ
ある星は大地を潤す泉に、ある星は山や緑や川に姿を変えた
動物たちも昆虫もそのことを喜び、世界中を飛び跳ねた
人間はこの偉大なる神々の御業に目を留めよ
心に留め、喜び歌い賛美せよ
天の川から流れ星が落ちる時
人は死を思い悲しんではならない
何故ならそれは、すべての生きとし生けるもののはじまりに他ならないのだから……
――こうして夜も更けると、満天の星々の元、みな横になって眠った。ギネビアの言うとおり、陽が暮れてのちは涼しくなったこともあり、上に何もかけずともそのままぐっすり眠れるというくらい……その日の夜は眠るのにちょうど良かった。
馬たちもまた、特に繋ぐということもなく(というのもこれは、レンスブルックが彼らを呼ぶと、必ず集まってくるためであったが)、心地好くそこらへんの丘陵や草原にて、おのおの思い思いに休んでいたものである。
この日、ハムレットはいつものように自分の旅の荷物の入った袋を枕にして横になったが、彼はいつも以上に敬虔な思いに満たされていた。そして、宇宙の星々を司る神々や天地にその名のつく神を崇めつつ、祈りながら眠りに落ちていったのだが――夜、彼はこんな夢を見た。
ふと気づくと、自分のまわりには誰もなく、ハムレットはひとりぼっちだった。蒼い天空には、誰かが間違えて金や銀、翡翠やヒヤシンス石といった宝石の数々を気前よくばらまいたのではないかというくらい――あるいは、神々の懐からそのような宝を盗んだ者が、転んで宝石を天空にばら撒いてしまったのではないかというくらい、その輝きに手で触れられそうなほど、それらはすぐ近いところで瞬いているように見えた。
(タイス?ギネビア、それにディオルグやギベルネ先生も……どうして誰もいないんだ?)
そう不思議に思い、彼が周囲を振り返って見た時だった。遠くの緑の丘陵に、流れ星が落ちた。長く、蒼い銀の尾を引くように、それが丘の天辺に達すると、そこが一際輝き、やがて人の姿が生まれた。そして、最初その人物は随分遠くにいるように見えたのに、次の瞬間にはハムレットのいる黒い岩屋の影に姿を現し――ハムレットのことを驚かせたのだった。
彼女は夜空を焦がすような炎のように赤い髪、それにスタールビーのように輝く瞳をした、白皙の美しい乙女だった。乙女、といってもあまりか弱いような印象ではなく、彼女が口を開いて何か言う前から、ハムレットにはこの乙女が人外の存在であり、魔性の者とも神聖な者ともつかぬ空気をその身に纏っていると気づいていた。それゆえ、彼女こそが女王ニムエなのだろうとすぐにもそれと察していたのである。
『一緒に来い』
言葉によってではなく、心に直接話しかけられ、ハムレットは彼女が進んで歩く方角に、まるで胸ぐらでも掴まれたかのようにぐいっと前へ押し出されるものを感じた。そのように強制されずとも、ハムレットとしてはなんでも女王ニムエの言うとおりにするつもりであったのだが……実際には彼は、自分の魂が肉体をその時に通り抜けたのだとは、まるで気づかなかったわけである。
『どちらへ、おいでになるのですか』
ハムレットは最初のうち、何故かふらふらした。だが、自分の横から彼の体を支えるような透明な目に見えぬ存在があって、それらの者に右や左から支えてもらううち、だんだん<霊の体>で歩くことにも慣れてきた。すると、左右にそれぞれひとりずついたように感じた者の存在が、その感触がまったく消えてなくなる。
口にしても、何故かあまりにも重く、言葉を発することが出来なかった。だが、心の中で何かを思っただけで、女王ニムエにはすっかりわかるようだと気づき――ハッとしたのである。何故なら、ここでは<言葉>というものが重要な意味を持つと、そうトリスタンが言っていたのを覚えていたからである。
『そうだ。よく覚えていたな。タントリスはこれからライオネス領の領主として、おまえの家臣としても忠実によく仕え、幸福な生涯を送って死ぬだろう。今度もし会うことがあったらわらわがそう言っていたと、そう教えてやるといい』
『タントリスはトリスタンのことでは……』
そのような思考が生まれてる途中で、ハムレットはまたもハッとした。トリスタンが『くだらぬ質問ばかりしてしまった』と後悔していたことを、彼は思い出したのである。
『まあ、そう深く考えるでないぞ』
ハムレットは女王ニムエの後ろ姿を見て歩いていたのだったが、彼女が微笑んだらしいことが、顔を見ずともわかった。
『確かに、ぬしの言うとおり、あの者はタントリスではなくトリスタンじゃ。が、もしあの者がわらわとの約束を成し得なかったとしても、私が約束したのはトリスタンではなくタントリス……あの者がわらわとの約束に呪縛されずとも済むというわけじゃ。なんにしても、結果はぬしも知ってのとおり。また、それはわらわとあの者が約束したことであって、ぬしにはまったく関係なきこと。ぬしはぬしで、わらわとまったく別の契約を結ばねばならぬ』
『…………………』
ハムレットは黙り込んだ。否、頭の中には駆け巡る思考が無数にあったが、それが完全にまとまって口に上るどのくらいの段階で、女王ニムエが読み取るのかはわからないにせよ――とにかく彼はこの時、言葉には気をつけねばならぬと、そう心を新たにしていたわけである。
女王ニムエは、元はアーチ型をしていたのだろう、崩れた東門を通り、その後、随分複雑な作りの内壁を順にくぐっていった。おそらく、敵の攻囲戦に備えてであろう、内壁は三重になっており、もともとの城塔はかなり高いものだったことは、ハムレットにも容易に想像できた。だが、それらは今ではすべて崩れ、用をなさないものと成り果てている。
『ここをよく覚えておくのだ、ハムレット』
名前を呼ばれた瞬間、胸から心臓が飛び出すのではないかというくらい、ハムレットはドキリとした。自分にはトリスタンのように、仮の名が与えられるわけでないということは……彼には女王ニムエの契約を破った際の保険といったものは、おそらく一切適用されないということになるだろう。
『この、昔は堀があって水が流れ、橋がかかった上、さらには三重構造になった城壁というのはな、エッダード・ボウルズがここへ試練を受けに来た時にわらわが「このように造れ」と教えたものなのじゃ。以来、一体幾度<東王朝>の者どもが攻め込んで来ようとも、攻囲戦が成功したことはない。実はな、ハムレット。わらわがおまえと話すことは大してないのじゃ。おまえがもし今後多少なり何かの間違いを犯し、遠回りをすることになったにせよ……己の罪の刈り取りは己でせねばならぬということ以外では、どの道をぬしが辿ろうとも、結局のところおまえはこの国の王となる。それが運命としてすでに決まっておることなのじゃて』
『何故、ですか。そもそも何故オレだったのですか。ひとつの国の王として相応しい者であれば、他にいくらでも……それにエッダード・ボウルズというのは、クローディアス王に拷問死させられたサミュエル・ボウルズ卿の何代も昔のご先祖のことでしょうが、彼にしても何故死なねばならなかったのですか。それも、あのように一等ひどい形で……』
『人間には、神も関与せぬ自由意思というものがある』
サミュエル・ボウルズ伯爵の悲劇的な死の理由については説明せず、女王ニムエはそのような答え方をした。だが、そのことでは彼女も悲しんでいるらしいことが、ハムレットにもはっきりと感じられる。
『そして我々は、人間が悪の道を選ぼうとも、そのことには関与せぬ。それはその者の魂の問題なのだ。その点、サミュエル・ボウルズはおまえのおじクローディアスよりは遥かにましとは言えたろうな。我々は人の悪には関与せぬ。が、ここまで悪が積み重なるのを放置しておくわけにもいかぬと、とうとうそう決まったのじゃ。ハムレットよ、人間のおまえにわかる言い方をしたとすれば、罪の悪臭が天の神々の元にまでも届き、流石にもはや放ってもおけなくなったと、そうした言い方でもする以外はなかろうがな』
『…………………』
ハムレットは再び黙り込んだ。とはいえ、心の中ではやはりめまぐるしく考えごとをしていたのだから、そのどこまでを女王ニムエが読み取ったものかは、彼にもわからない。
『私に対して、正しい質問をしなければなどとそう固く構える必要はないぞ、ハムレット。また、今のこの状態でぬしを解放したとしても、わらわたちにはなんの問題も不都合もない。それはぬしのほうでもそうであろう。どの道を辿ろうと、自分は結局王になるのだ、なれるのだとの確信と自信はそなたの心に力強く残る……わらわたちにしても、それで十分なのだ。が、この世の謎や人の理について聞きたいだの、くだらぬことを質問したいのであれば、それはなかなか難しいことになろうぞ』
この瞬間、ハムレットには特にそれほど詳しく説明されずとも、あることが胸にはっきりと直感された。女王ニムエには、人間に言葉によって語れることに限界、あるいは制限があるのだ。というより、それは言葉によってでは言い表せないことであるか、あるいは表現できるにせよ、それではまったくハムレットが理解しないか、まるで納得できないことだったに違いない。
『まあ、ぬしにしても、死してのち、ハムレットという名に縛られぬようになれば……いずれすべてわかることではあるのだがな。だが、今はハムレットという肉体に魂が宿っている内は、ぬしにしても明日食べるものがあるかどうかや、自分は本当に王になれるかどうかといったことや、そんなことのほうがよほど大切であろう。千億光年もの先にある銀河に、もし神がおられるとして、それが一体なんだというのだ?肉体を離れて魂だけの存在になると、今束縛されている時間や空間が意味を失うとして――そうと説明されたとして、それが果たして実感できるか?そんなことより、もっとぬしが肉体を持って存在せざるをえぬがゆえに拘束される諸問題についてわらわに説明を求めたほうが、よほど有益ではないかの?』
『確かに、そうですね。オレもそう思います』
それでもなお、ある種の魂の叫びにも近い求めが――『千億光年というのがどのくらいの先の時かは想像もつきませぬが、時間や空間が意味を失うというのであれば、1万年後も1億年後も、実はさして変わりなどないということなのですか?』と質問したくなるのを、ハムレットは必死で堪えた。何故なら、自分は今はまだ制限のある肉体にある身であって、永遠にいつまでも女王ニムエとこうもしていられないのであろうし、ある種のタイムリミットが存在した場合、やはり自分はくだらぬことのみ質問してのちに後悔するのではないかと、そう思われてならなかったからである。
『では、聞きます。女王ニムエよ、あなたさまがボウルズ伯爵の祖先に知恵を与えて建てさせてくださったバリン州の囲いは非常に堅固です。オレのように限界ある知識しか持たぬ者にとっては、これからアヴァロン州、メレアガンス州、ロットバルト州と旅をして……うまくいけば、外苑州の領主たちはオレに味方してくださるかもしれません。ですが、オレの優秀な腹心たちが申しますには、最初に大きな障壁として立ちはだかるのは、おそらくバリン州のバロン城を破ることだろうということでした。虫がいいようですが、オレはいかような大義のためといえども、自分が王となるために、誰か人が死んだり、死ぬどころか怪我をしたり不具の身となったりするのを想像しただけで……王になるなどという野心を抱いた自分に対し、嫌気が差してくるのです。もし、あなたさまがその部分をぐっと堪え、それでもオレが王になることが運命だと言われるのであれば……』
ハムレットは長い言葉を話すうち、自分の唇が重くなってくるのを感じた。というより、心に念じたことを女王ニムエが読み取っているのだったが、体の唇や舌の呂律がうまく回らぬことがあるように、ハムレットはだんだんしゃべるのが困難になってきたのである。
『そうじゃな。ハムレットよ、そのことに関してわらわが今色々と語っても、やはりおまえには理解できまい。また、先ほどおまえが心に思った質問に対しても答えよう。わらわたちのような存在にとっては、1万年も1億年も、ある意味一緒じゃ。じゃが、どう一緒なのかについては、人間であるおまえには実感として理解することは到底出来ぬ。また、今宵ここからおまえと旅立って、千億光年も旅して1秒後にここへ戻ってくるということも――我々には出来る。が、わらわたちはおまえに対して今この瞬間、そこまでの手間をかけるつもりもなければ、その必要性も感じない。また、千億光年どころか、十万光年旅した程度でも、おまえのほうで泣き叫んで『帰りたい』と我々に頼むことじゃろう……ということはさておき、とにかくおまえは戦争に勝つ。犠牲のほうは我々のほうでなるべく少なくしてやろう。とはいえ、ぬしらには自由意思というものがあるでな』
三重城壁を通りすぎてのちも、市街地のほうは極めて入り組んだ構造をしており、ふたりは水の枯れた井戸のある下中庭を通りすぎたり、昔は馬房があったり騎士の訓練場があったりと、女王ニムエにはきのうのことのように思いだせるが、ハムレットには何があったやらさっぱりわからぬ廃墟跡をいくつも通りすぎ、短い階段をある時は上り、また別の時には下りたりといったことを繰り返し、最終的に女王ニムエはカールレオン城砦の中核地――環状列石のある中庭にまでハムレットのことを案内して来た。
そこもまた、エメラルドグリーンに輝く、苔むした絨毯のような大地であり、朽ちかけた石の連なりがストーンサークルとして、不思議な円形をして並んでいた。そして、そこは一等小高い丘の上に位置していたため、それこそ星が一際大きく、鈴なりに実った金銀の果実のように空に輝いて見える場所だった。
『さて、先ほどの話の続きじゃがな』
女王ニムエは環状列石のひとつに腰掛け、ハムレットとテーブルのような倒れた石をひとつ置いて向き合った。ハムレットは女王のことを直視することが出来なかった。直感的にそうすることが失礼であるように感じたからであり、また、彼女の星を映したような燃える瞳を見ていると――何やら足許がふわふわして来、何故だかこれから王になるのがどうだの、生に纏わるすべてのことが煩わしく、ただくだらぬことのように思えてくるからなのだった。そして、(そんなこと、もうどうだっていいじゃないか。オレは女王ニムエと、ただ永遠にこうしていたい)と、そんな気持ちがちらと心に根差した瞬間……ハムレットは目に見えぬ重力に自分の魂が耐えているかのような感覚を覚え、彼女の存在そのものから目を離したのだった。
『我々がいかに犠牲少なく、おまえの軍を勝利に導こうとしたところで、人間には自由意思というものがある。また、自然の法則といったものにまで反して、わらわたちがおまえの軍に属するいかなる者をも守ろうとした場合……いや、わらわたちにもやはり、そこまでのことは約束できぬな。やって出来ぬことはないが、そこまでわらわたちもおまえとの約束に拘束されたくはないのじゃ。そうじゃな。たとえばそれは次のようなことじゃ。おまえの軍の誰かしらがわいわい騒いで、酒に酔うあまり悪ふざけをして、自軍の誰かに怪我をさせるということがあるやもしれぬ。あるいは、斧を振るっていたところ、手入れを怠っていたため、藪の樹を斬るうちに大怪我をしただの、あるいは斧の頭の部分がすっぽ抜け、誰かがそれに当たって死ぬか、死ぬほどの大怪我をするやもしれぬ。わらわたちはそうした細かいことにまでは責任を持てぬし、持つ必要もないと考える。が、大筋の問題として、そんな瑣末なことが原因で軍の士気が落ちるだの、「何故神々が味方しているはずなのに、こんなことになったのだ」ということがおまえたち人間の手落ちによって生じたとしても、ハムレット、おまえの軍は必ず敵軍に勝つ。そのことだけは必ず約束しよう』
『ありがたきお言葉……』
ハムレットは女王ニムエの前に跪いた。そして、畏敬の念と感謝の気持ちから、彼女の足の指にでもキスしたいくらいであったが、それすらもニムエのような存在には失礼に当たるのではないかと、彼が躊躇っていた時のことだった。
『そうじゃった、そうじゃった』
女王ニムエが、誰かに耳許に囁かれでもしたように、何かを思い出して言った。ハムレットにしても、一応先ほどからずっと気づいてはいたのだ。ここには彼女ひとりしかいないはずなのに、女王二ムエがずっと、<わらわたち>とか<我々>といったように、二人称で語っているということは……。
『肝心なことを忘れておったわ、ハムレット。これからぬしは、アヴァロンへ赴くのであったな。あそこには、わらわたちが呪って聖なる刻印を刻んでやったにも関わらず、いかようなる妖術によってか、今も幽霊のようにして存在し続けておる男がいるのじゃ。その名をメルランというて……』
ここでまた、目に見えない、夜気のように透明な存在が、闇の中で女王二ムエに何ごとかを囁く。
『まあ、メルランと名のっとるとは限らんわな。マーリンとかメルロンとか、あの男にしても、その時の気分によって己の名を変えるということはよくあるようじゃから。なんにしてもじゃ、ハムレット。あの者は我らの聖なる呪いによって、真の意味で人をたぶらかすということは最早出来ぬ身。が、それはあの者の本性を最初から見抜いている者に対してはそうじゃということであって、ぬしにしても油断すればちょっとした隙を突かれるということはあるやもしれぬ。そこで、じゃ。あの者とつきあうちょっとした知恵とコツをあらかじめおまえに授けておこう』
『……………?』
ハムレットは女王の言わんとするところを理解しなかった。トリスタンの話によれば、アヴァロンもここカールレオンも聖なる地であって、常若の国へと繋がっているという、そうした話ではなかっただろうか?
『ハムレットよ、おまえが不思議に思うのも無理はない。というのも、トリスタンは確かにここ、カールレオンの丘まではやって来た。が、あの者はアヴァロンの霧深い湿地帯を通り抜けたことはあったにせよ、メルランという男に出会うたことまではないはずじゃ。メルランという男はな、その名をなんと呼ばれていようと、あるいは自分でなんと名乗っていようとも、とにかく一目見ればそれとわかる男なのじゃ。顔のほうは青白いか真っ白で、頭にはターバンを巻いておるか、白いローブでも羽織って、頭の部分は隠しておるやもしれぬな。まあ、なんともそれっぽい演出ということだて。さて、ハムレットよ。ここが肝心なところ。普通の何も知らぬ人間がメルランと出会った場合、もしかしたら名のある魔導士か魔術師とでも思うやもしれぬ。が、ぬしはまあ騙されぬようよくよく注意することじゃ。あやつのことをぬしがもし仮に「さる高貴な偉大なお方に違いない」と思ったとすれば、あやつは確かにそのような者となっていき、ぬしの心にもそのようにしか映じなくなっていくことじゃろう。じゃがそうではなく、「このような奴、どのように見せかけようとも、所詮は女王二ムエに呪われし者」と強く深く念じれば、奴に残されておる魔の力も小さくなっていくのじゃ……ようくお聞き、ハムレット。ぬしがあやつを蟻かミミズとでも思えれば、実際に奴は蟻かミミズのような姿になっていき、ぬしはあやつを軽々踏み潰すことさえ出来るのじゃ。また、そうしておいてから、今度はあやつの力をこちらで使役するというのが、この話の一番肝心なところ。わらわの言うておることがわかるかえ?』
『いえ……申し訳ありませんが、わかりませぬ。もう少し、詳しく説明していただかないと、オレにはやはりその者がどのような者であれ、人の姿をしているにも関わらず……彼を蟻やミミズのように思うことはとても出来ない気がします』
人間であるがゆえの制限から、ハムレットは女王二ムエのように偉大な女王を煩わせなくてはならないことを、この時心から恥じていた。また、そのような羞恥心がどこからやって来るのかも、この時の彼にはよくわからなかった。ただ、ハムレットにもなんとなく察せられることがあった。それは、人間が蟻とミミズを間違えることがないように、彼女たちのような存在にはわかりきったことであり、人間にそのことを話す時には――まるで、小さな子にミルクの飲み方を教えたり、パンの食べ方を教えたりするにも等しい何事かということだった。
『ハムレットよ、なんと優しい子であろうな、おまえは……まったく、我々の目には狂いがない。あの者はな、メルランという男はその昔、ヴォ―ティガンという元は豪族のひとりに過ぎなかった男を、強大な妖術を駆使してこの国の大王としたのよの。実際には国の統一前も統一後も、戦争に次ぐ戦争で、民は飢え、土地は瘦せ衰え、混乱には終わりがないようじゃったにも関わらず……そのように奸計によって敵軍を陥れるのを得意としておったメルランじゃが、魔術の心得があるゆえに、わらわたちのような存在のことが目に見えるのじゃ。そこで、穢し事を行なって我らのことを何かの物質の中に封じ込めようとしたり、あろうことか、わらわと結婚したいということまで抜かしおったのでな、わらわのこの手で墓の下に封印し、聖なる呪いの刻印を刻んでやったのじゃ。そこは今は、アヴァロンの墓ともアヴァロンの墓所とも呼ばれておるが、その昔、そこには広大な王土一帯を治める偉大な王の都があったものよ……それはさておきじゃ、ハムレット。メルランの死した遺骸は今もそこにある。あやつはどうにかしてそこは自分の墓でないという振りをしようとするじゃろう。が、それがもし見つかったらば、この剣によってその墓石を刺すがいい』
ハムレットの目に、黄金の輝きが染み渡り、それで彼は跪いている姿勢から少しばかり目を上げた。すると、柄頭に見事な宝玉の嵌まった白金の鞘に収められた剣が、女王ニムエの手から抜かれ、そこから真昼の太陽よりも輝かしい光が洩れているとわかる。
『それだけでメルランの奴は、ノミのように怯えて飛び上がらんばかりになるだろう。実際のところ、墓の中のあやつの遺骸をこの剣で刺したらば、メルランはこの世界から完全に消えてなくなるしかないのじゃ。まったく、哀れな奴よ……奴には次の世の望みというものがない。そして本人にしてもそのことを理解しておるがゆえに、あのような幻にも近い存在に成り果てながらも、まだこの世に執着しておるのよの。あやつには、我々の聖なる呪いがかかっておる。聖なる呪いというのはな、言葉としてはおかしかろうが、呪われた者にとって聖なる力とはすなわち呪いと同じことよ。我らにとってメルランにとどめを刺し、あやつの魂を無に帰すことなぞ、造作もなくほんの一瞬で出来ること。じゃが、あまりにあやつが哀れなればこそ、見逃してやっておるのよの……といったわけでな、ハムレット。メルランは我々の聖なる呪いによって、今は悪事を働くこと叶わぬ。つまり、わらわたちの許可したことか、人間に善をなすことしか出来ぬのじゃ。とはいえ、邪悪な奴のこと、これからは一心に善にのみ励み、自分の生前の罪科を減らしたいと願うでもなく、それならそれで、出来得る限り生きた人間を惑わし罪へと陥れ、自分と同じように虚しい存在に成り果てるようにと、己の動ける範囲内で蠢いておるわけじゃ』
『ですが、もしそのメルランという妖の者の遺骸が眠るという墓が見つからなかった場合……』
自分が彼女たちに対する信仰心薄く、愚かな質問ばかりしていると感じながらも、ハムレットとしてはやはりそのように、自分の不安を表明する以外になかった。
『心配せずともよい、ハムレットよ。アヴァロンの墓が見つかるかどうかはさして問題ではない。私が今言ったことはな、言ってみればほんの参考程度のこと……あやつがもし、ぬしがいずれ死んで葬られるとかいう墓を見せたとする。そして、その墓にはハムレット、おまえの生前の行いと、いかにして死すかが書かれている、だからそれを読めといった場合、決して信じてはならぬぞ。あやつは嘘をつくことと人を騙すことにかけては天才級なのでな、そうしたメルランの振るまいに我慢がならぬと思った時には――この剣の鞘を抜き、あやつにこの聖なる光を浴びせてやるといい』
そう言って、女王ニムエは聖剣を完全に鞘から抜き放った。ハムレットは目を開けていられなかった。まるで、真昼に太陽を直視でもしたように、その黄金の光はあたり一帯に満ち溢れると、ニムエが再び鞘に治めるまで、あたりはこの世ならぬ輝きによって満ち満ちたままだったからである。
『ハムレットよ、この剣をおまえにやろう。もし、メルランがもっとよい剣があると言ったり、この剣と対になる名剣を持っているからそれをくれてやろうなぞと言っても、取引に応じてはならぬぞ。して、時にハムレットよ、おまえはこの聖剣の鞘と剣、どちらにより価値を認めるか?』
『鞘でございます』
ハムレットは直感により、そう答えていた。あの光の源が剣にあることを考えれば、おそらくは剣のほうにより価値があったに違いない。だが、あの光は人間が扱うにはあまりにも聖らかすぎ、鞘があってこそ制御できるものであろうと、ハムレットはそう感じていたのである。
『よくぞ申した。大抵のたわけはここで、よく剣と答える。ハムレットよ、これでおぬしの君主としての人生は、戦乱のない平和なものとなろう。また、メルランには、わらわたちがおまえがこの国の王となるのに協力せよと言っていたと、そのように伝えよ。アヴァロンには、何もないがゆえにすべてがある。あそこはそうした土地柄よ。あそこにはレヴァノンという名の、非常に高価で素晴らしい森がある……また、すべての鉱石が眠る山々も背後に控えておれば、虹の泉も黄金の川もある。メルランがもし、ぬしに「ここには何もございませぬ」という幻を見せたとて、決して騙されるでないぞ、ハムレットよ。あやつは自分が誰かを操るのではなく、自分が使役されるのを何よりも嫌い厭う、ただの怠け者なのじゃ。悪に走るに速い足を持ち、善を行うのはいつでもしぶしぶというな。ゆえに、遠慮なく大胆に、メルランには数限りなく多くの望みをはっきり明確に命令することじゃ。そうじゃな、たとえばバリン州攻略の際には、荒地を挟んだ向かい側に防衛拠点として城でも建ててもらうといいだろう。我々は基本的におまえたち人間の戦争や争いごとには関与せぬ。じゃが、それでもおまえたちの戦争のやり方についてはある程度見知っておるのでな……メルランなどはそれが大好物であるがゆえに、より詳しくもあろう。あるいはもしかしたら、「そうしたことであれば」と張り切って協力しはじめるくらいやもしれぬ。城を攻略するための破城槌や投石器、可燃剤の詰まった樽やタール桶などなど。まったく、人間というのはただ互いを破壊しあうためだけに、くだらぬ悪魔の兵器を数限りなく思いつくものよ』
女王ニムエは呆れたような溜息を着いてのち、さらに続けた。
『とにかくじゃ、ハムレット。そのようなわけじゃから、メルランのことは使い魔の如き何者かとでも考えて、首根っこをしっかり押さえ、必要なものはなんでもあやつに用意させることじゃ。わらわたちがこう申すのはな、ハムレット。あのような者の協力なぞなくともおまえは勝利する……と言っても、ぬしは理解せぬであろうし、おまえのまわりの側近たちや軍の兵士らも同様であろうと考えるからなのじゃ。とにかく、目に見える形で、いつまでも尽きぬほど矢筒に矢が詰まっていることや、そうした十分な数の武器や装備、騎兵や歩兵の数も十分なくば心配でおちおち眠れもすまい。つまり、そうした表面的現世の不安解消のためといったことについてはメルランに協力してもらえと、わらわたちはそう言っておるまでのことじゃからな』
『………わかりました』
ハムレットは跪いたまま、押し戴くようにして女王ニムエから聖なる剣を受け取った。実は彼にはまだ他に、ニムエに聞きたいことがあった。アヴァロンにて、メルランという男に必要なものについては用意してもらう……というのは、一応理屈としては理解できる。とはいえ、地図で見る限り、アヴァロンからバリン州までは遥か遠いのである。いざ、バリン州のバロン城を攻囲するという時には、それほど離れていてメルランとやらは己の魔術を本当に駆使できるものなのかどうか……。
『心配するな、ハムレット』
女王ニムエは、ハムレットの心配を見抜いて言った。
『我らにとっては、三千キロメートルも三百メートルも大して違いはない。メルランの奴は約束したことは必ず守るであろう。それでもなおあやつが動かねば、わらわたちのほうでその件ではメルランの奴のことを急き立てることにしよう。そうじゃな。一応コツとしてはじゃ……言葉というのは大切かもしれぬな。わらわたちは、おまえが何を望み願っているか、みなまで言われずとも、細かいところまで察して理解する。が、あやつは逆なのじゃ。言葉の抜け目や抜け道をどうにか見つけて、手を抜こうとする傾向がある。『数え切れぬほどの武器・装具を用意せよ』、『いつまでも矢が尽きぬよう弓矢を用意せよ』、『数え切れぬほどの兵と馬を準備せよ』などなど、あまり数のほうは指定せぬほうがよいじゃろうな。また、人間的に考えてかなりのところ無理難題であるように感じられることでも――あやつに強制してやれ、と強く命じることじゃ。まあなんにせよ、よく考えてうまくやるといい』
『ははっ!』
ハムレットはこの時、自分の頭に手をやって、そこに王冠が置かれていると、触ったわけでも目で見たわけでもない。だが、彼はこの時、自分が彼女たちから王冠を与えられたことがはっきりとわかった。そして、空から流れ星が尾を引いて落ちてくると――その王冠目指し、いくつもいくつも吸い込まれていくのがわかった。
そして、そのような光景を何故か、夢の中でのようにもうひとりの自分が俯瞰して眺めていると感じ……ハムレットがその矛盾について説明可能な理屈を己の心に問うた瞬間のことだった。彼の心はカールレオン城の環状列石から遠く離れ、空中を一息に泳ぎ、仲間たちとともに休んでいた岩屋へと戻っていった。
この時、ハムレットは最後に見た――女王ニムエとは、かつてヴィンゲン寺院にて出会った三女神のひとりであり、さらには彼女の右隣には夜の闇のような蒼黒い髪に青い瞳の女神、それから最後に緑色の髪の女神が、互いに微笑みあうような気配を滲ませ、彼の魂が肉体へ戻っていくのを見守っている、その姿を……。
>>続く。




