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第25章

 ギネビアはハムレット一行の、最後尾のルパルカに乗るギベルネスとレンスブルックの後ろ姿を視界の先に見据えても――すぐには彼らに追いつこうとはせず、用心深く一定の距離を保ったままでいた。


 というのも、息を切らしたような体で「おお~い、待ってくれえ~い!!」とばかり、すぐに声をかけたとすれば「今ならばまだ引き返せる」とばかり、ローゼンクランツ城砦へ向け追い返されてしまうことだろう。


(第一、わたしは知ってるんだ。ライオネス城砦へ辿り着く前に、いくつか見張り塔があるからな。みんな、そこで休みながら旅を続けるだろうことは間違いない。だから、ついうっかり彼らの姿を見失ったとしても……ええと、まずは次の塔を任されているのは確か、ルーアン卿じゃなかったっけ。卿や卿の家族がローゼンクランツ城砦へ戻っている時には必ず挨拶に来るし、そんなわけでわたしたちは親しい仲というわけだからな)


 六月となり、本格的な乾期となったこの頃、昼間の気温は四十度にも達することがあった。ゆえに、ハムレット一行は出発後、三時間もする頃にはフードを目深に被った顔の表情は<無>に近いものすらあり――ただひたすらにルパルカの伝える振動に身を任せて前進するのみというところだった。


(ああ、もう暑さに溶けて死んでしまう……)


 そう思っていたのはギベルネスだけではなかったろう。だが、やはり生まれつきこの程度暑いのが当たり前という環境で暮らしてきた者とギベルネスとでは耐性が違った。この日の彼の唯一の救いといえば――夕刻までには見張り塔と呼ばれる場所で、食事と水をきちんと取れた上、ぐっすり安全に眠ることが出来る保証があるということだけだったに違いない。


 ローゼンクランツ城砦とギルデンスターン城砦は、いくつも飛び地としてある他の規模としては小さい城砦や城壁都市、あるいはオアシスを中心にした群落を地方豪族が束ねている――といった形で存続してきた。これから一行が向かおうとしているライオネス伯爵領もまた、政治形態としてはまったく同じだった。ただ、唯一違うのは、ライオネル伯爵の治める領地は、茫漠たる砂漠のみが広がっている……というわけではなく、その広い領地の半分以上が荒地であったことだろう。


 ローゼンクランツ領にもギルデンスターン領にも、鉱物資源の取れる山野といったものはある。四方が砂漠に囲まれていながら、何故そこにだけ今も枯れることなく多少なり緑の樹が残っているのか、ほとんど神の恩寵としか思われぬ場所が点在しており、その資源を直轄しているのが領主から任命された地方長官だった。ゆえに、そのような場所においては緑一本、木の枝一本、許可なく自分のものとしたならば、いかなる処罰も免れないと、領民の中でそのことを知らぬ者は一人もなかったほどだったに違いない。


 そして、大抵そうした場所には必ず城塔があり、領主の命を受けた騎士や守備隊長などが見張りについているのである。また、なんらかの違反によって逮捕された者は、それが格別悪質であったとすれば牢へ入れられ、最寄りの町で裁判にかけられるか、場合によっては見せしめとして城砦都市の広場にて、長官職にある者が直に裁判を行なうこともある。だが、ローゼンクランツ領からライオネス領まで、ある一定間隔によって続く見張り塔というのは――概ね、互いの間を行き来しやすいようにと設置されているものだったのである。


 その日の夕刻、まだ太陽が没しきる前に、見張り塔という名の掘っ立て小屋というのではなく、薄汚れた石造りの四階建てほどの塔が建っているのを見て、ギベルネスは驚いた。このように砂漠の真ん中にポツリとサイロのような塔があるだけで、居住人は一体どのように暮らしているのだろうと不思議だったのである。


 だが、中に入ってみると思った以上に広く、案外快適そうであった。とはいえ、食糧や水はどうしているのか、昼間はこの暑さの中、一体どうやって過ごしているのだろうと……今度はそんなことが気になってくる。


「任務、ご苦労さまです。こちらは公爵さまからの贈り物で……これでまあなんとか、お食事など用意していただければと思いまして」


 一階に入口はなく、一行の姿が遠くから見えた頃――ルーアン卿はすでに組み立て梯子の用意をしていたらしい。玄関口となっている鉄枠の嵌まった窓からするすると梯子が下りてくると、最初にランスロットが上っていって、そのように挨拶した。


「ありがとうございます。ついおとつい、伝令兵からそのように連絡がありましてな、こちらにあるのはブタの塩漬け肉だの、キャベツの酢漬けだの、レンズマメだの……大したものがありませんでしたもので、出来れば人数分の食料を持ってきていただきたいと頼んでおいたのですよ」


 ランスロットに続いてカドールが梯子を上り、ハムレット、タイス、ディオルグ、キリオン、ウルフィン、ギベルネス、レンスブルック……といったように、順に続いた。ルーアン・バグデマスは髪も口髭も真っ白な初老の男で、彼の横には陽に焼けて赤銅色をした肌の、奥方であるルツがいた。そして彼女は、客たちの旅の労をねぎらうと、細々としたことを色々世話してくれたのである。


「毎日、大変でしょうね。こうも暑いと……」


 見張り塔内の造りが思った以上に興味深いものだったので、ギベルネスはきょろきょろ辺りを見回しながら、荷物運びを手伝いつつ――思わずそう聞いていた。他のみなは大体のところ、主要階である二階にいて、「ああ、これはどうもどうも」などとルーアン卿に挨拶しつつ、まずは水を好きなだけ飲ませてもらっていた。というのも、この見張り塔は地下に井戸があって、そこへ釣瓶を落としていくらでも飲むことが出来たからである。「疲れたぎゃ~」とか、「かーっ、うめえ!!」だのいうがやがやした声が、下のほうから三階のほうまで聞こえてくる。


 三階や四階も居住階となっていて、さらには屋根裏まであったが、どこも綺麗に掃除がされている。壁に飾ってある装飾品は、ローゼンクランツ公爵家の紋章の描かれた旗や、天使からお告げがあって城砦が建設されることになるまでのことが織り込まれたタペストリー、それに現公爵の肖像画、騎士ノ心得十か条の書かれた巻物を広げたものなど……三階には簡易ベッドがあって、夫婦の寝室となっているようだったし、四階には盗賊や敵に襲われた時のためだろう、剣や槍や弓矢、その他つるはしといった工具類など、色々なものが整理整頓して置いてあった。


「そうでもありませんよ。もちろん、快適とはお世辞にも申せませんけれどね、ここでの任務は一月交替ですし、主人は騎士として領民からも敬われておりますし……城砦のほうへ戻れば多少なり余裕のある生活を送れることを思えば、大したこともないですね。わたしは竃の前でパンを焼いたり料理してる時だけ大変で、主人のほうはこのあたりの見回りをしなきゃならないものですから……何分ひとりでしょ。無事帰ってくるまでの間、ただじっと心配だけしてなきゃならないというのが、実は一番つらいことなのですよ」


 ルーアン・バグデマスと奥方のミリアムとは、結婚してすでに三十年以上にもなり、孫までいる身の上であったが――どうやら今も熱々の仲という珍しい夫婦関係で、妻が夫の身の回りのことを心配するあまり、いつでもこの勤めには一緒について来ているという話であった。


「あとの荷物は、私が運んでおきますよ。お手数をおかけしますが、明日にはすぐ出発する予定ですから、よろしくお願いします」


「あら、ごめんなさい。あたしったら、お客さまに対してこんなつまらない身の上話……お疲れになったでしょう。食事の準備のほうは大体のところ済んでますから、ゆっくりお休みになってくださいね」


「いえいえ、お気になさらず」


 このあと、階段を四階まで上り、屋根裏のほうも梯子を上ってちらと覗いてから、ギベルネスは二階のほうまで戻ってきた。屋根裏から見えた、砂漠の地平線に夕陽がダイヤモンドのように沈んでいく様はなんとも美しく――旅の疲れがやわらぐものすらギベルネスは感じたかもしれない。


「おや、先生。先に一杯やってるぎゃよ」


 二階のほうでは円卓を囲み、それぞれソファや椅子、あるいは薪箱に似た長櫃のような荷物入れなどに座り、まずは寛いでいるところだった。その間にミリアムのほうでは塔の壁側に張り付くように設置されたキッチンのほうから、色々な食事の品をのせて運んでくる。


「ああもうぼく、すっかり疲れて眠いや」


「キリオンさま、眠るのはお食事が済んでからのほうがよろしいですよ」


「ライオネス領へ行くまでには、こうした居点がいくつくらいあるんだ?」


 そうディオルグが隣のカドールに聞くと、「ここを含めて十二箇所ほどだな」と、スープにパンを浸しつつ彼は答えた。「<東王朝>と戦争になった場合、まず駆り出されることになるのがバロン城砦に近い、ロットバルト州とメレアガンス州の軍隊ではある。また、そちらが敗れぬ限り、アヴァロン州とキャメロット州をさらに越えた、砂漠三州まで軍勢が迫ってくることはないとはいえ……それでも、王州テセリオンを含む内苑州を敬い、我々砂漠州の騎士たちははるばる遠く出兵せざるをえない。また、同じ外苑州であるロットバルト州やメレアガンス州に義理立てするといった意味もそこにはあるわけだが、そうなるとやはり、こうした見張り塔といったものが中継基地として必要になってくるんだ。とはいえ、逆に盗賊どもの住みかになるといった事件が過去になかったわけではない。だが、それ以上に砂漠で迷った隊商を助けたり、砂漠地帯の警備をするといった意味でもこの見張り塔は重要な役割を果たしている」


「左様でございます」と、ルーアン・バグデマス。「私がパトロールしている区域は、これでもローゼンクランツ領側に近いですからな。最近どうも、ライオネス領に近い側の見張り塔では、夜盗の襲撃があったとかで……どうもライオネス城砦のほうでは近ごろ、治安の乱れということがあるのではないかと噂されております」


「なるほど。盗賊団か何かか?」


 そうランスロットが聞いた時のことだった。「たのも~う!!」と、下のほうから何者かの大声が響いてくる。


(あの声は……)と気づいたのはどうやら、カドールひとりだけのようだった。もっとも、彼にしても馬上試合の時にはギネビアが野太い声を出そうと努力していたのと、その声が冑の中でくぐもって聞こえたせいで、相手が男でないと最初のうちまるで気づかなかったわけだが。


「まだ、どなたかお仲間がいらっしゃったかの?」


 ルーアンは一度引き上げた畳み梯子を下ろすべきかどうかと、一度閉じた頑丈な鎧戸を開こうとする。


「いえ、もう誰もいないはずですが……」


 タイスがそう答え、全員の顔を一渡り見回した。


「おまえ、本当に気づかないんだな」と、カドールがランスロットに向け、呆れたように苦笑する。「あれはギネビアの声だぞ、間違いなく」


「ええ~~~っ!!」


 キリオンとレンスブルックが、ほぼ同時に声を合わせたようにそう叫ぶ。


「ハムレット王子が自分を騎士に叙任してくださったから、その王子を自分が守らずしてどうするとか、理由としてはそんなところだろう。やれやれ。まずは一晩ここへ泊まってもらうにしても……明日にはなんとか説得して帰ってもらわねばな」


「俺に説得しろってのか?無理だ。あいつは俺が言うことは絶対聞かないんだから。むしろカドール、おまえの言葉のほうがまだしも説得力があるかもしれん」


「やめろ。俺に嫌な役を押しつけるのは。というより、婚約者なら、その相手のことくらいしっかり説得してみせろ。第一、結婚したら毎日がこんな感じになるんだぞ」


(やめてくれ)と、ランスロットが渋面を浮かべていると、「る~あん~っ!!わたしだよーう!!」などと叫び、結局のところギネビアは梯子を下ろしてもらい、みんなのいる主要階まで上ってきたのである。


「ルツも久しぶり。末の娘さんも無事子供が生まれてよかったね!旦那は煉瓦工つったっけ?」


「ええ、まあ。公爵さまにはお祝いの品を贈っていただきまして……本当にありがたいことでございました。ギネビア嬢ちゃま、まさか城砦からここまでひとりでやって来られましたので?」


 ルツは目を真ん丸くしていた。伝令兵から、一応ふたりも馬上試合であった珍騒動(?)については聞いて知っていた。だが、常識人のこのふたりにしてみれば、ギネビアが婚約者恋しさのあまり追ってきたのではないかという、そんな発想しかなかったのである。


「おお、ハムレット王子!!」


 この瞬間、ハムレットは胸の奥がドキリとした。暁の陽の光を思わせる鳶色の瞳に、彼女の気性の激しさをそのままを反映したような、燃える赤い髪……ギネビアは長旅の汗で汚れていてさえなお美しかった。


「先日はこのわたくしめを騎士に叙していただきまして、誠に身に余る光栄……これまで十七年間も生きてきて、このギネビア、あの時ほど魂の打ち震えたことはございませんでした。そして、自分を騎士に叙してくださった方に命を賭して仕えることこそ騎士の本望と心得まして、このように馳せ参じた次第でございます!!」


「まあ、とりあえず今夜はゆっくり休むといい」


 ハムレットが鷹揚にそう言い、食事するための座席を探したため、ギベルネスは自分が腰かけていた長櫃を譲ろうとした。だが、ギネビアはランスロットとカドールが座しているその隣に座ろうとする。


「ギベルネさま、どうかお気になさらず!わたしはほれ、このような下賤の者らの横でも十分寛げますゆえ……」


 ギベルネスが座席を譲ろうとすると、ギネビアは涼しい顔をしてそんな返答をしていた。(誰が下賤の者だ)という顔をランスロットはしていたが、カドールは(いつものことだ)と思い、ほとんど顔色を変えることすらない。だが、その様子が他の者たちにはおかしかったのだろう。「ぷっ」と吹きだすようにレンスブルックが笑い、それからキリオンが笑い、それが伝染するように、結局みな大笑いしていた。


 食事のほうは大麦パンにソーセージ、オニオンスープ、それに豆が少々といったところであったが、ギネビアがやって来た途端、急に場が華やかで明るく、楽しいものとなった。食事のあとは、ウルフィンとキリオンがタヒードとディンブラを弾き、ルーアンが屋根裏に竪琴があるというので、ギネビアがそれを奏で、歌を歌った。


 無論、ギネビアが来たお陰でその夜は楽しかったとはいえ――翌日にはルーアン卿が彼女を送っていくということで、こっそり陰で話のほうはついていた。その日、ギネビアには屋根裏で眠ってもらうことになっていたが、彼女は四階の、みなが雑魚寝しているところにすぐ下りてきたのである。


 すると、寝入りばなを折られたランスロットが、とうとうヒソヒソ声ではあったが、こう幼なじみに怒鳴ったのだった。


「いいかげんにしろっ!みんなの迷惑になっているのがわからないのかっ!!」


「だって、これからは毎日、みんな生死と寝起きをともにするんだろ?今日はたまたま屋根付きの、部屋数もあるところにいるからいいけど、これからは野営したりなんだり、見張りについても交替で協力してやってかないとな。べつにわたしのことはこれからも男だと思ってくれればそれでいいし、公爵家の娘として特別扱いしなくてもいい。それならいいだろ?」


「よくないっ!!とにかく、王子がお優しい心遣いからなんとおっしゃろうとも、おまえは明日ルーアン卿に送ってもらって帰れ。今ごろ公爵さまと奥方さまが、どんなに心配してやきもきしながらおまえの帰りを待っているか……そんなこともわからないのかっ!!」


「書き置きも置いてきたし、何より姉さまにそこらへんのことは頼んできたから大丈夫さ。ほら、うちには幸い五人も娘がいる。わたしひとりくらいのことはきっと、父さまも母さまも諦められるさ。むしろ厄介ばかり起こす子がいなくなってせいせいしてるくらいかもな」


 バシッと頬をはたく音が聞こえると、それまで黙って聞いていた者たちも流石に、ハッと目の覚める思いがした。ただひとりレンスブルックだけが、「もう食えないぎゃ……」などと、寝言をつぶやきつつ、尻のあたりをポリポリかいている。


「なんだよっ!!殴んなくたっていいだろ!?」


「うるさいっ!!とにかくな、これ以上俺たちに面倒を増やすなと言ってるんだ。俺たちはな、何も物見遊山をしにこれからライオネス伯爵領へ行き、次にキャメロット州やアヴァロン州を越え、メルガレス城砦へ向かおうというんじゃないんだぞ。何より、王子のお命を第一に守らねばならんのに、女のおまえがいたのでは他の者たちも気を遣う!!俺はそういうことを言ってるんだっ」


(だから、わたしのことは女と思うなと言ってるだろーがっ!!)とは、流石にもうギネビアも口にしなかった。すごすごと再びローブを片手に屋根裏まで上っていく。


「夫婦喧嘩をするのは、結婚してからにしてくれ」


 カドールが最後小声でそう呟くと、ランスロットは「うるさいっ!!」と怒鳴り、再び荷物を詰めた袋を枕に眠ろうとした。だが、流石に今回はみな、寝ている振りをしながらランスロットをからかおうとはしなかった。ただ、(ははーん。大体のところ彼らはそのような力関係なのだな)と、ぼんやりそう思いつつ、疲れていたせいもあり――おのおのすぐ、井戸の底のような眠りへ落ちていった。


 翌日、ギネビアは泣いたことのわかる顔をして起きて来、態度もなにやらしおらしかったが、一体どうやってルーアン・バグデマスを説き伏せたものだろうか。ハムレットたちの後ろに、ある一定の距離を置いてやはりついてきたのである。


 レンスブルックと後ろのほうにいたギネルベスはそのことにすぐ気づいたが、余計なことは何も言わずにおいた。むしろこうなると、彼女の姿が見えなくなることのほうが不安なため――そうした意味で着かず離れずの距離を取ろうとしたということでもあったが。


 この日は、陽が暮れてからも次の見張り塔まで辿り着けなかったため、「このあたりにオアシスがあるはずです」というカドールの言葉に聞き従い、そこで野営することになった。結局のところギベルネスはルパルカの速度を落とし、ギネビアと並ぶと……彼女をみんなの元へ連れていくことにした。ランスロットは仏頂面をしたままだったが、他に誰も何も言わなかったし、ギネビアにしてもその日の夜は実に大人しかったものである。


「ハムレット王子、わたしがいると迷惑ですか?」


 食事後、何かの拍子にみなの話と笑いが途絶えた瞬間を捉え――ギネビアがそう聞いた。常識的に考えれば、『帰りなさい。もし万が一のことがあった場合、オレもローゼンクランツ公爵に顔向けが出来ない』と言うべきだろうとは、ハムレットにしてもわかっていた。だが、彼自身の本心としては……ギネビアのことを出来れば追い返したくないという相反する気持ちが存在したのである。


「迷惑、ではないが」と、ハムレットは自分でも白々しいとは感じつつ、わざと重苦しい溜息を着いてみせた。「まあ、あなたは自分の身くらいは自分で守れるのだろうし、そうした意味で並いる御婦人方とは違うのだろうとは思う。そうだな。なんと言えばいいか……」


「わたし……わたくしは……必ず、この命に代えてもハムレット王子のお役に立ってみせますっ!!ですからどうか、おそばで仕えることをお許しいただきたいのです。もしわたしの命が旅の途中で儚く散ってしまっても、わたしがなんらかの勲功を立てて死んだのだと知れば、父も母もそのことを誇りに思うでしょう。わたしのことを女だと思うから話がおかしくなるのであって、男性にいわゆるオカマと呼ばれる者がいるように、わたしのこともそのように扱っていただきたいのです。このギネビア、決して女のように女々しく泣き言などは申しませぬ。ですから、どうか……」


「そうだな、いいだろう」


 途端、ランスロットの顔の表情が険しくなるのがわかったが、ハムレットは無視することにした。実をいうと正直に語ったとすれば、ハムレットは他に並ぶ者なき武人のランスロットや、タイス以上に知識と知恵に富むのみらず、騎士として優れているカドールよりも――彼女のことのほうがずっと好きだったのだ。


「ただし、ライオネス伯爵領に滞在するまでの間、暫く様子を見るという条件付きだ。そこまでであればまだ、ローゼンクランツ領まで引き返そうと思えばいつでも引き返せるだろうから。ランスロットもカドールも、そういうことならいいのではないか?」


「ですが、王子……」と、ランスロットの顔はますます曇ったが、カドールは「そうですね。そういうことなら」と、いつもの無表情な顔で恭しく言った。「男についていくのは女の体力では限界があるとギネビアが悟ればそれでよし、また、俺たちの間でも彼女が足手まといだと感じたとすれば、そのことは必ずギネビアにもわかるでしょう。なんにしても、ライオネス領までなら、まだ誰か供の者でもつけて帰ってもらうということが出来ますからね」


「だいじょーぶ、だいじょうぶ!!わたし、今も勇気凛々、とっても元気だもんっ。ハムレット王子、ありがとうございます。このギネビアめ、必ずやいないよりもいたほうが絶対いいというくらい、近いうちに必ず武勲を立て、こいつやこいつなどより、ずっと役に立つということを証明してみせますゆえ!!」


『こいつ』呼ばわりされたランスロットとカドールではあったが、ランスロットは眉間に皺を寄せた仏頂面でいただけで、カドールのほうではまったく動じていない。ふたりとも、こんなことにはすっかり慣れっこになっているのだろう。


「ええと、それじゃまあ、ギネビアのことはそれでいいとして……」と、ディオルグは内心で笑い転げつつ、真面目な話をしなければと話題を変えた。「これから、残り十一ある見張り塔伝いにライオネス伯爵領へ向かうとして、ライオネス伯爵というのはどのようなお方なのかね?他に、ルーアン殿が少々気になることを申しておったことでもあるしな。治安が乱れているとかどうとか……」


「そのことについては、俺も、ランスロットのほうでも情報を得ていません」と、カドールは隣の騎士仲間に一瞥を送って言った。「ただ、ライオネス伯爵は人柄の素晴らしい大変良い方です。ご存知でしょうが、ローゼンクランツ公爵とギルデンスターン侯爵、それにライオネル伯爵とは、代々の同盟を守り続けており、ギルデンスターン領の塩田が欲しいというので我がローゼンクランツ騎士団が侯爵領へ攻め込んだり、あるいはライオネス領の豊かさが羨ましいというので、公爵と侯爵が手を組み、ライオネス城砦を落とすといったことは歴史上、ただの一度として起きたことすらありません。また、ローゼンクランツ公爵領やギルデンスターン侯爵領にまで内苑七州の勢力が伸びてこないのは、当然理由があります。地政学的な問題として、そこまでするだけの旨みがないというのはあからさまな物言いかもしれませんが、茫漠たる砂漠にしがみつくように点在する緑や鉱物資源など、公爵さまや侯爵さまに管理人として任せておき、そこから生じる税のみ搾り取ることのほうが、やり方として得策だと言えたでしょう。ですが、ライオネス領は……」


「そんなにひとりでべらべらしゃべるなよ、カドール」


 砂漠トカゲの肉をおやつのようにつまみ、もぐもぐ食べながらギネビアが言った。とても良家の子女とは思えぬ食べっぷりだった。トカゲ肉は尻尾以外は固いが、砂漠の民は歯も頑丈なのだ。


「ライオネルおじさまは、そりゃまあいいお方さ。文学とか詩とか音楽が好きで、性格のほうもちょっと繊細な感じなんだ。わたしや姉さんのテルマリアや妹たちや……まあ、ランスロットもそうだけど、いわゆる家族ぐるみのつきあいというやつでね。小さな頃からお互いの間を行ったり来たりしてるんで、それなりに交流がずっとある。ただ、軍隊がどうこうとか、そういうことには残念ながら不向きなんだな。だから、信頼できる有能な部下の誰かにでもまかしてんだろーけど、リヴァリンおじさまは領主として不向きというか、ちょっと変わってんだ。父上曰く、芸術を愛好しすぎるあまり、現実逃避的傾向にあるとかなんとか……」


「よく歯に衣着せずに親戚を悪く言えるな」と、ランスロットがギネビアの言葉に呆れた振りをして言う。「悪くなんか言ってないだろーがっ!!」という元婚約者の言葉は無視し、彼は続けた。「リヴァリンさまは、お小さい頃に父王を亡くされて、即位されるのが早かったと聞いています。それで、摂政としてリュア・リ・フワトナンという、父のライオネル伯が心から信頼していた男が実質的に政務を担っていたという話。また、フワトナンは先代のライオネル伯亡きあとの良き政治を行なうためのモデルといった人物で、ライオネル家にも忠実でした。彼から色々なことを学んで吸収したリヴァリンさまは、二十歳前後で摂政フワトナンが亡くなった時……まあ、彼を手本にしてこれからはライオネス伯爵領を治めていくつもりだったのではないかと思われます。ですが、民に重税をかけることで、民衆から文句がでたりとか、そうした民の不満と正面衝突するのがつらいと申しましょうか。そのあたりの財政関係については、各大臣らにまかせ、伯爵さま御自身はお芝居や音楽会や、あるいはサロンに集まる芸術家のパトロンになるのに忙しく……あれで大丈夫なのだろうかとは、ローゼンクランツ公爵も、随分以前から危惧しておいでではありました」


「なるほどな」と、タイスが考え深げに頷いて言う。「それでは、治安が乱れているというのは、ようするにそのあたりのことが原因ということなのだろうな」


「と、思う」と、カドールが最後に付け足した。「だがまあ、ローゼンクランツ騎士団ほど屈強な面々ではないにせよ、リヴァリン伯爵もライオネス騎士団の他に、不正を取り締まるための騎馬警察団も持っておられるし、数としてはローゼンクランツ領やギルデンスターン領を合わせたほどとまでは言わないが、擁する人民が多い分、兵士の数自体は軍隊として大きいはずですよ。ただ、リヴァリンさまは醜い戦争のことを思ってみただけでも失神するといった繊細なタイプのお方であられることから……王都から時折聞こえる拷問話を聞いただけでも、自分がそんなことになったらどうしようと怯えておいでであるらしい。特に、ボウルズ伯爵が断末魔の悲惨な死を遂げたと聞いて以来、現実逃避に拍車がかかったのではないかというもっぱらの噂なのですよ」


「よく知ってるな」と、ランスロットが耳打ちすると、「うちには優秀な間者がいる」という、カドールの返事。


(その気持ちもわかる気がする)と、ハムレットはそう思った。先ほど、ギネビアにライオネス伯爵領からなら、まだ引き返せる……そう言ったのは彼自身である。けれど、もしかしたら自分にしてからがそうなのかもしれない。王位奪還など目論まず、田舎僧として一生を終えたほうが――戦争によって多くの兵士らの命を危険にさらさずに済むのかもしれない。そして何より、次に断末魔の悲惨な死を遂げるのは反逆者である自分でないなどと、一体誰に保証できるというのだろう。


 この日、一同の間に楽の音はなかった。キリオンは「つっかれた~」と言って、すぐ眠ってしまったし、ウルフィンは疲れているにも関わらず、ここにいる誰より自分を目下の者であると自覚しているゆえに――食事の後片付けなど、彼はいつも眠るのが一番最後だった。


 無論、「そのあたりは交替でやるぎゃ」と、レンスブルックは手伝ったし、それはホレイショやキャシアスも一緒だった。ギベルネスも手伝おうとするのだが、大抵は遠慮されてしまう。だが彼は、ギルデンスターン領やローゼンクランツ領に滞在中、宇宙船<カエサル>にいた頃に調べていた植物の成分表のことを思いだし――飲み薬や塗り薬をいくつも作っていた。ゆえに、誰かしらの手や足などに傷があれば、彼はカレンデュラ軟膏を塗り込むなどして、夜眠る前にケアするようにしていたものである。また、砂漠グモが旅の仲間たちに取り憑くのを恐れていたため、そうすることで常に相手の皮膚状態もチェックすることにしていた。そのための忌避剤も新しく作っていたが、天幕に結びつけたそれがどの程度効果があったものか、ギベルネスにもはっきりしたことまではわからない。


 ただ、ホレイショとキャシアスはこの旅の記録を書き綴る過程において、たびたびこう書き記すことにはなるのだが。『神の人ギベルネは、我々の汚い足を洗って清潔にし、ほんの小さな擦り傷にも麗しい香りの軟膏薬を塗り込むような方だった。見よ、これこそ誠の謙遜。真の謙譲。これを読む者は心すべし。人の上に立つ者には、このような汚れなき資質こそもっとも必要とされねばならぬということを』――などといったように。




 >>続く。






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