第26章
ハムレット一行はその後、残り十一ある見張り塔へ宿泊させてもらいながら、ライオネス伯爵領を目指すつもりであった。他の見張り塔では、騎士、あるいは守備隊の隊員などが二人組になって交替であたりをパトロールしており、夫婦ふたりで塔に寝泊りしているのは、唯一ルーアン・バグデマス夫妻だけだったようである。
見張り塔で休ませてもらうごとに、例のライオネス領の治安の乱れといったことを順に聞いた一行であったが、確かに近ごろ夜盗の手合いと思われる不審者が増えているという。
「だって、ローゼンクランツ城砦のある方角へ向かっているということは、我が領地を目指してるってことじゃないですか」
言い方はそれぞれ違えども、彼らが口にするのは大体似たり寄ったりの事柄だった。
「しかも、真夜中にですよ?『どこの何者で、どんな用があってどこへ行くつもりなのか』って聞いても、言うことが曖昧なんですよ。大体が、『ディリアスのほうに親戚がいまして』とか、『本当に親戚がいるのかどうか証明しろと言われましても』といったような具合なのです。何分こちらはパトロール中は一人なもんで、向こうが見るからにやさぐれた連中の集まりだったりすると……こう申してはなんですが、黙って通行させる以外ないということもありまして。ゆえに、ルーアン卿とも相談して、守備兵の数を増やしてもらおうかと話しているところだったのです」
六つばかりも城塔を進んだ頃、「どう思う?」と、タイスがそれぞれ円卓に座す旅の仲間を見回して聞いた。というのも、そうした不審人物がひとりだったため、保護の意味も兼ね、親切心から塔へ上げてやったところ――寝込みを襲われたため、身柄を拘束した上、ライオネス伯爵領のほうへ護送したということが一度ならずあったということだったからである。
「面倒ではあるが、守備隊員の数を増やすしかないだろうな」
ランスロットが腕組みをし、神妙な顔をしたまま言った。実はこんなことになっているなどとは、今こうして見張り塔をそれぞれ訪ねていなかったとすれば――ローゼンクランツ騎士団にその訴えが届くまで、あと数か月はかかったのではないかと思われたからである。
「騎士団長の息子として責任を感じるのはわかるが」と、カドールが言う。「そちらはおまえの父上に任せておけば、あとのことはうまいこと取り仕切ってくれるだろう。だから問題はない。だが、よく考えてみるだに、まったくおかしな話だ。十分な食糧や水の準備をしていないと、砂漠での旅は命取りだというのに……その男にしても腹が減りすぎてとち狂ったということなんだろう?」
「はあ……貧乏が服を着て歩いてるといった感じの男でしたので、気の毒になって食べ物と水を分けてやったのです。聞けば、ローゼンクランツ城砦ではもっといい暮らしをしていると聞いたので、一か八かの賭けをしようと思った、などという話でして。自分にも、小さくていいからこんなふうな安心して住める場所があって、朝起きたら井戸に水がたっぷりあるのを見れたらどんなにいいかと……そう思い詰めての犯行だったようです」
ほんの一年ほど前に訓練期間を終え、砂漠の守備兵の一員として加わったばかりの若い男は、恐縮しきった態度でそう言った。ローゼンクランツ騎士団に入ることは、城砦都市に住む青年すべての憧れである。まさか、騎士団最強と謳われるランスロット・ヴァン=ヴェンウィックのことをこんなに間近で見ることが出来るとは――彼は光栄すぎるあまり、身の引き締まる思いだった。
「だが、ローゼンクランツ城砦へ行きたがっていたのに、ライオネス領のほうへ送り返したのだろう?」
彼は先月からずっとここにいるため、ハムレット王子のことは知らなかった。だが、容貌を見ただけで、さる高貴なお方なのだろうことだけはわかり、そのような人物からちらと咎めるような視線を送られただけで……彼は何やら自分が大罪でも犯したような気分だった。
「ええ、まあ。ここは大体、ローゼンクランツ領とライオネス領の中間くらいに位置していると思いますが、何分、その男自身がもともとはライオネス領の領民なのですから、裁きのほうはそちらでつけられるべきと思ったのです。何分、そんな犯罪人を我がローゼンクランツ領へ入れるというのもどうかと思いまして」
「正論だな」と、タイスは守備兵ロキの言い分を認めた。「ハムレット、気持ちはわかるが彼の判断は正しいよ。だが、ライオネス領での暮らしが厳しいので、ローゼンクランツ領へというのは……一体どういうことなんだろうな」
「考えられるのは」と、カドールが意見する。「治安が悪くなっているというのは、おそらくこういうことだろう。暮らしぶりが苦しくなれば、当然隣人の物を奪ってでも自分や自分の家族を養うしかなくなってくる。つまり、下層階級から順に飢えていき、暴力に訴える者が野放しになっているという、そうしたことなのではないか?」
「リヴァリンおじさまは領主として何をしておられるのだろうな」と、ギネビア。「伯爵がもっとしっかりしていれば、ライオネスはローゼンクランツより土地柄も豊かだし、少なくとも飢えるということだけはないはずだぞ」
「とは言ってもな」と、ランスロット。「リヴァリンさまは現実逃避するのに忙しくて、下々のことになぞ、思いを致している暇なぞないのかもしれぬ。第一、王都から時折聞こえる拷問話にすっかり怯えておられるのだろう。となると、我々がこれから現王権に叛旗を翻そうとしているなどと聞いたら……協力どころか、ハムレットさまの御身をむしろご自分の代わりに売ろうとするくらいかもしれぬ」
「だが、父上の話では、書簡を送ったところ、リヴァリンおじさまからは『ライオネス・ローゼンクランツ・ギルデンスターンは、古来より同盟を結んできた仲。三領地のうち、どこかが苦しめば助け合っても来た。平和はこの三領地の和合あってこそ。いまこそ外苑州総力を合わせ、王都の暴虐をやめさせる時』といったような返事が返ってきたって。それなのに……」
「それだ!!」と、タイスとカドールがほぼ同時に言った。だが、カドールは王子の側近にあえて言を譲ることにしていたのである。「つまり、その書簡の返事を書いたのは、リヴァリン伯爵ではないのだろう。そういうことだな、カドール?」
「おそらくはそうだ。あまり信じたくはないが、ローゼンクランツ公爵の書簡は、あくまでもリヴァリンさまへの私信といった形のものだったはずだ。リヴァリンさまは政治のほうを大臣らに任せきりにしているということだったが、領主の私信にまで勝手に目を通して返事を送ってきたということは……その者はおそらく……想像したくはないが、最悪王都テセウスの回し者と考えておいたほうがいい」
ディオルグもまた(なるほどな)と思った。彼はローゼンクランツ騎士団の武の者と知者が揃っているため、自分が言うべきことや、特に知りたいことについて質問する以外、基本的に若者らの話を傾聴して済ませることにしている。だが、すでにもう王都へハムレット王子のことが知れている可能性があると思うと――こちらが外苑州の総力を結集させるそれ以前に、向こうが軍隊を差し向けてくる可能性もあると、そう想像した。
「さて、どうするか……」
タイスのつぶやきに答える者が誰もなかった時、意外にもレンスブルックがこう言った。
「なんにしてもまずは、ライオネス伯爵領まで行くしかないぎゃ。それともオラたち、伯爵領に入る前に検問所ででも、逮捕されちまうだぎゃか?」
「どうかな」と、カドールが思慮深げに目を伏せる。「最悪……一個大隊に包囲されようと、俺とランスロットと――まあ、ギネビアもいれば、ハムレットさまのことはどうにかお守りできるだろう。だが、そこまでのことは流石にないにせよ、ライオネス城砦に無事入れたとして、念のため、なるべく目立たぬよう振るまわねばなるまい。何より、リヴァリンさまの庇護が期待できないとあってはな」
「大丈夫だよ!わたしたちはずっと家族ぐるみのつきあいをしてきたし、リヴァリンおじさまに直接お会いすることさえ出来れば……」
「いや、何がどうなってるのかわかるまでは、もっと慎重に行動する必要がある」と、ランスロット。「とはいえ、今から変装するといっても無理があるな。まずはトリスタンの城館のほうにでも使者をだして……あいつに詳しいことを聞くのが一番という気がする」
「トリスタンか!そうだった。忘れてた」
ギネビアは思わず下唇をなめた。どうやら彼女には名案が思い浮かんだ時などに、そうする癖があるらしい。
「だが、トリスタンさまにもいまや、あまりよくない噂が……」
ハムレット王子やタイスらの、物問いたげな眼差しを感じ、カドールはここで順に説明することにした。
「トリスタンさまは、リヴァリン伯爵の兄の子です。リヴァリンさまは亡くなられたエレアノール奥さまのことを、それは深く愛しておられたのですが、おふたりの間には世継ぎがどなたもお生まれにならなかったので、弟の子であるトリスタンさまを養子にされ、伯爵の位は彼が継ぐことになっています。トリスタンさまは、おじのリヴァリンさまに似て芸術家気質なところもあられる一方、狩猟や槍試合、馬術その他のスポーツにも優れておられ、このような方が次にライオネス伯爵領を継ぐということは……領民全員の希望だったと聞いています。ありていに言えば、リヴァリンさまが芸術といった、領民の目には無駄に見えることに税金を使っていようとも、いずれトリスタンさまが後を継がれることを思えば、多少のことにも目を瞑ろうと言いますか、そうしたところがあったわけですよ。ところが、ここ半年とか一年ほどの間、すっかり気が滅入って臥せっておられるうち――近頃ではすっかり言動のほうがおかしくなってきていると、そうした噂があるようです」
「まさか、トリスタンの気が狂ったとでも言いたいわけではあるまい、カドール?」
「あくまで、そうした噂があるというだけの話だ」カドールは肩を竦めつつ、ランスロットにそう答えた。「おまえだって、トリスタンさまとは幼少のみぎりからの親しいつきあいだろう?何か聞いてないのか」
「いや……」
ランスロットは最後にトリスタンと会ったのがいつだったか思い出そうとして、思い出せなかった。だが、あのように芯の強い人物が突然精神病になるなどとは、到底信じられないのだった。
「トリスタンはきっと絶対まともだよ」と、ギネビアは呆れたような口調で言い、グルリと目まで回してみせる。さも馬鹿馬鹿しい、とでも言いたげに。「なんだっけ?梅毒だっけ?なんかそんなのを娼婦からでももらってなきゃ、きっとあいつは今も至ってまともなままさ。なんにしても、レンスブルックの言うとおりだ。ライオネス領まで行って噂の真偽について確かめないことには、これ以上前へは進めないということだものな」
自分の言葉に円卓を囲む全員が突然しーんとしたため、ギネビアは首を傾げた。自分が何かおかしなことを言ったろうかと不思議に感じる。一番最初にぷっと吹きだすように笑ったのは、意外にもギベルネスだった。それから全員に笑いが伝染したように、一気に大笑いとなる。もっともギベルネスの場合は、ここ惑星シェイクスピアにも性病が存在しているとは承知していながら、やはり梅毒なるものも存在するのだと思い、それでおかしくなったのだが。
「ギネビア、おまえ、一体どこでそんな言葉を覚えたんだ」
ランスロットが呆れるあまり、隣の元婚約者を小突く。もっとも、ローゼンクランツ城砦の領民たちは、ランスロット恋しさのあまり姫が彼の後を追っていったのだと信じていると知ったとすれば――ギネビアは怒り狂ったに違いなかったが。
「だって、パーシヴァルやクレティアンなんかがよく冗談で言ってたもん。女遊びもほどほどにしないと、最後は梅毒になって頭がおかしくなっちまうぞ、とかなんとか」
「やれやれ」と、頭痛がしてきたといったように、カドールは額を押さえている。「まあ、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないがな。あのふたりは小さな頃から股間のサイズやら、どっちが遠くまで小便を飛ばせるかだの、寝てきた女の数やら……武術以外のことでもなんでも競ってきたという関係性だものな」
そのようなふたりもいまや二十代後半となり、結婚して子供もいる身の上であったが、今でも時々やんちゃすることがあったということなのだろう。この時、ハムレットとタイスは思わず互いに顔を見合わせて笑った。自分は清廉潔白な身の上で、性病などという言葉を口にすることすら汚らわしい……といったように見えるカドールではあったが、やはり騎士団のような男だけの世界において、何がしかの下品な話といったものからは逃れられない運命なのだろう。
「まあ、なんにしてもです、王子」
ランスロットはローゼンクランツ騎士団の沽券を守るために、一度ウォッホンと咳払いして続けた。
「まずはライオネス城砦にある、トリスタンの住む城館を訪ねるのが一番かと存じます。リヴァリン伯爵が実は芸術活動に忙しく、実質的な政務については部下たちにまかせきりにしているのだとしても……そのあたりの事情についてならば、賢いトリスタンならばよく承知していることでしょう。まずは用心のため、我々は薄汚れた巡礼僧の姿にでも身をやつし、ライオネス城砦の城門を突破するというのが一番かと。その後のことは、トリスタンと連絡さえつけばどうとでもなります」
「そうだな。貴兄らの話を聞く限り、どうやらそれが一番のようだ」
ハムレットが最後にそう頷くと、「ようし!じゃ、退屈な会議はこれで終わりだ」と、ギネビアが欠伸をしながら大きく伸びをする。これまでもずっとそうだったが、会議のほうは続けようと思えばいくらでも長く続けることが出来た。何故なら、王都テセウスまで実際に攻め上る日がやって来るその時まで――今後どのような障害がありうるかなど、危惧すべき可能性についてであれば無数の組み合わせによるシナリオがいくらでも考えられたからである。
もっとも、タイスとカドールはこの点について、時折互いのシミュレーションを情報交換しあっている。というのも、カドールは十四歳から十七歳までの約三年間、王都テセウスの大学機関に在籍しており、地理その他、宮廷内の人間関係についてに至るまで、ある程度の外郭と実質をよく知っていたからである。
大体いつも、「これ以上話しても進捗はない」というところで、誰かしらが「今日はここまでだな」とか、「そろそろ夜も更けたから休もう」と提案し、会議のほうはお開きになるわけだが……翌日、七つ目の見張り塔へ向け出発し、さらに八つ目、九つ目の見張り塔へと一行が進んでいった時のことだった。いつも通り、斥候の任についていたウルフィンが、昼間遠くに見た蜃気楼による幻でない、これまで見てきたのとまったく同じ構造の見張り塔を発見した時のことだった。彼は暑い中、一杯の水でも得た人のようにその時心に喜びを覚えたのだったが、そのことを報告するため、砂漠の道なき道を引き返そうとして――少し先の砂丘あたりに、何かが散らばっているのを目にしたのである。
そこには置き去りにされた引き車の他に、ちぎれた皮の鎧と思われるものや、あるいは短剣や折られた槍の柄など、最低でも複数人の人間が争ったような痕跡が残っていたのである。砂漠の民の性質について、緑豊かな内苑七州の人々は、「彼らはゴミでも大切にする」と時に揶揄して言うことがある。つまり、折られた槍の穂先であれ、ちぎれた皮鎧であれなんであれ、どこかで見かけたならば「何かに使えるかもしれない」と考え、必ず持ち帰るのである。しかも、柄に彫り物も何もない短剣とはいえ、砂漠の民がそのように大切なものを置いていくということは――よほどのことがあったに違いないと、そう考えるのが妥当というものだった。
ウルフィンは早速このことをハムレット王子に報告し、くたびれている一行ではあったが、変わり映えしない景色を進む中、ちょっとした変化のあったことに喜びを覚えつつ、この時先を急いだものである。ランスロットなどは特に、まだ周囲にもし盗賊の類といったものがあったとすれば一暴れ出来ると思い、ルパルカで周囲を見てまわるということさえしていたが、夕暮れが近づきつつあるあたりでは、獣の影ひとつないままだった。
「王子!この争った者らがどこへ行ったかまではわかりませんが、とりあえず、近くにはいないものと思われます」
「そうだな」と、ハムレットは見回りの労をねぎらって言った。「これはオレの想像にしかすぎないことだが、おそらくこの者らは引き車に何かを乗せて運んでいたのではないか?それで、運んでいたものが盗品とは限らないが、その分配のことなどで喧嘩し、何やらこんなことになったと……今のところ、何やらそうした印象を受けるばかりといったところだ」
「同感です、王子!!」
ギネビアが喜び勇んでそう言い、タイスとカドールも同様に頷く。
「ほぎょ。この引き車はどうやら、オラのような小人を運ぶのにちょうどええように思われるぎゃ。ハムレットさま、オラ、この引き車をライオネス城砦まで引いていってもええだぎゃな?」
「レンスブルックの好きにしていいよ」と、ハムレットは微笑って言った。目指す九つ目の見張り塔が見えてきたため、みな一気に元気を盛り返したようなのが嬉しかった。「ルパルカに引いていかせれば、さして負担ということもないだろうし……」
ギベルネスはレンスブルックがルパルカに引き車を具合よく繋ぐのを手伝ってやった。他に、折れた槍も短剣も、破れた皮の鎧についても彼はすべて自分のものにしたようである。
「この中で真の乞食精神を持つのはオラだけだぎゃ」
レンスブルックがそう言うのを聞いて、みな笑った。九つ目の見張り塔へ向かう途中、他のみなは「これはどういうことだろう」とその後も忙しく話していたが、ギベルネスはレンスブルックにマーク・トウェインの『王子と乞食』の大体のあらすじについて聞かせていた。双子のように顔がそっくりのエドワード王子と町の乞食のトム・キャンティが入れ替わるという物語であるが、レンスブルックは極貧で父親に暴力を振るわれてばかりのトムが自分のことのように思われ――興奮してギベルネスにしつこく続きをせがんでいた。「で、それでどうなったぎゃ、先生?」、「王子さまになったトムは幸せになっただぎゃか?」といったように、何度も。
次第に、他のみなもギベルネスの語っている物語に耳を傾けだしたのだが、最後のほうを話してしまう前に九つ目の見張り塔へ到着してしまった。「ギベルネ先生、あとからでいいから続きを話してくんろ」とレンスブルックは頼み、もちろん彼は快くそのことを請け合ったわけだが――この見張り塔においては、一行が想像してもみなかった騒動が持ち上がるということになるのだった。
>>続く。




